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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第2章 ドレッセル家
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03.ドレッセル家

 ソフィアの部屋のドアを閉めて、両親と姉が待つ執務室へ向かう。事前に少しは伝えてあるが、父上も母上も彼女が普通の貴族の令嬢ではないことに当然気が付いている。話せることを話さないと、本当の意味でこの家に生きるソフィアを大事に出来ないことは自分だってわかっている。

 持っている情報のどれを話すか取捨選択。正直にいってどれを話してもソフィアは傷つく。頭を悩ませる暇もなくその扉の前に着いてしまった。いつもは大きく感じる我が家も、今日はどこに行くにも着くのが早すぎる。



「問題なく眠れそうか?」

父上は開口一番、緊張しすぎている彼女の状態を心配した。

「多分。相当疲れているのですぐ眠れると思います。念の為30分後に様子を見て、必要そうならハーブティーを用意するようにメイド長に頼んであります」

母上と姉上が頷く。

「――想像以上だな。相手にするのもバカバカしいが伯爵家は正気か?」

呆れかえって口を歪める父上の隣で母上は怒っていた。

「嫁入りで緊張するのは当然だけど、必要以上に憐れな様子だったわね。貴族の家に産んでおきながら、貴族として生きていけないように育てて堂々と嫁に出すなんて逆にすごいわ。あの子、伯爵家でどういう扱いを?」

 母上も社交界で彼女の情報を集めようとして集まらなかった事はわかっている。多分自分でもそれを実行したのだろう。そして今回の騒動で家に問題があると見抜いている。

「様子はあの通りですが、家の中の事は今日聞き出しました。伯爵家は姉を当主として育て可愛がるあまり、彼女の事はあまり世話をしなかったようです。普段は使用人にまざって過ごしていたと言います。本人は家族に対し諦めており……あの家が正気かどうかは、例の手紙とその後の対応、彼女が何よりの証拠かと」

母上が口元を手で隠し眉根を寄せて右上を見上げる。呆れている時のしぐさだ。

 母上はあの手紙の実物を知らない。その存在は話して聞かせてあるが見せるわけにはいかない。母上は姉上とよく似ているのだ。今日は大人しく猫を被っていたけれど、あの手紙とソフィアを見比べたらあの伯爵家を叩き潰す勢いで怒り狂うだろう。

「世話しないなんてレベルではないわ。どこにも出せない状態よ。可哀相に」

 父上が母上の腰に手を回す。この話を終わりにする合図だ。確かに聞いていて気持ちのいいものでもないし、伯爵家を批難しても今更どうにもならない。それにあれこれ言ったところであの家にはわかるまい。ここに嫁いできた以上、彼女の事はここで責任を持った方が早い。抱き寄せられた母上も口をつぐむ。

「彼女はこの家の妻として、例の条件には従ってくれると約束してくれています。礼儀を弁えない令嬢より礼儀を知らない娘の方が断然にいいと思いますので、この家の者として今から彼女を育てていくつもりでいます」

あんな手紙を寄越して常識人ぶる姉よりも良い、そう告げると父上がゆっくり頷いた。

「彼女自身に罪はない。私たちも出来る限りの事はしよう。約束をお前に背負ってもらった手前もある。必要なものには金も惜しみなく出す、必要であれば手助けもする。だが何もかもお前が責任を持って決めろ。これから先一緒に生きていくのはお前たち2人だ」

「私とフランシスカも出来る限り協力するから、声をかけてちょうだい」

「ありがとうございます」

 事務的と言われるが自覚している。努めて感情を隠す事もあるし、興味がない事に反応が薄い事もある。この婚約も自分にとってはただの使命だった。だがそんな自分も今回のソフィアの状況は複雑に考えていた。



 家族の厚意を感じ、迷っていたことを口にする。

「お許しいただけるのであれば、早速ですがお願いがあります。領地での家庭教師を、私と姉上がお世話になった先生方にお願いしたいのですが宜しいでしょうか」

3人いた家庭教師は全員がとても優秀。元々王室付きの教師たちで、城に通う父上と友人になった。引退後、我が領地を気に入って隠居した。普通では頼めない教師たちで、どうしても父上にお願いする必要がある。たまにしか王都に行かないドレッセル家だからこそ、田舎者だと笑われないようにとしっかりと教育してくれた。嫌がって逃げる姉上にも根気よく接してくれた優しい教育者たちなら、ソフィアを憐れんだり蔑んだりせず接してくれるだろう。


 思いがけない提案だったのか、父上が片眉を上げる。この人は常に納得できない限り動かない人間だ。想像の範囲内ではある。説得をどうするかも。

「先にお話した予定の通り、明日以降はデビュタントに向けての教育を最優先します。始まらないうちにこういうのも気の毒ですが、どんなに頑張ってもデビュタントの様子にも限界があると思います。それは自分が助けます」

 デビュタントに必要なのは貴族としてのマナーとダンスの能力だけ。普通に育っていればどちらも持っていて当然なのに、そのどちらもがないのが彼女の辛いところ。詰め込むにも限界がある。申し訳なさそうな表情を思い浮かべ、絶対に恥をかかせないと心に決める。ダンスと挨拶さえできれば、あとはエスコート役の自分が補佐すればよい。

「大事なのはデビュタント以降です。今のままでは彼女は可哀相な貴族生活を送ることになりましょう」

 自分の補佐には限界がある。夜会には一緒できても、サロンや大半のお茶会は難しい。いつかはひとりで挑む日がくる。ドレッセル家は魅力的な家ではないが侯爵家という位をうらやむ者は多い。特に彼女のような令嬢なら悪意の元にいじめやすいだろう。

