犬猿雉、そして蛇
このままでは話が進まないどころか後退しかねないので、字森が簡単に事情を説明する。かくかくしかじか。
黙って説明を聞いていた犬井は、字森が口を閉じたタイミングで、腕を組んでつまらなそうにベンチに寄りかかった。
「なるほど、つまりあたしを犯人だって疑ってる訳ですね?まあ確かにあんたの部室を爆破出来るもんなら100回だってしてやりたいけど、残念ながらこっちだって暇じゃないんです。演劇部は実質運動部、毎日の練習が欠かせないんですから。あたし、これでも演劇部の総監督なんですよぉ?他の部員さんに聞いてみてください、ちゃんとアリバイがあるはずですから」
存外まともな回答に、字森はむしろ面食らった。激昂してまた会話が脱線するかと思ったが、流石は総監督と言うべきか。思いの外冷静のようだ。……最初からこの調子だったらもうとっくに話が済んでいたのに…。
ーーと、ふいに彼は、筆崎のある発言を思い出し、首を傾げる。
「あれ?そういえば理花、君恨まれる心当たりがある人間が2人いるって言ってなかったっけ?」
「そうね。まあ今の時点でほぼ当てが外れたようなもんだけど」
「それってどういうーー」
字森が筆崎に尋ねたその言葉に被せるように、後ろから足音が響いた。
「やあ、文芸部の筆崎さんと字森くんじゃないか。フッ、ご歓談のところ申し訳ないが、うちの総監督をそろそろ返してくれないかな?彼女と今日の打ち合わせをしたいんだ」
「先輩さっき『うげぇっ文芸部!朝から最悪だな!』って言ってたじゃないですか。なんでわざわざカッコ良さげに言い直したんですか?見栄ですか?幻滅しました」
「なんでバラすんだ雉川ァ!!!!」
現れたのは、演劇部部長の申瀬真琴とその後輩の1年生、雉川悠貴だった。小柄な申瀬と背が高くしっかりした体格の雉川は行動を共にすることが多く、凸凹コンビとして校内でも有名だ。胸を張りドヤ顔をしながら登場した申瀬の後ろに、控えるように雉川が着いてきている。
「部長〜、聞いてください酷いんですよぉ〜!あたしこの人たちに疑われててぇ〜!」
「僕がヘチマサイダーを買いに行ってる間にとんでもないことが起こってんじゃん…。コホン、もちろん演劇部部長として、弱小部の言いがかりなど一笑に付して」
「あっ申瀬さん、こないだの部長会議ではどうも。理花が迷惑かけてませんか?」
「えっ、い、いや、ご丁寧にどうも…。筆崎はそういう生き物だと理解してるんで、その、大丈夫っす…」
「先輩あんなに上から目線で出ていったわりに相手がちゃんと挨拶してきたから戸惑ってるんですか?恥ずかしくないんですか?」
「お前マジでお前」
雉川が息をするように先輩を煽るので、筆崎が口を挟む隙がない。再び騒がしくなってきた中庭に、予鈴のチャイムが鳴る音が響いた。
「うわっまだこの2人には何も聞いてないのに!というか理花、恨まれてるのって2人じゃなかった?犬井さん含めたら3人になるんだけど」
「私が恨まれてんのは犬井と申瀬よ。そこの1年生とは特に関わりはないわ。あ、ちなみに申瀬は多分あれね、元々演劇部と文芸部は仲悪かったんだけど、ちょっと前に犬井が申瀬に絡んでるのを見て『猿がポメラニアン飼ってる…』って言っちゃったのが決定的だったんでしょうね。あと先月ボム仕掛けた」
「いつか刺されるからなお前!」
「いつか刺しますからねあんた」
「自分も噂でそのエピソード聞きましたよ。あれは俺の表情筋も流石に緩みました。実際の現場を見ていたら爆笑必至でしたね」
「僕がお前に何をしたっていうんだ雉川…」
「雉川くんいつか刺されますよぉ…部長に」
いまいち犯人に繋がる手掛かりは得られなかったが、予鈴も鳴ったことだしそろそろ教室に戻るべきだろう。演劇部総監督の犬井ねねの証言を信じるなら、同じく部長の申瀬にも犯行は難しい。演劇部は文芸部と違って大所帯だ。もし不審な行動を取れば、他の部員に怪しまれるだろう。詳しいことはまた次に会ったときにでも聞くとして、ひとまず撤退しようと一行が踵を返した、その時。
