二話 無愛想なご老体
目を覚まして辺りを見回した時、また自分は知らない場所にいることに気がついた。屋内。木の優しい香りがする。
それから室内を見回して、そういえば誰かに助けられたことを思いだす。
立ち上がろうと寝かされていたベッドに手をつくと、ずきりと痛みが走った。腕には包帯が巻かれている。
「誰が……」
「起きたか。傷は、どうだ?」
低くはっきりした声が響く。目を向けると、立派な髭をたくわえた背の低い老人が立っていた。しかし、およそ老人と呼ぶには筋骨隆々なその体は、老人らしからぬ若々しさに包まれていた。
「大丈夫です。助けて、くれたんですよね? ありがとうございます」
「まあそうだが、自殺願望でもあったか?」
「え? いや、全然。いきなり襲われて困ってたところです」
「殺したミラルを持って歩き回るなど、自殺志望のやつしかいるまい。あいつらは仲間意識が強いからな」
もしかするとミラルとは、あの白いやつのことなのかもしれない。確かに白い生き物は群れで行動してた気がするが。
全く笑わない命の恩人は、じっと俺を見つめている。照れる。
「あの白いやつはミラルって言うんですね。いきなり追いかけてきてびびりましたよ」
「そりゃあいつらに刺激的な行動をとれば追いかけてくるだろう。というかミラルを知らないのか? 麓の人間だろう?」
「それが気付いたらここにいたんです。麓に街があるんですか?」
その俺の言葉に老人は無表情を崩し、しかめ面をつくった。
「気付いたら? 旅してここまで来たわけじゃないのか?」
「え、はい。起きたらここにいて、何がなんだか……」
「……まさかとは思うが、記憶はあるか?」
「え? いや、ない、です。だから不安で、助かりました」
俺の不安を無視し、老人は一人でぶつぶつと呟いている。というかなんで俺の記憶が無いってこと知ってるんだ?
また俺の方を向くと、老人は問いを投げ掛けた。
「その黒髪に、何も知らないような口振り……。『放浪者』か?」
「知らないですけど。なんですそれ」
「……まさか本当にそうやって現れるとはな。お前一人だけか?」
「そうですけど……放浪者ってなんです?」
俺を見ながら迷うそぶりをみせ、老人は口を開いた。
「……放浪者というのは、突発的に現れる人間のことだ。どこに現れるかはわからない。何処から来たのかもわからず、また何も持っていない。お前は誰だ、と問うと記憶が無いと返す。普通は複数人で現れるらしいが、どうやらお前は一人だけみたいだな」
「はぁ、放浪者」
ということは俺が放浪者ということか。だからどうしたと言いたいが、下手に逆らうと殺されそうだ。腕と足の太さ同じって筋肉すごすぎるだろ。ここは従順に素直にいこう。
「はい! 僕は放浪者という名の従順な奴隷です! なんでも質問に答えますのでどうか殺さないで!」
「お、おう。……大丈夫か?」
引かれたあと頭の心配をされた。大丈夫です。
しかし、元気はつらつな従順は駄目なのか。気のせいか距離をとられている気がする。
「ところで、俺はどうしたらいいんですか? 助けてくれたのは本当に嬉しいんですが」
「そんなもの自分で考えろ。お前が放浪者なら他人に頼りきりじゃ決して生きていけねぇ。自分の実力で生きていけ」
この何の情報もない状況で、それは少し厳しすぎるのではなかろうか。かといってこのまま教えてくださいと頼み込むだけでは何も教えてくれなさそうだ。
自分の実力で生きていけ、か。
「じゃあ、俺はここに住み込みますね! あなたのこう、召し使い的なあれとして! あ、傷は大丈夫です。全然動けます。なので色々と教えてください! だからご飯と寝るところを用意しといてください! さぁ、俺は何をしたらいいんです?」
老人はポカーンとした顔で俺の顔を見つめている。それに俺はとびっきりの笑顔で返す。できる男なことを示すためにベッドから立ち上がり、その場駆け足で老人の指示を待つ。もちろん、満面の笑顔でだ。
「お前、何言って」
「さぁ! 俺は何をすればいいんです!? 何でもしますよ。何でもできますからね! おや、どうやら洗われていない食器があるようですね! それでは!」
満面の笑みでピューンと言いながら、台所へ向かおうとすると、老人に首根っこを捕まれ、動きを止められた。
「ごっほ、何すんだあんた。殺す気か!?」
「何を言ってるんだと聞いている。何をする気だ?」
「だからできる男だってことを示してとりあえずの寝床と食料を確保する算段です。自分の実力で生きていくんでしょ?」
俺は相変わらずの満面の笑みで老人を見る。なにやらとても疲れたような顔をした老人ははぁ、とため息をつく。
「誰もそんなことは頼んでない。まずは名前を名乗れ。常識だ」
そういえば名前を名乗っていないことに気がついた。老人も名乗っていない気がするが、それはそれだ。そういうことにしておこう。
……俺の、名前? もやがかかった頭の中を探る。ここで目覚めてミラルに追いかけられた記憶と、あともう一つの記憶があった。他には何も無い。なら、今俺がもっている全財産は、これ二つだけだ。
俺はいまからその全財産をこの老人に見せることになる。最初に出会った友好的な人間だ。むすっとしてて、頑固で怖そうな老人だが、根は悪くないだろう。いい人だ。この人は。優しい人だ。あのとき、ミラルから助けてくれたのはこの人だ。
なら今の俺のなけなしの財産を見せることに、なんら恐れることはない。
「俺の名前は、ツヅリ。あなたは?」
「俺はアルドだ。ついでにその気色悪い顔をやめろ」
満面の笑みはアルドには通じなかったようだ。
「……勝手にしろ」
そう言うと、アルドは俺に背を向けこの部屋から出ていった。
んん? わかりにくいが、勝手にしろということは勝手にしてもいいと言うことか?
