歯車世界2
バルガスは一人の男と対峙していた。佇まいは、大樹のように太く根を張っているようにも見えるが、柳のようにふわふわと揺れているようにも見える。人なのだろうが、左腕はなく、眼帯の付けられた右目の周りには、文字通り、深い爪痕が残されていた。ボロの布切れのような服を纏い、腰には鞘に納められた、一本の刀が携えられていた。眼光は鋭いが穏やかであり、口角は楽しそうに吊り上がっている。若輩のようにも見えるが、老獪のように映る。
男は見る者によって、姿を変える騙し絵のような存在であり、バルガスの目から見て、男は化け物だった。
生涯において片手で数えられる程しか、戦闘経験のないバルガスだったが、男が只者ではない事は対峙した瞬間に理解する事ができた。今まで倒してきた勇者達がまるで虫けらであったかのような、そんな圧倒的な力を、バルガスはその男から感じ取っていた。
「戦士よ。このバルガスに何用だ?」
バルガスは眼帯隻腕の男に質問をした。ネットゲームからは、侵入者の報告を聞いてログアウトした為、バルガスは今、王座に腰掛けながら魔王らしいポーズを取っていた。バルガスの考える魔王らしいポーズとは、王座に深く腰掛け、左手でゴリゴリと三つのクルミをこねくり回すといった、そんなポーズだった。
「主がこの世界の最強か?」
「であれば、どうする?」
「斬り伏せる」
男は腰にぶら下がっていた鞘から刀を抜く。
刀の刀身は美しい銀色で、名工が叩き上げたと分かる波打つ波紋が幾重にも重なっている。しかし、刃は至る所で刃毀れを起こし、少なくとも斬る形はしていない。鍔も半分は欠け、柄も至る所で解れが出来ていた。
男の持つ刀は美しくもあり醜くもある。刀も男同様に、見る者によって姿形を変えるようだった。そしてバルガスの目には、バルガスが今まで見てきた数本の剣よりも、圧倒的な力を秘めた恐ろしい武器として映し出されていた。
「戦士よ、少し待て。いや待ってください」
見た目浮浪者の小汚い男が、その辺に落ちていたボロの刀をただこちらに向けているだけ。バルガスはそう思いたかったが、バルガスの持つ魔王の勘、略して魔勘は一言ヤバイと告げていた。
「準備が整っておらぬか?最強よ」
「そんな所だ。ザッコ。おいザッコ!直ぐに来い。アホ」
「はっ。何でしょうかバルガス様」
男が待ってくれそうであった為、バルガスは側近のザッコを呼びつけた。また、SMSで実況でもしていたのか、バルガスのもとに駆け寄るザッコの手には、携帯端末が持たれていた。
「おい。あの男はなんだ?」
男に聞かれないよう、バルガスは隣に来たザッコに耳打ちをする。
魔王城に足を踏み入れている以上、ザッコであれば男の情報を持っているはずだった。
「異世界より呼び寄せた兵でございます」
「異世界だと?それはどういう事だ。ボケ」
「バルガス様が、この世界はヌルゲーだと。そのような事をおっしゃっていたので」
「あーあーあー。確かにそんな事を言ったような言わなかったような。ふむ、成る程、異世界から呼び寄せた兵か。ザッコの癖にそんな凄い事ができたのか。驚き」
「はい無論。この封印されし右腕、永久を貫く腕は、時空を破壊し、左目の邪気眼、永遠を掴む瞳には、時空を無理やり繋げる能力があると、説明もさせて頂いております」
「あれは、鬱陶しい設定とか、そういうものではないのか?雑魚が」
「はい。ザッコめには、そういった設定が施されておりますので、それを行使したまでにございます」
「なんだこの、噛み合っているようで、噛み合っていない会話は。まぁ良い。取り敢えずザッコよ。あの男には、この世界から引き取ってもらうのだ。見ただけで分かる。あれはなんかこう、戦っては駄目なヤツだ。デスる」
「このザッコ。人を異界送りにする能力など備わってはいませんので、無理にございます」
「いやいやいや。連れて来る方が難しいだろ。アホが」
