ポメラニアン
思考を止めて読んでください。
市立爆煙高校は、その名になんら恥じることのない、火薬と爆音の絶えない学園である。生徒たちは時には喧嘩の延長、時にはイベントの景気付け、そして時には大した理由もなく、日々火薬を炸裂させることに精を出していた。爆破された学舎はなぞのちからでいつの間にかスッ…と直っているのでなんの気兼ねもなく導火線にマッチを近付けられる。そこがこの学校の唯一の長所なのだ。
さて、この爆煙高校は、生徒の部活動に力を入れていることでも有名だ。1年間で最も成果の出せた部には、大量の部品と爆薬が与えられる。一方思わしい成果の出せなかった部は、1年間少ない部費をなんとかやりくりする羽目になるのだ。ーーそのため、必然的に生徒たちは。
血で血を洗い、爆音を爆音で搔き消すような小競り合いを、競合する部を相手に繰り広げることになるのである。
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文芸部一行がやってきたのは、体育館だった。早朝にも関わらず、体育館にはランニングをするバトミントン部と朝練をする卓球部、そしてステージ上で発声練習をする演劇部の生徒たちで活気付いていた。
市立爆煙高校は部活動に力を入れているだけあって、部活の数自体も多い。その為部室や活動場所不足が頻繁に起こり、この体育館のように複数の部活が分割して活動することも珍しくない。ちなみに文芸部は、「汚いボロい脆い」の三拍子が揃っていることで有名な旧校舎3階端の美術準備室を使用しているため、今のところ他の文化部と活動場所について揉めたことはない。本校舎と渡り廊下で繋がっているので結構便利、とは筆崎の弁。
「頼もーーーーーーーーーーーー!!!」
筆崎が声を張り上げた。体育館中の視線がこちらに向く。大体の生徒はヤバい奴とは関わり合いになりたくない精神からサッと目を逸らすが、1人だけ、人混みを掻き分けてずんずんとこちらへ歩んで来た。
「あれぇ〜?誰かと思えばぁ、カビ研究部の筆崎さんじゃないですかぁ〜?こんなところまで何しに来たんですか?あっもしかしてぇ、カビ研究部クビになっちゃいましたぁ?」
開幕からかっ飛ばした挨拶をしてきたのは、演劇部員の犬井ねねだった。緩くウェーブした肩までの髪に、指先までを隠すいわゆる萌え袖カーディガン、校則ギリギリアウトの膝上スカートと、「女子から嫌われるが男子人気はある」という概念を具現化させたかのような少女だ。字森は彼女の挨拶を受けて、「これは死んだな」と遠い目になった。
「カビ研究部だの埃研究部だのという部活は残念ながら存じ上げないわね。私たちは文芸部よ。とうとうそれもわからなくなったの?あんたの脳みそついに1ピクセルになったのね。可哀想に…脳細胞たちのお通夜にはちゃんと文人を行かせるから…」
予想可能回避不可能の口撃合戦が始まった。今からこの場が修羅場と化すことを思うと、早くも撤退したくなってくる。
バトミントン部と卓球部の生徒たちは、先生に通報するか否か検討しているようだった。
「はっ、はぁ!?あたしの脳細胞は死んでないんですけどぉ!?死んでるのはあんたの良心でしょうが!あたしは忘れないからね、あんたに言われた暴言の数々!『あいつの心臓に生えてる毛で毛皮のコート作れるわね。今度毟ってあげましょう。ついでにそれ売って部費にしましょう』って言ったの覚えてるんだから!!」
「よく吠えるポメラニアンね。私は忘れたわ。どうでもいいことを覚えてるほど私の脳細胞に余裕がある訳じゃないもの。現に今だって問題山積みよ。犬に吠えられてることとかポメラニアンに噛みつかれてることとか小動物にキャンキャン騒がれてることとか」
「執拗にポメラニアン強調しないでくれる!?あたしがポメラニアンならあんたはサイコパスクリーチャーでしょうが!!」
このままでは話が進まない。体育館入り口あたりでギャーギャー騒いでいる自分たちを、真面目に部活に励んでいる生徒たちがそれはもう白い目で見ている。いたたまれなくなった字森は話の軌道修正の為に口を挟んだ。
