01.ソフィア=ベルネットの生活
今日は姉の肖像画を描きに画家が我が家に招かれている。それを元に姿絵も描かれ、姉の婚約のために使われるらしい。
ぼんやりと部屋を準備しながら、家の事を考える。
私はソフィア=ベルネット。うちは伯爵家。厳しい父と母、3つ離れた姉がいる。両親は姉を溺愛し、私は割とぞんざいに扱われている。受けるべき教育も曖昧なまま、使用人のような暮らしをしている。食事を抜かれたり打たれたりはしないが、幼い頃はこの扱いが辛くて泣いたことがあった。その度に愛していないのに次女を産み育てるわけがない、と使用人たちには慰めてもらったがいつしか私は察し、今の私は知っている。
私は父にとって捨て駒なのだ。
話は2代前、私の祖父の頃に遡る。祖父が若い頃、流行り病で兄弟が全員亡くなった。祖父自身も病に苦しみ、家が傾きかけていたらしい。その時、援助してくれたのが学生時代の友人でもあり、同じ伯爵位であるドレッセル家だった。
この時ドレッセル家は話題の真っ只中にいた。たまたまであるが王都から離れたその領地の広大な野原に、この病気に効く薬草がたくさん生えていたのだという。勿論ドレッセル家は快くこの草を国に献上し、研究にも協力した。その貢献をもって病の終息後、侯爵位を与えられた。
この話題の家の援助を受けて持ち直せた我が家はどうにかして礼を尽くそうと思ったが、相手は侯爵になっている。本人の望みはいざ知らず、金も名誉もすでにあるのだ。祖父は恩人にどうにか礼がしたいというと、その友人は笑いながら、「いつか性別の違う子どもが出来たら結婚させてやってくれ」と願ったという。
友人は元々無欲で向上心も控えめ。野心家の男性が逞しいと思う貴族の令嬢方には全く人気がなく、長らく悩んでいたという。縛りつけるつもりはなく、同じ思いを子孫にしてほしくないという思いからの言葉だったのだろう。
その次の代の子どもはどちらも男だった。当然約束は果たされない。それが私の父の世代。その次の世代、つまり私の代だが、この代に約束は果たされようとしている。
ドレッセル家に男児が生まれた翌年、我が家には女児が生まれた。これが姉である。約束通りであれば姉を向こうの家に嫁に出すのだが、両親は初めての娘が可愛くて仕方なく、手放すのを惜しんだ。
幸いドレッセル家の長子に女児がいる。
こちらの家に跡継ぎが居なければ養子を取ることが普通。だが血のつながった娘より養子を可愛がれる自信のなかった両親は、これはお互い様だとどうにかこちらに婿入りさせて、そちらも婿を取ればいい、そう説得するつもりだったらしい。だからもう子どもを作らず姉だけを可愛がるつもりでいた。
ところが姉が1つになる頃、向こうの家から2つになる男児は身体が弱いから領地で療養させる。顔合わせは良くなってから頼むと知らせが入る。これは婿入りは難しいかも知れない。そう思った両親が慌てて作ったのが私。
男が生まれたらなんやかんや言い訳をつけて向こうの長女にあてがうつもりだったのだろう。だが私は無事に女として生まれてきた。これで姉のために姉の身代わりとして捨てられる。
そう安堵する父の日記を読んだときは涙も出なかった。
それはこれまでの日々を裏付け、私の心を殺ぐには十分だった。
言いつけられた書斎の掃除は殆ど終わり、机の上に積まれた書類を揃えている時、書類の間に開いたまま挟んであったのがその日記だった。その日から私は一切の泣き言を言わず、現実を受け入れて過ごすようになった。
この家に関しては諦めた。だが人生を諦めた訳ではない。
ただ、幸せは手に入れに行くしかないと思ったからだ。
指示された通りに椅子を置き、カーテンで光を調節する。希望の位置は頑張っても少し暗いが画家はプロだ。上手く何とかしてくれるだろう。
汚れたシーツがあると言うので勝手口で洗っていると姉がやってきた。勝手口に来るなんて珍しい。おまけに上機嫌。走り書きの様な姿絵をひらひらと掲げて自慢げに言う。
「見なさいよ、ソフィア。いいでしょ? 私の姿絵の習作ですって」
当たり前だが姿絵と同じ髪型、ドレス、涼し気な空色の目元に桃色の薄い唇。着飾った姉は本当に美しく、黙っていればお姫様のようである。
「あっ。ちょっとそんな泡だらけで濡れた手で触らないでよね! 汚れたらどうするの」
触る気などない。水が跳ねないようにシーツを洗う手を止めたことを勘違いされたらしい。
「ええ、アレクサンドラ姉様、とっても素敵だわ」
褒めておけば機嫌がいいのはわかっているし、本当に絵自体を素敵だと思った。
