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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第2章 ドレッセル家
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02.侯爵家の姉弟

 侯爵家の門をくぐるのは2回目。先触れもなく向かわされた先日と違い、今日は侯爵家の使用人たちが扉の前に総出で待っていた。家の長男も一緒なのだから当然か。

「おかえりなさいませ」

先に降りたグリオル様に揃って礼をする使用人たち。伯爵家では見たことがない光景に目を丸くしていると手が差し出された。おずおずと手を重ねて馬車を降りると、使用人たちの頭が上がる。

「ただいま。あとできちんと紹介するが、彼女が私の妻になるソフィアだ。宜しく頼む」

「若奥様、よろしくお願い致します」

家令とメイド長と思われる、声を揃える年長の男女に面食らいながらも私も頭を下げる。どの使用人も先程と同じにしっかりと腰を折って礼をした。その様子にも、『わかおくさま』だなんて分不相応な呼ばれ方にも緊張が募る。



 どうぞと開けられた中央を通ってくぐった扉の先にフランシスカ様が待っていた。

「ソフィアさん、ようこそ、ドレッセル家へ」

知り合いというには恐れ多いけれど、知っている顔ににこやかに迎えてもらい、少し安心する。

「あの、不束者ですが、本日よりお世話になります」

 その一言で頭を下げると、急に何も言えなくなってしまった。この前のような謝罪の言葉は緊張していても浮かぶが、お世話になるお願いは浮かんでこない。実家の使用人たちが見た事のある丁寧な挨拶を曖昧ながらも教えてくれたが、あまりの大勢の出迎えへの緊張と知っている人への急激な安堵に、全て吹き飛んでしまった。


 そんな不出来な挨拶にもフランシスカ様のにこやかな雰囲気は変わらないが、いたたまれない。

「ごめんなさいね、両親は今丁度出かけているの。もうすぐ戻ると思うから、私とお茶をして待ちましょう」

ふわりと手を取って下さる。手荒れしていて恥ずかしいのだけれど、グリオル様に言われた言葉が頭をかすめて引っ込められない。

「姉上、夕方にツァールマンの者が参りますので、その前に一度部屋に案内しませんと」

「ツァールマン? ドレスを買ったの?」

「ええ」

会話から察するに、どうやらさっきのお店はツァールマンというらしい。緊張でお店の名前も見ていなかった。

 グリオル様に手を取り直されてこちらへ、と案内される。

「――グリオル。今のそのワンピースとリボンはお前の見立て?」

後ろから掛けられた声に2人で振り向く。

「はい」

「ふうん。よく似合っているわね。……でも、今度の機会は私も同席させてちょうだいな。カナリーをおすすめしたいの。きっと似合うもの」

カナリーは鮮やかな黄色だ。そんな華やかさが強い色、私にはとても無理。振り向いた先のその人は楽しそうに笑っている。

「お部屋に案内したらグリオルもおいでなさいな。テラスで待っているわ」

朗らかな声に小さく礼をすると、グリオル様は私の手を引いて歩き出した。



 荷物など何もない私なので部屋の位置さえ案内してしまえば特にすることもない。はずだったのだが、グリオル様は私の手を離さずに言った。

「出迎えで緊張させてしまったようですまない。だが慣れてくれ。侯爵家では勝手口から君を外出させたりしない。必ず誰かが見送り、出迎える」

「はい」

「それから、挨拶を教えよう。この前はきちんと出来ていたけれど、念の為」

さっきの様子から気遣ってくれたのかと申し訳なくなる。


 これだけ言えればいいよ、と教えてくれた挨拶は使用人が教えてくれたのと同じようなものだったが、不慣れな私に覚えやすいように簡単な短いものを選んでくれた。数回口に出して礼をするとにっこり笑ってくれる。

