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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
番外編
34/35

03.ベルタ=ポルケの恋

 穏やかな秋の日。

 ポルケ侯爵家のテラスでは2人の少女がお茶を楽しんでいた。


 この家の娘ベルタと、客人のソフィアだ。1年前のデビュタントで友人になった2人は、約束通りお互いに「初めてのお茶会」を開いた。

 ベルタはお茶会に招かれることはあったので、会自体には慣れている。問題は主催側になった時に上手く采配できるかだ。ソフィアは義母と義姉が付き合って、この半年で他所のお茶会の心得を勉強してきた。

 初めてお茶会を主催するベルタと、初めて他所の家にお邪魔するソフィア。どことなく挙動不審な2人をポルケ家の人々と同席したソフィアの夫グリオルが見守った。


 それから半年。すっかり仲良くなったベルタの家にソフィアは1人で遊びに来ていた。デビュタントからすぐに領地に向かったソフィアにはベルタ以外の友人がいなかった。社交シーズンではないので個人的なお茶会などを重ねて知り合っていくのだが、多忙なグリオルがいない時はベルタがそれに付き添ってくれた。


 色々なところに顔を出し、疑問に思うことはその都度グリオルかベルタに質問した。おかげで半年で大分人に接することに慣れてきた。

 時にソフィア自身の無知が無礼とされた嫌味や、ソフィアの立場をやっかむ人の悪意に晒されることもあったが、ソフィアからしたらすべてが修行だ。こういうこともあるのだと、マナーで習った仮面を外さないように努めて耐えた。

 もう無礼を働くこともないが、それでもやはり仲良しの友人とのお茶が一番安心できて楽しい。生粋の侯爵令嬢でありながらさばさばした様子のベルタは、ソフィアの良き先生であり友人だった。


 春先に流れていた噂に加え、間近で見るソフィアの様子に違和感を覚えたベルタは、遠慮がちにソフィアの生い立ちを聞いた。少し迷ったソフィアはベルタにだけ、これまでの生活を話して聞かせた。ベルタはとても親切だったし、兄アルバンはグリオルの親友だ。

 さらりと話す内容に可愛い鼻を膨らませて怒ってくれた友人は、グリオルは白馬の王子様だと目を輝かせ、何があっても秘密を守り、友達でいると約束してくれた。

 それから2人は親友なのだ。



 この頃のベルタの話題は専ら恋の話だ。社交シーズンを控えて恋人探しに本腰を入れるつもりらしい。

「私、デビュタントで2人を見てから政略でも恋愛できる結婚に憧れているの。お父様もお母様も、良い家の方を見つけて下さるというけれど自分で探したいわ」

楽しそうな笑顔で語る彼女は16歳の少女らしい。

「ありがとう。私にはもったいないくらい素敵な方なの。褒めてもらえて嬉しいわ」

「何言ってるの。グリオル様があなたを見る時の目、信じられないくらい優しいってアルバンお兄様が笑っていたわ。それに白馬の王子様じゃない。お似合いよ。私にも来てほしいくらい」

けれど本当に純粋な恋心だけで探すことは叶わない。それはベルタ自身が一番よくわかっていた。

「残念だけど、貴族の令嬢だもの。社会のバランスも考えないとね」


 今ならソフィアにもこの意味が分かる。




 ある初夏のサロンでソフィアは美しい女性に鼻で笑われた。自覚のある貶し方だったので、ソフィアはしょんぼりと気落ちした。些細な変化に気が付いてくれるベルタがこっそり耳打ちで聞く。

「どうしたの?」

「先程、皆様で夫以外の恋人を作る話をしていたでしょう。そうしたら今の方に、私みたいに地味で価値のない令嬢に負けたのが悔しいと言われたわ。あれだけ美しい方ならお怒りもご尤もかも。グリオル様の恋人になるのだとか……」

