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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第2章 ドレッセル家
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14.デビュタント

 国が主催するデビュタントは毎年この時期に行われる行事だ。本年満16歳を迎える貴族の令息と令嬢が正式に社交界デビューする日。

 豪華な会場にはたくさんの人。特にご令嬢の多くは結婚できる年齢を迎える事から、婚約者があるものは婚約者、恋人があるものは恋人と仲睦まじく寄り添っている。相手がいない者は今日ここからがスタート。

 そんな事情もあって会場内は緊張と期待とで熱気がすごい。


 グリオルにエスコートされるソフィアは緊張で固まり気味。何しろ社交の場はこれが本当に初めて。家でアルマやフランシスカとお茶をして他人との空気には慣れてきたつもりだったが、当然全く次元が違う。折角のオーケストラの演奏も聞こえない。眩いシャンデリアや着飾った大勢の人に震えが止まらない。こんな華やかな光景は知らない。

 腕に添えられたソフィアの手の震えを感じたグリオルは、ソフィアを励まし、会場入りするとすぐにテラス近くのソファへ向かう。震えるソフィアを座らせ、飲物を渡し、自分もそのすぐ隣に腰を下ろす。

 顔を覗き込み手をさする。

「大丈夫だよ。ダンスを踊って少し挨拶したら帰ろう」

混雑や引き留めもある、時間は約束出来ない。でも長居する気はない。

 初めは震えていたソフィアの手がグリオルの温もりを拾い始める。励まされ安心したソフィアが深呼吸を繰り返す。空いている手でいつもよりそっと腰に手を回すと、抗議の声はなくソフィアの空いた手がグリオルの膝に乗せられた。ふと合った目が柔らかい光を宿す。



 国王からのありがたい祝いの言葉に続いてダンスが始まる。それぞれが保護者や婚約者とホールの中央に向かう。

「さあ、ソフィア。いつも通りに踊ろう」

2人のいつもはまだまだだが、ソフィアは頷いて手を重ねる。


 ソフィアの事を思えば、出来る限り目立たない位置で踊りたいグリオルだが立場上それは難しい。都合よく公爵家と他の侯爵家が目立つところを陣取ってくれたので、その脇に花を添えるような形でしずしずと歩みを進める。

 悲しい事にドレッセル侯爵家もグリオル自身も有名だ。当然、隣に立つ少女にも注目が集まる。好奇の目に晒すことになり気の毒だが、こればかりは仕方がない。


 おまけに、さっきのソファで耳に拾った限り、ここでも例の噂は有名らしい。

 「誰も会ったことがない伯爵家の妹」。アレクサンドラが流した嘘に始まり、種類は様々だが、一番最近の噂は「侯爵家に嫁入りする直前に姉と揉めたらしい」というもの。その原因も先の噂から多様な憶測を呼んだが、先日の一件で「姉が横やりを入れた」という認識が広まりつつある。

 グリオルとしてはなんとかこのデビュタントのソフィア自身を見てもらうことで噂を完全に払拭したい。最悪、侯爵家の力でどうにか出来るが、後のソフィアの事を思えば得策ではない。そのための策も万全だ。



 ソフィアのドレスは古典的なボールガウンという形。前衛的なドレスが流行の昨今、使い古された遺産だとこれを着る人は少ない。

 だがグリオルはあえてこれを選んだ。初めてソフィアに会った時、本人に希望がなければこれにしようと決めたのだ。婚約の話がこじれ始めた時、ツァールマンに納期や可能なデザインを確認した際には、ひと月で仕上げられる他のデザインも選べたがグリオルはソフィアに着せるならこれと決めていた。結果的に納期が差し迫り、ソフィアの意見を吸い上げる前にソフィア自身に会った店側から是非このデザインで作らせてくれと頼まれた。

 ソフィアの顔は悪く言えば「地味」だ。本人もそう思っている。派手好きの人から見れば物足りなく思えるこの顔は、派手顔にはない穏やかさや優しさがある。化粧次第で変わる可能性だって大いにある。グリオルはそう考えて、長年数多くの乙女に愛されたこの形を選んだ。


 それにこのドレスなら、あの噂の払拭にも役立ってくれると考えた。


 ボールガウンは最近流行りの少し変わった形のドレスや、宝石を縫い付けたドレスとは比べ物にならないほど安い。だからこそツァールマンの職人たちはその腕によりをかけてこのドレスを作ってくれた。侯爵家の注文というのもあるが、久々のボールガウン、伝統的なドレスに職人たちは喜んだのだ。