「うん。覚えが良いね。挨拶の文句は少し抜けても構わない。誰だって嫁げば緊張するだろう。ましてソフィアはまだ15歳。うちの両親も鬼ではないから安心して」

怯えが顔に出ていただろうか。複雑な顔を返すと笑顔で手を差し出される。

「姉上のところに行こう。きっと楽しみに待っているから」

温かい手に、足元がふわふわする。




 一足先にテラスにいらしたフランシスカ様が笑顔で迎えてくれる。侯爵家のテラスは伯爵家のテラスより大分広くて何人も席に着ける大きなテーブルが置いてある。

「遅かったわね、グリオル。ソフィアさんに粗相なんかしていないでしょうね」

むっとした様子のグリオル様が私の椅子を引いてくれながら返す。

「失礼ですよ、姉上」

会話の意図がわからない私は2人をきょろきょろと見比べてしまう。その様子にフランシスカ様がいたずらっぽい笑顔を浮かべる。

 目の前に用意されたカップに注がれる紅茶の湯気が顔を撫でていく。少し眉が楽になった気がする。ありがとうございます、と礼を言うと使用人が会釈を返してくれる。

「随分緊張しているみたいだけど大丈夫よ。この家、侯爵家とはいっても仕事にかかりきりなものだから作法も何もとても緩いの」

「そうですね。姉上など正にいい例。この前も応接室の扉を乱暴に開けたとか」

ぎくっとした様子のフランシスカ様。それは先日の謝罪の日だろうか。グリオル様は先程の仕返しだとばかりに涼しい顔。

「おほほ。あの時は手が滑ったのよ」

ちらちらとお互いを見る姉弟。牽制し合っていても険悪な空気は流れない。本当に仲が良さそう。

「いい、ソフィア。姉上はあまり参考にならないから、母上をお手本にするように」

呆れた様子のグリオル様にフランシスカ様が抗議の声を上げる。

「いやね、この子ってば。確かに母上は完璧だけれど私だって随分いいわ。お前こそ、そんなに事務的な性格なのにちゃんとソフィアさんを大事にできるの?」

「……善処します」

その瞬間、苦々しい顔を見せるグリオル様。砕いてくれた空気の中にぼんやりと座っていたが、いけない。私のせいでグリオル様が責められてはならない。

「あの、とても親切にしていただいております。挨拶ひとつ至らない私でご迷惑をおかけしております」

フランシスカ様は少し目を細めて私を見る。

「そう? ソフィアさんがそう言うならいいけれど、何かあったらすぐに話してね。妻1人幸せにできない男を夫にやったなんて申し訳ないもの。ちょっとグリオル聞いてるの?」

ぱしぱしとグリオル様の肩を扇で叩くフランシスカ様。グリオル様は涼しい顔。

 微笑ましいと思いながら、申し訳ないと言う言葉が胸に刺さる。それは私の方だ。出来損ないの貴族の娘。

 本当に自分はここに座っていていいのだろうか。役目は果たす気でいるが、やはり荷物になるのではないかと、少し不安を感じながら飲むお茶は、本当にほんの少しだけ渋く感じた。




 晩餐の前にお帰りになったお2人のご両親、この家のご当主であるアーデルベルト様と奥様のアルマ様に続いて、この家の全ての使用人に挨拶をする運びになった。

 伯爵令嬢でありながら誰も侍女を連れてこなかった私の侍女を決める都合もあり、全員が集合する事になりいたたまれない。人の多い街中に出た事はあるが、大勢に注目された経験はない。忙しいのに申し訳ないという気持ちと、注目を浴びる気恥ずかしさで妙な手汗をかきながら、ひたすらに頭を下げて教わった通りの挨拶をした。優雅さのかけらもなく慌て、全く貴族の令嬢らしくない私が嫁だなんてがっかりさせてしまったかもしれない。グリオル様の為にも何とか挽回する必要があるが、できるだろうか。



 夕食はとても美味しかったが、緊張で食べ終わる頃には苦しいくらいだった。いつも姉の食べ方を盗み見て真似していたが、今日はフランシスカ様をお手本にさせていただいた。家とは少し作法が違って戸惑いはしたが、所作が小さくて綺麗なフランシスカ様はこそこそ真似するには都合がいい。あと、家では姉がひたすらに話していたが、この家ではあまり会話がない。料理が運ばれる合間に簡単な仕事の話や家の都合を話すだけ。私への質問もグリオル様が答えられるものばかりで、少しの会話以外は食べることに集中できてとても助かった。




 夕食後、落ち着いて与えられた部屋を見回すとその豪華さがよくわかる。伯爵家での私の部屋は派手好きの姉のおさがりを使っていたため、少しちぐはぐで過剰装飾な気があった。そういう意味ではこの部屋は簡素だが、整っていてとても落ち着く。華美ではないが、高級な家具や絨毯が用意されている。厚手のカーテンもすべすべ。ベッドもふかふか。どっしりした本棚には少しだけ本が入っていて、ニスが輝くデスクには便箋とペンとインクが用意してある。服さえ持ってくれば他に何もなくても、私には十分過ぎるほどの用意がされていた。


 その服も夕方に届けられている。デビュタントや夜会用のドレスはオーダーなので今度生地を持ってくると言われたが、普段着のワンピーススカートやワンピースドレスがわんさか届いた。やはり3着以上ある。

 フランシスカ様は「これしか買わなかったの」とグリオル様を批難していたけれど私には十分。令嬢らしいドレスを着慣れないのはわかっていたから、普段着から始めようと考えて下さっての配分らしい。これで? と思うがそれより問題は、つまり慣れた頃にまた買うという事だ。申し訳なくてうまくお礼が言えなかったが、気遣って下さったお茶の事も、ドレスの事も、お部屋の事も、きちんとお礼を言わないといけない。

――明日は朝一番にお礼を言おう。

私は恐る恐る与えられたベッドに腰を下ろした。




 夜、眠る前にドアのところにグリオル様が来た。婚約者とはいえ未婚の男女が2人きりになるのは宜しくなくて、必ず誰か一緒にいるかドアを開けておく必要があるのだと、ドアは開けたまま。

「今日はお疲れ様。明日は朝食の後に屋敷を案内して、そのあと少し勉強がある。朝は君付きの侍女が起こしに来るまではゆっくり寝ていて。おやすみソフィア」


 たったそれだけ。


 たったそれだけだったけれど、私は驚いた。使用人以外におやすみを言われたのはもうずっと前の話だ。いつだって「もういい」「下がっていい」だった。祖母が生きていた時、言われて以来。



 知らないお屋敷のベッドはとても温かく、ふかふかの枕に顔を埋めてこっそり泣いた。

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[良い点] 一章ラストで幸せになることが確定してるので その過程を読むのがたのしみです
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