正しい治癒(ヒール)との付き合い方
訪れて下さって、ありがとうございます。少しでも、楽しんでいただけますように^^
私たち7人は大きな広間の前、5段ほどの階段を利用して防衛線を敷いていた。目の前には3匹の大甲虫。どれも、あと一撃入れれば倒せるところまで追い込んでいる。そこで、敢えて手を止めているのだ。
階段から大広間の奥を仰ぎ見れば、魔物化した優美な大樹が大きく枝を広げていた。あれがこのダンジョンのボスである。迂闊に近付くと、その枝から強烈な刃葉を飛ばしてくる。
魔樹はもちろんその根を大きく床にはっており、動くことはできない。その代わり、その周囲を、全ての攻撃を無効化する障壁が囲んでいた。あれがある限り、倒すことは出来ない。
「殴る時間が足りない。俺が先行する。俺が魔樹を捉えるタイミングで、障壁を解除してくれ」
「おいおい。一人じゃヘーゲンズの二の舞になるぜ。どうせなら、行ける奴等全員で特攻しようや」
「人数が増えると、ジーナがフォローしきれないぞ。俺一人なら何とかなる」
魔樹の刃葉は鋭く速い。当たりどころが悪ければ、一撃で致命傷だろう。
「だからってなあ」
渋い顔の〈迅雷〉のドーガをよそに、ユキは目を閉じた。愛剣に手をかざし、滑らせる。手が通過していくにつれて、剣は稲妻を発し、パリパリと輝いた。
稲妻が剣先まで届くと、ユキはもう一度、根元から手を滑らせる。次は紅蓮の焔が、剣の表面を舐めて走る。更にもう一度。次は白霧を発する氷。相反するはずの3つの力をたたえ、剣が虹色の稲妻を纏ったところで、剣先を下に向け、柄に掌をあてた。緩やかな竜巻が、ユキの体全体を包み込む。癖のない鋼色の髪が宙に踊った。
ドーガ他、私以外のパーティーメンバー全員が目を見張った。
ユキは本気だ、と私は悟った。これは人前では滅多に使わない、ユキの奥の手だからだ。ユキは次で決着をつける気なのだ。
これを使うと、ユキの身体能力は格段に跳ね上がる。攻撃力も防御力も敏捷性も、あらゆる力が、元とは雲泥の差だろう。私は、この状態のユキは、〈迅雷〉のドーガや〈四神〉のサウル、〈爆炎〉のキーラといった世に名高い戦士たちに、引けをとらないと信じているのである。
私は治癒を掌に纏わせて、ユキの腕に触れた。これは私たちのおまじないだ。私の治癒には、何故か戦士の心身を最適なコンディションに導く、戦いの歌のような効果もあるらしいから。
無理だと分かっていても、私は祈る。どうか、怪我をしませんように。
ユキは私にブルーグレーの視線を向けた。ほんの僅かに笑みを閃かせる。
「ジーナ。行くぞ」
そしてユキは、ダンジョンボスに向かって、一人駆け出していった。
冒険者仲間の、〈迅雷〉のドーガが私たちの家を訪ねてきたのは、ある夏の夕暮れ。私たちが夕食を食べようとしていた時だった。
ドーガは筋肉隆々とした気のいい大男だ。〈迅雷〉というギルドを立ち上げており、約30人の冒険者を束ねている。
「〈流星〉。おめえらの手を借りたい」
ドーガは通常なら大きな声を、精一杯潜めて言った。〈流星〉とは、いつの間にかついていた、私とユキの通り名である。私は銃と治癒、ユキは大剣を扱う二人組のパーティーだ。
その深刻そうな様子に、私は、ドーガのお皿を新たに並べながら嫌な予感がした。
「とにかく座れよ。ドーガ、何があったんだ?」
ユキがドーガのコップにお酒を注ぎながら問う。ドーガはそれを一気に飲み干した。
「いい知らせと悪い知らせと、両方まざってるんだがな。おめえら、どっちから聞きたい?」
「じゃあ、良い方から」
「新しいダンジョンが見つかった。入り口は渦の最奥だ」
「それはまた、難しい場所だな」
渦とは、魔の森ミューゼにある、有名な狩り場である。鬱蒼と生い茂る木々と岩が、複雑な渦を描いていることから、そう呼ばれるようになった。渦の中は蟲の縄張りがひしめきあっており、特に最奥にいると、絶えず襲ってくる大量の蟲とやりあう必要がある。武者修行にはもってこいなのだが、初心者殺しの異名も取っている場所なのだ。
「あそこに長居出来るだけの奴、っていうのが、新ダンジョンに挑戦する条件になる。ダンジョンの難易度も推して知るべしだろうぜ」
「そうだな。でも、新ダンジョンは実入りが多い。難しめのダンジョンなら、広さはそれほどでもないだろうし。しばらくは、渦は大混雑だな」
難易度が高いものほど、ダンジョン自体は狭い。冒険者の常識である。
「どうせおめえらは、情報不足の新ダンジョンに突っ込んだりしねえくせに」
ユキはニヤリと笑い、私も知らんぷりをした。冒険者の気概はもちろん持っているし、名誉にも財宝にも興味はあるけれど、それが私の一番ではないのだ。かなり危険だと分かっている新ダンジョンに、先頭を切って突入する熱意は持ち合わせていない。もちろん、ユキが行くというなら話は別だけれど。
「じゃあ、悪い知らせは?」
ユキの問いにドーガはすぐには答えず、私が取り分けた鶏の足にかぶりついた。
「うめえ。ジーナ、相変わらず料理上手だな。ユキの野郎に飽きたら、いつでも嫁に来いや」
どうやら言いづらい内容らしい。
「ありがと。で、悪い知らせってなぁに?」
私は相手にせず、さっさと話の先を促す。
