あんたが好きだからだよ
きちんと巴に想いを伝えたけれど、結局売り言葉に買い言葉で、私と巴は別々に分かれた。
その足で下駄箱に向かうと、そこには一番会いたくない紫藤がいた。
紫藤は私の姿を見ると、右手を軽く上げる。
私はそれを無視して、自分の靴箱へと向かった。
「おや、その様子じゃ、だめだったかな」
「…ええ、まあ」
私がぶっきらぼうに言うと、紫藤はくすりと笑んだ。
私が失恋したことがおかしくて堪らないのだろう、私はじろりと紫藤を睨みつけた。
「神田さん、きみは本当に、佐瀬さんが好きなのかな?」
「…は?」
「いや、佐瀬さんが好きな自分に酔っているだけじゃないか、そう思えてね」
ぷちり。何かが切れる音がした。
私は靴を乱暴に投げ出すと、紫藤を睨みつける。
上履きから履き替えると、私はそのまま紫藤に向かって突進した。
紫藤は私に突き飛ばされた勢いで、尻もちをついている。
私は紫藤を見下しながら、唾が飛ぶのも構わず叫んだ。
「っざけるな!!私は、私は本当に、巴のことが好きなんだ!!!あの子の笑った顔も!悲しげな顔も!優しいところも!抜けてるところも!全部!!全部全部好きなんだ!!!お前にこの気持ちがわかってたまるか!!!!!」
「神田さん…きみはやっぱり…」
「私は…巴が大好きなんだ…でも、巴が好きなのはあんた…!」
紫藤は、まだ尻もちをついたまま、私を見上げている。
私の瞳からは、いつの間にか涙が流れていた。
私はそれをブレザーの裾で拭うと、紫藤を指差した。
「あんたのせいなんだよ、あんたが巴をたぶらかしたからいけないんだ!」
「…たぶらかすって何?」
ふと、背後から声がした。
それは間違えるはずもなく、巴の声だった。
私が勢いよく振り返ると、巴はカバンを背負い直してから言う。
「私は、私の意思で先生が好きなの。別に操られてるわけじゃない」
「目を覚ましてよ巴!あんたは…」
「目を覚ますのは雪乃のほうだよ。本当は、私じゃなくて私のステータスに惚れたんでしょう?男女問わず人気があるところ、スタイルがいいところ、スポーツ万能なところ、二重の目…色々ある。結局、雪乃が好きなのは私じゃないんだ」
巴は、上履きを脱ぎながら静かに、けれど強い口調で言う。
私は、それに何も反論できずにいた。
私が好きなのは、巴じゃなくて巴のステータスだって?
確かに私は、巴の笑顔が好きだ。悲しそうな顔も抱き締めたくなる。
つらいときに、傍にいてくれると嬉しい。
笑うときにできる涙袋がかわいいと、いつも思う。
でもそれが、巴のステータスを好きだっていうことなの?
「佐瀬さん、よくわかってるね。そうだよ、神田さんはきみのことじゃなくて、きみの能力が好きなんだ。神田さんはステータスか本質か、どちらが好きかわかっていない」
「紫藤、あんた…」
「わかっていないのはきみだけだよ、神田さん」
「先生…雪乃のこと、好きにしてください」
巴はそう吐き捨てると、ローファーに履き替えて校門を出ていった。
私がそれを呆然と見送っていると、突如背後から羽交い締めにされた。
紫藤が、私を押さえつけているのだ。
「何、すんの!」
「聞いたろう?きみを好きにしていいって」
「っこの、クソ下劣野郎!」
私は何とかして紫藤の腕を振り払おうとするが、そこは男女の差で、なかなかほどくことができない。
遂に私は床に押し倒されて、両腕をネクタイで縛り上げられた。
私が紫藤を蹴り上げると、紫藤は私の足をひらりとかわし、それから押さえつけた。
紫藤の右手が、私の胸を触る。
気持ち悪さで吐きそうになるのを、何とかして必死でこらえる。
膝で蹴り上げても、紫藤はびくともしない。
それどころか、余計に強い力で押さえつけられるだけだった。
胸に置かれていた手が、私の顎をすくう。
そのまま、紫藤の唇が近づいてくる。
私の一番嫌いなやつに、唇を奪われるなんて、絶対嫌だ。
私は渾身の頭突きを喰らわすと、紫藤はようやくよろめいた。
私が後退ると、紫藤は妖しい笑みを浮かべたまま、こちらを見ている。
私はネクタイを自力で何とかほどき、紫藤を睨みつけた。
紫藤はクククと笑い、ネクタイを拾い上げてから襟元を正して言った。
「本当は最後までしたいけれど…今日はここまでにしておくよ。じゃあね、雪乃さん」
そう言うと、紫藤は右手を軽く上げて去っていった。
私はまだ頭突きのせいでくらくらする頭を押さえながら、クソッタレ、と呟いた。
「巴、追いかけなきゃ…!」
私はよろめきながら、校門をくぐって外へ出た。
巴たちが住むマンションは、校門を出て右へまっすぐ行ったところにある。
私は持てる力の全てを出し尽くして、巴のマンション目指して走っていった。
その道の途中に、踏切がある。
ちょうど遮断器が下りてしまって、私は小さく舌打ちした。
早くしなければ、早く巴に会わなければ。
私が唇を噛みながら、カンカンという音を聞き流しているときだった。
踏切の反対側に、ひとりで突っ立っている巴を見つけた。
しかも巴は遮断器をくぐり抜け、線路に入っていく。
周りには、私以外誰もいなかった。
私は慌てて非常停止ボタンを探すが、特急電車が来るほうが早かった。
私は遮断器を乗り越えると、巴のほうへと突っ走る。
「巴ー!!」
プアアアァン、と警笛が鳴る。
巴はそれでも、根を張った木であるかのように動かない。
特急電車も巴も、もうすぐそばまできていた。
私は巴を抱き締めると、そのまま走ってきた方向へ飛んだ。
地面を何度も転がりながら、特急電車が通過するのを横目で見て、何とか生きている感触を確かめる。
巴のほうを見ると、彼女は呆然としていた。
「っ、何で…何で止めたんだよお!」
巴は、私の腕の中で泣き叫んだ。
私は痛む身体に鞭打って、ゆっくりと起き上がると、巴の肩を抱いた。
巴は肩を震わせて、しゃくりあげている。
「私、失恋して…親友も失って…もう、もう生きてる意味なんかないよ…!」
踏切の遮断器がようやく上がった。
私は、立ち上がって制服の汚れを払ってから、巴に手を差し出す。
巴はぼんやりと私の手を見ている。
「行こ、巴」
「どうして、どうして雪乃は…」
「あんたが好きだからだよ」
巴は、ただ黙って私の手を握った。
それはあたたかくて、小さくて、柔らかい手だった。
この命だけは、守らなくてはと思った。