プロローグ2 魔法科学者レーフェス
プロローグ2 魔法科学者レーフェス
ユグラシア大陸の中心にある大樹、ユグドラシル。ユグドラシルの幹は天を貫き、根は大陸を超えて海にまで繋がっている。ユグドラシルは世界そのものであり、大樹の求愛によって生を受けた者達は皆、不思議な力をその身に宿していた。
力の名は魔法と呼ばれ、ユグドラシルから生成されるマナを媒体に、魔法は様々な現象を生み出す事を可能にした。
ユグラシアは魔法のある、魔法によって支えられた、魔法の国である。
しかしある科学者は言う、ユグラシア大陸にあるユグドラシルは、本物ではないと。
自身を含めて魔法を使えない者が存在する事と、魔法の国でありながら科学が発展した事が、その理由だと言う。ユグドラシルが本物であるなら、その世界で生を受けた者は皆平等に魔法使いであり、科学が発展する要素などあってはならないと。海で生まれた魚が、泳げない事はあり得ないし、エラではなく肺呼吸をする理由もまたおかしいと、簡単に言うとそういう事らしい。
では、本物のユグドラシルは何処にあるのか。
この世界にはないというのが、科学者の見解である。
「魔法が使えたら、科学は発展しない、か」
確かにその通りなのかもしれないと、レーフェス・ラミア・マルクルスは思う。魔法は万能だ。どのくらい万能かと問われたなら、生きていく上で何一つ不便が生じない位には、万能であるといえる。しかし、魔法が万能だとレーフェスが認識できているのは、科学者である祖父、ガイール・レオ・マルクルスが、一切の魔法を使えない、不便な者であったからに他ならない。
ガイールは本を探す際に手と足を使う。しかし、レーフェスはマナを使って、本という情報そのものにアクセスをする。
ガイールは料理を作る際に、包丁やまな板を使う。しかしレーフェスは出来上がった料理を魔法で出す事が出来た。栄養成分などは知らないが、魔法使いが生きていく上でもっとも必要なものは、ユグドラシルから生成されるマナである為、ガイールが作る料理よりも、マナを根源とするレーフェスの料理は、ある意味栄養満点ともいえる。
水中を自由に泳げる魚が陸を求めないように、ユグラシアが魔法使いだけでの国であればきっと、科学は求められなかった。なぜなら魔法は万能だからである。
科学は不便から発展していくとは、ガイールの言葉であり、この言葉通りガイールは科学を発展させた。
そしてこの発展は、ガイールが魔法使いであれば無かったものであり、ガイールという異端者が居たからこそ、今もなお、異端者達によって発展し続ける技術でもあった。
レーフェス達は海を優雅に泳ぐ魚で、ガイールは溺れながらも陸へと駆け上がった魚。姿は同じでも、中身も生きていく環境も違う。そして環境の違いを、ガイールを通して魔法使い達が認識した事で、魔法使い達にある危機感が生じた。
魔法は万能だ。魔法使いだけの国であれば、その万能に気が付く事もなく、発展も衰退もしないまま、世界は回り続けていただろう。しかし、万能を持たない者が現れ、別の万能を作ろうとしているとなれば、発展と衰退は嫌でも顔を覗かせる。そして万能を持った者は思うはずだ、魔法は万能だが、果たしてそれは、永遠にあり続けるモノなのだろうかと。
実際、ユグラシアには魔法を使えない者が意外と多くいる。大体百人に一人といった割合だ。この割合がこれから先、増えていくのか減っていくのか、レーフェスには分からない。恐らくはガイールの意思を継ぐ者が、調べていく事になるのだろうが、それでも統計として算出されるのは、もう少し後になっての事だろう。
無論、統計が出てからでは手遅れとなる可能性もある。だからこそ、結果が出るよりも前に、魔法使い達は既に動き始めていた。
魔法使い達は、魔法を科学する事を始め、本物のユグドラシルを探す作業を今は行っている。ユグドラシルのある世界、そこが魔法使いにとってのユートピアであるとの結論に至ったからだ。