「渦で狩りをしてたうちのギルドメンバーが、一人、間違ってダンジョンに入っちまったようだ。いきなり仲間の姿が消えて、驚いて周囲を調べたら、ダンジョンの入り口を見つけちまったってわけさ。助けに行かなきゃならねえんだが…初見のダンジョンだからな。何が起こるか分からねえ。それで、おめえらの手を借りに来た」
私とユキは、顔を見合わせた。ドーガは〈迅雷〉を束ねる男だ。救助隊のメンバーなら、〈迅雷〉の中から選抜するのが妥当だろう。行きたがる人は、それこそいくらでもいるのだし。
それを指摘すると、ドーガは頭をかいた。
「うちからは、俺も入れて4人出す。足手まといを連れてっても仕方ねえしな。だがぶっちゃけ、手練れの中には治癒士がいねえんだよ。だから正確に言えば、どうしても欲しいのはジーナなんだが…」
ドーガは言葉を切って、ユキの表情を伺った。私も思わずユキの顔を見てしまったが、恐らくその理由はドーガとは違うだろう。
ユキは、こんなことで、侮られたと怒ったりはしないと、私は知っているからだ。私が気にしたのは純粋に、別行動は嫌だなぁということだった。
ユキは冷たい表情でドーガを見て、一刀両断した。
「帰れ」
「うへぇ、分かってるよ、言ってみただけだよ。俺としても、おめえらは、二人揃ってる時が一番つええからな。二人とも来てくれる方が助かる。ということで、頼む! 明日一緒に新ダンジョンに潜ってくれや」
「報酬は?」
「ダンジョンでの実入りを、〈迅雷〉と〈流星〉で半々でどうだ?」
人数で考えると、〈迅雷〉が4人、〈流星〉が2人なわけだから、私たちの方が一人頭の収入は多くなる。およそ倍だ。
「太っ腹だな」
「命を張らせるわけだからな、それくらいは考えるぜ。どうだ?」
ユキはちょっと考えてから、私と目を合わせた。
「ジーナ、どうする?」
私の答えは最初から1つだ。一人きりでダンジョンに飲み込まれたという冒険者も心配だし、ドーガの頼みも聞いてあげたいけど、それだけで動くほど、私もお人好しではない。私の一番は、いつでもたった一人きり。
ニコッとして答える。
「ユキが行くのなら」
ユキは私の頭をくしゃっとまぜた。
「ドーガ、1つ貸しだぞ」
そして私たちは、新ダンジョンに挑むことになったのだった。
新ダンジョンへのワープゲートは、本当に渦の最奥の岩陰にあった。辛うじて大人が一人立てる程度の、小さな魔方陣。
見つけたからと言って、誰もすぐに飛び込んだりはしない。岩を利用して陣形を組み、まずは襲いかかってくる蟲を一掃する。
下手な冒険者だと、ここで安定するだけで一苦労なのだが、さすがに今は余裕綽々だ。剣と盾を使い、強固な壁役として名高いドーガを筆頭に、〈迅雷〉のサブギルドマスターだという魔法士。我の強そうな剣士と寡黙な槍士。それに大剣のユキと銃の私を加えて、総勢6人のパーティーである。後衛としては、私の銃より余程汎用性と火力の高い魔法士がいるため、私の主な役割は、やはり治癒になるのだろう。
転移した先のダンジョンは、意外なことに静寂に包まれていた。少なくとも付近に敵はいないようだ。どのような原理なのか、壁面がうっすらと発光している。一応準備はしてきたが、照明器具の出番は無さそうだ。
ダンジョンの道幅は、大人が3人横に並べばいっぱいになる程度の細いものだった。しばらく真っ直ぐいったところで、左に直角に折れ曲がっているのが見える。
救助対象の〈迅雷〉ギルドメンバーは、すぐに無事に見つかった。スタート地点のすぐ脇に座り込んでいたからだ。見つけた冒険者は弓士。焦らず大人しく救助を待っていたのは英断だったろう。
最悪死体とご対面する可能性も考えていただけに、特に〈迅雷〉の4人は息をついていた。これで、後は無事に脱出できれば、当面の目的は果たせたことになる。
「ウロウロせずに待っているとは、偉かったじゃねえか」
槍士が無言で食料と水を弓士に渡す中、ドーガがからかう。それを受け取りながら、弓士は肩をすくめた。
「すぐそこで行き止まりなんすよ。一応奥まで行ってみましたけど、何もねえんでどうしようもなく」
私は念のため、スタート地点の壁をトントン、と叩いた。やはりこちらも、何の変鉄もない普通の壁である。足元に魔方陣もなし。ダンジョンは、基本的にボスを倒し、クリアしないと脱出できない。先に進むしかないのだ。
私たちはドーガを先頭にして慎重に歩き始めたが、すぐにその足は鈍ることになった。両脇の壁に、宝石の原石が埋まっていることに気づいたからだ。
「すげえ。お宝の山だぜ。適当に取って帰るか」
ドーガの号令で、〈迅雷〉メンバーが一斉に壁を掘り始める。私達も大きめのものを幾つか掘り出した。これ1つだけで、1年は遊んで暮らせる。
「敵も出ず平和そのもので、すぐにお宝もいっぱい見つかるって、逆に怖いね」
私が言うと、剣士が上機嫌で答えた。
「もしかしたら、ぬるいダンジョンかも知れねえっすよ?」
「ヘーゲンズ、気を抜くな」
魔法士の注意に首をすくめると、彼は私に1つウィンクを寄越す。軽いなぁ、と私は曖昧に笑って誤魔化した。粉をかけられても、私はユキ一筋だから意味ないんだけど。
弓士の言うとおり、すぐに通路は行き止まりになった。
「これでダンジョン終わり、ってわけねえよなぁ」
脱出の魔方陣がない以上、その可能性は皆無である。
その時、周囲の壁を確かめるように触っていたユキが、慌てて壁から手を離した。
「この一角だけ、壁がぶよぶよしてるぞ」