「ああ、あんたは良いわよね。嫁ぎ先が決まっているんだもの。呑気でうらやましいわ。私はこんなに大変なの。あんたには関係ないけど絵の事も家の事も考えないといけなくて。この絵だって正直に言うともう少し、目が大きいと思うのだけれど。明日またいらっしゃるから注文しましょう」
最後の方は独り言だった。勝手口から去っていく姉の背中を見送って小さく鼻を鳴らし、私はまたシーツを洗い始めた。
そういえば幼少期に婚約の顔合わせは不要だと手紙を出したのは父だ。婚約者の顔も知らない理由は先の手記で知ったが、婚約者に関しては性別が男であるという事以外、本当になんの情報もない。でもどうせ姿絵など信用ならないし、結婚に容姿は関係ないものだ。どうでもいいか、となんとなく頭をかすめたことをシーツの汚れた泡と一緒に流した。
翌日は家庭教師が来る日だった。画家が来るのだから当然キャンセルしたのだろうと思っていた私は先生の来訪に驚いた。両親は非礼を詫びるために慌てて玄関に駆け付けたが、先生は優しく言ってくれた。
「アレクサンドラ嬢は本日ご都合が悪いのですね。ですが折角参りました。ソフィア嬢は不在が多く進みが遅いので、補習として授業をつけさせていただいても?」
使用人のような働きをしている私は満足な教育を受けていない。あくまでもおまけとして同席しているだけ。言いつけられた用事があればそれを優先させるため、席に着かないことがよくあったのだ。家庭内の事に口は出せないが、教育者として気にかけてくれていたのは私も知っている。
「ええ、まあ、かまいませんが、しかし……」
何やら言い淀む父。授業料の事だろう、すぐにわかる。
「ソフィア、お前、具合はいいのかい?」
母が助け船を出す。私の扱いは表面的には伏せたい事実。欠席の理由はいつも私の体調不良か勝手な用事ということになっていた。今日は言いつけられた用事は全部済ませたし、元々手荒れ以外で具合なんか悪くない。
「ええ、折角先生がいらして下さったのですもの。お願いします」
そう頭を下げると先生はにっこり笑った。
「あくまで私が教えられなかったことの穴埋めですからね、今日はサービスです」
その言葉に現金な両親が笑みを浮かべ、それではと姉の元へそそくさ去って行った。我が親ながら、いやらしい人間だ。
「……以上で終了ですが、何か質問はありますか?」
「……ありません。お陰様で欠席した分が埋められて助かりました」
私の知らない、わからないところを講義して授業は終わる。先生は目を細めた。
「あなたは優秀な生徒ですね。抜けていた分を補うだけでここまで理解されるとは思いませんでした。読み書きも詩も計算も完璧です」
私は特別優秀な訳ではない。ただ、困らないように必死で話を聞いているだけ。そして空き時間に図書室で本を読んでいるだけ。与えられないのなら得に行くだけだ。でも少し嬉しい。
「ありがとうございます」
礼を述べると少し心配そうな顔で遠慮がちに聞かれる。
「マナーやダンスは?」
先生は答えをわかっているのだろう。それでも確信がないから、聞ける今の内に確認をとりたいというところだろうか。両親の事を尊敬できる立派な大人で好きとは言えないが、使用人や先生、こうした好意的な大人が側に居てくれることが私の何よりの支えかもしれない。
「マナーは姉の様子から何となく、ダンスは全くですが社交界デビューはもうすぐ嫁ぐ先のお家での予定らしいので、まだ踊れなくてもいいだろうと両親が」
一瞬驚いた様子を浮かべた先生の眉が顰められ、そう、と小さく言われたのがわかった。私は笑顔を崩さない。こんな私をそんな状態で嫁がせるのがおかしい、先生の考えは尤もで私だってわかっている。だがそれ以上にわかっているのだ。
伯爵家のお金は伯爵家の者である姉にしか使いたくない。それが私の両親。
その日、姉は機嫌が悪かった。なんでも描き途中の絵の具合が気に入らないらしい。夕食の席で両親は姉をなだめるのに必死になり、画家には明日きちんと肌の色を雪のように白くさせると約束していた。
やはり椅子の位置が悪かったのだろう。だがあの壁紙の前が良いとだだをこねたのも姉。こちらに飛び火しないことを祈りつつ、姉の手元を盗み見ながらの見様見真似の夕食を終えた。
諦観の境地にたたずむ彼女がそこを出るまであと13話。たった数日の実家パートが長くてすみません。
1章:ヒロインの実家での生活と家を出るまで(恋愛要素なし)
2章:家を出たヒロインが事務的な結婚での幸せを得るまで(恋愛要素あり)
いつも誤字脱字のご報告ありがとうございます。大変助けていただいております。
大変恐れ入りますが今作ではいただきましたご報告をそれぞれ表記してお礼を述べる事はしない予定でおります。
間違える自分が粗忽な事は承知でご協力いただく身で恐縮ではありますが何卒ご容赦下さい。