視線の先の彼女は華やかな笑顔で他の令嬢と談笑している。確かにベルタの目から見ても今日このサロンでは一番の美人だ。

「無理ね」

扇に隠したベルタの回答はばっさりと彼女を切り捨てた。

「何故?」

「まず、グリオル様が浮気なさるとは思えない。それにあなたが妻である以上、抜け駆けは許されないわ」

どうして? 自分だからこそ多くの人がチャンスがあると思っているだろうに。そう言いたげなソフィアの顔に、ベルタは半目の呆れたような顔を返す。

「一見すればぽっと出のあなただけど、元々グリオル様の婚約者だもの。グリオル様はあなたを想ってこれまでのお誘いを断ってらっしゃる。あなた自身がどんな方でも、グリオル様があなたを否定なさらない限り誰も文句は言えないわ。それにドレッセル家はこの国の薬草をほぼ一手に担っている侯爵家。その権力の偏りにどこかの家がぶら下がる形で首突っ込んでみなさい。争いは避けられないわ」

驚くソフィアにベルタは告げる。

「貴族社会にはパワーバランスがあるの。たった一軒がそれを乱してみなさい。見事な醜聞よ。あなたはめぐりめぐってその椅子に座った。座らされてる? どちらでもいいけれど、グリオル様は絶対に譲らないはずよ」

なんなら本人に話してみたら、と笑ったベルタは次に会ったソフィアから話を聞いて満足げな笑顔を浮かべた。

 ソフィアは改めてこの少女が本当に心優しい子なのだと嬉しく思った。何の取り柄もない自分の婚約を妬まず僻まず、お似合いだと祝ってくれた彼女。ソフィアには難しい事情もあるが、彼女が困った時は必ず慰めようと心に決めた。


 なんの疑問も持たずに受け入れていた婚約は、ほんの少しの間違いで貴族社会の真ん中で重要な意味を持ってしまうらしい。



 だから今ベルタが願っていることが難しい可能性があり、彼女がそれを受け入れながらも抗おうとするのがいじらしい。

 恋を自覚したといってもソフィアにはこういったことには縁がないので、可愛いらしくいじらしく思える。どうにか友人の幸せを願わずにいられない。


 大好きなレモンティーを飲み干したベルタが、ソフィアの様子に気が付いてちょっと、と手を重ねてくる。

「可哀相だなんて思わないでね。素敵な旦那様に出会ってみせるわ!」

幼い頃はお転婆だったとアルバンが洩らした彼女は、今も無邪気な笑顔を浮かべる。

「私、あなたの幸せを何よりも願っているわ」

ソフィアは優しく微笑み返した。



 それ以来、ベルタはますます熱心に社交の場に出た。華やかなベルタの精力的な活動は、一日でも早く大人になろうとする少女の頑張りが詰め込まれているようだった。

 ところが秋の中頃になるとベルタは突然その勢いと表情を暗くさせた。表情の僅かな変化は仮面の奥に隠されている。しかしアルバンとソフィアは気が付いた。ベルタの瞳には決意と悲しみが揺れていた。



 冬の始まりが近い。ソフィアは社交シーズンが終われば約束通り領地に帰る。

 互いに忙しく、今期最後かもしれないお茶会には珍しくアルバンが同席した。今シーズンの社交の話をしているうちに、ベルタの恋の話になる。踊っても話しても、心惹かれないと悲しそうに笑った。

 一応ベルタの元には多くの縁談が持ち込まれている。両親が選んでいるその中であれば家柄も問題なく、金銭面でのベルタの人生は保障されるだろう。当人は最後まで諦めたくない様子だが、タイムリミットがあることは承知している。

 ベルタの表情が暗くなり、一気に紅茶をあおったその時、先日王都に戻り、紹介された幼馴染が顔を出した。すっと表情を明るくしたベルタが彼を誘う。鍛えられた逞しい体の騎士は、遠慮がちにおしゃれな席に着いた。さすがの付き合いで、アルバンもベルタも既に家族のような雰囲気で彼を迎える。

