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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネット家
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15.愛しき妻よ

 爽やかな風が吹き抜ける薬草園で大きな薬草についた虫を集める。害虫か益虫か、研究者に見せる必要がある。ガラスの容器に葉ごと入れしっかりと蓋をする。そこへ遠くから声がかけられた。

「グリオルさまー! お昼ですのでお弁当はいかがですかー!」

バスケットを片手に声を張るのは妻のソフィア。その後ろでは領内の農民たちが微笑んでいる。手を振り応えると向こうも大きく手を振る。



 あの伯爵家から嫁いでもうすぐ4年。裕福ではあるが、決していい条件ではない我が家の嫁として彼女は実によく働き、役割を果たしてくれた。

 大半の貴族の家では領主の妻としてそれらしく振る舞い、ある程度気取ることが要求されるが、この領地は違う。自ら領民に近づき、情報共有し、環境の適正化に務める必要がある。だが当然自分たちは貴族であり、彼らを含む領内の全てを管理する側の人間。領民と距離を近しくしながらも、それらを兼ね備える事が求められた。つくづく、我が家は特殊なのだ。国の医療の一端を担う我が領土は、国から多額の支援も得ている。間違いなく義務は果たさねばならない。

 領地の視察も薬草の研究もその一環だ。貴族の令嬢に相応しくない日焼けをする領地の視察も気にする様子なく、機嫌よく付き合ってくれる妻は領民から若奥様と慕われている。使用人に交じって育った彼女は多少気安過ぎる要素があるが、丁寧ではあるしその馴染みやすさが良いと領民たちが絶賛してくれるので、ありがたく見守ることにしている。



 我が家に来た当初の彼女はそれはひどかった。使用人と同じお仕着せを着て過ごし、人身御供に出され、実の姉に私物を燃やされても体裁を整えない、そういった貴族の令嬢とは言えない彼女の扱いから推して量るべきものがあるが、それにしても不憫でならなかった。

 また、彼女自身もそれが自然に染みついてしまっている。まずはデビュタントに向けてのダンスとマナーのレッスンを叩きこむためのスケジュールを組んだが、慣れてきた頃に掃除や洗濯などの家事を始めて使用人たちを驚かせた。立場もあるし、何より手荒れが心配なので一応注意はしたが、気分転換になるならと厳密にはせずそのままにした。そんな事もあってか手荒れは中々治らず、それだけは少し叱ることになった。

 時間が余ると色々落ち着かないようなので、本当はデビュタント後にする予定だった薬草の勉強の本を渡した。すると、あっという間に読み終え次の本へ進む。結果的に王都にある本の中で理解できるものは全て読み終えてしまった。静かに見守っていた父上もこれには驚いていた。

 母上と姉上が協力してくれ、一緒にお茶や刺繍を楽しむ時間を作ってくれた。お茶の時間は新しい茶葉やお茶請けの菓子の話で和気あいあいとしているらしい。繕い物をしていたというソフィアの刺繍の腕は見事で、刺繍を大の苦手とする姉上が尊敬の眼差しで話を聴き、真剣に教わっていたと聞いた。自分にも名前が刺繍されたハンカチが渡されたがとても上手だった。大切に使っている。

 使用人たちもソフィアと話す事が増えてからそれまで以上に仕事に励んでいる。家中が明るくなり、良い事だらけだ。

 本当はゆっくりしてほしかったが、彼女の性格上それは難しいらしい。



 デビュタント当日、緊張でぎくしゃくしていたソフィアだったがダンスは上々。婚約も済んでいるのだから、1曲を踊りさえすれば今日はそれでいい。後は挨拶をして回り、侯爵家の一員として顔を覚えてもらうだけだ。

 これまでどんな小さなお茶会にも出席する事のなかった彼女には友人がひとりもいない。侯爵家としては、これから妻として人に紹介していくその中で友人を作ってくれれば構わないが、社交界での懸念材料がひとつだけある。伯爵家の彼女の噂だ。多少の根回しはしたが、妻の為にもそれだけはどうにかしたいと考えていたこと。

 幸いにも友人とその妹が参加していたので、生まれながらの婚約者だと紹介した。友人もその妹も優しく、お茶会に誘ってくれた。他にも2、3人の友人がいたので同様にソフィアを紹介する。例の噂を知る友人はソフィアを見てにやりと笑うと「深窓のご令嬢、という表現がぴったりだな。どうやらガラスの片側にだけひっかき傷がたくさんあるようだが」と噂の真相に満足そうに頷いていた。社交界には噂を利用しようとする輩が多く、事実に関係なくわざと乗る者もひっくり返したい者もいる。善き友人がいるというのは心強いものだ。

 親世代の知り合いにも挨拶に回った。親世代の見る目はもっと確かだ。これであの姉がどう言おうと、実際にソフィアを見た彼らの判断が優先されるだろう。勿論、金遣いの荒い妹という噂をそのままにさせない工夫もした。ドレスはとてもシンプルに、宝石も母上と姉上が使ったものを少なめに。彼女自身は地味だと思っていた容姿も少しの化粧で充分華やかになる。豪華で煌びやかな令嬢の中、清楚な印象を与える彼女は別の意味で輝いていた。贔屓目なしに見ても良いデビュタントだったように思う。


