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仕合せという結婚  作者: 餅屋まる
第1章 ベルネット家
14/35

14.さようなら

 そして翌日、先触れの通りにグリオル様が伯爵家を訪れた。

 今日の出迎えは私と父だけで姉と母は応接室で待っていた。今日も座り方はいつも通りだが、グリオル様の正面に父が座るように位置を大分寄せて座った。姉は強張った笑顔を貼り付けて何とか乗り切ろうと言うのがありありとわかる。察するに我が家の結論は、姉を嫁がせるというものらしい。


 グリオル様は席に着くなり、数枚の書類を膝の上に用意した。

「早速ですが、婚約の話を進めます」

「は、恐縮ですがその前に先日のお詫びをと……」

のろのろした父の声に彼は笑顔で答えた。

「いいえ、閣下。そのお話へのお詫びは結構と手紙でもお伝えしたはずです。何度も蒸し返してはお嬢様方も不安になられましょう」

 手早く書類を広げる。その書類は初めの日に取り決めた私の婚約に関する書類。

「ですが今回のお話には大事な要点でありますので、これだけは再度申し上げます。伯爵家が条件の変更を希望されるのであれば、この話は当初の予定通り、妹のソフィア嬢を我が家へいただきたいのです。これが父からの伝言であり私の気持ちです」

 父は真面目な顔を崩さないが母は戸惑いの表情を浮かべた。同席している姉は焦った様子で口を開いた。

「でも、ソフィアは令嬢というにはあまりにも――」

「もし件の教育のご心配であれば、妻の為に責任を持って準備をしますのでご安心下さい」

彼の言葉には迷いがない。

 父はもう観念したようでも、母と姉は引き下がらない。訴えるように彼を見る。

「それでは侯爵家の負担になりましょう。アレクサンドラならば問題なく侯爵家の妻に相応しいかと……先日の事は心からお詫び申し上げます。何しろソフィアは出来が良くないのです」

「お気遣いありがとうございます。ですが、急いで教わる彼女の負担に比べれば、我が家のことなど大した問題ではありません。何度も申し上げました通り、侯爵家の条件に従っていただけるなら、アレクサンドラ嬢でも構いません。せんだってのご要望は我が家では受け入れられません。その後、お考えに変化は?」

優しい言い方の強い言葉にびくりと肩を動かした姉が気まずそうに口を開く。

「あれは王都のお屋敷の管理も社交も、これからの時代は必要と考えたからなのです。私、良い事を思いついたのですが、半年ずつ――」

彼のため息がそれを遮った。

「いいえ、アレクサンドラ嬢。条件の変更は不可能。我が家の事情は都度見直されますが何十年も変更されていません。異例の事態がない限り、慣例のスケジュールで動くのが我が侯爵家です。我が家はあなたの望みを叶える事はできません」

そう言われて姉は不機嫌そうに黙る。


「で、では当初の予定通りソフィアを嫁がせましょう」

初日よりも大分強気な様子に侯爵家の意志を悟った父が慌てて結論をまとめる。父の向こうの2人がじっとりとした空気を醸すが、グリオル様は動じない。

 グリオル様は私に視線を移すと同じように淡々とした口調で聞く。

「念のためご本人の意思を確認しますが、ソフィア嬢いかがですか?」

覚悟していた質問だが息を飲んだ。姉の不機嫌が伝わってくる。だけどもうそんなこと知るものか。髪に飾ったリボンに恥ずかしくないようにしないと。

「お約束に従います」

真っ直ぐに彼の目を見つめると少し笑った気がした。

「では決まりで宜しいですね? そうですね、出来れば明後日にはソフィア嬢をお迎えしたいのですが」

 明後日という急さに驚くが、思い返せば「ソフィアは教育不十分だ」と散々アピールしたのだ。都合上急ぎたくもなるだろう。それに滞りなく決まるはずだった話が遅れている。何よりも、彼はこの家に長く関わることを望んでいない。

