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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネット家
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02.婚約者

 今日は私の婚約者が顔合わせに来る。大事な日でも私の扱いは然程変わらない。ドレスなど用意されるわけもなく、服は手持ちで一番きれいなワンピース。化粧品もないので、簡素に汗取りの粉をはたいて唯一の手持ちの紅を引いた程度。髪型だけは使用人たちが頑張って可愛くしてくれた。けど、荒れた手も日焼けした肌も隠すことは出来ない。地味な顔も地味なまま。どう見ても頑張った平民の娘。貴族の娘としては落第だ。


 出迎えの為に玄関に立ち、ガラスに映る自分を見ても場違いにしか思えない。これでは相手に失礼なのでは、と思うがこの親を相手には何も言えない。無駄だ。

「いいわね、相手は幼少期は病弱だったというから、お前の丈夫さをアピールなさい。不都合な事は話さないで。でも家事も心得があることをアピールして役に立つ嫁だと思わせるのよ。そのために家事やらなにやらさせてやっているのだから」

母が熱心に私の扱いは教育方針であったと説いてくるがどういう理屈かわからない。侯爵家に嫁ぐのならその知識より優先される大事なものがあったはずだ。なんとか自分を正当化したいのだろうが、真面目に聞くのもバカバカしい。


 殊勝に返事を返しながらも聞き流していると父と姉がやってきた。何故かいつもより少し豪華なドレスで見事に着飾っている。傍目に見ればまるで姉が婚約者を迎えるように思えるだろう。

「いいか、ソフィア。2か月後にはお前は向こうに嫁ぐ。第一印象が大事だからな、きちんとしろ」

2か月後は私の誕生月。デビュタントのある社交シーズン前に嫁がせてしまいたい両親は結婚可能な年齢になってすぐに向こうに渡す事にしていた。そうすればドレスもダンスもこちらに影響がないからだ。だがこんな服ではきちんとするにも限界がある。

 得意げな表情の姉が扇を構えて笑う。

「私には関係ない事だけれど、万一に備えて身なりだけは整えてあげたわ」

「アレクサンドラはしっかりしているな。良かったら後で顔を出しなさい」

父は目を細めて姉を褒めた。

「さ、アレクサンドラはお部屋へお戻り。出迎えは私とソフィアがしよう」

 姉は部屋へ戻り、父と私を残して母が応接室に消える。何をしに来たかわからない姉はどうでもいいが、この場合母もここにいないとまずいのではないだろうか、とよくわからないマナーを考えてみる。でも構わない。居てほしいわけではないし、父の指示。これが破談になって慌て困るのは当人達だ。



 約束の時間の少し前、我が家の門に立派な侯爵家の馬車が着く。従者と共に門をくぐった男性は洗練された雰囲気をまとった細身の美丈夫だった。

「ようこそおいでくださいました」

「お出迎えいただき、恐れ入ります。グリオル=ドレッセルと申します」

「いえいえ、本日は大切な席でございます故に。私が当主のマルコ=ベルネット、こちらが婚約者となる私共の末娘、ソフィアでございます」

彼の目が私を捉える。

「初めまして、グリオル様。ソフィアと申します。不束者ですが何卒宜しくお願い申し上げます」

頭を下げたので彼の表情は見えない。

 みすぼらしい娘でがっかりされただろうか。と思うより先に私の手を取り、その甲に唇を寄せた彼がふわりと笑う。

「初めまして、ソフィア嬢。グリオルとお呼びください。可愛らしいお嬢さんが婚約者で祖父に感謝するばかりです。こちらこそ宜しくお願いします」

 いくら日頃冷めている私だって一応女の子だ。こんなきれいな人に丁寧な扱いを受けてドキドキした。姉の1つ上なだけだが随分と大人に見える。この人が私の夫になるのか、ここからでて幸せな人生をこの人と送れるだろうか、と一瞬で胸の中をいろいろな気持ちが駆け抜けていった。



 残念ながら、割と早くいつもの無表情な自分に戻ることになるのだが。



 応接室に案内する。両親が彼の正面に座り、私はソファの隅。一番下座に座った。いつもの通りの座り方だ。

 顔合わせは事務的な内容が殆どだった。私は俯き気味に座っているだけ。彼と父の間で、私の引っ越しの日取りや入籍の日取り、手続きの詳細が話し合われた。

 向こうの家の都合上、2か月後には必ず嫁いでほしいということだけは何度も念を押される。彼の家はその特殊性もあって家の事を教えるのに時間が必要、だが彼自身は来年から数年間、城で文官として勤める事になっているのだと言う。


 家督を継ぐものは外で働かず、すぐに現当主の補佐から始まると思っていたので驚いた。初めて知ったのだが、国と密な関わりを持つ特殊な領地の当主や、優秀な者は円滑な国家業務の為に特例で文官務めをすることがあるらしい。


