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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネット家
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03.姉アレクサンドラ

 約束の時間に彼はやってきた。


 何かを渡すだけだと言っていたが、念のために応接室を準備して彼を待つ。

 今日は何故か一家総出だ。いや、理由はなんとなくわかっている。私はこの前と同じワンピースだが、両親に脇を固められた姉の自分が主役と言わんばかりの気合の入れ方は異常で、これからお茶会か夜会に出ると言うような装い。



 馬車が停まりグリオル様が降りてくる。従者を伴わない様子や御者の方から察するに、今日はお急ぎなのかもしれない。グリオル様はこちらが4人並んでいることに一瞬驚きを浮かべたがそこは貴族。すぐに礼儀正しく礼をとった。

「こんにちは。ご丁寧にお出迎えいただき、ありがとうございます」

「こちらこそ!」

 一番初めに口を開いたのは姉だ。

「私、姉のアレクサンドラと申します。この度は我が家にお越しくださってありがとうございます。お茶でもいかがでしょう。応接室にご案内致しますわ」

滑るように話してさっさと案内を始めてしまう。お茶に誘われ断るのも無粋と思ったのか、彼は笑顔で「少しだけ」と応えた。侯爵家の御者はさすがというもので様子を察したのか道の脇に馬車を寄せ始めた。



 ぶわりとその見事なドレスの裾を広げた姉がソファの中央に座る。両親が姉を挟み、私は一番下座に座った。

 お茶が運ばれてすぐ、紅潮した頬の姉が切り出した。

「グリオル様、本日はよくお越しくださいましたわ。愚妹はお迎えの準備もあの様子で申し訳ありません。先日も何か失礼はございませんでしたでしょうか?」

当主より先に娘が口を開くのは無礼らしいが、姉は構わない。彼もさして気にした気配もみせずに答える。

「ソフィア嬢の出迎えは全く不備がありませんのでご安心を。寧ろわざわざ玄関までいらして下さって嬉しかったですよ」

 先程の姉の発言は言外に私の服の事も言及しているのだ。『不備がない』という彼はそれをわかっているのだろうか。そんな彼の回答も姉には関係ない。『迎えが嬉しかった』のを今の事だと思ったのか益々頬を染めた。


「それで――この度のありがたいお話なのですけれど……恐れながらソフィアは教育もきちんとこなせない娘なのですわ。これでは侯爵家に申し訳ないと思いまして……私は次期当主として完璧な教育を身に着けております。私がお嫁に行く事もできますでしょうか?」

彼の顔を見つめる瞳は相当に熱っぽい。

 そんな姉に両親は焦る。

「アレクサンドラはとても優しい娘なのです。ソフィアが不出来なもので心配になったようでして……」

父の説明に向こうの女2人が頷く。

「ですが婚約の件はすみません、我が家でも話し合いの途中でして……この時期の変更では無礼になるとも承知しております。まずは侯爵家のご意向を確認させていただきたく思うのです」

 父の言葉は暗に断ってほしいと言う事を示している。姉は顔を曇らせて「私で決まりでしょう」と小声で抗議した。母はあいまいな顔。私は黙って4人を見ていた。

彼はこの部屋に入った時からほぼ無表情だ。でも私のような諦観の色はなく、真面目そうな顔を保っているだけ。その目がちらりと動く。


 目が合う。

 

 一瞬の後、ふ、と小さく息を漏らした彼が無言の応酬を続ける父娘に割り込む。

「婚約の件は……薄情な言い方で申し訳ありませんが、私にとってはこれまで会ったことがない『約束上の関係者』でした。ですから、お2人のいずれでも私に異論はありません。ただ、お約束頂いたのは現在15歳のソフィア嬢です。そのつもりで準備も進んでおりますので、一度家に確認致します。アレクサンドラ嬢はこちらの跡継ぎのようですが、ご都合はどのように?」

「愚妹が家を継ぎますので問題ありません!」

明るく答える姉はすっかり嫁ぐ気でいるようだが、両親は言葉につまっている。大事な姉の願いを叶えたいが姉を手放す気はないのは明らか。断ってほしかったのがわかる。


 しどろもどろな責任者を横目に私は少し気落ちした。やはり想像以上に、無意識下でもこの家を出られることを喜んでいたらしく胃の辺りが憂鬱に重たい。でも仕方がない事だ。自覚がなかっただけ傷は浅いと思おう。

 彼の意見はもっともだ。幼少期から関係を重ねてきた婚約者ならまだしも、2代前の約束で顔も知らなかった相手だ。思い入れがない分、誰もが公平で残酷。拒否権も選択権も向こうの当主が決める。そしてその眼鏡に適う栄誉は各自が主張しない限り勝ち取れない。加えて誰が見ても姉が美しく私はみすぼらしい。彼だって姉を望むだろう。そもそも私はこの家でこの姉に勝てるわけがないのだから戦いの土俵にすら上がれない。


 帰り際、姉は自分の姿絵の下書きを彼に押し付けるように渡し、是非宜しくお伝え下さいと訴えていた。わざわざ持っていたことに少し呆れた。




 その晩、またも家族会議が開かれた。といっても状況は昨日と同じ。

 姉はもう絶対に嫁に行くと決めて今日も熱っぽく彼の魅力を語る。そんなに彼が気に入ったのだろうかと不思議に思うと、いじらしい声で話す。

「最近ではね、歳の近い素敵な男性はもう結婚してしまったり、婚約者が居たりするのよ。残っているのは見た目もイマイチ、家も貧乏下位貴族ばかり……私に相応しい方はそうそういないの」