「ぶよぶよ? うへえ。マジかよ。気持ちわりいな」
ドンドン、とドーガが、その感触に顔をしかめながら壁を殴る。
「薄そうだし、切り破れるんじゃねえか?」
一通り周囲の壁を確認しても、何かの仕掛けっぽいものは何もない。基本的に気の荒い冒険者、すぐにドーガの案が通った。
そして私たちは、試しに開けた拳大の穴から見えた光景に、絶句することになる。
壁の向こう側には、こちら側とはうって変わって、蟲がひしめきあっていた。
一匹一匹は決して大きくない。しかし直径が足首の高さ程度はある百足と蛇が、通路を埋め尽くしていたのだ。床が見えないほどに。
「これ、切り破ったらこっちに雪崩れ込んで来るんじゃねえか?」
弓士が呆然と言ったところで、更に予想外の事態が起こる。壁に開けた穴が見る間に修復され、閉じたのだ。
「壁のくせに、愉快な技を持ってるじゃねえか」
ドーガが、いっそ感心したように言う。
「トロトロしてたら分断される、ということですね。とりあえず壁を開けたら、すぐに全員あそこに駆け込まないといけません」
「おめえ、最初にあそこに一撃入れて、焼くなり凍らせるなりできるか? 足場を確保してえ」
「やりましょう。炎はこっちも危険なので、氷ですかね」
ドーガと魔法士の会話に、気を引き締める。予想はしていたが、強行するようだ。
ユキと槍士が壁を破り、すぐに魔法士が氷弾を向こうに叩き込んだ。凍った足場に注意しながら、全員壁を超える。私は最後尾だったが、私が抜けた数瞬後には、再び壁は閉じていた。
危なかった。一人きりで向こう側に取り残されるのは嫌だ。しかもこの壁、こちら側からはただの壁で、殴っても切り破れそうにない。あくまでも向こう側にいるメンバーだけで、破らなければならないらしい。私一人だったら、果たして穴を開けれるのだろうか? と考えて、私はゾッとした。
目の前はあっという間に戦場と化していた。ただし、敵の数が多いだけで、危なげは全くない。全員腕に覚えがある冒険者、足元には着々と百足と蛇の死体が量産されている。
私はその中でも、蛇ばかりを重点的に狙い撃った。あの蛇は、毒牙からこちらの目を狙って、毒液を飛ばしてくるタイプだからだ。毒液の飛距離は約5メトル、目に入れば最悪失明する恐れもある。前衛の仲間に万が一があっては困る。先に潰しておくに限る。
ユキが私に一瞬目線を向け、その表情を和ませたのが分かった。私の意図に気付いているのだ。いちいちお礼を言うようなことはしなくても、その目線だけで、私のやる気はアップした。私も頑張るからね、ユキ。
通路は長く、蟲の数は多かった。一匹一匹は手応えのない敵だけに、戦闘は次第に作業に近くなる。そうすると徐々に、個々の力量の差が見えてきた。
私が見るに、一番腕前にムラがあるのは剣士だと思う。今も明らかに、注意力が散漫になってしまっている。百足との戦闘に飽きてしまっているのだ。
一方、ドーガやユキは流石だ。メンバーに犠牲が出ないように、また、誰か一人に過度の負担がかからないように、細心の注意を払いながら剣を振るう。そのおかげで私や弓士の足元へは、ほとんど蟲はたどり着いて来ない。
接近戦には弱いから助かるけど、過保護だなぁ、と私がくすぐったく思ったとき、剣士が負傷した。軽傷だが、すぐに治癒をかける。私の掌から、白くて細い光が流れ星のように走った。きらきらと。
剣士が驚いた顔で振り返った。何に驚いたんだろう。離れていても癒せることかな?
「すげえ。今傷が治っただけじゃなくて、気分がスッとしたっすよ。何か力がみなぎる感じもする」
あ、そっちか。よく言われるけど、それ、自分ではよく分からないのよね。
「ジーナの治癒は特別製だからな。ユキの野郎が、いつもは独占してやがるが」
ドーガがニヤニヤしながら軽口を叩く。やはり黙って戦うのには飽きているらしい。
「うぉぉぉ、すげえ羨ましい! こんなのが常にかかってたら無敵じゃないすか。ジーナちゃん、もう一回頼む」
「ダーメ。必要ない治癒はかけません。それより、手元がお留守になってますよ」
さっきから私、剣士の前ばかり重点的に倒してるんだけれど。ユキも彼に流れ込む蟲の量を削ってるし。ちゃんと自分で自分の身を守って欲しい。
ひたすら戦うこと二時間。やっと通路を制圧できた。私はあの後も、誰かが怪我すればすぐに治癒をかけていったが、一番回数が多かったのは、やはり剣士だった。蛇を潰し終わった後、全体を見渡した私が、援護に入ったのも、やはり彼のところ。本当はユキの世話を焼きたかったけれど、ユキには援護は必要ない。剣士のところが一番穴があきやすかったのだ。
今日はペアじゃなくて、6人のパーティーだ。自分がやりたいことじゃなくて、パーティーにとって、一番いい行動を取らなくちゃ、と肝に命じる。
百足と蛇の体液と死体で滑りやすくなっている通路を抜けると、また行き止まりにぶよぶよの壁。
再び拳大の穴を開けて、向こう側を覗き見てみると、今度はちょっとした広さを持つ部屋になっているのが分かった。敵の姿はない。中央には宝箱。
「あからさまに罠っぽいな…」
ユキの呟きに剣士を除く全員から笑いが漏れる。剣士だけは、妙に対抗心のこもった顔をユキに向けた。
「罠かどうかで、賭けるってのはどうっすか? 勝った方がジーナちゃんを取る」
え? 私?