 特殊性というのは例の薬草の件で、嫁入り後しばらくの間の私は勉強漬けの日々だそうだ。

 私にほとんどそれらしい教育をしなかった事で母が内心焦ったようで、早期の嫁入りを提案し始めた。向こうも乗り気でどうやら予定より早い1か月後に嫁ぐことになりそうだ。


 一通りの話が済んだ後、両親はこの婚約は問題なく終わり、と言わんばかりに安堵の表情を浮かべる。

 終わりかと顔を上げた私とグリオル様の目が合う。グリオル様は薄く微笑むと両親に私と2人で庭を散策していいかと聞いた。急に戸惑いの表情を浮かべた両親が庭は手入れ中だからと愛想笑いで断る。私が自分たちの目の届かないところで何を話すか心配なのだろう。勿論、庭は手入れなどしていない。だって客の来る日に手入れをするなど失礼だ。

「そうですか。この季節ですからね、植え替えには丁度いいですね」

貴族の遠回しな断り文句と受け取ったのか、なんともいえない空気の中で今日の顔合わせはお開きになった。この場で私が口を開くことは一度もなかった。



 見送りは玄関まででいいと言うので両親と共に玄関まで送る。

「明後日、ソフィア嬢にお時間がありましたら少しだけお会いしたいのですが、ご都合はいかがでしょう?」

 貴族の令嬢は習い事をして忙しいというのが普通だ。彼もそう思って聞いたのだろう。情けない事に私は言いつけられる家事があるだけ。しかし勝手に予定を入れたことがなく、返答に困っていると父が答える。

「空けさせましょう。お時間は?」

「昼少しすぎに。とはいっても玄関先でかまいません。お渡ししたいものがあるだけです。お時間は取らせません」

「わかりました」

父の決定に私も頷くと彼はまたも薄く笑う。

「それでは明後日、お会いできるのを楽しみにしています」

 社交辞令とわかっていながらも、家の人以外の誰かに会える期待に胸が高鳴った。



 ドアが閉まるとすぐ吹き抜けの階段の上から声がかかる。

「今の方がソフィアの婚約者なの?」

姉だ。ああ、不穏な気配がする。階段を降りてくるその頬は紅潮している。

「ああ、1か月後にはソフィアは家を出るよ」

姉の顔を見ていない父が嬉しそうに言う。姉は姉で父の二言目など聞いていない。

 ぶつぶつと夢見心地な顔で呟くと、急に胸の前で手を組み両親に向き直った。

「お父様、お母様、私がソフィアの代わりにお嫁に行きますわ!」

一目惚れとでも言うのだろうか。異様な熱気のこもった姉の発言に両親が腰を抜かさんばかりに驚き、私は予想の的中に、先程までの柔らかい気持ちが硬くなってささくれた。



 その夜、我が家では私抜きの会議が行われた。正確には私はいるのだが、全員にお茶を出す給仕の仕事をしているので、元よりない発言権は勿論、存在感もない。

 両親は必死で姉を説得するが逆効果。姉は彼の元に嫁ぎたい旨を熱心に語った。あの後、画家に絵を描かれながらずっとグリオル様の事を質問していたらしい。

 彼の容姿と衣服から感じる侯爵家の財力。病弱だったという幼少期が嘘のような立派な姿。加えて来年からしばらくは文官として勤めることへの期待。それらをまるで自分の恋人の事かのように話している。

 父が笑顔で姉の手を握り、説得を試みるも姉の口調は強いまま。

「いいや、お前は大事な跡取りだ。婚約の話は……」

「いいえ、お父様。知識も浅く、ダンスも踊れないソフィアでは、侯爵家にもグリオル様にも申し訳が立ちませんわ! 次期当主として完璧な作法を身に着けております私なら、きっと相応しい振る舞いができますもの。寂しく思わないで下さいな。近所ですもの、遊びに参りますわ」

 姉の熱っぽさに次第に両親は複雑な表情になった。可愛い姉の願いを叶えたいが、手元に置いておけなくなることへの不安で葛藤している。



 さっきはまたかと気持ちがささくれたものの、この身勝手な主張を聞きながら徐々に冷静になり、心底どうでもいいなと思った。あの人は素敵な人だったけれど、どうなるかは全て上の責任者が決めるのだ。この家で抵抗は無駄。

 それに私の姿にさぞがっかりなさっただろう。簡素なワンピースで化粧っ気もなくて、あの時は緊張で忘れていたけれど手はあかぎれだらけの貴族の令嬢など冗談もいいところだ。


 考えないようにしている自分の本心ではこの家を出たかったが、ここに残る事になるならそれも仕方ない。姉が嫁げば元々私に関心のない父と母とはこれまで通り過ごすだけだろう。姉の無駄遣いが減ればむしろ家は平和かもしれない。私自身は家と領地の経営に無心になれば何も辛くはない。ただ夫には自分が心から愛せる人を探そう。人生にあれこれ注文はないが信じられる誰かを愛して幸せになりたい。

 そんなことを考えながら、目の前の浮かれた姉におかわりのお茶を注いだ。



 我が家ではその日から結論が出ないまま、彼の再来の日を迎えた。


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