 彼の紅茶と共に、ベルタの紅茶も入れ替えられた。アルバンとソフィアはまだ温かいものが入っている。太い指で細いシュガースプーンをつまみ、ベルタの好きな数だけ甲斐甲斐しく砂糖を足す幼馴染は、最近のことを訊ねるベルタの質問に穏やかに答えていく。王都に戻っても休みというわけではなく、城の警備や訓練を重ね忙しいらしい。新年には配置が決まり、新しい赴任先に向かうのだと言う。途端にベルタの顔が少し陰る。

 そして話がベルタに移る。ベルタは恋人探しが難航している旨をむくれたように伝える。ベルタを見つめる彼のその目は真剣で、僅かに憂いを帯びている。

 ソフィアがはっとアルバンを見るとアルバンは小さくウインクを返してきた。気が付いていないのはベルタだけ。


 まだ迎えのグリオルは来ていないが、アルバンに話を合わせてもらってソフィアは席を立った。



 廊下を歩きながらアルバンに訊ねる。

「私、難しいことはわからないのです。けれど、アルバン様の大事な妹君で私の大好きな友人は幸せになれますか?」

 恐らく幼馴染はベルタが好きだ。そしてベルタも彼が好き。幼馴染の話をした時の様子はこれにつながっていた。あんなに無理な笑顔で話すベルタを見たのは今日が初めてだ。

「さて。あいつの覚悟次第というところだ。もう十分待ってやった。今年中に婚約できなければおしまいだ。私は可愛い妹を行き遅れにする気はないからね」

 その『あいつ』は一体どちらを指すのか。ソフィアが質問しようとしたとき、丁度正面からグリオルが案内されて来た。

 やるせない気持ちでグリオルの手をぎゅっと握ると、心配そうに顔を覗き込まれる。アルバンは困ったように眉を下げた。

「上手く励ませず申し訳ないけれど、僕にもわからないことはわからない。妹が君を頼ったら、話を聞いてやってくれ」

背中をさするグリオルの手に合わせてこくりと頷いて、ソフィアはポルケ家を後にした。




 それから3日後。先触れから間もなく、ぐちゃぐちゃに泣いたベルタがドレッセル家を訪れた。

 聞けば両親に縁談の件でせっつかれているらしい。もう社交シーズンは終わりだ。シーズン末までに自分で決められないなら、寄せられた縁談から決めると叱られてしまったと。そこに彼の名前はなかった。

「私、彼が好きなの……」

 逞しくて頼れるお兄さん。幼い頃からずっとずっと、大好きで仕方がなかった。けれど、その人は騎士になって遠くへ行ってしまった。命の危険が伴う騎士は決して人気の職業ではない。だが彼は腕のいい騎士で、すぐに出世も結婚も出来るという評判だったそうだ。

「前にソフィアに幼馴染と結ばれるロマンス小説を貸して、こんなの奇跡だって言ったのを覚えていて?」

 ソフィアは頷く。


 幼馴染同士の淡い恋が実るお話で、素敵だと感想を述べたらベルタは言ったのだ。

 「お話は良いわよね。願望だもの。現実はもっとシビア。幼少期から仲良く育ち過ぎたが故に家族や兄弟みたいになることがあるの。そして知り得る限り、現実の大半がそう。淡い恋心になることも、なったそれが実ることも滅多にない。双方が恋するなんて奇跡よ」と。


 どことなく物憂げな口調のあれは自分への戒め。


「断られるのが怖くて好きだって言えなかった。出立の日に、あなたが大事よってお薬をたくさん渡したの。そしたら私のデビュタントと婚約を祈られたわ。それでやっぱり初恋は実らないのねって、頑張って諦めたの」

 泣いて泣いて泣きはらして、やっと封印した恋心。

「デビュタントと同時に心を改めて、新しい恋を探そうとしたのに、顔を見たらやっぱり好きだったの。新年のお別れも辛いけれど、その前に自分の婚約の話が進むの? 私、とっても耐えられない……!」