急にこの人何言ってるんだろう、とキョトンとした私の横で、ユキがスッと目を細めた。
「どんな形でも、ジーナを賭ける気はない」
「あんた卑怯なんすよ。さっきもぬるい敵相手に、あからさまにジーナちゃんを庇って点数稼いでたっすよね。いつもこんな可愛い子と二人きりで、手厚い援護を貰いながら、あんな風にカッコつけてんすか。さぞ気分がいいでしょうね」
「ヘーゲンズ、急にどうしました。揉め事はご法度ですよ」
魔法士が嗜める。私もビックリして目を真ん丸にしてしまった。さっき私が庇ってもらってたのは確かだけど、それは弓士も同じだったし。それに配慮してくれてたのは、ユキだけじゃなくて、ドーガだって同じだ。それなのに何故? 私には、剣士が急にユキに喧嘩を売ってきたようにしか思えなかった。
でも、ユキはそうではなかったようだ。随分理不尽なことを言われたと思うんだけど、顔色1つ変えない。私が心配して目を向けた先で、次に言われることまで全部分かってる、という顔をしていた。
「俺、〈流星〉とは初対面すけど、見てた感じ、すげえのはジーナちゃんで、この野郎じゃねえっす。ジーナちゃんの治癒は、確かにドーガさんが、今日わざわざ呼んできただけのことはあると思うけど、この野郎の腕は、俺と大差ねえ」
ちょっと、黙って聞いてたら、何を言い出すのよ。
「ジーナちゃんとたまたま組んでるから、〈流星〉なんて二つ名のおこぼれまで貰ってるだけだ。だったら今さっき、ジーナちゃんは俺と組んで百足をやったわけだし、このまま俺がジーナちゃんと組ませてもらいてえと思っただけですぜ」
「ヘーゲンズ、そこまでにしとけや」
ドーガが剣士の台詞を遮った。タッチの差で出遅れた私は、噛みつく気満々だった勢いそのままに、剣士を睨み付けた。
ユキが私のおこぼれだなんて! 失礼にも程がある。ユキの実力の高さは、私はもちろん、貴方も足元にも及ばないものなのに!
「おめえ、ジーナの治癒に転びやがったな」
え? 治癒に転ぶ? って何?
「ジーナの治癒の気持ちよさに、そうやって目の色変えてるうちは、ユキの野郎には勝てねえよ。第一〈流星〉に割って入るなんぞ、馬に蹴られるだけだ」
さあ行くぞ、と場を仕切りながら、ドーガは剣士を、そして次に私を目線で制した。今はダンジョン攻略の最中だ。必要以上に揉めるのは上手くない、これで話は終わりだと言うのだろう。
言いたいことは分かるけど…。
「ドーガのばか。おたんこなす。ケチんぼ。少しくらい言わせてくれても良いじゃない」
メンバーが、ぶよぶよ壁に注意を向けたのを確認してから、私は思わず小声で文句を言ってしまった。あれじゃ、ユキは一方的に言われっぱなしだ。
その時、クスッと背後から笑い声が聞こえた。しまった、聞かれた! と思って振り返れば、魔法士が口元を押さえている。
「うちのギルドメンバーがすみませんね。でも、あそこでジーナさんが反論しても、こじれるだけなので。肝心のユキさんはスルーの方向でしたし」
ユキは、そうかもしれない。自分を侮られたからって、怒るような人じゃないから。
でも、私は言いたかったのだ。大切なユキに酷いことを言われて、そのままスルーなんてしたくないのだ。
「ただ、ジーナさんも覚えておいた方がいいですよ。貴女の治癒は、実は危ない。下手をすれば麻薬のように、貴女の治癒がなければ、戦えなくなる人間も出かねない。少なくとも私は、貴女に依存せずにパーティーを組めるというだけで、ユキさんを尊敬しています」
「…そんなこと、初めて言われました」
「そうですか? 貴女を欲しがる人間は多いはずですよ。実際ユキさんは、ヘーゲンズと似たような台詞を、今までに何度も言われたことがあるようだ」
「ユキ? そうなの?!」
「気にするな。俺も気にしてない」
その返答は、言われたことがあるって意味だ。全然知らなかった。私はショックを受けた。
ユキは私の頭をポンポンと撫でると、ぶよぶよ壁に歩み寄っていった。そろそろ壁に穴が開く。お喋りは終わりにしなければならない。
全く気負わない背中に、私は心の中でだけ呼び掛けた。
あんな風に悪し様に言われても、それでも実力を隠しておくのって、辛くないの? ユキ。
ユキは本当は、皆を有無を言わさず黙らせることができるくらい強い。私はそれを知っている。
ただし、ユキはそれを、あまり表に出したくないようだ。『奥の手』は隠しておくもんだろう? なんて、前に冗談混じりに言っていたっけ。
元々一級品の腕を持つ人だから、使わなくても問題ないだろう、と言われれば、普段は確かにその通りだ。
だけど、今、私は悔しい。
私は、ユキの判断を尊重する。だから今回みたいなことがあっても、私からは何も言わないけど。言えないけど。
ユキが侮られるのが。とても悔しいよ、ユキ。
部屋の宝箱は、やはり罠だった。
宝箱を開けると同時に、部屋の奥の壁がスライドして、再び蛇が3匹這い出てきたからだ。今度は大きい。体長8メトルを超えるだろう。私たちなど、簡単に丸呑みにしてしまえそうだ。ちなみに宝箱は空だった。
「次に来るときは無視しようや」
ドーガの台詞に皆から笑いが漏れる。
罠を予想して、私たちはちょうど反対側の壁際に退避していたので、今のところ蛇には気付かれていない。しかし、今抜けてきた壁は既に閉じてしまっているし、先に進む通路はうねる胴体の向こう側だ。どうあっても倒さねばならない。
それにしても、開いたのが向こう側の壁で良かった、と私は胸を撫で下ろした。私たちの背後の壁から蛇が出てきたら、笑い事ではすまないところだった。
「3匹同時に相手取るのは避けたいところですね」
魔法士が言う。私たちは7人、2人で1体を相手取る組が出てしまう。しかも3組が入り乱れて戦うには、スペースに乏しい。
ユキが私を振り返った。
「ジーナ。1体ずつ釣ってくれ」
「分かった。みんな、前には出ないでね」
私は1歩だけ前に出ると銃を構えた。狙うのは、一番手前にいる蛇の胴体。
一撃だけ当てて目を合わせると、狙い通り、その蛇だけがこちらへ突進してくる。他2体は動かない。
「お見事」
弓士が口笛を吹く。
私はニコッと笑顔を返すと、下がって、正面をドーガとユキに譲った。しかし剣士が、私の横にスッと寄ってきた。
「あの野郎の選ぶ戦い方、みみっちいっすね。実力にピッタリっす」
ボソッと低く、それだけ言って、剣士も蛇の討伐に混ざっていく。モヤモヤしたものが、私の中に残された。
一匹ずつやったこともあって、時間こそ少しかかったものの、大蛇3体は全く問題なく討伐できた。このパーティーは本当に強いなぁ、と私は少し呆れ気味だ。大蛇戦では、治癒さえほとんど必要なかったのだ。
でも、厳しい戦いにならなくて良かったかもしれない。
みみっちいってどういう意味よ、だいたい安全優先のどこが悪いのよ、と私は密かに一人でプリプリしていたからだ。こんな精神状態じゃ、難しい狙いは外しそうだ。
大蛇を倒し終わった後、しばらく休憩を取ってから、私たちは再びダンジョンを進んだ。
段々通路の道幅が広くなり、ある時ぽっかりと視界が開けた。見上げても天井は遥か高い、広大な空間。その奥に、1本の大樹が枝を広げていた。優美な曲線を描く各枝には、びっしりと尖った漆黒の葉が繁っている。
魔樹だ。
「あれがボスだな」
「けっこう小さかったっすね、このダンジョン」
「喜んでばかりもいられませんよ。皆知っている通り、狭いダンジョンほど、難易度は高いもの。つまり、あのボスは強敵のはずです」
私は、魔樹を一目見た時から気になっていたことを、ユキにコッソリ尋ねた。
「魔樹の周りを囲んでいる、あのブルーの光は何?」
「多分、障壁かな」
障壁?!