「あっ、お~いレーフェ~」
「あらモコ。久し振りね」
一介の学生が考えるには大き過ぎるが、ガイールの孫として考える必要のある問題について、レーフェスが考えていると、桃色の髪と桃色の瞳をした少女モコ・コ・ブランスが、教科書を抱えたままレーフェスに駆け寄ってきた。
この場が学園と呼ばれる場所であると同時に、研究所と呼ばれる場所である為、モコは制服と呼ばれる学生服と、その上には白衣を着ている。右腕には、レーフェスがプレゼントした、∞を描く形をした銀のブレスレットが填められていた。
モコはレーフェスの幼馴染だった。
「久しぶり~。直接会うのは、一か月振りくらいかな?」
「厳密には、32日と4時間ぶりね。元気してたモコ?」
「もちもち。超元気だよ~。レーフェはどう?」
「えぇ。勿論元気よ」
偶然の再会と言う程、大げさなものではないが、魔法科学を専攻しているレーフェスと、科学を専攻しているモコとでは、学園での接点は殆どない為、まずは久々の再会に手を取り合って喜んだ。
「そっか~。良かった良かった」
「何か、面白い事は発見できた?」
「ぜんぜ~ん。今は、ガイール博士の天才振りを、痛感してる所」
「彼を天才だと理解出来ているモコなら、すぐに凄い発見が出来るわよ」
「ガイール博士が天才って事は、魔法使いが魔法を使える事と同じ位、当たり前の事だからな~」
「天才と知っている事と理解している事は違うわよ。彼が天才だったのは皆知っている事だけど、どれ程の天才であるかを理解している者は、一握りもいないもの」
モコはそこを理解する数少ない科学者である事を、レーフェスは理解している。モコはまさに、ガイールの意思を継ぐ者だった。
「まぁ、うん。でもそれでも、レーフェみたいな、新徒が魔法を使えるような、そんな発見はやっぱり難しい」
「あれは魔法科学の分野で、科学とは関係ないわ」
新徒とは、この世界において魔法使いでない者を指す言葉であり、ガイールの意思を継いで科学を専攻しているモコは、ガイールと同じ新徒だった。
「同じだよ~。一流の科学はまるで魔法のようだ。レーフェの納める魔法科学は、多分そういうものだもん。門を開く、大掛かりな実験もそう。・・・新世界調査、レーフェもやっぱり参加するの?」
モコは笑顔で言った後、一拍置いてから、次は真剣な口調でレーフェスに質問した。
「うん。新世界調査には参加する。マルクルスの人間には参加する義務みたいなものがあるもの」
「家系がアレだと、大変だね」
「大変だけど、面白くはあるよ」
マルクルスの家は、ユグラシアにおいて恐らく最も有名な家系の一つに数えられる。祖父のガイールが、科学を発展させた事も一つだが、ガイールが科学できたのは、ガイールの祖父、ダン・マルチ・マルクルスがユグラシアの王であった事に他ならない。
ガイールが科学に力を入れられたのは、王であるダンと血が繋がっていたからであり、科学者ガイールの言葉が、魔法使い達の耳に届いたのもまた、王の血族であったからだった。今でこそ、マルクルス家が国を治める事はなくなったとはいえ、それでも王族の家系である事に変わりはなく、依然として強い発言権を所持していた。
ユグラシアに学園と呼ばれる場所を作り、魔法使いや新徒に、魔法や科学を学ばせようと考えたのはダンであり、ガイールの作り上げた定理に魔法を組み込み、魔法科学なるものを最初に発展させたのもまた、ダンだった。
ユグラシアにあるユグラシア学園は、魔法のない世界に対する備えと、魔法使いにとってのユートピア、リアル・ユグドラシルを見つけ出す為の、二つの役割が義務付けられた施設だった。
「はぁ、レーフェが居なくなちゃったら、私も魔法を使えなくなっちゃうわけか~。ざんね~ん」
「その実験はしていないから分からないけど、多分そうなってしまうわね。って、残念がるのはそこなのね。泣いちゃうよ?」
