ずっと君を愛していた 3
まだ朝早い王城の廊下を一人でアスランは歩き続け、ついに目的の場所に辿り着いた。
開いていない扉越しからもニンフィアの花の香りがフワリと漂ってきて思わずアスランは口元を緩めてしまった。
リステラが好きなニンフィアの香り。王城に滞在するであろう彼女のためにアスランが用意したものだった。
この花とシラル草は共にリステラが最も好きだと語っていた香りだ。
草原の花畑でニンフィアの花をつんでは顔を寄せてその香りを堪能していた彼女の姿は今でも忘れられない。
淡く青に光るニンフィアの花畑に佇むリステラはまさに花の妖精が具現したかと見紛うほどに美しかった。
リステラが好んだこの二つの香りはアスラン自身も好きになり、普段使いの香水もこの二つを使うようになったほどだ。
懐かしく甘い思い出に胸を焦がしながらも、アスランはずっと姿勢を正すとゴクリと唾を飲み込んで扉をノックする。
「――リステラ。今入ってもいいか? 少し話がしたい」
彼女は元々神殿の巫女。
清貧で厳粛な神殿での生活は規則的なもので起床時間もきっちり決められていた。
そんな生活をずっと続けていた彼女だ。その習慣は強く根付いており、この時間であれば起床していることはまず間違いない。
控えめな声量で来訪を告げたが、今は朝早く周りも静かだ。
こちらの声は扉の向こうにも届くはずである。
しかし、アスランがいくら待とうとも扉で隔てられた部屋からは沈黙しか帰ってこない。
気づいているはずなのにいつまで経っても返答がなく、アスランは今すぐにでも無理やり部屋に押し入りたい衝動に駆られる。
だが、ここは辛抱しなければならない。
ここでリステラに拒絶されれば話し合う術はなくなってしまう。焦る心を落ち着けて、アスランはもう一度扉の向こうへと呼びかけた。
「リステラ。話がしたいんだ」
もう一度そう呼びかけてどれだけ時間が経っただろうか。
ようやく、固く閉ざされていた部屋の扉が開いた。
「お待たせしました。どうぞお入りください。アスラン殿下」
「ああ、すまない」
朝食を用意していたらしい侍女に案内されてアスランはやっと室内に入ることができた。
落ち着いた色合いで統一された室内はアスランがリステラの好みに合わせて設えたものでどこか神殿にある彼女の自室にも似ている。
その中で用意されたテーブルにまだ湯気のたつ朝食に手をつけていない様子のリステラは目を閉じ、椅子に座ったままアスランを迎え入れた。
質素なデザインながらもがらもレースがあしらわれた薄い紫のドレスを着た彼女は朝の陽の光を浴びてより一層神聖さを増しているような気がする。
アスランは目を細めながらリステラを見つめ、愛しいその名を呼んだ。
なんとしても昨日の婚約破棄の真意を知らねばならない。彼女はきっと何か理由があってああいう態度をとったのだろう。
話し合えばきっと和解できる。
そして今度こそ、愛しい彼女と結ばれるのだ。
――アスランはこの時まで話さえすればきっと元の関係に戻れると信じて疑っていなかった。
そこに一つの真実と、アスランも知り得ぬ裏切りと企みがあったなどと露にも思っていなかった。
この時アスランが真実を知っていたならば、リステラは絶望に襲われることくアスランの元を去りはしなかっただろう。
しかしそんなことを知る由もないアスランはただひたすら愛しい彼女と結ばれることだけを考えていた。
「――リステラ」
甘く優しい声音で彼女の名を告げたアスランに対し、リステラが僅かに閉じていた目を震わせる。
しかし次の瞬間には何事もなかったかのように目を開くと――
「朝早くから淑女の部屋を訪ねてくるなど失礼ではありませんか? 王太子殿下」
今まで聞いたこともないような冷たい声音でアスランを睨みつける。
今までになかったリステラの態度に戸惑うアスランを無視してリステラは言葉を続ける。
これは、本当にあのリステラなのか?
アスランは俄に信じられなかった。
ここまで冷たい反応を返す彼女を見たのは初めてだったのだ。
「それで、話とはなんなのでしょうか。私は別に貴方と話すことはもうないのですが。まだ何か御用がおありで?」
なんの感情も篭っていない平坦な声音と、氷のような冷たい視線。この訪問が歓迎されているものではないということがひしひしと伝わってくる。
――何故。
何故リステラはここまで自分を拒絶するのだろうか?
さも用事はないとばかりにアスランを見据えるリステラの言葉に固まってしまったアスランは暫く返答することができなかった。