 主な布地はサテンシルク。スカート部分には長さも変えず、オーガンジーを何枚も重ねていく。贅沢に重ねたオーガンジーの一番下には繊細なレースの刺繍を施し、それが薄く透けて見える。ターンで翻れば刺繍の中のビーズがきらめく。上半身もデコルテ周りをすっきりさせ、肩口のみをレースで覆う。背中はサイズ調整が効くように編み上げた。これもレースで覆い遠目にはすっきりシンプルに見えるように仕立ててある。

 手にはシルクの手袋。最近はレースが主流だがこれも伝統的なデザイン。あかぎれを隠す機能もほしかったので都合がいい。ドレスに比べて手元が寂しくなるとミスマッチなので、口の部分に豪華なレースをあしらった。例のナイトグローブと共に作ったものだ。


 予想通りソフィアに似合い、とても可愛い。控えめの配色で温かみのある化粧を施した顔は、会場の強い光を受けてとても清楚な印象を受ける。

 当然、他の令嬢達だって素敵だ。この日の為に努力し、支度し磨かれた本人たち。デザイナーたちが趣向を凝らした素晴らしいドレス。全員が可愛らしい。

 だがこの会場内ではソフィアは格別に目立った。流行外れのドレスにも関わらず、誰よりも華やかに見えた。

 可憐なレースワークと前衛的なギャザーのよったシフォン生地、宝石でキラキラ眩しい令嬢たちの中で、ただ真っ直ぐにフワフワ揺れるオーガンジーの絹のきらめき。耳と首に飾った小ぶりなアクセサリーはアルマの物で、姉フランシスカも使った宝石だ。


 特に家宝というわけではないが、母アルマが登城する際に身に着けるようにしていたこれに、幼少期のフランシスカが憧れた。自分のデビュタントの時に貸してほしいと頼んで借りたわけだが、そのフランシスカの気持ちが嬉しく思えた母はそれ以来、これを正式な行事の時に使う物として大事にしている。親世代の見る人が見ればわかる。

 良かったらと母が勧めたこれをソフィアは恐縮しながらも喜んで借りた。


 噂を知らない者は素直に見惚れ、「金遣いの荒い妹」の噂を耳にしたことのある誰もが、目の前の侯爵家の婚約者をそれに結びつけることができない。

 扇の下の囁きも褒め言葉ばかり。おまけに、誰の目から見ても笑うには気の毒なほど緊張でガチガチ。同情の嵐だ。本人は気が付いていないが耳まで真っ赤。

 そんなソフィアに寄り添い優しく見つめるグリオルとの間を、羨望の眼差しで眺めこそすれ、疑う者はこの会場にはいなかった。



 音楽が始まる。デビュタントの1曲目はいつも同じ。練習した唯一のワルツ。多重の豪華さを伴っているが耳慣れた音楽がソフィアの耳に届く。スカートをつまんだソフィアとグリオルが向き合い礼をする。あとはいつもの通りに踊るだけ。グリオルがその手を取り薄く笑うと、ソフィアがほっとしたような顔になった。




 何とか1曲やり過ごす。途中一度ステップを間違えたがドレスで見えない。焦ったソフィアをグリオルが穏やかにリードし持ち直した。

 グリオルが褒めると安心したように笑った。疲れたかと聞くと素直に頷くが、あいさつ回りの為に息を整えている。すこし気の毒に思うが、これまでの経歴のなさとすぐに領地に行くことを考えるとあいさつ回りは必須だ。かなり注目されているからこそ、しっかり覚えてもらう必要がある。