「そうなのでございますか?」
「知らんけど、知らんけれども」
様々な魔法を習得してるものの、その原理など何も知らないバルガスは、何となくのイメージで語ったが、ピンポイントで世界に引き抜いてくるよりも、適当な世界に追い出す方が簡単だという感覚は、間違ってはいない気がした。
ザッコはアホだから、元の世界には戻せないとい意味で今の言葉を使ったのかもしれない。今度は、適当な世界に捨てろとでも言ってみるとしようか。
「さて最強よ。そろそろ手合わせ願いたいのじゃが?まだ、整わんか?」
「もう少し待て、ください。お願いします」
「ふむ」
男はバルガスのお願いに素直に頷いた。案外いい奴なのかもしれないが、バルガスは、これは強者の余裕だと受け取った。実戦経験は殆どないバルガスだが、ネット世界では万を超える戦いに勝利してきている。強者が強者の余裕を見せる事は、よくある事だった。
参考資料はバルガス当人である。
「ザッコよ、今の内に適当な世界にアイツを捨てろ。異世界であれば何処でも構わん。出来るだろ。カス」
「このザッコ。人を異世界に捨てる術など持ち合わせておりませんので、無理にございます」
「使えん奴め。ならばもうあれだ。ザッコよ。貴様が責任をもってあの男と戦え。ハゲ」
「それは無理にございます。このザッコ、こう見えて実は経験値の塊。仮に斬られるような事があれば、あの戦士はよりレベルUPした状態で、バラガス様と対峙する事になってしまいます」
「ならば、引き取ってもらえる方法を考えろ。アホが」
嘘の香りがプンプンする言い訳であるものの、この状況を引き起こした例がある為バラガスは、ザッコを戦わせる事はやめ、男がどうすれば立ち去ってくれるのかを考える事にした。Sランクの武器で手を打ってくれれば良いのだが、残念ながら男は、ネトゲーとは無縁に見えた。
「では、こういうのはどうでしょう。死闘ではなく、あくまで練習試合、模擬戦を行うというのは?」
「成る程。確かにそうすればこのバラガスが、殺されてしまう心配はないわけか。だが痛いのは却下だ。HPを9999削られたならば、それはもう死んでいるに等しいではないか。バカ」
「このザッコ、回復魔法は一通り納めておりますので、死ななければどうという事はありません」
「最強よ、そろそろ手筈は整ったか?」
「ごほん戦士よ、一つだけ聞かせてくれ。なぜ貴様は最強であるこの、魔王バルガスと戦う?そこに意味はあるのか?」
相手が勇者であれば、バルガスが魔王という理由だけで、斬りかかって来たとしても、おかしな事は何一つない。しかし今のバルガスは、勇者以外の者に標的にされる程、悪い事はしていなかった。僕は悪い魔王じゃないよ、イジめないでピキー。そんな事が言える位には、バルガスは良い魔王なのである。
勇者を何人か殺した過去はあるが、あれは所謂正当防衛というやつで、悪いのは先に殺す気で斬り掛かって来た勇者の方だしな。
「意味はないが、最強が居るなら血が沸くのが男というものじゃろ?」
「見解の相違だな。このバルガス。出来れば平穏に、例えばゲームなんてものをしながら日々を過ごしたい。最強になったのも、その平穏を得る為だ。戦いは何も生まん。虚しいだけなのだよ」
生まれた時から最強の魔王だったバルガスが、最強の称号を得るまでには、一切の努力もして来なかったが、もっともらしい、最強になったが故に悟ったような言葉を口にし、男の興がそがれるよう努めた。
興醒めだとか言って刀を納めろ。この浮浪者が。
「では、平穏を護る為に、拙者を斬り伏せれば良い」
「・・・戦いたくない。だから嫌」
通じなかったので、バルガスは素直にそう言った。
ケガスルノコワイ。
「そうか。では、戦わざる得ない状況にするしかないようじゃのう」
男はそう言って、ボロボロの刀で空間を撫でた。
「・・・っ」