俺はその場駆け足をやめ、アルドが出ていった方向へと声をかける。
「お腹すいたんですけど! 何か食べてもいいですか!」
返事は返ってこない。アルドを追いかけると、玄関の前で立っていた。
「あのお腹すいたんですが」
ギロリと睨まれる。
「ナイフ借りてもいいですか?」
「勝手にしろ」
そして、外へと出ていった。視線を下ろすと揃えられた靴が一足あった。履いてみると少し大きかったが気にするほどではない。
小屋からでると、玄関の扉の横にナイフが置かれてある。それを拾い、再び森へと向かう。
さすがにまたミラルを狩るほどの元気はない。その場駆け足をしていたせいで、歩くのも苦しいくらいだ。
「これ、食えるかなぁ。うわ、変な形。とりあえずこの木の実も取っておくか。うっわ、くさい! 食べれるもんじゃないだろこれ……」
あまりこういう採集のようなものは好きじゃない、と思った。自分が何者なのかは分からない。分かるのは名前だけで、もはや自分の性格すらもあやふやだ。
だが、不思議と恐怖はない。それはなぜだろうか。もしかすると俺はそうなのかもしれない。
そんなことを考え、一人でぶつぶつと文句を言いながら、食べられそうな木の実や、植物を採取する。青緑の細長い虫や、紫色の昆虫はさすがに無視する。こいつらは最後の手段だ。
とりあえず取れるだけとったあと、また小屋へと戻る。その作業を繰り返し四、五回。辺りが暗くなって来たあと本日の採取を終えて、アルドに今日の成果を渡しにいく。
「どうぞ! 食べてください!」
何が食べれるかは分からない。だからアルドに判断してもらう。献上という形で出した分は失われてしまうが、自分の分もしっかりと確保しておいた。
アルドは眉間にシワをよせ、俺と今日の採取物を交互に見る。そしていくつかの木の実と植物をとったあと、
「こいつとこいつは毒がある。これはまずくてとても食えたもんじゃない」
そう言って俺に植物を戻してきた。わざわざ毒入りのものを教えてくれる優しさつきだ。
「えっ、あ、ありがとうございます! じゃあ捨ててきますね! 後火ももらいますんで!」
まさか返してくれるとは。アルドは俺の顔をちらりと見た。
「待て。それはグドローが食べ物にしてる植物だ。捨てるならここから離れたところに捨ててこい」
「あ、はい!」
グドローとは、何なのだろうか。大方森に住む獣か何かだろう。固有名詞ということと食べ物にしてる、という言い方から生き物だとは判断できる。なるほど、知識が増えた。
アルドに礼を言って、小屋から出る。火を使うことを拒否されなかった。ということで指定された植物を捨てたあと、小屋の隅に置いておいた自分用の木の実を引っ張りだし、小屋の中にあるかまどから火種をもらってくる。
ついでにそこに置いてあった網を拝借し、小屋の外でアルドが取っていった植物だけを選別して火にかける。
正直腹の限界だ。パチパチと植物が弾けてきたらいい頃合い。だと信じる。
緑色のひょろひょろとした葉っぱに焦げ目がついて、なんともいい匂いがしてくる。木の実は表層が焼け、ひび割れているのをはがし、中身を取り出す。水は小屋の裏側のさらに奥に川がながれていたので、それを利用する。透き通った綺麗な水だったので大丈夫だろう。
「よし……それじゃあ! いただきます! ふぐっ、はぁ。うん、まあなかなか。思ってたよりは味が無いけど噛めば噛むほど味わい深いというか……」
空腹ならば何を食べてもおいしく感じると、そういうことだろう。
生まれて初めてのような幸福感に包まれ、幸せな気持ちで一杯になった。お腹一杯にはほど遠いが、それでも幸せなことには変わりない。アルドに信仰心まで芽生えてきそうな心持ちだ。
食べれる植物を食べ尽くした後、寝かされていた部屋へと戻る。そこには空のベッドがあった。アルドはいない。
満腹ではないが、我慢できるくらいには腹が膨れた。とりあえず、今日はここまでだ。ベッドに寝転ぶ。明日になったらまた森を探索してみよう。それよりもアルドから話を聞けるようにするのが先決か? なんだかんだで押しが弱そうなあの老人は、しつこく聞けば色々と教えてくれそうだ。
それが今の目的だ。とりあえず、今日は疲れた……、もう、寝る、か。