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要塞アストラと四天王ルンファ5


「海が、鳴き始めたのじゃ」

 船に揺られること二日。帆の頂上でずっと座禅を組んでいたナナは、ゆっくりと目を見開いた。開かれた視線の先には、カモメが数羽飛び回る穏やかな海が広がっているだけだったが、カモメの鳴き声ではない悲鳴をナナは感じ取っていた。

「ニャーお」

 ナナの安定が若干崩れた事で目を覚ましたオーデは、大きな欠伸をしながら辺りを見渡した。オーデの耳には海の鳴き声は聞こえなかった。

「何か、つおいヤツが来るのじゃ」

「ニャーッ・・・」

手を舐め、顔を猫のように擦っているオーデの首根っこを掴んだナナは、そのまま下に向かって飛び降りた。

 猫よりも身軽に、音立てる事無く着地したナナは、オーデの首根っこを掴んだまま船首に足を進めた。船首には二日という時間で真っ白になった、ワタルとエインの姿があった。

「ワタル。何かくるのじゃ」

「ん・・・」

 吐く物などとうに無くなってしまったものの、この場から動く体力もなく横たわっていたワタルは、蒼白の死に顔で反射的に声を出した。

 現在の海は平温そのものであり、敢えて悪く言うのであれば、嵐の前の静けさと言っていいくらいには落ち着いていた。

 まぁ、この程度の揺れですら気持ち悪いけど。

「ワタル。このつおいヤツと遊んでもいいか?」

「はぁ・・・ちょっとまって・・・うぷっ」

 ウキウキのナナとは対照的に、絶不調のワタルは溜息交じりに呟いた。少し声を出しただけで、胃液が駆け上ってきた気がしたが、うぷっとはなっても、レロレロと吐き出される事は無かった。胃の中にはもう胃酸さえ、入ってはいないようだった。

「来たのじゃ」

 ナナはオーデを自身の肩に乗せると、刀の柄に手を添えた。

 刀といっても、それはナナシが使っていた無刀ではなく、武器屋で投げ売りされていた、ただの量産品だった。因みに無刀はというと、フレイヤにとってダントツ最下位の宝として、キビシスの袋に仕舞われていた。

ドシャンッ・・・。

ザザザザザツ・・・。

ゴゴゴゴゴゴゴゴッ・・・・。

ナナが刀の柄に手を添えると同時に轟音が響き渡り、海が大きく二つに割かれた。

前を航行していたガレオン船が割かれた海の中に落下していく。

「おぉ、海を真っ二つにするとか、レベル1なのにかなり凄いぞ☆」

「怖い。帰りたいよぅ・・・」

「本当に、何か来た」

 二つに裂けた海の中心には、二人の女の姿があった。

一人は紫色の肌をした女で、肩程まである髪は綺麗な銀髪をしている。肌色と髪色を除けば人と大差はなく、黒縁眼鏡の奥に見える瞳はあわあわと泳いでいた。イケメンキャラがプリントされた服に、毛糸のパンツは部屋着といった装いで、靴や靴下を履いていなかった。可愛くはあるが、垢抜けないダサさがあり、自身と同じニオイをワタルは感じた。

 もう一人の方は、濃い茶色の肌をしており、髪は銀と紫が入り雑じったソバージュヘアをしている。こちらも見た目も人と大差なく、ヤマンバギャルやガングロギャルといったモンスターに近い。体型はボン、キュッ、ボンで、服と呼ぶにはあまりに面積の小さい布からは、上からも、下からもおっぱいが溢れ出ていた。へそには銀のピアスが填められており、タイトな黒スカートも短く、短いスカートからは虎ガラの下着が顔を覗かせていた。完全なパリピである。

「おいおい、ドラゴンの次は魔人かよ。勘弁してくれよ・・・」

「見なかった事にして、酒でも飲むか?」

「最後の晩餐ってか」

「縁起の悪りぃ事言うんじゃねぇよ」

「俺は逃げるぞ。来月には子供も生まれるんだ。こんな所で死んでたまるかよ」

 海を割き、現れた二体の魔人に対して、船上はパニックに陥っていた。

 ドラゴンを気紛れな天災とするなら、魔人は現れた瞬間に人に害をなす災害として人々は認識している。その為、魔人が目の前に現れたらパニックになるのは普通の事だった。

「そういえば、船に乗る前からそれっぽいフラグは立ってた気はするけど、無理・・・」

 船の移動にありがちなイベントバトルだと思いつつも、今のワタルには立ち向かう体力は勿論、逃げる体力すら残されてはいなかった。せめてもの救いはこの場にナナがいる事と、無責任に倒せと煽ってくる船乗りが一人もいない事だろうか。

