04.グリオル=ドレッセル
祖父が決めたという約束の婚約者に会いに行くことが決まった。自分が5歳の頃に正式に決まった婚約者で歳は4つ下。姉妹の妹の方であることと家が伯爵家である以外の情報は特にない。こちらの親の希望で彼女が女性の婚姻可能年齢の16歳になると同時に結婚するように決められた。
そこに自分の意志は関係なかった。幼少期に病弱だった事もあり、両親からしたら約束をこれ幸いと早く決めて安心したかったのだろう。自然豊かな領地で療養しながら育った事もあり、最近は至って普通の健康的な体である。運動はあまり得意ではないがそれなりというところ。大病や大怪我がなければ、健康体で天寿を全うできそうだ。
ところで自分には1人姉がいる。1つ上の彼女はとてもパワフルで様々な事を難なくこなす。体の丈夫さも運動神経も、全て姉上に持っていかれてしまったのかもしれないと思う程。気が強く男勝りなところも自分とは真逆。文武両道な彼女の唯一の弱点が刺繍ということしか知らない。中々ちぐはぐな姉弟だが仲は良好。自分が丈夫になったのもこの人が領地で自分を散々連れ回してくれたのが荒療治になったのではと密かに感謝している。
いつだって強く前を向いている。この姉上が自分の婚約にかなり申し訳なく思い気遣ってくれていることは幼少期からわかっていた。そして大人になった最近では向こうの家に腹を立てているのだ。
「私が男だったら良かったのにって思うけど……こればっかりはどうにもできないものね。ごめんね。向こうの非常識さもあってあんたにすごく申し訳なく思っちゃう。だって姉の方は社交界デビューしてるのに、一度も挨拶にきたこともないの、失礼だと思うの」
何度目だかわからない文句を聞きながら、顔合わせの為にドレッセル家を訪れる支度をする。
夜会での挨拶は下の家が上の家に向かって礼をし、上が下に発言を許して成立する仕組み。マナーにこだわらないにしても、約束の経緯を考えれば侯爵家から伯爵家に声をかけに行く必要などない。
「それに姉の方を夜会で見たことがあるけど、すごく派手。直感でも厄介な子なのは間違いないわ。噂話は全部信じないことにしてるけど妹もそうだったら、私の嫁入りを遅らせてこの家を守るから」
姉上は貴族令嬢にしては珍しく噂話の類を好まず、信じない。噂の利用方法を見抜ける令嬢が賢いと言われるが、彼女からしたら自分で接したその人が全てなので、そもそも噂という複雑な言葉遊びがまだるっこしいのだ。侯爵令嬢としては宜しくないが、直感が鋭いのもあってかそれでも上手に社交界を渡ってきた。
「とんでもなく口うるさくて申し訳ないけど、私、家を大事に出来ない人は嫌い」
心配そうにしている姉上に笑って返した。
「ありがとう、姉上。きっといい子だと思っていくことにする。もし金遣いが荒い子でも説得してうちのルールに従ってもらうから大丈夫だよ。僕が家を継ぐならそれくらい出来ないといけないし、安心して」
まだ何か言いたそうだったが、弟を信頼してくれたのか背中を叩いて激励してくれた。相変わらず力が強い。気道がウッとなって苦しい。
正直なところ、自分だって元々乗り気な訳ではない。だが約束だ。それに自分があのまま病弱であればこの縁談程救いになったものはないだろう。決まっているからには誠実に妻を大事にするだけだ。そう思いながら馬車からの風景を見ていた。
数十分後、僕は不思議な一家を目にする。
玄関先で出迎えてくれたのは伯爵家の当主と1人の女の子。本当に貴族の令嬢かと疑うような服の彼女が自身の婚約者だった。簡素なワンピースに極めて薄い化粧。婚約者を迎えるのに相応しい様相ではないというのに、悪びれずに彼女を紹介する父親に違和感を覚える。彼女自身も覇気がない。ただ清潔感はあり、穏やかな所作の美しさも品を感じさせる。
姉上の口ぶりから高圧的なものを想像して少し構えていたので、恥ずかしがるようなその素朴さに安堵しながら、挨拶の礼で彼女の手を取り口づけする。令嬢らしからぬ手の荒れ方にも違和感を覚えた。改めて見れば少し日焼けもしている。所作がああでなければ庶民と思いそうなほどの姿。
通された応接室は見事だが、彼女だけが浮いている。自宅なのに馴染めていない。詳細をただ事務的に取り決めていく両親と、妙な距離を取り空気のように座っている娘。
既に充分おかしかった。
話し合いの最中にふと思い立ち、髪に飾るリボンを贈ろうと再訪を約束した。ついでに知りたい事もある。
その再訪の日。僕は衝撃的な一家を目にする。
玄関口で構わないと言ったはずが、何故かそこに一家揃っており、前回は居なかった彼女の姉も顔を出していた。それだけではなく姉は華美なドレスを身に着けて、さも自分が主役かのように振る舞った。明らかに不自然だ。伯爵夫妻は当然のように姉を囲い、本来、自分との対話では中心であるべき妹は一番の下座に腰かけてしまう。