「明後日ですね。荷物をまとめて支度させますのでご安心下さい」

この場をお開きにしようと父の笑顔はこれ以上ない程に慌てていた。

「正午に迎えを寄越します。デビュタントまでは王都におりますので、ご親戚にご挨拶があれば我が家からお送りします」

そう言って彼は帰って行った。



 その日の姉は恐ろしい程静かだった。もっと怒り狂うと思ったがそんなことはなかった。父と母は姉の機嫌取りに徹していたが姉は澄ましていた。不気味だが、癇癪を起されるよりいいと使用人と胸をなでおろした。

 髪に飾ったリボンを皆口々に素敵だと褒めてくれた。この家で容姿を褒められる事も初めてで少し恥ずかしいが、それよりもグリオル様が良かったと思ってくれていたらいいなと思う。

 ふと台所に並ぶおじさんのくれたオレンジが視界に入る。私は使用人たちにこれまで親切にしてもらった礼を言い、明日はみんなでケーキを作ろうと約束した。こんな楽しい約束をするのも初めてだ。

 お世話になった家庭教師の先生にお礼の手紙を書き、この家に生まれて初めて幸せな気持ちで眠りについた。



 次の日の早朝、不思議な気配で目が覚めた時、私の持ち物が全て、庭で燃え盛っていた。今身に着けている下着と一番ボロボロのお仕着せしか手元にはない。大事にしていた本も何もかも、少ないながらに元気に燃えていた。

 庭に駆け付け呆然とそれを眺めていると、炎から振り向いた姉が言い放った。血走った目の姉の周りでは使用人たちがバケツを持って走り回っている。

「勘違いしない事ね。侯爵家は大人しく従う奴隷が欲しいだけよ。あんたなんかを選ぶわけないじゃない。こんなボロクズしか持ってない令嬢が嫁入りだなんて、みっともなくて恥ずかしいし申し訳ないから燃やしてあげたわ」

 煙が目に入って痛くても涙はでなかった。

「それに爵位もお金もあったって私を大事にしないつもりなら、こっちだってお断りだもの。あんたにお似合いだわ」

 姉の「好き」の理由は愛ではない。熱はいつだって「侯爵家の妻」に向けられていた。それだけだ。そしてそれが手に入らなくて、私がそこに座るのが気に入らない。

 たったその気持ちだけでこんなことをしたのか。心底姉を気の毒に思った。でも一番可哀相なのは、燃やされてしまった本や服だ。あのリボンも燃えてしまったのだろう。


 私より少し遅れて目を覚ました両親は庭に駆け付け、この会話を私の後ろで聞きながら同じように呆然と炎を眺めた。既に近所の目は集まっており、その囁きから姉が火をつけたと知るや否や2人ともがそこに崩れ落ちた。




 その日は1日大変だった。両親は姉を部屋に軟禁し、私にも家を出るなと言いつけた。近所には不用品の処分だと弁解に回ったが、姉が私に言い放った瞬間を見ていた人たちの口から洩れる真相を止める事は出来なかった。

 あの時間はどこも使用人が働いている時間。見ていたのは貴族ではなく使用人たち。他所の貴族の醜聞を主に問われては答えないわけにいかないだろう。ベルネット家の使用人たちは燃える火を必死で消そうとしたが、火は消すことを想定せずに点けられたため、秋の空気の中で枯草を巻き込んでどんどん燃える。慌てて主人を起こした時にはもう手遅れだった。


 唯一残ったボロボロのお仕着せを着た私の元には使用人が集まった。倉庫までひっくり返したが、このサイズのお仕着せはもうなかったと教えてくれる。大きいサイズのお仕着せを補正して着せようといろいろと試してくれたが、素人仕事では襟元がブカブカでどうにもならなかった。

 中には帰省用の私服をくれようとした使用人もいたが、大事な私服をもらうわけにはいかないと断った。使用人たちが贅沢をしていない事は知っている。うちの給料では私服を買うのも貯めて買っているかもしれないし、その気持ちだけで充分だ。