「冗談冗談。寂しいに決まってる。レーフェは私の恩人だもん」
「ありがと。ただ、モコが魔法を使った所、見た事ないけどね」
「私は、科学者だから。でも使わないのと使えないのは、やっぱり違うよ」
「そう、かもね」
「モコっち~、そろそろ授業始まるよ~」
「今行く~。じゃ、そろそろ行くね。必ず帰って来てね。約束だよレーフェ」
「うん。モコも頑張って」
モコは教科書を抱えたまま小走りで、友人達のもとに駆けて行き、しばらく進んだ後振り返って、今度は大きくこちらに向かって手を振った。手を振るモコの右腕にはレーフェスが五年前にプレゼントした、転輪という名の銀のブレスレットが輝いていた。
転輪はレーフェスが開発した、新徒であっても魔法が使えるようになる道具の名称だ。
レーフェスの専攻は魔法科学であるものの、ガイールの科学定理についてレーフェスは、ガイールという誰よりも定理を理解した人物に、みっちりと英才教育を施されていた。
この英才教育によって、ガイールと同じレベルで議論を交わせるようになったレーフェスは、ガイールの定理の一つが、間違いである可能性に気が付いた。
魔法使いを魚に例えた場合、泳ぐという行為は、魔法を使う事であり、エラ呼吸はマナを扱う事を意味する。しかし、ガイールの定理では、新徒という魚は泳げない事は勿論、呼吸もできない事を示している。
これは、魚に例えているため、おかしくなっている可能性もあったが、魚に例えたからこそレーフェスはその違和感に気が付いた。なぜなら、ユグラシアはマナに満ちた世界であり、マナを扱えないという事は、エラ呼吸できない魚同様に、生まれ落ちた瞬間に死んでしまったとしても、けしておかしくはないからだ。
この事から新徒は泳げこそしないが、エラ呼吸は出来ているのではないかと、レーフェスは考えた。そして、この理論に基づき出来上がったのが、魔法と科学を融合させた装置、転輪だった。
転輪の理論はとても単純だ。新徒は、エラ呼吸は出来ているが泳ぐ事が出来ない。だからレーフェスという泳ぎの達人が、新徒の腕を引っ張って、一緒に泳ぐといった、最初はそんな装置だった。
転輪によって、モコは魔法を使う事を成功させ、レーフェスの理論が間違っていなかった事はすぐに証明された。新徒は泳ぎ方を知らないだけの魚であり、海で溺れる事はないと・・・。
たった一つの成功例から、そんな短絡的な答えをレーフェスは導き出した。
レーフェスは、ぐっと手を握り締める。
科学の発展には犠牲が付き物だ。とはガイールがレーフェスに残した最後の言葉だ。
レーフェスが導き出した定理は、恐らく間違ってはいない。ただ、合ってもいなかった。いや違う。合ってはいたが、レーフェスはアプローチの仕方を間違えた。
ユグラシアに住む人間は魔法使いであれ、新徒であれ、皆マナは扱える。レーフェスが間違ったのは、新徒が泳げないという事実を、甘く考えた事にあった。
レーフェスは魚に例えるならば、誰よりも泳ぐ事を得意としていた。だからこそ、誰よりも泳ぎの上手いレーフェスが手を取ったならば、泳げない新徒も、大海で泳ぐ事ができるとレーフェスは勘違いした。
勘違いした結果としてこの、実験といってもいい方法で、モコは泳ぐ事に成功し、祖父ガイールは、マナの大海で呼吸が出来ずに溺れ死んだ。
これはガイールが、エラ呼吸の出来ない魚であった為に起きた事故ではない。これは、レーフェスの泳ぐ速度に、ガイールが自由を奪われた為に起こった事故だった。
転輪には、リードを付けた大型犬に、飼い主が思い切り引っ張られ続けるような、そんな欠陥があった。しかも、リードからは手が離せない。犬は飼い主が転んでも、おかまいなしで走り続けるといった、おまけ付きだ。
モコにプレゼントした転輪は、欠陥が修正され、本当に泳ぎをサポートするような、そんなレベルでの安定が施されている。最悪の不便が、科学を発展させた結果だった。