 結婚式に備えて領地に帰ると、彼女は広い草原に目を輝かせた。我が家に来てからひと月半、初めは自分のために何かされることに戸惑い、困っては申し訳なさそうにするばかりで笑顔が少なかった彼女も、この頃には本当によく笑っていた。王都にいるひと月半の間はそこでしかできない仕事が立て込んでいて、自分自身はあまり彼女に接して来られなかったが、家族のおかげで彼女の緊張も大分和らいだようだ。式は慣例通り簡素に行ったが、彼女は幸せそうに笑ってくれた。



 始まり方は始まり方だが、結婚式までの間に僕はすっかりソフィアに恋をしていた。人形のような顔で諦めて冷めていた彼女が、徐々に変わっていく。自ら何かを求めたり、素直に受け取れるようになるのが可愛らしくて嬉しい。

 至らずに申し訳なく思う事もあったが、彼女はいつでも2人の問題だと考えて真摯に向き合ってくれた。相変わらず事務的な自覚はあるが、優しく笑う妻を幸せにすると心に決めている。



 様々な事情が重なり、文官の仕事は結婚の翌年から2年間と決まった。その間、ソフィアには領地で薬草園の見回りなどをお願いする予定だったが、1年だけ彼女も一緒に王都に滞在する事になった。というのも予想外の問題が発生してしまったのだ。領地でお願いする予定だったダンス講師が怪我をして引退していた。我が家がずっとお世話になっている先生だが、もうお歳も召されていて無理はさせられない。デビュタント向けの付け焼刃で1曲だけ形にはなったが、これでは今後の夜会で困ってしまう。王都の先生に事情を話したところ、快く引き受けてくれた。


 ソフィアは王都を離れる時、寂しそうな様子を見せる事はなく本当に未練がないようだった。だからこそ戻ることには抵抗があるのではと心配したが、快く王都行きを受け入れてくれた。

「もう関係のないことですから」

その瞳を諦めの色が占めている訳ではない。本当にあの家に対して諦観したのだと考えを改め、彼女を見直した瞬間だった。



 領地側の問題は家族の協力により解決した。今はまだ人手が足りているから1年ならと父上が快く許可をくれたのだ。1年という長い期間を提案してもらえたその裏に、両親の配慮と義兄と姉上の暗躍があったことは後から聞いた。

 両親は別人のように明るくなるソフィアの変化を見て、しばらくは自分と一緒にいた方がいいと判断したらしい。頑張り屋の彼女を陰から応援してくれている。多忙さ故に幼い頃から関わりが薄かった両親だが、やはり人の親。人の成長をきちんと見てくれているのだと今更ながらに感謝した。自分の事も見抜かれていたと思うと少し恥ずかしい。

 姉夫婦は自分たちが領地の視察をすると申し出てくれたらしい。姉上が口をはさんだ理由には同じ令嬢としての気遣いもあった。これまで外に出る機会がなかったソフィアは友人もおらず服も少ない。レッスンの都合もあることだし、友人も服も作る機会が多い方がいいと姉上は考えたのだろう。領地を離れる時、姉上の友人からお茶会の誘いがあったら安心して出かけてねと言われたとき、姉上の真意を知った。情けないがやはり姉上には敵わない。


 その厚意をありがたく受け、王都にいる間は屋敷から城へ通った。2人で過ごす時間も取りながら、王都のお茶会や夜会にも共に出席した。勿論、姉であるアレクサンドラ嬢と鉢合わせしないように情報を集める。持つべきものは友という言葉の通り、友人達の協力のおかげで一度も会わずに済んだ。



 あの姉は妹の婚約者への横恋慕疑惑、嫉妬にまみれた放火がすっかり噂になり、それを原因に社交界の派手な交流を男漁りと揶揄されているらしい。元々見た目も良く、伯爵家の跡取りといういい条件なのにまとまらなかったような人だ。醜聞に加えて歳を重ねてしまえば益々難しい事だろう。真偽は不明だが被服系の商会にいた子爵の三男の婿入り話があると小耳に挟んだ。件の令息は少し年上で金銭に厳しい人だ。流行り病頃までは10や15の差が当然だったが、今時が好きな彼女に彼を受け入れられるかどうかは定かではない。妻の生家だが義理も興味もない。



 結婚1年目に授かった子どもは、今はもう2つになる。妻は姉や領民や王都の友人達と手紙のやりとりをしながら子育てに奮闘している。私たちの願いは我が子には、この領地以外に縛られることのない人生を送ってほしいという、それだけだ。様々な事情が私たちの結婚を巡り合わせてくれたが、事情は次の世代に与えるものではない。この領地は切り離せないものだが、どうか健やかに育ち、幸せに過ごしてほしい。




 妻の作ったサンドイッチを頬張る。虫の入った瓶を横目にランチする貴族の夫婦など異常だが、彼女は嬉しそうに笑う。僕はこの上なく幸せだが、この窮屈な暮らしに溶け込んでくれた健気な妻に人生の最期までこの結婚を選んで良かったと思ってもらえる努力をしたいとそう思う。

 だが、染み抜きに関心を持って洗濯場でごちゃごちゃと謎の液とシャボンをこねくり回し、手荒れを繰り返すのだけはだめだ。心配になる。頼むから試験薬用の防水手袋を使ってほしい。



 そっと触れた妻の手が優しく応える。この春は綺麗な花が咲いた。今年も薬草は元気に育つだろう。

本日にて第1章は終了です。ありがとうございました。


第2章はドレッセル家を舞台に第1章最終話の詳細を綴る形になります。

メインは結婚を迎えるまでの2人です。

少し間が空きますがお読みいただければ幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

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