「…そんなのがあって、私たちの攻撃、当たるの?」
私の呆然とした疑問が聞こえたらしく、魔法士が答えてくる。
「障壁の強度にもよりますが。まぁ、まずは門番を倒してから考えましょうか」
魔樹のそびえ立つ広間の入口には、5段程度の階段。そしてその前には、大甲虫が3体控えていた。
「ジーナ、また釣ってくれや」
ドーガの指示に頷くと、私は右端の大甲虫を誘き寄せた。他2体が動き出さない程度に、はなれて倒す。すると。
「障壁が消えた!」
「大甲虫が鍵だったのか」
皆色めき立ったが、障壁が消えたからといっても、大甲虫は後2匹残っている。背後に敵を残して、ボスと戦うのは危険だ。
「ボスは後だ。まずは大甲虫を掃除するぞ」
その号令で、私が2匹目を釣りだした。もう少しで倒そうかというところで、しかしそれは起きた。
「障壁が復活した!」
そして同時に、階段の下から這い出してくる3匹の大甲虫。
大甲虫が計5体に増えた。
「………」
釣り出していた2匹目を倒したところで、少し手を止めて、全員顔を見合わせた。
目の前には、計4匹の大甲虫。
「…もう一度試すか」
「右端が鍵よね?」
「まだ鍵は呼ぶな。様子が見てえ。とりあえず左端を1匹だけ倒すぞ」
しかし。左端を誘き寄せて倒した途端に、消える障壁。
「鍵は右端じゃなかったのかよ!」
「ランダムなんですかね…」
「全部鍵、って可能性もあるっすよ。どれでも一緒っていうか」
「いや、もしかしたら実は鍵だけ見分けがつくようになってんのかもしれねえぞ。どうだ? 目の色が違うとか、羽の色が違うとか」
「全部同じに見えますね…」
そして階段下の大甲虫は6体に。
「………」
まさか、このままどんどん増えるんじゃないだろうな、と、その時全員が考えたに違いない。
幸いなことに、それは杞憂だった。次に釣った大甲虫は、鍵では無かったからだ。鍵ではない大甲虫を倒しても、障壁は消えない。ただし新たな大甲虫が出てくることもなかった。
それが分かったところで、作戦会議である。
ブルーグレーの瞳を光らせて、ユキがまとめた。
「あの大甲虫のうちの、どれか1匹が、障壁を解除する鍵になっている。鍵を見分ける方法は不明。鍵を倒すと、しばらくボスの障壁が解除される。カウントしてみたけど、消えてる時間はだいたい45秒だった。45秒経つと、障壁は復活し、また大甲虫が3体沸く。これの繰り返しってことかな」
「なかなか凝った仕掛けじゃねえか、楽しすぎて腕が鳴るぜ」
ドーガ、ドーガ。頬が引きつってるよ。
「とりあえず、大甲虫を減らさねえと。5匹もいたら、ボスどころじゃねえっす」
「ジーナさん、釣りをお願いします。鍵以外にしてくださいね」
いやいや、だから見分ける方法が分かりませんってば。
運が味方して、とりあえず大甲虫を残り2匹まで減らすことができた。
「そろそろ次呼ぶのは怖いよー。当たりを引きそう」
「2匹なら同時にやれるだろ。ボス戦行くぞ!大甲虫は、出来るだけ同時に倒せよ」
ドーガの号令に、全員の目の色が変わる。
1匹目の大甲虫を倒した瞬間、ボスの障壁が解けた。全員で2匹目の止めをさし、階段を駆け上がる。
その時、私の視界の上端で、キラッと何かが存在を主張した。何も考えずに反射で飛び下がった足先に、魔樹の刃葉が突き刺さる。
「刃葉注意!」
叫んで次々に治癒を発動した。先行していた槍士の左腕。刃葉が突き刺さっていた。次は剣士の頬と、太股の裂傷。弓士の肩。駄目だ、1度じゃ治りきらない。何て鋭いの。
ドーガの盾が雷をたたえて輝いた。盾にビッシリと突き立っていた刃葉が焼け落ちる。
直後に発射される雷砲。あれが〈迅雷〉の由来だ。
ドーガの雷砲が直撃した魔樹の幹へ、ユキが大剣を突き立てた。1度、2度、3度。流れるように、絶え間なく斬撃を浴びせながら叫ぶ。
「こいつ! 再生するぞ!」
ユキに向かって刃葉が降り注いだ。ドーガが駆け寄って、盾で庇う。庇いきれず、細かい傷を幾つも負う二人。治癒を。もしもあの二人が倒れたら詰む。
間近で見た魔樹の傷口に、ドーガが驚きの声をあげる。
「やべえ! 何だこのスピード!」
魔樹の傷口は、ボコボコと白く泡立ちながら、確実に塞がり始めていた。
ドーガの盾が輝いた。至近距離で、もう一度雷砲を撃つつもりなのだ。
しかし、そこで時間切れだった。復活した障壁が、ドーガの雷砲を完全にかき消すのを、全員が見た。また、頭上がキラッと光る。降り注いでくる刃葉。
「さがれ!」
新たに這い出してくる3匹の大甲虫も無視して、全員が最初の地点まで退いた。
私は無言で、全員に片っ端から治癒をかけ始めた。無傷の人はいない。全員を、全快しておく必要がある。
「次に挑むときには、あっちも全快してるだろうな…」
