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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネット家
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09.両親

 その日の夕方、ベルネット家の当主である夫マルコは妻カルラに帳簿を見せた。

「なんでしょう?」

「……昨年の我が家の帳簿だ。婚約の条件共々お前も把握していると思ったが、お前はすっかり忘れ、意識もしていなかったようだからな」

意味が解らないカルラは怪訝そうな顔で目を通す。赤字ではないがぎりぎりで回っている。だが女主人としての自分を責められているのかと思った妻は大半に目を滑らせるだけで夫にそれを返す。

「何か問題が?」

机についた夫は俯いて頭を抱えた。

「問題は山積みだ。今年もそれと同じ勢いで金を使っていることを理解しているか? お前、それのどこからアレクサンドラの結婚式代と毎月の帰省代を捻出する? 結婚式代を出せば今年中のソフィアの教育は出来なくなり、帰省代を出せば来年以降のソフィアを据え置きにしても赤字だ」

妻は夫の机の上の書類をもう一度覗き込む。

「ろくに教育もできず婿を迎え、家がこの状態なら折角迎えた婿にもどう思われるかわからん。ただでさえ、婚約者を姉に譲り1年デビューの遅れた地味な令嬢だ。遅れた理由も醜聞になり伯爵家の評判としては厳しいものが付きまとうだろう」


 ソフィアには詫びると言ってくれたドレッセル家が、約束を破る姉の帰省代を出して招いた火の車をカバーする義理はどこにもない。アレクサンドラが大人しく従わない以上、伯爵家は終わりだと当主は危機を覚えていたのだ。

「でもそれではサーシャが気の毒ではないですか」

震える声で姉が可哀相だと訴える妻を見て夫は困る。確かに姉は可愛い。

 だが今回は目に余る。当主になる教育を受けていながら相手方の事情を考えず自由に振る舞うなど、教育不行き届きと言われても返す言葉がない。辞退するか飲み込むかすると考えていた。自分も甘かった。


 夫が黙っていると妻は泣きださんばかりに大声を出した。

「あなたはサーシャが可愛くないのですか!」

「そんなわけないだろう! ……だがその条件で嫁に出せば、我が家は数年後にはつぶれてしまう」

 少し大げさではあるが、先細りしていく未来に間違いはない。これまで放置してきたソフィアの事もある。こんなわかりやすい理由で領地の税収を上げる事は難しい。使用人を減らし、最悪調度品を売って努力して耐え忍ぶしかない。

「いいか。一番の問題はソフィアに条件を教えていないことを後ろめたく思い、強く断らなかった私自身だが、お前だってベルネット伯爵家の女主人だ。条件があることを忘れ、家の事を考えずに甘い提案をしたお前にも責任がある。帰省の回数の件も、私を遮ってお前が許可をしてしまった。王都での結婚式は出来ない、帰省代は年に2回分しか出せないとアレクサンドラを説得しなさい。無論、私から言われた事にして構わない」

カルラの顔は真っ青だった。

「いいえ、あなた、私そんな事はとても……」

「……今日中にお前が話せないなら、明日私が言おう。それでアレクサンドラの嫁入りがなくなれば元通りだ。アレクサンドラの望み通りに嫁ぐなら嫁入りに伴い使用人を半分以下にするから、解雇する使用人のリストを作っておくように。紹介状を書かねばならない。お前のドレスも次の仕立てはいつになるかわからん。今仕立てているものが終わったら、定期的な御用聞きは不要で、用がある時はこちらから連絡すると伝えてくれ」

白い顔でその場に力なく座り込む妻の頭上から力ない言葉が降ってきた。

「条件通りに嫁がせない限り、ずっとその生活だ」

夫の顔もまたこの世の終わりのような白さだった。




 夕方、一番お気に入りのドレスで豪華に着飾ったアレクサンドラが夜会に出かけて行った。珍しく両親がその出発を見送らなかったのでソフィアが玄関まで見送った。

 出掛けに浮かれて話していたが、縁談を聞いた友人が姉の為に親しい友人達を集めてくれたものらしい。言い触らして外堀を埋めようとしたのか、ただ浮かれていたのかわからないが、場合によっては言い触らした自分の首が締まることを理解できていないのが姉らしい。会は決まっていたのだから致し方ないが、条件を聞いて唸ったその日にこんなに能天気にはしゃげるのは覆せる自信があるからか。遠ざかる馬車の音を聞きながらソフィアはあかぎれの手を胸にあてた。




 その夜会から帰ってきた姉はいつものように機嫌が良かった。今日の聞き役は母。ソフィアはまたもドレスのシミ抜きに呼び出された。

「グリオル様は優秀だと評判が高いのですって。私も妻として鼻が高いわ」

そう、と母はニコニコ聞いている。ソフィアは黙って飛び散ったワインのシミをひとつずつ丁寧に叩く。

「今日の夜会、私以外はみんなご夫婦だったの。私とグリオル様が結婚したらまた開きましょうと言ってくれたわ。あれだけの人数から祝われるとなれば、忙しいグリオル様もお断りしませんでしょう。ああ、楽しみだわ」

