いかないで
遠ざかっていく。
段々と、あなたの姿が小さくなってゆく。
私は、それを追いかけるのだけれど、一向に届く事は無い。
あなたの姿が闇に熔け、輪郭がぼやけてゆく。
手を伸ばす。
「――いかないで」
◇
「――大丈夫?」
あなたの姿が目に飛び込んできた。
あなたが今からどこかへ行ってしまうなんて事は、きっと無いのだろうけれど、どこにも行って欲しくなくて、あなたの温もりを感じたくて、ギュッと抱きついた。
「…甘えんぼさんだね」
あなたは、少し驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに微笑んで、背中に手を当ててくれた。
私は、その温もりが嬉しくて、肩に顔を埋めた。
「どうしちゃったのかなぁ」
背中を手でさすりながら、私にそう問いかける。私は、「なんでもない」と口をつぐんだ。
「…そっか」
伝わったのか伝わっていないのか。
何も言ってないのだし、まあ伝わってないだろうなと思いつつ、伝わっていて欲しいなんて思ったり。
そんな私の苦悩を見越してなのか。
「僕は、どこにもいかないよ」
なんて言ってくるのだ。
一体、あなたは私をどうしたいのか。
もう既に、あなたのこと以外考えられないほどに惚れているというのに。
私が、一層強く抱き締めれば、あなたは頭をそっと撫でてくる。
好きだった。大好きだった。
こうして、傍でゆっくりと過ごす、こんな時間が。
どんな悪辣な環境でも、あなたとさえ居られれば幸せだろう。
好きだ。大好きだ。愛している。
こんな私の全てを優しく受け止めてくれるあなたを。
「…ありがと。愛してる」
ああ、あなたは今、どんな顔をしているだろうか。何を思っているだろうか。
――嬉しく、思ってくれているだろうか。
「僕も、愛してるよ」
あなたはそう言ってくれるけれど、不安になってしまう。
毎日のように愛を囁けど、その不安は拭えない。
私はあなたに何をあげられているのだろうか。
あなたを、私なんかに縛り付けてしまっていいのだろうか。
あなたが、他の女と話しているだけで狂いそうになる。
あなたが、そばに居ないだけで寂しくて不安になる。
あなたが、私以外を目に入れるだけで――。
こんな私なんかで、本当に良いのだろうか。
もっと、幸せになれる道もいくらでもあったのではないだろうか。
もっと、もっともっともっと――。
「――ダメだよ」
ハッと、顔を上げる。
「僕といるときは、僕のことだけ見てなきゃ嫌だよ」
にっこりと笑みを浮かべながら、けれどどこか寂しそうで、悲しそうな表情であなたは言う。
「…ん、ごめん」
そうだ。こんないつでも考えられることは、後で、一人の時に考えればいいのだ。
せっかく今はあなたと二人きりなのだ。それを満喫しないでどうするというのか。
「大丈夫。そんな君も、大好きだよ」
ああ、やはり今日も、あなたには勝てない――。
◇
「――大丈夫?」
うなされていた君にそう声を掛ける。
少しだけ、ポヤッと表情が可愛い。
普段は、無表情で凛としているからこそ、こういう時のギャップが堪らなく愛おしい。
そんな風に思っていると、君が僕に抱き着いてくる。
夢にうなされた後などは、三割り増しくらいで甘えんぼになるのだ。
その証拠に、いつもより締め付けが強い。
ああ、本当に可愛い。
僕は君の背中に手を当てて、そっと撫でる。
とても温かい。
人肌というのは、なかなか凄いもので、触れ合っているだけで落ち着いてくるものだ。
安心したのだろうか。
君は、僕の肩に顔を埋めた。
「なんでもない」
君はそう言った。
きっと、1人になるのが怖いのだろう。
君の見た夢を、僕も見た訳では無いからなんとも言えないけれど、1人になるのは僕も嫌だ。
僕は、君のそばを離れるつもりはない。
相変わらず、君の背中を撫でながらそう言えば、君は一層強く抱き締めてくる。
――本当に、可愛い。
僕は、頭を撫でた。
嬉しそうに身じろぎをする君が、また愛おしい。
ああ、好きだ。本当に大好きだ。
君も、君と過ごすこの時間も。
君のことなら、たとえ何であろうとも受け入れられるだろう。
「…ありがと。愛してる」
ああ、幸せで溢れる。
君のその声が、紡ぐ言葉一つ一つが、僕にとっては何にも替えがたい宝物なのだ。
愛している。愛しているとも。
僕のすべてを君に差し出しても、惜しくはない。
――だから、僕を見て欲しい。
――僕だけを、見て欲しい。
僕といる時は、僕だけを見て欲しい。
僕のこと以外考えないで欲しい。
僕と過ごす、この時間のことだけを考えて欲しい。
だから。
「――ダメだよ」
ビクリと、君が顔を上げる。
「僕といるときは、僕のことだけ見てなきゃ嫌だよ」
せっかく君と過ごせる時間なのだ。
僕のことだけを見てくれないと、悲しくなってしまうし、寂しい。
明日になれば、君はまた外に働きに出かける。
そうなれば、君と一緒には居られない。
君に脚を砕かれて、僕は二度と歩くことが出来ないのだから。
こんな足では、まともに働くことも出来ないだろう。
家事も仕事も、全部君に任せっきりになってしまって心苦しくはある。
けれど、君はそれで幸せだと言うのだ。
きっと疲れも溜まるだろう。
きっと苦しいこともあるだろう。
だからこそ、君の癒しになれたらと思うのだ。
僕と一緒にいる時間に、面倒な思考はいらない。
ただ、好きな時間を満喫してくれれば良いと思う。
きっと僕らの関係は、歪で、壊れていて、異常で、そして、どうしようもなく甘美だ。
君の全てを、受け入れてしまう。
君のどんな行いも、思考も、全て。全てを。
君さえいれば、それでいい。
僕は、それだけで幸せだから。
「…ん。ごめん」
そうだ。
そうして、僕のことだけを見て欲しい。考えて欲しい。
素直で、僕なんかのために尽くしてくれる、そんな君。
嫌いになんか、なれるはずがない。
「大丈夫。そんな君も、大好きだよ」
やはり今日も、そしてこれからも、君には勝てない――。
独占欲の強いメンヘラ彼女と、そんな彼女の全てを受け入れてしまう彼氏のお話でした。
続きを考えてるというかなんと言うか。
そもそもタイトルを回収してないので、多分続きみたいなのを書きます(いずれ)