ユキが呟いた。魔法士が相槌をうつ。
「ダメージを蓄積させることができない以上、1回の障壁解除で倒しきる必要がありますね。随分と手強い…」
「グダグダ言っても仕方ねえ。もう1回やるぞ」
と、ドーガ。
「手順を確認しましょう。恐らく途中で相談する時間はないかと」
そして、皆の視線が集中したのは、何故かユキだった。ドーガじゃないのね。まあ、私もユキを見たけど。
ユキはうーん、と唸った。
「ボスを殴る時間を、最大限確保したい。大甲虫を3匹とも、1回瀕死まで削ったうえで、手をとめてタイミングを揃えないか?合図で3匹同時に止めをさせば、その分時間のロスが減る。あと、止めをさす前に、階段下に移動した方がいいと思う。ここからじゃ、ボスまでが遠すぎる」
「採用だ。とどめは、後衛の3人に任せるぜ。俺たちは、倒すと同時に突っ込むぞ」
ドーガが即決して、私たちを見渡した。剣士だけは、少しふて腐れた顔をしている。ユキの案が通ったのが、また気に入らないのだろうか。ドーガは剣士をひと睨みすると。
「おめえら、足並み乱すんじゃねえぞ。気張れよ!」
こういうところが、やはりギルドマスターだなぁ、と私は思った。〈迅雷〉を束ねているのは伊達ではない。
それにドーガの号令で、私も闘志が沸き起こる気がするのだ。
予想以上に手強いボスに、皆もっと動揺してもいいはずなのに、驚くほど心が負けていない。それは、とても大切なことだ。
2回目の挑戦が始まった。
大甲虫を1匹ずつ弱らせていく。瀕死にしたら、敢えて止めをささずに次へ。3匹とも弱らせたところで、まずは階段下まで一気に駆け抜けた。
「てめえら、用意はいいな?」
ドーガが周囲を見渡して、行くぞ! と叫ぶ。
そして、それと同時に、剣士が一人で広間へ突っ込んだ。
まだ早い!!!
私たちに走った動揺が、更に決定的な出遅れを作った。私、弓士、魔法士による大甲虫のとどめが、一呼吸遅れたのだ。
剣士一人に集中して、降り注ぐ刃葉。
避けきれず、あっという間に血だるまになる剣士。
「ヘーゲンズ!!!」
それとほぼ同時に障壁が消えて、ドーガ、ユキ、槍士の3人も広間に突っ込んだ。
「ヘーゲンズには、俺が! ドーガさんたちはボスを!」
弓士が叫ぶ。私は駆け寄る時間も惜しんで、治癒を連発した。
死なないで。
正直に言うと、貴方には言いたいことが結構あるけど。それでも死んで欲しいわけじゃない。
弓士が剣士を引きずって戻ってきた。床に残る生々しい血糊。裂傷だらけの体。何本か突きたつ刃葉。低い呻き声。良かった、まだ息はある。
私は力の限り治癒をかけ続けた。彼の傷が塞がるまで。
ボスと対峙するどころではなかった。
「ひけ!」という叫び声で、やっと顔を上げて、ボスの方を見た。
魔樹の幹には、大きな雷撃の跡が刻まれていた。そこを更に抉るように、幾重にも残る剣撃と槍撃の跡。幹は大きく陥没し、魔樹の中に埋め込まれている核が、僅かに顔を覗かせていた。
そして、その核は、確実に、再び幹の中に取り込まれつつあった。
魔樹は再生しようとしていた。2回目の攻略も失敗したのだ。
「ヘーゲンズ! おめえ、何考えてやがる」
ぐったりと横たわる剣士に、ドーガが声を荒げた。剣士は返事をしない。体がツラいからか、返事をしたくないからなのかは、判別できなかった。傷は治しても、失った血は戻らない。体が受けたダメージは、やはり残るのだ。
「ヘーゲンズ!」
苛立ちのこもったドーガの怒声に、剣士はやっと顔を上げた。しかし、ドーガの目は見ない。見れないのだ。
「…あの野郎の考えた弱気な策より、俺の方が上手くできると思ったんす。障壁も切り破って、魔樹をやれるって。少々怪我しても、ジーナちゃんの治癒があるんだし」
「…馬鹿野郎が! 下手すりゃ死んじまってたんだぞ! 即死したら、治癒もへったくれもあるか! 大体そういう色気を出してるうちは、ユキの野郎には勝てねえって言っただろうが! おめえがジーナと組んだってな、ジーナの治癒がなけりゃ戦えねえ、腑抜けに成り下がるだけだ!」
「ドーガ。そのくらいで。ヘーゲンズも分かってます」
魔法士が仲裁する。私は何も言わず、全員に治癒をかけ始めた。上手く言えないけど、剣士とユキは、根本的に、私と組むときの考え方が違うのだということは分かった。あり得ないけど、万が一私と剣士が組むことになっても、そこがネックとなって上手くいかないのだということも。
まあ、本当にあり得ないけどね。私の一番はユキだから。初めて会った時から、もうずっと。彼の役に立ちたくて、彼の背中だけを追いかけている。
私はそっとユキに目線を向けた。ユキはブルーグレーの瞳を揺らめかせて、何かを考え込んでいた。いや、何かに迷っているように見えた。
ユキ、どうしたの?