 それに、グリオルは考える。このドレスでなんとなく察した利口な貴族は多いだろうが、デビュタントはある意味閉ざされた会。ソフィア自身が前に出る必要がある。

 こんなに頑張っているソフィアに報われてほしい、その思いでエスコートの手を差し出す。



 会場を回ると声がかかる。同じ侯爵家の友人、アルバンだ。妹がデビューだと聞いていた。

「随分可愛らしいお嬢さんだね。婚約者殿か?」

「そう、私と結婚するために生まれてきてくれた大事なお嬢さんだよ」

少しくどいがいいチャンスだ。ついと背中を押して挨拶を促す。

「初めまして、ソフィア=ベルネットと申します」

「初めまして、ソフィア嬢、ポルケ侯爵家のアルバンと申します」

「初めまして。妹のベルタと申します」

噂を知っている友人は敢えてソフィアを家名で呼ばない。グリオルは内心で感謝する。続いて頭を下げたのは妹のベルタ。社交場に慣れているのか仕草がなめらかだ。

「すごく緊張しているのね。私も初めてのお茶会の日はそうだったわ」

ベルタの優しい笑顔に、ソフィアの表情が軟化する。

「今度、是非お茶にいらしてちょうだい。私のお友達も紹介したいわ」

親切な誘いにソフィアの顔が輝く。

「ありがとうございます。でもお恥ずかしながら、どちらのお茶会にもお邪魔したことがなくて……もう少し、お家で練習してからでも宜しいでしょうか?」

「丁度いいわ。私、お家でお茶会を開いた事がないの。それならまずは2人でお茶をしましょう。あなたが私のミスに気が付かないでいてくれるなら、嬉しいもの!」

冗談らしい言い方で優しい言葉を返してくれるベルタにソフィアは頬を染める。

 彼女の兄が諫めるように笑う。

「こら、ベルタ。きちんと見るからな。お客様に甘えるのは止しなさい」

「はぁい」

微笑ましい兄妹のやりとりに、グリオルが穏やかに声をかける。

「お誘いありがとう。もうすぐ領地に戻って結婚式でね。少し先でもいいかな?」

「あら、おめでとうございます! 勿論ですわ。それなら当日までにお互い練習して、素敵なお茶会をしましょう。お手紙を書くわ」

 にこにこ笑うベルタは、ソフィアにとって初めての友人だ。この時誰もが願ったことが現実になり、この先ずっと一番の友人で居てくれることを今はまだ誰も知らない。

 グリオルとソフィアは2人によく礼を言ってその場を後にした。初めての友人に喜ぶソフィアは嬉しそうにグリオルの手をぎゅっと握った。


 他にも2、3人の友人がいたので同様にソフィアを紹介する。中には先日の夜会で一芝居打ってくれた彼もいる。にやりと笑ってグリオルに耳打ちする。

「深窓のご令嬢、という表現がぴったりだな。どうやらガラスの片側にだけひっかき傷がたくさんあるようだが」

そのにやにやが自分にも向けられている事がわかったグリオルは冗談のように顔をしかめた。しっかり握った手を揶揄われているのだ。

 仕事の関係者や親世代の知り合いにも挨拶に回る。デビュタントの親であったりその婚約者の親であったりと立場は様々だが、とにかく挨拶するに越したことはない。皆一様にソフィアを褒めてくれる。中には緊張するソフィアの心配をしてくれる人までいた。

 グリオルとソフィアの姿を目にした誰もが、あの噂の真相を理解していく。

 デビュタントはグリオルにとってもドレッセル家にとっても、勿論ソフィアにとっても大成功だった。



 馬車の中でぐったりしていたソフィアを早々に部屋に送り、クリスタに湯の支度を言い付けるグリオル。いつものようにソファに座ってほんの少しだけ話す。

「緊張する中、たくさん連れ回したから疲れただろう。ダンスも挨拶も偉かったよ。今クリスタが湯の支度をしているから、今日は早く休みなさい」

 立ち上がったグリオルの手をソフィアがぎゅっと握り、追うように立った。

「今日はありがとうございました。グリオル様のおかげで心強かったです」

胸にいっぱいある気持ちをどう話していいかわからないソフィアは、顔に熱が集まるのを感じながらも伝えたい一心で口を開いていた。上手く言葉に出来なくてもどかしい。

「勉強になりました。私、まだ出来ない事だらけですが頑張ります」

化粧もそのままのソフィアの頬の赤みが、何によるものかわからないがとにかく一生懸命話している様子が可愛らしい。

「充分だよ。よく頑張ってくれている。お礼を言うのは僕の方だ」

ふわりと笑う笑顔にはこの前と同じ優しさが溢れていた。

 ソフィアがどう返すか迷った一瞬の隙をついて、

「おやすみ」

おでこにそっと触れるだけのキスをしてグリオルは部屋を出ていった。


 残されたソフィアは今度こそ本当に顔を真っ赤にしてそこに立ち尽くす。戻ったクリスタが声をかけるまで、グリオルが消えたその扉から目を離せずにいた。



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