「新世界調査は、マルクルスにとっての義務か・・・」
モコに言った言葉を思い出し、レーフェスは苦笑した。
この言葉は偽りだ。むしろ王族であるマルクルス家にとっては、もっとも縁遠いモノと言ってしまってもいい。事実、新世界調査に名乗りを上げたのは、マルクルスの家系においてはレーフェス一人だけだった。
新世界に繋がる門はまだ不安定で、命の保障はなく、門の先にリアル・ユグドラシルがある保証もない。寧ろない可能性の方が高いといえる。そんな、安全や保証だけでなく、命の保障さえない事を、王族が進んでするはずがなかった。
レーフェスが進んで名乗りを挙げたのは、家系どうこうではなく、門の制作にレーフェス自身が深く関わっているからに他ならない。
科学の発展に犠牲は付き物だとガイールは言った。しかしレーフェスは、それを是とはしなかった。
危険な実験において、普通制作者自らが参加する事はない。ガイールの言う通り成功も失敗も製作者が観測しなければ、次に繋げる事が出来ないからだ。
転輪が今の形に発展したように、失敗を起こした場合、科学者は失敗を分析し、次に繋げるための責務を負わなければならない。理論を最も理解している者が亡くなれば、実験そのものが停止するか、場合によっては無駄死になる可能性すらあるだろう。
科学者はそういった理由で、自らを実験体に選ぶ事はしないし、周りも止める。実際レーフェスの新世界探査は、マルクルス家は勿論、門の制作に携わったチームの誰一人として賛同してはいなかった。
科学者として責任を全うするのであれば、貴女は行くべきではない。
これがチームの回答だった。
門にはレーフェスが今持てるすべての技術が詰め込まれている。魔法生物などのモルモットが、異世界から鉱物を持ち帰った実績もある。しかしそれでも安全は保障されていない。
科学者にとっての偉大なる一歩とは、異世界に足を踏み入れる事では決してない。足を踏み入れた者を観測し分析し、その時に生じた不便を元に、科学を発展させた遥か先に存在している。
科学者にとっての偉大な一歩とは、後からアレがそうだったのだと、気が付くものでなければいけないのである。
こんな事は言われずとも、レーフェスは理解している。門について最も詳しい者がレーフェスである以上、行くべきではない。魔法生物の帰還率は30%で、マナのない世界の観測もなされている。マナ分布が濃い世界を選ぶよう、門を調整したとはいえ、それでも門の気分次第では10%以下の確率で、マナのない世界に繋がるし、それは避けようのない事実だった。今回の異世界調査でその10%を引いたなら、門を通った瞬間に死が待つか、良くてユグラシアへの帰還が不能の状態に陥る。
簡単に言ってしまえば、門を通った瞬間に調査の失敗が確定する。
それでもレーフェスは、門を通る最初の魔法科学者である事を望んだ。レーフェスはリアル・ユグドラシルを探す魔法科学者であると同時に、ガイールの意思を継ぐ科学者でもある。門の先に例えマナが無くとも、ガイールが残した理論に間違いがなければ、例え戻って来られずとも、レーフェスが死ぬ可能性はかなり低かった。
レーフェスは科学者としてガイールの実験も、新世界調査に密かに加えている。そして、ガイールの理論にならば、例え殺されてしまったとしても、それはそれで本望だった。
「レオぽんの調子はどう?」
門のある研究室に入り、レーフェスは早速質問する。レオぽんとは、ガイールのミドルネームをもじってレーフェスが名付けた門の愛称だ、その為、門が猫科の形をしているわけでも、可愛らしく着飾っているわけでもなかった。レオぽんは空間であり、装置を作動させなければ見る事さえ叶わない。
「いつも通り、きちんと不機嫌」
レーフェスの質問に、ユグラシア学園において最年少であり、レーフェスがもっとも期待を寄せている仲間の一人、アルシャ・リード・リートが眠そうな声で答える。