「あっ…ふ、筆崎、さん…?」
朝練を終えた生徒たちがぞろぞろと出てくる体育館。彼らに混ざって中庭を通り過ぎようとしていた1人の女子生徒が、筆崎の顔を見て立ち止まった。
悪態を吐きつつ解散しようとしていた演劇部の3人も、少し怪訝な顔をして動きを止める。
「ん?あの子って確か」
「2組の蛇野さんじゃないですかぁ?あたしが演劇部に勧誘したんで覚えてますよぉ」
「先月入部した先輩ですか。俺はあまり話したことはないですね」
ひそひそ小声で話す演劇部員たちを尻目に、筆崎が嬉しそうに蛇野と呼ばれた生徒に駆け寄る。字森も、慌てて彼女の後を追いかけた。
「舞!久しぶりね!あの後あんまり会わなくなったから心配してたわ。最近の調子はどう?」
「え、う、うん、順調だよ。筆崎さんは、えっと、どう…かな…?」
「高野豆腐1ダース食べられるくらい元気よ」
「こ、高野豆腐…?」
和やかに挨拶する2人を蚊帳の外状態で眺めながら、字森は密かに複雑な心境になっていた。
蛇野舞は、2ヶ月前まで文芸部員だった。
つい2ヶ月前に、自主退部したのである。退部した理由について、彼女は「バイトを増やしたせいで部活をする時間がなくなった」と述べていたが、それ以来気まずさ故かめっきり顔を会わせなくなっていたのだ。
「久しぶりだね、蛇野さん。えっと、バイト増やしたって聞いたけど…無理してないかな?」
字森がなるべく追い詰めるような言い方にならないように気を遣いながら、できる限りの柔らかい口調で問う。すると、字森に気づいた蛇野がわかりやすく目を泳がせた。
「そっその、私、バイトはもうやめてて…えと、欲しかったものも買えたし、今は特にお金に困ってる訳じゃないから…だから、その、暇そうにしてた私を、先月、犬井さんが演劇部に誘ってくれて…」
ーーバイトを増やしたのでもう文芸部で活動は出来ない、と言った彼女の言葉を、我ながら性格が悪いとは思いつつも、実は字森は嘘ではないかとずっと疑っていた。そして今、それが確信へと変わる。
あまりにも取ってつけたような、言い訳じみた彼女の台詞。字森に話を振られて焦ったのは、自分でも疚しいところがあると自覚しているからだろうか。
彼女が文芸部に入部したのは1年前…字森が入部するよりも前だった。彼女は字森と同学年だが、文芸部員としては先輩だったといえる。蛇野舞は大人しい生徒で、いつも図書室に入り浸っていて、本が好きで…筆崎とも、仲が良かった筈だと、字森はそう記憶している。
しかし、2ヶ月前、彼女は急に部活を辞めた。…否、「急に」とは言えないかもしれない。ずっと、その予兆はあったのだ。本が好きで、自身もいつか作家になるのが夢なのだと…そうはにかんでいた彼女は、いつしか部活中に、時折強張った顔をするようになった。それがなぜなのかはわからない。しかし、その後逃げるように辞めてしまったことと、きっと無関係ではないはずだ。
「そっか、あなた演劇部に入ったのね。大丈夫?いじめられてない?気をつけてね、あそこの部長と総監督はゲームで例えるならば始まりの村のボススライムよ。スライムはスライムでもかなり強くてしぶといタイプだから、始まりの村だからと油断した旅人を容赦なく餌食にするわよ。負けそうになったらいつでも呼んでね。すぐ飛んでくわ」
「あんたいつか絶対刺す!絶対刺すからね!!!!」
後方から罵声が飛ぶが、筆崎には気にする様子もない。ただただ嬉しそうに、蛇野へ向けて微笑んだ。
「さっきも言ったけど、心配してたのよ。急に辞めて、会うこともなくなって…ううん、今はそんなこといいわ。ただ、これだけ言いたかったの…また話せて、嬉しい」
「ーーーーーーーーー」
その時の蛇野の顔は、字森からは見えなかった。しかし、何も言わずに立ち去った彼女の横顔はーー文芸部を辞めた時と同じ、強張った顔をしていた。
あと2話ほどで完結を予定しています。