「ですから侯爵家の妻として、充分な教育をと考えています。些か気が引けはするのですが……」

自分が王都の仕事にでる以上、彼女を側で支える事は出来ない。厚かましくも家族の協力は、先程の申し出以上のレベルのものを求める必要がある。


 ここで、それまで不愉快そうな顔で黙っていた姉上がにやにや笑いで発言の許可を申し出る。

「お父様、お母様、宜しくて?」

姉上がこの笑い方をする時は少し意地悪な気持ちの時だ。

「私、グリオルの意見に賛成ですわ。夜会でソフィアさんの姉を見かけておりますの。まあ……確かに伯爵家のご令嬢といった感じです。ソフィアさんが令嬢らしい事を何もご存じないなら好都合。グリオルの言う通り、侯爵家の者として学んでもらいましょう」

 今や令嬢に相応しくないニタニタ笑いになったその顔の目は本気で楽しそうに笑っている。

「普通に教育したのでは伯爵家の努力と思われ兼ねません。伯爵家では到底学べないレベルに仕上げてしまえばいいのですわ。デビュタント当日は出来なくても、後日の夜会で別人のようになっていたらどうでしょう。侯爵家で何があったか、聡い皆様ならお気づきになるかと。それに不愉快な噂もありますの。そういうことでしょう、グリオル」

頷くと満足そうに目を細める。伯爵家の事は腹立たしく思うが、まともに相手にするだけソフィアが傷つく。

()()に恥をかかせる事も恐れずにいらしたのでしょう、この15年間。私は腹が立っております。貴族の娘として、協力は惜しみませんわ」

 姉上の気持ちはソフィア自身にも向いている。我が家の為でもあるが、彼女の事を心配してくれているのだ。満足そうに頷く母上も多分、姉上の気持ちを理解している。

「グリオル。お前はそれを出来るか?」

父上の問いは常に端的で的確。答え方を間違えてはならない。

「不在にする身ですが、彼女に寄りそう努力は約束します」

相変わらず表情が読みづらい父上が納得したように頷いた。

「わかった。先生方に手紙を出しておこう」

感謝の意を示すと、誰よりも安心した顔になったのは父上自身だったように思う。



 続いてソフィア付きの侍女も決めてしまう。こういった場合、少しでも気安くあるためにと歳が近いものを付けるのが普通なのだが、何しろ普通の貴族の令嬢の枠からかなり外れているソフィアだ。この屋敷の使用人は皆礼儀正しいが、使用人にまざっていたソフィアが必要以上に馴染んではまずい。行儀作法も教えてほしいからと少し年配の使用人に頼むことにした。



 部屋に戻る途中、姉上を呼び止めて礼を言う。後押ししてもらえて助かった。実は家庭教師の事は今日返事をもらうつもりはなかった。何の根拠もない状態で父上が許可を下ろすとは思えなかったからだ。あくまでも提案に済ませ、あとは彼女の様子を見て、彼女と考えて行こうと考えていた。それでは遅かったかもしれない。この選択が正しいかどうかはわからないが、正しい方に活かす努力をしようと思う。

「グリオル」

返ってきたその声はいつもよりも厳しい。

「お前、もう少し強気にしっかりなさい。強引なのも時には大事よ。本当に事務的なところがあるから心配だけど、ソフィアさんの事をきちんと見てね。今日の晩餐の時の視線を見た? 私の食べ方をそっと見て真似しているの。味なんてわかったかどうか……あれじゃ気の毒で……」

それには気が付いていた。だから彼女が食事に集中できるよう、質問には出来る限り自分が答えるようにしたのだ。

「すみません。明日彼女の勉強がどういう具合なのか確認して予定を組むつもりでいますが、しばらくは続くかもしれません」

一応、料理長に相談してしばらくはマナーが難しくない形に調理してもらえるようにお願いはした。そもそもそんなに難しい作法を必要とする料理は我が家では出ない。客を伴う席では些か細々するものもあるが我が家に来客は少なく、その際も厳密ではない。マナー講座の食事作法の順番を先にしてもらえば数日で誰かを盗み見る心配はなくなるだろう。

「私、折角来てくれた妹が悲しむなんて嫌よ」

 姉上がこんなに気に掛ける事も珍しい。だが初対面の時に何か傷つけてしまったらしいという事はあの日に少し感じたし、姉上の侍女からも聞いている。罪滅ぼしの気持ちもあるのだろう。

「……善処します。僕自身もただ約束を果たすだけでは、と思っています……」

姉上も頷く。

「そうね。私はできれば彼女にあなたを好きになってもらいたいし、あなたにも彼女を好きになってほしいわ」

ぽつりと呟いたその言葉に返事をするより前に姉上は歩き出してしまう。

「さ、明日に備えて寝ましょう。おやすみなさい、グリオル」




 『好きになる』。それがどういうことかはなんとなくわかる。だけど世間で語られる砂糖のようなそれに対して自分たちは歪すぎる気がする。好意的に見る事は出来るが好きになるとは具体的にどういう理由と感情を伴うのだろう。

 約束の婚約者を迎える、それだけが幼い頃からの着地点。あとは次期当主として夫としてつつがなく務めを果たすのが目標。大事にするのは簡単だ。でもそれだけではいけないと思ったのは、ここ数日のことだ。社交辞令や常套句で接する事で壁は高くなるだろう。まずは形だけでもと敬称を止めたが実際何も出来ていない。どうしたらいいだろう。

 正解などないのだとわかっていながらもぼんやりと考え続けてしまう。


※ルビ・傍点が表示されない方へ 

以下のように ○○には△△ という傍点がふられます

フランシスカの言葉:「誰かに恥を~」の「誰か」に傍点

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