ドーガは1つ息をついた。最後に一言、剣士に言い置く。
「さっきは、おめえの勇み足で失敗し、全員を危険にさらしたんだ。そのことをよく考えろ」
そして、私たちに向き直る。
「さて。ヘーゲンズは動けねえが、3回目の挑戦と行くか。どうあってもあの魔樹を倒さねえことには、俺たちはここから出られねえんだからな」
「ドーガさん。でも、もしかして…俺たちの火力は。どんなに力を振り絞っても、あの魔樹を倒すのには足りないんじゃ…」
弓士が言葉に詰まりながら、誰もが懸念しながらも、心の中に飲み込んでいた台詞を口にした。
ドーガは怒らなかった。ただ静かな闘志を乗せて、弓士を見た。
「言うな。大丈夫だ。大体さっきはおめえら、ヘーゲンズのフォローで、ろくに攻撃してねえだろう。全員一丸となって殴れば、ちゃんと、あんな魔樹くれえ粉砕できるさ」
「そうですかね…。でも、それこそ一人欠けてるのに…」
弓士も槍士も、それでも浮かない顔のままだった。魔法士はポーカーフェイスでよく分からない。だが、ドーガに協力して、メンバーを宥めるために口を開くことをしない時点で、やはり思うところはあるのだろう。
「じゃあおめえたち、諦めんのか? ここから出ることは止めて、黙って死ぬのかよ。俺はギルドマスターとして、そんなこと認めねえぞ。俺たちは全員生きて、ここから出るんだ」
「ドーガさん…俺だって、そう思いてえです。でも…」
その時、凛とした声が、弱気に飲み込まれそうになった空気を断ち切った。ユキだった。
「心配するな。まだ手はある」
決然とした口調で。
「次で倒せる。だから、もう一度やるぞ」
ドーガがニヤリと笑った。
「言うなあ、ユキ。さすが〈流星〉。この程度じゃ折れねえか」
「そろそろ帰りたくなってきたからな。夕飯の時間だ」
「いいねえ。またジーナの手料理か? マジで旨いからなぁ」
「冗談言うな。これから作らせる気か。今日は酒場で食って帰るさ。奢れよ、ドーガ」
「おい!」
反射的に突っ込んでから、しかしドーガは、ユキが作った流れに乗ることに決めたようだ。
「…まぁいいか。ほら! おめえらも、しけた面はよせ。今晩の飯は、俺が奢ってやる!さっさと倒して、ぱーっと騒ぐぜ!」
私たち6人は、3度目の魔樹攻略に乗り出した。下がって休憩している剣士に被害が及ばないように、今度は大甲虫3匹のところへ、正面から戦いを挑む。戦いながら徐々に足場を移動させ、階段の段差を利用して防衛線を引いた。
3匹とも瀕死まで弱らせたところで手を止め、ドーガがユキを振り返った。
「で? ユキ。手があるっつーのは?」
「殴る時間が足りない。俺が先行する。俺が魔樹を捉えるタイミングで、障壁を解除してくれ」
「おいおい。一人じゃヘーゲンズの二の舞になるぜ。どうせなら、行ける奴等全員で特攻しようや」
「人数が増えると、ジーナがフォローしきれないぞ。俺一人なら何とかなる」
「だからってなあ」
渋い顔のドーガをよそに、ユキは目を閉じた。愛剣に手をかざし、滑らせる。手が通過していくにつれて、剣は稲妻を発し、パリパリと輝いた。
稲妻が剣先まで届くと、ユキはもう一度、根元から手を滑らせる。次は紅蓮の炎が、剣の表面を舐めて走る。更にもう一度。次は白霧を発する氷。相反するはずの3つの力をたたえ、剣が虹色の稲妻を纏ったところで、剣先を下に向け、柄に掌をあてた。緩やかな竜巻が、ユキの体全体を包み込む。癖のない鋼色の髪が、宙に踊った。
ドーガ他、私以外のパーティーメンバー全員が目を見張った。
ユキは本気だ、と私は悟った。これは人前では滅多に使わない、ユキの奥の手だからだ。ユキは本気で、次で決着をつける気なのだ。
これを使うと、ユキの身体能力は格段に跳ね上がる。攻撃力も防御力も敏捷性も、あらゆる力が元とは雲泥の差だろう。
竜巻の守りもある。これなら、刃葉に狙い撃たれても、重傷を負わずにすむかもしれない。
そして私は、胸の中に重たい氷が生まれるのを感じた。
ユキが、人前にも関わらず、これを使った意味。それは。
私は、ユキを見捨てる覚悟をしなければならないということだ。
私は治癒を掌に纏わせて、ユキの腕に触れた。これは私たちのおまじないだ。
無理だと分かっていても、私は祈る。どうか、怪我をしませんように。
ユキは私に、ブルーグレーの視線を向けた。ほんの僅かに、笑みを閃かせる。
「ジーナ。行くぞ」
…ああ、やっぱり。
そしてユキは、魔樹に向かって一人駆け出していった。
私は、未だにユキの奥の手に呆然としているメンバーを見て、両手を打ち鳴らした。
全員が我に返る。
「ドーガ。皆も。あの状態のユキに、フォローは要らないから。皆全力で、それぞれ魔樹を殴ることだけ考えて」
ユキに向けて、刃葉が降り注いだ。ユキは大きく左前に跳んで避ける。何枚かの刃葉が、ユキの体に触れそうになったが、竜巻に阻まれてその軌道を揺らし、そのまま地に落ちた。
ユキが大剣を振りかぶり、大きく跳ぶ。
「今です!」
私は合図を出すと同時に、大甲虫にとどめの一撃を放った。障壁が消えるのと、ユキの大剣が魔樹の幹を、切り下げるのは同時だった。
全員が大広間に突入し、それぞれの間合いで魔樹に向かって攻撃を放つ。私も魔樹に向かって、息つく間もない連射を放った。この45秒間が勝負だ。
ユキに向かって、再び降り注ぐ刃葉。
5秒。
ユキは、今度は刃葉を避けなかった。防ぐ素振りもなかった。全く意に介した様子もなく、魔樹の幹に剣を振るい続ける。先程までと違い、ユキの剣が幹に突き刺さる度に、虹色がスパークして散る。それに彩りを添えるように、ユキの身体からも鮮血が滴り落ちた。