違和感が確信に変わる。しかし人の家庭に口出しする気はない。この雰囲気の中で彼女に贈り物をしたらどうなるかは察して止めた。
世間話ですぐ失礼しようと思ったが、姉の口から出たのは「妹の代わりに嫁ぐ」という仰天発言だった。
自分の要望を述べるだけの姉とそれをやんわりとなだめる両親、一言も発さない当事者。目が合った彼女の瞳にはこの騒ぎに関する意志がない。知りたい事の正体は思いのほか残酷だった。
完全に歪な家族。後添いでも養子でもないのに、確かに存在する深い溝。
思わず口から息が洩れた。異様さの理由を感じてしまうと言い様のない不気味さに腰かけている様な気さえした。埋もれてめり込む前にこの部屋を後にしたい。情けなくも一先ず家に問題を持ち帰ることにした。
帰りの馬車は行きの馬車よりずっと気が重かった。貴族社会には色々な家の形があるが、その中でも異常な家族だと思う。あれはもう家族として機能していないのではないか、そんな気さえした。別れ際に姉の方に押し付けられた姿絵は美しい貴族の令嬢そのもの。だがもう片方の手に持った渡せなかった贈り物を見るたびに妹の手荒れが思い出される。冬でもないのにガサガサに荒れ、ささくれだった指。どういう家に関わろうとしているのか、不安が募る。
帰宅すると幸いにも姉上は不在だった。婚約者と出かけているらしい。すぐに父上の部屋を訪れる。領地経営や王城での新薬の相談に忙しい父上を捕まえるのは難しい。
「父上、婚約の件でお話があります」
「なんだ」
押し付けられた姿絵を見せる。
「この姉君の方が自分が婚約したいと言うのですが、手続きは可能ですか?」
父上は姿絵をちらりと見ただけで、少し考えるように視線をそらした。
「可能だが、お前にも現婚約者にも婚約解消の文句が付くことになるね。おまけに成り行きだけを拾った外野によってお前には姉に目移りした浮気者、姉には略奪だとか良くない噂が立つだろう。だが一番の痛手は破棄された方だ。どうにか詫びるか、婚約者を見つけてやらないとならないかもしれん」
想像通りの回答に頷く。
「わかりました。自分としては婚約者はこのままでいきたいのです。姿絵が1枚しかないことでお気付きと思いますが、この家庭は少し妙です。こちらが明確に拒否しない限り、姉君の意見が押し通るかもしれません」
その言葉に父上はもう一度姿絵に視線を移した。この言い方で父上もわかっただろう。そもそも婚約者が決まった経緯を一番よく知るのは父上だ。それを知っていて、この件はお前自身が全てやるように、と自分に全てを任せてきた。試されているのはわかっている。最終決定権は父上にある以上、事の運び方を誤ってはならない。
「……向こうの家がそれを望むなら、こちらは拒否までする理由はないな。この姉君が妻として相応しいなら選ばれて当然と噂が立っても消えよう。だが妹君は捨てられた噂が立つ。我々がどう名誉回復に努めても爵位が下だ、さがない社交界では難しいだろう」
明確に拒否する理由がないということはそれを止める方法もないと言う事。
本心を言えば希望は特にない。幸か不幸か一目惚れなんてことはなかった。初めの通り、嫁いできた方を妻として大事にするだけだ。だがあの異常さに婚約の変更を受け入れる事が悪手に思えるのだ。
いかにも貴族の令嬢らしいプライドを持った姉アレクサンドラ。両親の愛情も伴う財力も彼女の味方。堂々と振る舞い、はっきり話せる度胸。簡単に本気で謝らなさそうなあたりは非常に貴族の妻に向いているのだろうが、敵も多そうだ。
それと対照的な妹ソフィア。いくらなんでもあの姿で婚約者を出迎えるなど、伯爵家なら有り得ない。もし他にドレスを持っているなら断る口実と判断されても不思議ではない。だがあの手荒れや家族の雰囲気。彼女はあれを与えられているだけだ。もしあれを善しとして黙って従っているのなら彼女もまた異常。社交界を生きていけるとは思えない。
一見、アレクサンドラの意見を通せば無事に済みそうだが、影響は良くない。ソフィアは社交界で不憫な扱いを受ける。だがソフィアを優位に扱う事は許されない空気。
例え約束されたものだとしても結婚は慈善事業ではない。アレクサンドラ嬢は社交界で素行を調べられるし、姉上の言っていた噂も材料になるはずだ。この姉妹の事は少し探ってみようと思う。少し複雑な事情もある我が家の嫁として耐えられるかどうかも知りたい。
そして平穏無事な着地点にどう持って行くか。悩みながら父上の部屋を後にした。
さっと書いた原稿でうっかりハレの日とかめでたいとか打っていて慌てています。
文章としての違和感はないので気づかず…見直し何度目かでやっと気づく始末。
異国を舞台にすると言葉選びが難しいですね。ある程度寄せる必要があるけど寄せすぎると違和感が強い。試行錯誤しております。