答2-3
画面ではようやく戦闘が一段落したのか、それともお互い様子見の為の短い空白なのか、2人とも動きが止まっていた。
シアターを囲う人々のざわめきが少し落ち着き、皆画面に集中する。
ぼそぼそとミューミューちゃんが何かをつぶやくのが聞こえた。相当よく耳を傾けていなければ聞こえないほどの声だったが、「もう絶対勝たせたくなりましたよ?」の部分は少し大きな声だったので皆にも聞こえたようだ。
その言葉と、そこからの彼女の表情の変貌は中継を見ていた全員が口をつぐむには十分な程に劇的で、そして戦慄する程に刺激的だった。
「久しぶりの……玻璃猫様の本気ですね」
隣で小さくぴょん吉がつぶやくのが聞こえた。
私はそれに質問を返すような事はしなかった。
なぜなら、画面越しからでも伝わる恐ろしいほどの怒気と、それを全く感じさせない澄んだ透明感のある冷たい顔が見えたからだ。
ごくり、と誰かがつばを飲み込む音が聞こえた。
「さあ、どこですか、シトラスさん」
画面から体温を感じない声が響く。ふと腕を見ると、薄く鳥肌が立っていた。
ここにいるおそらく全員が、彼女のプレッシャーに当てられている。仮想世界で、更に画面越しで、なぜこれほどまでの「力」を他者に与えられるのだろうか。私には全く想像がつかなかった。
そして、その圧を一身に受けているであろうりょーちんは、どんな表情になっているのだろう。
なんとなく想像がつく。だって付き合いも長いし、彼の性格なら手に取るように分かるから。
多分、今のりょーちんは――
俺は、笑っていた。
彼女の恐ろしいほどに伝わる怒気と、誰をも寄せ付けないような冷え切った声。
体をぶるりと震わせる。
楽しい。こんなに楽しいのはいつぶりだろうか?
【鳴神:萬】のパターンを解明した時?
レアエネミーがドロップ率2%のカードを初回撃破で落とした時?
それとも、初めてゲームにログインしてこの世界に出会った時か?
俺の心は少年のように跳ね回っていた。
今まで、対人戦なんてせいぜいロマン砲が決まるかどうか試すだけの実験場でしか無かった。
楽しいのは、過程。
自らに課した困難を、積み重ねた努力や、得てきた経験や、覚えた知識を振り絞って切り抜ける喜び。
そのための準備はどんなに大変でも、いつでも喜びとともに乗り越える事が出来た。
それを多数の誰かと共有する必要性を感じなかった。
数人の身内だけでわいわいやるのが俺の身の丈には合っていると思っていた。
でも、この場所で、今までで最も強い相手と戦って、少し考え方が変わったのが自分でも解る。
どうやら、壁は高ければ高いほど俺は楽しめるらしい。
壁とは、彼女。彼女と出逢って、それを乗り越えることが出来れば、俺は世界の広さをほんの少しでも感じる事が出来るのだろうか?
彼女の反応速度、脅威への対応力、真っ直ぐな力は、俺の手札をどんどんぶつけてもまだまだ受け止めてくれる。計り知れない懐の広さだ。
それだけでも嬉しかったのに、今彼女が大きく変わったのをひしひしと全身で感じる。
まだだ。この先に届くか、届かないか。決めるのは己の力だ。
最高の時間は終わらない。
俺のロマン砲はまだ準備中だ。
さあ、楽しもうぜ、ミューミュー。
私にはもう何がなんだかわからなかった。
画面のミューミューちゃんの動きは、今までが気の抜けた片手間のお遊びに見えるほど、正確で、的確で、そこに居るべき場所にいて、手足をあらゆる意味でコントロールし切っていた。
さっきまではやたらと撃っていた反撃がたまに当たっていたようだけど、りょーちんの攻撃も大したダメージを与えてなかったので、結局ライフが減るペースは五分五分くらいだった。
でも、「本気」からの数十秒であっという間に削られたりょーちんのライフは既に3分の1。
嘘のようにりょーちんを追い詰めると、正面で堂々と会話を始めた。
そうなると、シアターに集まった人々の声色も変わっていた。
「やっぱこうなったか。ミューミューちゃんのあれは反則だわ」
「さすが玻璃猫様。今までのは全て演技だったかもしれませんね」
「戦ってる彼のデッキは面白いけど、トップランカー相手にちょっと舐めすぎだよな」
もう勝負が決まった雰囲気にみんなが染まり、シアターの画面を見ながら感想戦の様相をなしていた。
私はひとりほくそ笑む。
あーあ、こっからがりょーちんの見せ場なのに。みんな結論を出すのが早いなぁ。
まあそれも仕方ないことと小さなため息を吐くと、それに気づいたぴょん吉が何か勘違いしたようで私を慰めてくれた。
「シトラスさんもすごかったですよ、火香様。10位内のランカーでもないのに玻璃猫様が本気を出すことなんてまず無いんですから。つまり、それだけシトラスさんが健闘したってことですよ!」
「健闘ねぇ……。あ、そうだぴょん吉、私は呼び捨てで名前呼ぶからぴょん吉も火香ちゃんって呼んで?」
「え、そんな! めっそうもない! 火香ちゃんなんていきなり呼べません!」
「呼んでるじゃん」
「あ、確かに」
二人であははと笑う。
あのね、と私は続けた。
「まだ勝負は終わってないよ? どうなるかまだ分からない。ぴょん吉はしっかり画面を見てて」
少し真剣な表情でそう言うと、私はぴょん吉の顔をぐいっと画面に向ける。
ぴょん吉はちょっと不思議そうな顔をしながらも、意識の先を変えてくれた。
「火香ちゃん、私はずっと玻璃猫様の試合を見てるから分かるんです。あの状態の玻璃猫様は、本当に強くって、負けたところなんて1度しか……」
言葉の途中で、画面が大きく揺れた。
試合が始まって2度目の【紫電鎚:ミョルニル】が二人の居るビルを穿ったのだ。
観客もゲームの終焉を予測してどよめく。
りょーちんの残りライフは残り1割を切った。
ジャンプで飛び上がり、更にりょーちんを追うミューミューちゃんが画面右に大きく映し出される。
左の画面は一瞬暗くなっていたが、すぐに光を取り戻した。
その光景に、さざなみのようなざわめきが、画面の近くにいた人からシアターを遠巻きに見ていた人々まで広がった。
左の画面に映し出された、月光に照らされて静かにミューミューちゃんを見下ろすりょーちん。
右側では、能面のように全ての感情が消えたミューミューちゃん。
ミューミューちゃんの画面に一緒に映し出されているのは、機能停止した【モノクロームスパイ】の残骸だった。
次の瞬間、両画面が一瞬白くなる。
分割されていた画面は自動的に統合され、明るい夜空の星々と儚くゆらめく都市の灯りをバックに、ビルを斜めに貫く銀光の軌跡がミューミューちゃんを巻き込む姿が映し出された。
その攻撃は星の海を駆ける彗星のように美しく、静寂に包まれた世界でただ一つ輝いた天啓のようで。
あんまりにも背景と、彼と、彼女と、そしてまばゆい銀光が絵になっていて、誰も何も反応出来なかった。
そのたった1撃で6割あったはずのミューミューちゃんのライフは全損し、
そして、
シアターは爆発したかのような歓声に包まれた。
「これで2度目、だね」
私はぴょん吉に笑いかけた。