「ルンファ様、ビビッてないでもう一発やっちゃえ☆今なら勇者達も全員、一網打尽に出来ると思うぞ☆」

「やだ、むりむり。あたしはもう頑張ったもん。これ以上頑張れないよぅ」

 ルンファはファルの後ろに隠れた。

 海を割くという派手な登場をしたのは、生まれて初めて使用した移動魔法の座標が定まらなかったからで、本来はもっと静かに登場する予定だった。

 静かに登場して、静かに勇者を倒す。それがルンフアの考えたプランだった。

 真壁様と約束した圧倒的強さで勇者を倒せというのは、勇者に反撃の余地さえ与えないというものであり、真壁様が敵を倒す際に行う派手さを真似るつもりはなかった。

 ルンファは自分という者をきちんとわきまえていた。

 そして、派手な登場をした結果として、ルンファは冷静になっていた。

 冷静に部屋に帰りたかった。

 多くの人目に晒され、ルンファはカタカタと震え始めた。

「ここまで来て冗談だろ☆もう一歩も引けないぞ☆」

「なら、ファルがどうにかして。そうだよ、普通ボスの前には前哨戦があるもん。ファルがやられたらあたしも頑張るから」

 ルンファはファルの背中を押した。

「何か、揉めてる」

「ナナのカウンター状態に気付いたのかニャー」

「そんな風には見えないニャン」

「うん」

 ナナのカウンターを恐れているというよりは、人自体を恐れているようにワタルの目には映った。そもそもナナの見た目は可愛らしい幼女だ。刀を所持してはいるが、柄に手を添えているだけで、何かの構えを取っているわけでもない。

 ナナはほげ~っとした状態で、棒立ちのまま立っているだけだった。

この状態がカウンターの待機状態だと理解するには、ナナのカウンターを一度見るか、ミミールの書のように、特別な何かで知る必要があるように思う。それ位ナナのカウンターは分かりにくかった。

「取り敢えず、ナナがこの状態になったら、こっちの出番はないのニャー」

「あの二人と遊んでいいとは、言ってないからね」

 ナナの遊んでいいか?という質問にワタルは、うぷっとなっていたせいで何も答えなかった。結果としてナナは二人と遊ぶ選択を取る事はせず、今の状態に落ち着いていた。

 ナナにもナナシと同様、超好戦的な血は流れているものの、最強馬鹿と違ってナナは素直でいい子だった。ワタルが駄目と言った事は基本的にしないし、何かをする際はワタルに許可を取るようにもなった。