 さては母の言葉が本当になるのかとソフィアの心に暗い気持ちが芽生える。

「それでね、ほら、仲良しのチェールト様がね、教えて下さったの。跡取りだった予定の人が望まれて嫁に行くのなら条件に調整をつけて当然だと」

満足そうな顔で姉は話を続ける。家と家の取り決めを勝手に他人に話したのか。神経を疑う。

「それにね、決められたお爺様達とは時代が違うのだもの。だから今の私たちに合わせるべきだって気付いたの。流行は大事じゃない?」

ドレスの染みは薄くなるがソフィアの気持ちには染みが湧いて仕方ない。

「お父様とお母様だってご心配でしょうし、お許しをいただいたので戻って来るわ。私がいないとこの家は立ち行かないかも知れないものね、帰ってきて面倒をみないと――」

 ここで気が付く。いつもなら姉を肯定し、質問をして応援する母が何も言わない。微妙な表情で笑っているだけだ。不気味なその様子に、ソフィアはたくさんの染み抜きあとの濡れが目立つ姉のドレスを吊るして、先にその場を後にした。



 翌日の午後、怒り狂った父が廊下を姉の部屋に向かっていった。今日のソフィアは廊下のカーテンを繕っている。擦れてどうにもならないところには小さく花の刺繍を施す。2本取りならふっくら仕上げられるものだが、金銭的な都合で糸は1本。侘しくならないように引き具合には気を付ける。糸の無駄遣いはまずいので慎重に、不自然にならないように小花を散らしていく。


 真っ赤な顔で大股に脇を通過した父が、真っ青になってよろめきながら戻ってきたのは十数分後の事だった。特に何も話しかけられなかったのでそのままにしたが、1時間後、ソフィアは父に呼ばれその部屋を訪れた。

「ソフィア、お前は縁談の変更に異議があるか?」

 今頃何を聞いてくるのか。姉に移すならとっととそうすればいいし、当然そうなると思っていたソフィアは思わず質問しかけるが余計なことを言う必要もない。ともかく定例通りの言葉を返す。

「ありません。決まったことに従います」

父は苦い顔のまま頷いた。

「ではお前は先方の決めたことに従えると言うのだな」

結婚の条件を隠していた父が今からでもソフィアが異論を唱えないことを確認するように質問をした。少し驚く。父はあの姉を説得するつもりなのか。

 あの日、ソフィアは条件書をちらりと見ただけだが、盗み見た内容とグリオルの話から想像する限り、この家以下の扱いを受ける事はなさそうだった。だから内容を知ったところで異論はない。

「はい」

ゆっくりと返事をすると、父の顔が一瞬安堵の表情を浮かべる。次にその口から飛び出たとんでもない発言にソフィアは思わず口を開けて驚くことになった。




 ソフィアは初めて自宅の馬車に揺られながら先程の事を思い出していた。

 今朝方、姉が速達で手紙を書いたらしい。宛先はドレッセル家の当主とグリオルの連名で、内容は結婚の条件を見直す嘆願書だという。姉の言う嘆願書が控えめな頼み事でないのは容易にわかる。

 父から内容を聞いたソフィアはその身勝手さに震えた。

 先々代の当主同士の約束に於ける勝手な行動。これには両親も言葉を失った。父は叱り飛ばしたが、本人は次世代の当主同士の話し合いだと言って聞かないらしい。母は同じ女として条件に異議を唱える姉の気持ちがわかると庇ったが、性別の問題ではない。相手は侯爵家。父は母に対しても頭を抱えていた。

「速達であれば昼には届いているだろう。あちらの返事より先に手を打たねば我が家はつぶれかねん」

ひとしきり唸ったあと、名案を思い付いたらしい。そしてソフィアに命じた。侯爵家へ行き直接謝って来いと言うのだ。


 何故自分なのだ。私ではなく姉が行くべきだし、姉でなければ当主として父が行くべきではないのかとソフィアは頭を痛めた。父と母と姉と、間違いなく遺伝だ。姉の思考は然るべきしてそこにあるのだ。

 謝ることが嫌な訳ではない。家の一員として詫びるつもりはある。でもこの状況で婚約の舞台から半分以上降りているソフィアがどう謝ったところで快く許してくれるとは思えない。誠意とはある程度の形式を伴うものだと、買い物をする商店で学んだ。現状はそれとかけ離れている。


 だが大声で喚き、今は泣いているという姉の状態を考え、おまけに他所の家で情けない思いをさせたくない親心とやらでソフィアが行くことになった。そもそも、反対したところで無駄なのはわかっていた。それに、行っても地獄、行かなくても地獄なら、行った方がましだ。

「いいわね、こういう時の為に使用人として町に出しているんだから、きちんと許してもらい社会勉強の成果を示してきなさい」

 出掛けの母の言葉に呆れ半分諦め半分、こっそり肩を竦めた。


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