問3-2
朝食を摂り、朝風呂に入り、ようやくさっぱりとして一日を始める準備を整えた俺は、部屋に戻るとその爽やかな気持ちが消えていくのを感じた。
その原因である小さくアラーム音が鳴り続ける枕の下のモノを取り出すと、またディスプレイを見てうんざりする。
『 ◇795件の未読メッセージがあります
◇23件の対戦申し込みが届いています
◇プレゼントが5件あります
◆【重要】「書物の欲求」への出演依頼が届いています 』
ちょっとずつ増えてる……。
とりあえず携帯端末を操作してメッセージ関連の設定を開くと、「フレンド以外からのメッセージを拒否する」と「フレンド以外からの対戦申込みを拒否する」にチェックを入れて端末の電源を落とした。
結局目を逸らしているだけだが、いつまでもそうしてはいられない。
今日は日曜。ゲーム外の予定は全く無いので、一日中ネクロに入り浸れる。
うんざりしかける気持ちを切り替え、重なった問題をゲーム内でひとつひとつ片付けようと俺は決心し、ベッド脇にぶら下げていたゲーム用のヘッドギアを取り上げた。
俺はBRと呼ばれるリング状のそれを頭に装着すると、ベッドの下に置いた30cm四方ほどの黒いゲーム機本体に手を伸ばして電源を入れた。BRから動作チェックとプレイヤーへの意思確認が問われる。
ブレインリーダーが既に脳波の測定を始めているので、手元は動かさなくとも頭で「許可」すると機械は反応し、数秒後に「ダイブ」が始まる。
俺はベッドに体を預けると、今日の最初の目標を設定した。
とりあえず、知恵のあるやつに相談しよう。
俺は夢に落ちるように意識が薄れていくのを、ぼんやりと感じていた。
少しずつ意識がはっきりして来る。
目を開くと、何も無い空間を漂う自分のアバターの姿と鏡のように正面から相対していた。
今の自分にはまだ体が無い。
右手を動かすように意識をすると、アバターの右手が連動して動く。
同じ要領で左手、右足、左足と動かし、首をぐるりと回して少し屈伸もしてみる。
ポーン、と柔らかい音が響き、「正常な動作を確認しました」とアナウンスが流れる。
自分のアバターがくるりと背を向けると、ゆっくり近づいてきて自分と重なる。
ぐん、と失っていた重量が急に戻ってきたような違和感を感じたが、それはじきに消えてなくなる。
しっかりとした体感覚を思い出すと、周りの風景も急激に変貌した。
『ようこそ、アナザーネクロノミコンの世界へ』
見慣れたシステムメッセージが視界ディスプレイに表示され、画面には複数の情報ウィンドウもぽこぽこと現れた。
今いる場所を確認する。うん、見慣れた「マイルーム」だ。
20畳ほどの広々とした空間に、テーブルや椅子、そしてゲーム内で手に入れた装飾用オブジェクトが乱雑に置かれている。
こだわるプレイヤーは部屋の装飾にも力を入れているらしいが、俺はさほど興味が無いので初期から持っている最低限の家具オブジェクトを並べてから買い足したりはしていない。
イベントなどで手に入れたオブジェクトはなんとなく勿体無いので部屋に置いてみてはあるが、イベントによって手に入る物の雰囲気が違いすぎて、小さなヤシの木の横に暖炉が並んでいたりする。
最初は違和感があっても、長く使用していると愛着も湧いてくるので、俺はこの空間が存外気に入ってる。
大抵デッキを組む時はふかふかのクッションソファーに座ってテーブルにカードを広げて眺めながら考えるし、イベント情報や攻略情報を確認するときも一人ならだいたいマイルームでやっている。
ネクロはMMORPGではあるが、マイルームは完全に孤立した空間を使っているので招待しなければ誰にも邪魔されることはないし、部屋の外の風景や天候も自由に設定出来る。
俺の部屋は大きな湖の中央に立っているログハウスのようなシチュエーションになっているので、窓からの眺めも落ち着く。俺はこういった涼し気な様子やきらきらと光る水面なんかが好きらしい。
ただ、今日は部屋でのんびり過ごす予定はない。
まずは手元のコントローラーを操作してメッセージのチェックから。
800件近いそれをいちいち読むのは面倒なので、「フレンドのみ」でソートして必要なメッセージだけを表示させた。
『 ○火香 件名:ログインしたらおしえてちょー 本文:無し
○チョッキ 件名:よう有名人 本文:なんか凄いことになってるな。今日ログインするなら一緒にやろうぜー。
○μMeow 件名:おはようございます 本文:約束は昼過ぎでしたが、私はもうインしていますのでいつでもご連絡下さい。 』
ふむ。ちょうど俺のフレンドリストの全員から連絡が来ていた。
え、3人しか友達がいないのかって?
昨日までは2人だったから、1人増えたばかりだぞ。
別に友達が少なくても困らないぞ。
俺は「チョッキ」のフレンド情報を確認すると、ログイン中を表す緑色のランプが名前の横に光っているのを確認し、通話ボタンを押した。
耳元で呼び出し音が数秒鳴り、すぐに通話が繋がる。
「うーっす。おはざんす、りょーちん先輩」
「おいっす。なんだよ先輩って」
「いやもう1日でシンデレラボーイになったりょーちんをもう俺同じ立場の人間として名前呼べねぇわ。先輩だわ。いろんな意味で」
楽しげな調子で彼は話す。
チョッキ――久留米直樹は俺と趣味を共有する数少ない友人だ。
「うるせえよ、やめてくれよその話は。あ、いやまあ、その事でいろいろと相談したいってのはあるんだけどさ」
「お? やけに素直だな。んじゃとりあえずそっち行くか? 部屋?」
「部屋だよ。そっちはダンジョン中じゃなかった?」
「ちょうど戻ってきたとこ。呼んでくれー」
「オッケー」
俺はプレイヤー名からメニューを開くと、「マイルームへ招待」を押す。
1秒と経たずに、光が集まるようなエフェクトと共にチョッキが部屋の入口に現れた。
現れたチョッキは何も口を開かずに、にやにやしながら手元を操作して俺の部屋の壁に据え付けられた大きなディスプレイに何かを送った。
「何だよその顔……――ッ!!!!」
俺はそのディスプレイを見て、思わず手で顔を押さえて天井を仰いでしまう。
ディスプレイに表示されていたのは、
『玻璃猫様、ポッと出の無名プレイヤーに寝取られ!? しかも鬼神とバトって修羅場!!』
という3流以下のネット記事のタイトルだった。