左右に適当に束ねられた金色の髪に、眠いのかやる気がないのか、常に半開きの状態になっている金色の瞳。体の小ささを物語るように、白衣はぶかぶかであり、椅子からブラブラと揺れる足は、床から20センチ以上離れていた。
「レオぽんを宥められるのは、レーフェス博士だけですからねー」
続いて、やる気のない天才、セト・コーポ・デュランダルが、椅子の背もたれにぐっと背中を預けながら、アルシャの後に続ける。青色の髪に青色の瞳。ピシリと糊の張った白衣は、汚れ一つない。口調からいかにも不真面目そうな印象を受けるが、白衣や無駄なく整えられた、デスク周りからも真面目な人物である事が伺える。実際セトは、やる気はないが真面目な科学者ではあった。
「この子の宥め方は、きちんとレポートに記したと思うけど?」
報告の通り不機嫌であるらしく、装置が作動していても、見ることさえ叶わない状態にあるレオぽんを視界に入れつつ、レーフェスはアルシャとセトに、問い詰めるように質問する。
「読んでたら、毎回寝落ち。難し過ぎる」
「僕も半分理解出来たらいい方って、感じですかねー」
「そんなので、一週間後は大丈夫なの?」
仲間達の何とも府抜けた意見に、レーフェスは少しばかり心配になった。
「レオぽんは責任を持って、レーフェが宥める」
「僕も、それがいいと思いますねー。よく分からない物を操作して、失敗の責任は取りたくありませんしねー」
「はぁ、貴方達がそんな態度だと、ますます行くしかなくなるわね。知っている?人も動物もある程度集まると手を抜く者が現れるの。働きアリでも三割は何もしないと言うしね。でもそこから働いている者を排除すると、手を抜いたり、働かなかった者がせっせと働き始める。私が居なくなれば、きっと貴方達は、誰よりも働くのでしょうね」
レーフェスはやる気のない仲間二人にそう言って、レオぽんの宥め作業に入った。
今二人に掛けた言葉は、レーフェス自身にも当てはまっていた言葉だった。ガイールという万能がいた為、レーフェスは時折り何も考えずに、ガイールの言う事に「うんうん」と知った風に頷いていた。難しい事の答えは全てガイールが持っていた為、レーフェスには考える必要がなかったからだ。勿論この事は、ガイールにはすぐに見抜かれ、レーフェスは長い説教を受ける事になったのだが、それでもガイールへの依存は、ガイールが亡くなるまで、レーフェスの中から消える事はなかった。
ガイールという万能の死は、レーフェスの科学を何十歩も前に進展させた。進むしかなかったともいえる。ガイールという万能を殺したレーフェスには、自身がガイール以上の万能になる以外の方法で、自分自身を許す事が出来なかった。
勿論、こんな重いものを仲間に背負わせるつもりはないが、科学とは多分、そういうものだとレーフェスは思う。例え死ななくとも、レーフェスがユグラシアから居なくなる事に変わりはない。そこで生じた不便は、ユグラシアに居る誰かが、補っていかなくてはならないのである。
「レーフェは、死にたい?」
「アルにはそう見える?」
アルシャの質問にレーフェスは質問で返した。確かにレーフェスは他人から見れば、死にたがっているように見えなくもない。ガイールの理論を異世界で試そうとしている行為などは、死に対する免罪符を得ようとしているようだと言われても、否定はできなかった。
「ん~微妙?」
「その答えが多分、正解かな。私は死にたいわけじゃないけど、死んでも構わないとは思ってる。レオぽんは私の創った子供みたいなものだから、駄目でも後悔は多分しない」
「その子に、他人を殺される方が、後悔する?」
「レオぽんは危険な子で、その危険性は誰よりも私が知ってる。だから、そうね。後悔はするわ。私は私の作った科学で、誰も傷付いて欲しくはないもの」