 アレクサンドラは16歳の社交界デビューから3年。20歳までに結婚するのが一般的なこの貴族社会では行き遅れに片足を突っ込み始めている。実はここまで縁遠いのは、当人の選り好みや将来の立場を意識して前に出過ぎる性格によるものなのだが両親も私もそれは知らない。ともかく姉が思うような現実がなくなり始めている今そこに来てあの美形、その財力、王家からの信用に将来性。逃すまいと必死なのはわかった。


「グリオル様は私のために残されていた希望よ! ソフィアはこれから社交界に出るし、あなたに似合う人なら遅くなってからでも見つかるし良いじゃない」

ちら、と私を見て小さく鼻で笑う。いつぞや自分で伯爵家の婿に相応しい人を探すのが大変と言っていた気がするが。


 初めは「あなたを手放すなんて考えられないの」と涙目だった母は、恋愛結婚の自分を姉に重ね、次第に気持ちが傾きかけているようだ。意外な事にいつでも真っ先に姉を優先した父は消極的でのろのろと「お前は跡取りなんだよ」を繰り返すだけ。だが姉の決意は固い。


「1か月しかないなら肖像画も急いで仕上げさせなければいけないし、ドレスの新調も……」

朗らかに話す姉。嫁に行くのに肖像画を残すのかと少し驚く。確かにもう描き始めているのだからわからないでもないが、歴代当主以外の肖像画を描いてこなかった我が家では異例の事になる。どこにどういう意味で飾るのだろう。


 そこで父が遠慮がちに声をかける。

「可哀相だがアレクサンドラ、お前が嫁ぐなら肖像画は中止だ。ドレスも新調は出来ない。嫁いでから向こうで用意してもらうしかない」

姉の大きな目がこぼれんばかりに大きくなった。

「まあ! どうしてですの!」

父はため息をつきながら憂鬱そうに私を見た。

「お前が嫁げば家を継ぐのはソフィアだ。急ぎで教育も服も与える必要がある」

「そんな!」

悲壮な顔で震える姉が母に抱き着く。

「あなた、折角ですもの肖像画は……」

「飾るところがない。それに見るたびに嫁に出した事を後悔するだろう」

「ならドレスを……」

「デビュタントのドレスの仕上げや調整に忙しいこの時期にお前の分は頼めまい。嫁入り前には手に入らない。それにソフィアの分をねじこむだけでも相当……苦労するだろう」

値段的に、と隠された一言が聞こえてきそうだ。

 もっともらしい事を言っているがどうせお金の問題だ。結婚が決まっていた私をデビューより先に結婚させてしまえば伯爵家としてはお金がかからない。嫁がせてから向こうの家でデビューさせればいい。そう思っていたのだ。蔑ろにしてきた私のデビュタントにかかる費用に父は頭を悩ませているらしい。

 デビュタントは16歳を迎える貴族の社交界デビューの会で国の定例行事だ。私の誕生月と被っていたため、両親は私を放り出すのも丁度いいと何も支度をしていない。


 ここで姉がふと気が付く。

「ドレッセル家からの支度金はありませんの?」

 格上の家に嫁ぐ婚約なら上から支度金が、格下の家に嫁ぐ婚約なら嫁入り道具を豪勢に、というのが我が国の慣例。あるのが普通だ。だがこの婚約は特殊。

「ない。婚約のきっかけがきっかけだけに、いかなる金品の受け渡しもないのだ」

その父の言葉に姉が頬を膨らませてむくれる。幼少期からわがままを通したいときにしてきた表情だ。だが今回は無駄。


 受け渡し、という言葉に思い出す。今日グリオル様は何かを渡したいと仰っていた。だけど渡されなかった。欲しかったわけではないが、強引に引き止めたせいで予定が狂ってしまったのだろうなと、少し反省した。謝罪の機会はあるだろうか。


 突如、パンと手を叩いた母が明るい顔で言う。

「グリオル様におねだりしましょう! サーシャは夜会で人気なのでしょう? 彼もあなたに夢中になるわ! 侯爵家なら多少の融通は利くでしょうし、婚約者のお願いを聞かないわけはないわ」

笑顔で話す様子は夜会の自慢をする姉とよく似ている。姉の身勝手さはここから遺伝し、父の弱みはここだな、と思った。

「あなた、肖像画も描いてもらいましょう。向こうのお家でも飾れるでしょう」

「そうだな……」

鈍い返事。一応賛成したが父は金勘定で頷いたに過ぎない。画は美化した私として飾ってもいいし、もし彼から何も贈ってもらえなくても納期が詰まれば現実問題としてドレスを作れなくなり出費はゼロになる。

 穿った見方はこの家でこの3人を眺めるうちに気が付いた空しさの境地が導いてくる。



 正直私がドレッセル家なら、妻単体の絵など持ち込まれても自室にどうぞというだけだし、ドレスをねだると言うのも厚かましくて状況次第で断るだろうと思うが、彼女たちにそんなことは通用しない。

 お姫様で育った母と姉の謎理論は今に始まった事ではない。突飛な発言に驚いた頃もあったが、彼女たちはいつだって我こそが姫なのだ。比べて下々である自分には理解できなくて当然なのだと気が付いた。そして父もまた自分に利点があるとわかればこれに逆らわない。世界はそうではなくてもこの家では父が許す限り彼女たちがルール。私はただ、それをみて自分の役割をこなすだけ。



 まだ決まっていないにも関わらず、この姉の盛り上がりよう。私は無表情のまま茶器を下げた。


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