「まあまあまあまあ一旦落ち着こう、ね、ね!?理花は大事な用があって来たんだ。ね、そうだよね?煽り合いに来たんじゃないよね?」
「この女と対峙すること、それ即ち煽り合いと見たり」
「理花」
「流石にごめんて。そうよ、文人にも言ったでしょ?恨まれる心当たりがあるって。それがご覧の通りこいつよ」
「ほんとにご覧の通りじゃん…」
字森が筆崎を宥めている間に演劇部の彼女は幾分か落ち着いたようで、元の余裕を取り戻していた。しかし筆崎と目が合う瞬間に、威嚇するハムスターみたいな顔をするようになった。面白がった筆崎が「だるまさんが転んだ」のようにチラッチラと目線を合わせ、その度に威嚇している。だんだんサブリミナル効果があるような気がしてきた。
「めっちゃくちゃ嫌われてるように見えるけど一体何があったの…」
「事の始まりはそう、今年の4月の新入生勧誘のとき…私の瞳が希望でキラキラ輝いていたあの日のことよ…」
「欲望でギラギラの間違いでは?」
「机に火村ボム突っ込むわよ文人」
「なんでもいいけど長くなりそうなら簡潔にまとめて説明して」
そろそろバトミントン部と卓球部にボムを投げられそうだ。いくら対人ではノーダメージの謎仕様のボムとはいえ、バトミントン部部長が後輩に台車を使って持って来させているのを見れば「あかんこれ」という気持ちにもなる。
尚、演劇部員たちは完全に他人のフリをしていた。目線さえ合わない。
「まあ3行でまとめると、うちの部員をこいつに取られた」
「1行じゃん」
2人でごにょごにょ話しているところに犬井が割り込んでくる。
「そんなの逆恨みですよぉ。あたしただ、演劇部に入りたそうな子たちがいたから声掛けてあげただけなんです!ひとの善意を、そんな風に言うなんて…酷いです…っ!筆崎さん、自分が優しい心を持ってないせいで、他人の優しさが信じられないんじゃないですかぁ?可哀想…」
「ステイ、ステイだ理花!本当にクラスター爆弾を撃ち込もうとするのはやめるんだ!」
「私はあんたが思ってるより冷静よ文人。今、単細胞生物より単純な生き物に出会えて感動しているの。すごいわ…まさかお通夜するだけの脳細胞も宿っていないなんて…。さっきは失礼なこと言ってごめんなさいね?今度異種族間交流の仕方を調べてくるわ」
「ぐあ"ーーーーーーーーーッッッ殺す!!!!」
また修羅場に戻ってしまった。体育館中の冷たい視線に耐えきれず、字森は2人を体育館から引っ張り出すことにした。あっ2人とも意外と力が強い…。
ずるずると引きずるようにしてなんとか中庭のベンチにまで連れてきたは良いものの、2人はまだ見るも無残な言い争いをしている。あと20分ほどで始業のチャイムが鳴る筈だ。早く話をつけなくては。
「演劇部に入りたそうな子がいたから?案内?して?あげたぁ?あの子どう見ても文芸部前に居たわよねえ?ボロボロの旧校舎に一瞬ためらったけど足を踏み入れることを決意したその瞬間にあんたがトンビの如く横から掻っ攫っていったんでしょうが!?」
「旧校舎1階の自販機限定販売『ヘチマサイダー小豆入り』を買おうと思ってたまったま通りかかったらいい感じの子が居たから声掛けただけですぅ〜!別にあんたから盗ろうだなんてぇ〜?ぜんっぜん思ってなかったし?」
「その商品1度も売れたところを見た者がいないと有名な奇跡のゲロ味サイダーじゃない!あんた買ったの!?マジで!!?脳細胞だけじゃなくて舌の細胞も死んでるんじゃない!!?ーーいやそれはこの際どうでもいい。そろそろ本題に入らせてもらうわ。あんたわざとこっちまで来て部員になりそうな新入生奪っていったでしょう?しかも何回も。原因はわかってるわ…。
私があんたに初めて会った時に『校則違反のロイヤルストレートフラッシュ』って言ったこと根に持ってるのね?」
思っていたよりはるかにしょうもない原因だった。字森は遅刻を覚悟した。