科学の発展に犠牲は付き物だ。そう言った祖父ガイールの言葉を、レーフェスは理解している。しかし、レーフェスの科学発展における、最初の犠牲者がガイールであったレーフェスには、犠牲を元に発展する科学は、認めたいものではなかった。犠牲もなく発展する、綺麗事の理想論の科学こそが、レーフェスの求める科学なのである。
「科学者として、レーフェス博士は失格ですねー」
「えぇ。だから私は、魔法科学者を選んだのよセト」
レーフェスが魔法科学を専攻しているのは、魔法科学という分野が殆ど開拓されていない、未開の分野である事も理由の一つとしてあった。開拓されていないのであれば、ガイールがそうであったように、道を創った者がルールとなるからだ。
レーフェスにとって魔法科学とは、綺麗事を追及する事が可能な分野だった。
「でしたねー。ですが僕は、科学も魔法科学も根本は同じだと思いますけどねー」
「あら?つまり私は、魔法科学者としても既に失格だと、セトはそう言いたいの?」
「僕の暴論で、第一任者を失格だなんて、言えるわけありませんよー」
「言わないだけで、失格とは思っているという事ね」
「僕が嘘を吐けない事を知っていて、そういう追い込みの仕方は、勘弁してもらいたいですねー」
「だから、追い込んでいるのよセト」
レーフェスは「ふふふ」と笑みを浮かべた。
「酷っ。レーフェスがモテない理由、ここに見たりって感じだわん」
「モテる必要を感じた事がないから、サエコの見た理由に意味はないわよ」
レーフェスは横からちゃちゃを入れてきた、サエコ・キリシマを見た。ユグラシアでは珍しい、黒の髪と瞳をしている。全体的に少しふくよかで、そばかすが目立つ。白衣を着ているが、研究者というよりは、ベテラン看護士のように見える。
「すぐにそういう強がりを言うのも、モテない理由だわん。まさかレーフェス、この世界じゃモテな過ぎるから、異世界に行くつもりなのん?言っておくけど、あんたがモテない理由はどう考えてもあんたが悪いから。淡い期待を込めるのは止めた方がいいわよん」
「そんな理由でこの世界を旅立とうとしているのは、サエコだけよ。だからそのまま、今の言葉は返しておくわ」
サエコはレーフェスの他に唯一、魔法科学者の中から異世界探査に名乗りを上げた人物だ。その理由はサエコ自身がレーフェスに言った言葉の通りなのだが、サエコはリアル・ユグドラシルのある世界など、一切目指してはいなかった。サエコが目指している世界は、ただ自分自身がモテる世界。自身の欲望に忠実なサエコは、ある意味でもっとも科学者らしいと言えた。
「サエコさんがモテないのは、どう考えても周りが悪いのよん、だから、異世界に行けば結果的に、そうなる事はあるかもしれないわねん。ううん、ならないと困るのはサエコさんかもしれないわねん」
「サエコ、素直」
「素直な性格だけだったら、モテるタイプなんだけどねー。あっ、今の言葉に責任は取らないので悪しからず」
「セトが責任を取れば、サエコもわざわざ危険な旅行に出ないかもしれないのにね」
「そうよ。止めるなら今だわよん。というか、一回くらい止めなさいよ。レーフェスは何度も止めたくせにん」
サエコはドンドンと地団太を踏みながら、セトを恨めしそうに睨んだ。
ちなみに、こんな事を言うサエコが、セトの事を好きかと聞かれると決してそんな事はなかった。サエコは危険な事を男に止められてしまう自分。という存在に酔いたいだけで、止めてくれるのであれば、誰でも良かった。そして、セトを含めてこの場にいる研究員は皆、サエコがそういう人物である事を知っている為、冗談でもサエコを止めようとする者は一人としていなかった。レーフェスとは違い、サエコは止めたら止まる為、皆、言葉に責任を持てないのである。
「レーフェス博士が居なくなると、僕の仕事が増えちゃいますからねー。だからレーフェス博士は、ドタキャンもありですからねー」