 ナナは素直でいい子に育っていた。

「ナナに遊ばせたら、船が沈むのニャー」

「確かに、それ位あの二人は強いのニャン」

「へぇ」

 海を割いて現れたり、船乗りがやたらと恐れている事から、何となく強い事は分かっていたものの、オーデやエインが認めた事で、相当の強さである事が窺えた。

とはいえ、二人がどれ程の強さであったとしても、ワタルには悲壮も恐怖もなかった。

二人の強さがナナの強さに勝る事は、あり得ないからだ。この場合は、ナナのカウンターに勝る攻撃があるとは思えない。というべきだろうか。

 ナナのカウンターは、攻撃、魔法、アイテム、すべてに反応する。そして発動したら最後、対象者は問答無用で斬り殺される。まさに最強の一撃だった。

 待ちの態勢を取れるナナは、攻撃一辺倒だったナナシよりも、攻略し難い存在に今はなっていた。

『ルンファ、あまり俺様をガッカリさせるな』

「あぅあぅ、真壁様。でも・・・」

 帰宅する為にこっそり空に魔法陣を描いた所で、真壁様の声がルンファの耳に届いてきた。真壁様の失望に対してルンファは、人差し指同士を合わせ、もじもじする。

『俺様が強い女を好きな事は知ってるだろ?』

「う、うん」

『なら、勇者を倒して、強い女として俺様の元に帰って来い。ルンファ』

「・・・分かった。あたしは真壁様の期待に応える」

『格好良く華麗に決めて来い』

「はい。真壁様」

 真壁様に励まされたルンファは、真壁様が映るTシャツに手を触れ、強く頷いた。

 真壁様が見ているのであれば、ルンファは何も怖くなかった。

 ルンファは黒縁眼鏡を外しながら息を吐き、そして、大きく息を吸い込んだ。

「わ、我がなはルンファ。水使いの魔人にして最強の四天王。魔王バルガしゅの命により、勇者の命を奪いに来た!」

 ルンファは船の上にいるであろう勇者に向かって宣言した。

眼鏡を外した為、勇者の姿は見えなかった。

「四天王ルンファ・・・」

 銀髪の魔人による力強い宣言によって、ワタルは魔人の名前と役職そして、倒すべき魔王の名前を理解した。魔王バルガシュ。今になって初めて聞いた名前であったものの、昔馴染みの友人の名を聞いたように、すぐに耳に馴染んだ。

 もっとも、ワタルには昔馴染みの友人など一人もいない為、これはただの物の例えである。実際、魔王の名はバルガシュではなくバルガスであり、ワタルの持つ感性など、いい加減なものだった。

「真壁様の為に消えなさい。水龍が抱く悪夢というナイトメア・ドラゴンファング

 自己紹介を終えたルンファは、息つく間もなく、自身の持つ最大最強の魔法をガレオン船目掛けて解き放った。二つに割られた海が双頭の水龍となって、船に噛み付くように襲い掛かる。

「・・・っ」

 水龍の大きさと迫力にワタルは、反射的に盾を使って身構えたが、ルンファから放たれた水龍が、ワタルや船に喰らい付く事はなかった。

 ナナが、カウンターで一閃したからだった。

 ナナによって斬られた水龍は、雨粒よりも小さく霧散し、ガレオン船に降り注いだが、雨粒が船やワタルにダメージを与える事はなく、通り雨のように周囲を濡らしただけだった。

「ほげ~」

 ナナは雨に濡れながら、先程と変わらない状態でその場に立っている。

 ナナが水龍を斬った事は間違いなかったが、その瞬間はナナの肩で一部始終を見ていたオーデでえ見えてはいなかった。オーデが、ナナが斬った事を理解したのは、ナナが所持していた量産品の刀の刃先が消え、柄がボロボロに砕け落ちていたからだった。

 少しの時間を置いた後、刀を納めていた鞘が二つに裂け、ゆっくりと船内に転がった。

「フレイヤ様が、あの汚い刀を回収した理由が、よく分かるニャー」

「ほげ~」

「あれ、あれれ?あたしの魔法が突然壊れちゃったよ」

「悪魔神官のザッコが言うには、勇者の仲間に、恐ろしく強い戦士がいるらしいぞ☆」

「それってまさか、バルたんを斬り倒した戦士?」

「多分そうだぞ☆」

「そんなの聞いてないよぅ」

「うん。だから今言ったぞ☆」

「うぅ、バルたんが勝てなかった人に、わたしが勝てるわけないよ。もう帰る」

『俺様との約そ・・・』

 真壁様の声が途中で消え、ルンファの右腕と直ぐそばにいたファルが、天を仰ぐようにして、海に向かって落ちた。

「えっ、あれっ・・・」

 続いて、真壁様の顔と体に一筋の線が入り、出来た線からは紫色の血が噴き出した。体が二つに斬られるような事はなかったものの、致命傷を負ったルンファもまた、海に向かって落下した。

ルンファによって割かれた海が、ゴゴゴゴッと大きな音を立てて元に戻り、割かれていた海が元に戻ろうとした事によって、船は大きく揺れ動いた。

「面舵一杯。何だかわからねぇが、船乗りの見せ場だぞオラァッ」

「おおぉおおぉおぉぉお」

「生きて帰るんじゃ」

「あぉ、その通りだ。実は俺、この航海が終わったら結婚するんだ」

「てめぇ、羨ましいなぁ!結婚式には呼べよ!」

「お前等は俺から離れろ。巻き込まれて死にたくねぇ」

「なんだとオラァ」

 船乗り達は騒がしく大きな声を上げ、船が沈まないよう操舵していく。結果、ガレオン船が水底に沈むという最悪な未来は回避され、海の安定と共に船も安定を取り持出した。

「おえっ」

「にゃおえっ」

 船が安定を取り戻す中、大きく揺れ動かされたワタルとエインは、船がカトレアに到着するまでの間、船酔いに苦しめられる事となった。


 世界を廻す歯車がまた一つ、静かに壊れた。


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