刀によって撫でられた空間は二つに裂け、裂けた空間からは無数の武器が床に向かって落下し突き刺さっていく。バルガスが鎮座する玉座の間は、一瞬にして武器によって埋め尽くされ男は、空間を裂いた刀をゆっくりと鞘の中に仕舞入れた。
刀を仕舞ったからといって戦意が無くなる事は当然なく、寧ろより禍々しく分かり易い狂気が男からは放たれていた。
この男は本当にマジでヤバイ。
バルガスは背中に嫌な汗を掻いた。
「戦いを嫌う者とも拙者は幾度となく斬り結んできた。そして、いかに平和を謳う者であっても、生存本能に抗える者は、一人として存在せんかったぞ」
男は床に突き刺さった無数の武器の内、こん棒のような鉄の塊を手にし、そのままゆらりとバルガスに襲い掛かってきた。男はこん棒をバルガス目掛けて振り下ろす。
ゴギャッンッ・・・。
バルガスの首元に命中したこん棒は、爆発するようにコナゴナになって弾け飛んだ。
男の攻撃はバルガスに30のダメージを与え、ゲーム続きのバルガスの肩コリを少しだけ緩和させた。ともすれば気持ちのいい一撃ではあったものの、男の動きがバルガスには見えていなかった。
「くだらん」
バルガスは男の攻撃に対して、効いていない事をアピールする。
実際殆ど聞いてはいなかったが、ただのこん棒で勇者の一撃よりも強いのだから、ガクブルは止まらなかった。
「硬い硬い。棒切れ程度ではダメージは通らんの。では次は少しだけ強い武器を使うとするとしようかのう」
バルガスに一撃を与えた後、素早くその場から離れていた男は、続いて斬れ味の悪そうな、銅の剣を手に持った。先程のこん棒を攻撃力5とするなら、8か10位はありそうな剣だ。単純計算だが10だと過程するなら、ダメージは先程の倍の60になる。間違っても35という事はないだろう。
「・・・」
バルガスは、男がバルガスを本気にさせようと挑発している内に、本気で男を殺す事にした。肩こりがほぐれたお陰で、先程よりも目が良く見える。
この目であれば、男の一撃は捉える事が可能だとバルガスは判断した。
「この剣も硬さに弾け飛ぶかのう」
「電流魔手―ショック・バインドー。空間魔破―マジック・ウェーブー」
先程とまったく同じ速度、動作で繰り出された一撃を、バルガスは雷を蓄積させた手の平で掴み取り行動をマヒさせると、続いて全方位に魔力の波を放出させた。魔力の波はヒット&アウェイで攻撃しようとした男を容赦なく吹き飛ばし、男はすぐ近くにあった柱に激突した。
「・・・っ」
「魔雷激覇―イクス・ディバインー」
男が柱にぶつかるよりも前に、バルガスは男目掛けて最強の光魔法を放った。
魔雷激覇―イクス・ディバインーが男を喰い殺すように衝突し、玉座の間を削り取っていく。玉座の間にゲーム機を置かなくて良かったと、暴れ狂う最強魔法を見てバルガスは思った。精密機器に電気は大敵だ。
ズングドゴンクッ・・・。
男は一通り暴れ回った魔雷激覇―イクス・ディバインーと共に壁に激突し、魔王城はその衝撃で大きく揺れ動いた。耐震性能が少し気になる大きな揺れだった。
「やりましたなバルガス様」
「ザッコ、それはやってないフラグだからやめろ。アホ」
「かっかっか。さすが最強。戦う気になってくれて嬉しいぞ」
ザッコが立てたフラグは即座に回収され、男は豪快な笑い声を出しながら、壁の崩壊と共に舞い上がった土煙の中から姿を現した。
男は元々がボロボロである為、ハッキリとは分からないが、バルガスの攻撃でダメージを負っている様子は一切なかった。
油断していた相手に最強の技を重ねる作戦は見事に成功した。にも拘らずハメた相手はダメージを負う事なく楽しそうに笑っている。
魔王バルガスは生まれて初めて、敵に対して恐怖を覚えた。
そしてバルカスは恐怖に混乱し、男に対してありとあらゆる魔法攻撃を放った。
「死ね死ね死ね死ね死ね」
「かっかっか。拙者を存分に楽しませてくれよ最強」