「おい、私を止めろよん」
サエコの悲しい叫びが研究室に響いた。
処女を捧げる乙女のように体を清め、すべての準備を整えたレーフェスは、レオぽんの前に立っていた。ユグラシアからレオぽんを通って、異世界調査に向かうのは、レーフェスとサエコの魔法科学者二名に加え、好奇心旺盛な貴族が一名に、名誉欲を欲する魔法使い二名の、計五名となる。
目的地(レーフェス的には目標地と言い換えたいが)は、リアル・ユグドラシルのある世界である為皆、荷物は少なかった。いや、荷物という言葉に該当する品物を持った者は、レーフェス以外にはいなかった。
レーフェスはガイールが使用していた二本の羽ペンにノート、自分用に調節した転輪、そして、ユグドラシルの枝を所持していた。ガイールの羽ペンとノートはお守りとして。転輪はこの世界へと帰ってくる為と、マナのない国でも生き延びられるようにする為。ユグドラシルの枝は、マナのある世界に渡る可能性を1%でも伸ばす為だった。他にもいくつかのアイテムがリュックの中に入っているのだが、これらは当然、万が一に備えての事である。
「レーフェス博士。レオぽんは予測通り安定期に入りました。いつでも大丈夫です」
真面目な時は真面目なセトからの報告を聞き、レーフェスは少しだけいつもよりも深く息を吸い込んだ。
「今日に至るまでの経緯や、理論に関する事は、説明会で何度も語ってきたため、今は難しい事はなしにして、簡潔に言葉を述べたいと思います。今日私達は、魔法使いとしても科学者としても、大きな一歩を踏み出そうとしています。この一歩は今と遥か未来を繋ぎ、リアル・ユグドラシルへと続いていきます。皆様の勇気に感謝し、この実験の成功を持って私は、再び皆さまに感謝を伝えようと思います・・・」
レーフェスは短い演説を終え、すっと目を閉じた。この一歩はリアル・ユグドラシルに続く偉大な一歩だ。しかし、この一歩の偉大さが証明される事になるのは、きっと遥か未来の事であるとレーフェスは考えていた。
道はリアル・ユグドラシルに続いている。続いてはいるが、今ではなかった。
マナ濃度99・99%の世界、リアル・ユグドラシル。その場所はきっと今、到達できたとしても、魔法使いのユートピアになる事はない。レーフェスが算出したユグラシアのマナ濃度は58・67%。ここから更に40%以上高いマナ濃度の世界は、マナの扱いに慣れた魔法使いといえど、耐えられるかどうかは未知数だった。いや、寧ろレーフェスが予測するのはガイールのように、マナの激流に飲み込まれる魔法使い達の姿だった。
だからこそ、レーフェス達が最初の一歩として目指すべき世界は、ユグラシアのよりもほんの少しだけ、マナ濃度が高い世界でなければならなかった。
「セト、アル、始めて頂戴」
「はい・・・本当に行かれるのですね」
「えぇ」
「返事は、ないままですか?」
「聞きたかったら、どんな世界に流れたとしても、私をきっちり見付けだす事ね」
「相変わらず、ずるい人です」
「レーフェ、レオぽんが口を開ける」
「私達の旅に祝福を」
レーフェスは口を開けた(といっても黒い球体が縦に伸びただけだが)レオぽんの中に足を踏み入れた。レーフェスの後ろにはサエコを含めた、四人の旅行者が続き、レーフェスが予想した通り、レオぽんの中は予期せぬ侵入者によって、不安定な状態に陥った。
後はレオぽんが侵入者を吐き出す先が、何処に繋がっているかだが・・・。
レーフェスはユグドラシルの枝を掲げ、四人の旅人に魔法を掛ける。これで少しはユグドラシルのある世界に吐き出される、或いは引っ張られる確率が上がった事だろう。
そしてレーフェス達は、元居た世界とは別の異世界に引っ張り込まれた。
『永久を貫く腕そして永遠を繋ぐ瞳』
耳障りで気持ちの悪い声を聞いたのは、まさにその時であり、レーフェスだけが、四人とは全く別方向の世界に引き摺り込まれた。