泣きじゃくるベルタのハンカチはびしょびしょだ。

 ソフィアは自分のハンカチを渡しながら考えを巡らせ、意を決して口を開く。

「ベルタ。今から話すことは、世間知らずなソフィア=ベルネットの言葉なの」

震える肩に手を添える。しゃくりあげる様子は変わらない。

「私には恋も、家のこともよくわからない。だから思うの。ベルタも彼も他の人と結婚して、それで幸せだって笑えるならそれでいいと思うけど……そうでないなら諦めないで動いてみたらどうかしら」

「そんなこと……」

「でも何もしなければその未来が来るんでしょう? ベルタはそれでいいの?」

「嫌よ!」

立派な侯爵令嬢のベルタにはそんな勝手は出来ない。だけどその未来も受け入れたくない。ならやるしかないのだ。

「それと、これはソフィア=ドレッセルとして親友のあなたに。ご両親はあなたが決められないなら、とおっしゃったのよね。つまりあなたを信じて選ぶ権利を与えている。それなら、まずは自分の気持ちをお話してみたらどうかしら」

 ソフィアは思う。グリオルと話し合って歩み寄ったことを。そして、自分が侯爵家の妻や人としての在り方を理解していなかったのと逆で、侯爵家の娘である自分を意識しすぎるベルタの心。

 ソフィアが思う限り、問題なのは騎士という職業だけだ。家柄も関係も、把握する限りでは社会的影響も心配ない。今現在領地をもたなくても、これから先分与される可能性だってある。

「……私ね、既婚者の恋人の話を聞いた時、不誠実だと感じて胸が重かったの。今ならわかるけど、一番はグリオル様を取られるのが嫌だったのね。誰かに奪われるなんて絶対に嫌。恋人が出来たなんて言われたら、人生で一番最低最悪の瞬間だわ」

自分でも信じられないほど強い声が出た。涙をためたベルタがソフィアを見る。

「だからこの椅子に相応しくなる。生まれは変えられないけれど、私は絶対にこの椅子を誰にも譲らない。だけどそれは侯爵家の妻の座だからだけではない。グリオル様の隣に居たいから。……好きな人を想う強さを教えてくれたのはあなたよ。私はあなたにも幸せになってほしい」

ベルタなら、選んだ結果を後悔しない結果を伴える。そう信じて言葉をつなげる。



 泣きはらした真っ赤な目をこすって、ベルタは口を堅く結んだ。

「ありがとう……私、王子様を捕まえに行くわ」

まだ濡れた目には強い光が宿り、ソフィアの手をぎゅっと握った。

「きちんと彼に想いを告げる。お父様たちも説得する。頑張って見せる。……もし私が泣くことがあったら、お手紙をいっぱい書かせてね」

 行きとは違うすっきりした顔で帰るベルタの馬車をソフィアは祈りながらずっと見送った。




 空が白い冬のある日。領地で過ごすソフィアの元にベルタから手紙が届いた。婚約の報告の手紙の流れるような綺麗な文字は、隠せない喜びで幼馴染の彼の名をつづった。

 ベルタが告白を決心したその日、彼の方から告白されたのだという。騎士という危ない仕事や、転勤の多さ、決して美男子ではない容姿に引け目を感じ、兄と慕ってくれるベルタとの関係が壊れるのを恐れていた彼は、彼女の婚約の話に焦燥感を募らせ、こんな自分だが、と告白を決めたらしい。両親の説得は済み、次の赴任が終わる頃に結婚する予定とある。


 アルバンの『あいつ』がどちらなのか。次会ったら聞かなくてもわかりそう、そう思いながら、ソフィアはペンを手に取った。


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― 新着の感想 ―
[一言] >さっと表情を明るくしたベルタが彼を誘う。 さっと という表現は、顔色を一気に青ざめさせたり、 素早い行動に使用します。 この場合、 ぱっ、と の方がふさわしいのでは?
2020/02/04 22:55 退会済み
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