 近所周りから先に戻った母に交渉するも、家計を知った彼女は明日には手元を離れるのだからとワンピース1枚買い与えるのを惜しみ、買いに行く事も叶わない。

 仕方がない。グリオル様は私がどんな服でいても驚いたりなさらないだろう。



 あんなことの後だからこそ、気分転換にと使用人たちとオレンジのパウンドケーキを作りながら思い出話をする。花瓶を割りかけてみんなで慌てて走った事、庭の草むしりで変な虫が出た事、洗濯物を取り込むときに転んだ事。いつだって淡々とやってきたつもりだった。だけどもしかしたら、私はあの人たちの前じゃなかったらいろいろと表情が変わっていたのかもしれないなと思う。だって思い出すと皆は笑うし、楽しかった気がするから。


 その時、道具を洗う使用人の赤い手を見て、みんなで使おうとあの軟膏を台所の棚にしまったことを思い出す。もしや燃やされていないかと慌てたが軟膏は確かにそこにあった。唯一残っている大事なものだ。

「これ、置いていくからみんなで使ってちょうだい。みんなの手は私よりもっと荒れてるもの。効果があったら私宛にお手紙を送って。グリオル様に伝えるわ」

お嬢様がお持ちくださいと言われるが私はかぶりを振る。

「良くしてもらったのに何の贈り物もできないの。いただきもので申し訳ないけれど、これを置いていかせて」

料理長が「大事に使います」と小さい声で言った。

 ケーキの焼けるいい匂いがする。匂いを嗅ぐふりをして鼻をすすったのは、いつの間にか来ていた家令。

「いつも私たちに交じって色々な事をして下さるのを、お引き留めできずに申し訳ございませんでした。明日は私たちは精一杯の気持ちでお見送り致します。どうぞこれからはお幸せになられて下さい」

口を出していたらあなたたちが首になったかもしれないんだからいいの。

「私きっと幸せだったわ。みんなのおかげで。ここには戻らないけれど、みんなの事は忘れない」

 皆の笑顔が温かい。今くらいは私は上手に笑えているだろうか。




 侯爵家の立派な馬車が門前に着いたとき、私は何も持たずにボロボロのお仕着せでそこに立つ他なかった。見送りは父と使用人だけ。寂しすぎる状況だが、私はこれでいいと思った。ショックで徹夜した姉は今眠っており母はそれに付き添っている。私はさっき、絵の中の柔らかい笑顔の姉に、さよならを告げてきた。


 馬車の扉を開けて降りてきたのはグリオル様。迎えを寄越すと言いながら、本人が来て下さった。

 私の姿を見て驚きもせずに淡く笑った。ずっと仲良くしてくれ、寂しがってくれる使用人達に感謝の挨拶をして私は門から外に出る。父はずっと私と目を合わせようとしない。でもその唇が僅かに動いているのを見た気がしたから、もういいことにした。

 グリオル様の手を取り馬車に乗り込む。この扉が閉まったらお別れだ。二度とここへは来ない。ゆっくりと扉がしまる。私はもう窓の向こうを見ない。正面に座る婚約者は「昨日の朝、ボヤがあったようだね」と言ってから続けた。

「無事でよかった」

「はい、あの……ごめんなさい、リボンを……」

「丁度いい。我が家に縁を持ち込まなくて済むだろう」

全部知っているのだ。

「不束者ではありますが、末永く宜しくお願い致します」

私が頭を下げ、彼が「こちらこそ」と言った瞬間、馬車はもう戻らない道を走り始めた。


作中約2週間での出来事です。脱出できました。



明日の更新はいつもより遅めの夜間になります。

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― 新着の感想 ―
当主教育をしたはずの姉がアレ? 親の欲目があったとしても無いわー。本家だったら分家から突き上げがあるだろうし、分家だったら本家判断で当主交代されるでしょこれ。 本家分家どっちだとしても、家門を保つため…
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