いくら竜巻の守りがあっても、防御力が上がっていても。無傷ですむはずがないのだ。
10秒。
魔樹の標的を一身に背負うユキ。その分、私を含めた他のメンバーは、安全に魔樹を殴ることが出来ていた。
ドーガが雷砲を撃ちながら叫んだ。
「ジーナ! 治癒だ! ユキがやべえ!」
15秒。
ユキへ降り注ぐ刃葉は止まない。魔樹の正面に立ち、一番ダメージを与えているからだろう。それをユキは、避けることも防ぐこともせず、時間が惜しいとばかりに、ただ全力で魔樹を切り伏せていく。
20秒。
私は、ユキに治癒をうたなかった。
魔樹の傷口から、核が見え始めていた。その青い煌めきに照準を合わせ、更に攻撃を加える。
「ジーナ?!」
だって、ユキは今、私が治癒をかけることを望んでいない。
25秒。
いつも、ユキの役に立ちたいと思ってきた。そのために、治癒だって磨いてきたようなものだ。
でも、今は。今一番ユキの役に立つことは、攻撃の手を止めて、ユキに治癒をかけることじゃない。
奥の手を皆にさらしてまで、魔樹の標的を一身に背負って。それでもなお1歩も引かず、魔樹に攻撃を加えているユキと一緒に、一撃でも多くの攻撃を、魔樹に入れることだ。
30秒。
今は。今だけは。ユキに治癒をかけるのを我慢しなきゃ。例えそれが、どんなにツラくても。
ユキの心を、無駄にするわけにはいかないのだから。
…ああ、ユキ。お願い。耐えてね。
全て終わったら、すぐにでも、いっぱい、いっぱい、治癒をかけてあげるから。
35秒。
ドーガが耐えかねたように動いた。ユキのフォローに行こうと、足の向きを変える。
そのとたん、ユキからかかる制止の声。
「ドーガ! 来るな! 殴れ!」
ドーガが悪態をついて、剣を握り直す。
全員の顔が青ざめていた。熟練の技で、連続して矢を放つ弓士も。炎弾だけに絞って、矢継ぎ早に連射する魔法士も。ユキの右隣から、傷口を大きく抉り続ける槍士も。雷砲を織りまぜながら、剣を振るうドーガも。
40秒。
核が見える。あと少しだ。ヒビが入っている。突き立つ矢。小爆発を起こす炎弾。突き抜ける槍撃。ビリビリと幹を揺らす雷砲。白く飛び込む銃弾。
そしてユキは狙いすましたように、最後にもう一度、大きく飛び上がった。剣を逆手に握り、核に向かって虹色の切っ先を向けて。
45秒。
障壁が復活する瞬間に、ユキの大剣は、見事に核を捉え、叩き割っていた。
ユキが魔樹にとどめをさした瞬間に、私は両手をぎゅっと握りしめた。魔力をため、そのまま拳をほどく。両手から白い光がユキに向かって流れた。きらきらと。何度も、何度も。
ユキの大剣から虹色の稲妻が消えた。だからと言って、いきなりくずおれるようなことはない。少し気だるげに、前髪をかきあげて、息をつき。皆の方を振り返った。
「お疲れさん」
〈迅雷〉のメンバーは既にお祭り騒ぎだった。悲観しかけていた分、喜びが爆発したらしい。両手を握りしめて、雄叫びをあげている。
私はユキに歩み寄った。まだ治癒は連発中だ。
「…ユキ。もう、無茶ばっかりして」
ユキは私の頬に手を伸ばした。
「ジーナも。よく頑張ったな。辛かっただろう」
慈しむように、撫でて離れる。その指先を、私は追いかけた。ユキの手をぎゅっと握る。
「本当よ。もう泣きそう。私、何のために治癒を磨いたのよ。あんな作戦立てるなんて。ユキのばか。おたんこなす」
八つ当たりだ。でも止まらなかった。ユキは優しく笑って、反論もしない。ばかばかばか。
本格的にユキに甘えたくなって、肩口にコツン、と額をあてた。目の奥がツーンとするのを、ユキの服を握りしめることで堪える。
良かった。ユキが無事で。本当に良かった。
背後から、誰かが歩み寄ってくる気配がした。ユキに寄り添ったまま振り返ると、向こうで休んでいたはずの剣士がいた。
剣士は、非常に決まり悪そうな顔をしていた。ユキの奮闘を見ていたなら、自分の今までの態度の失礼さが、よく分かったことだろう。
さあ、謝ってくれていいのよ? と私が得意満面で待ち受けている中、剣士は口を開いた。
「…あんた、無茶苦茶やるなあ」
あ、あれ? 謝罪は? ごめんなさいはないの?
ユキはニヤッと笑って答えない。
「ジーナちゃんから、治癒が来ないことは、分かってたのか?」
「当たり前だろう。あの時は治癒より、攻撃の方が大事だった。致命傷でもない傷なんか、放置で正解だ」
「そうか…」
剣士は、大きく息をつくと、意を決したように言った。
「さすが〈流星〉だ」
同時に差し出される右手。ユキはその右手を取ると、ニヤリと笑う。
「悪いな。ジーナは譲れないんだ」
その時、ドーガが割り込んできた。
「おお、和解したか。ヘーゲンズ、てめえ、やっと分かったか。〈流星〉に割って入ろうとしたら、馬に蹴られるっつーことが」
私とユキが寄り添ったままなのを指で示して、そんなことを言う。
だからと言って、私ももちろん離れるつもりはない。逆に、ぎゅっとユキに抱きついてみた。
ドーガと剣士は、呆れた表情で明後日の方を向いた。
私のスキンシップには慣れているので、ユキはスルーである。
「それにしても、ユキてめえ、あんな技があるなんて聞いてねえぞ。明日にでも手合わせに付き合えや」
「付き合ってもいいけど、あれは使わないぞ?」
「あぁ? 何出し惜しみしてんだよ。〈流星〉さんよぉ」
ドーガがわざとらしく凄んでみせる。しかし、ユキはどこ吹く風だ。飄々と返す。
「普段は見せないからこその、奥の手だろ?」
私は内心で肩をすくめた。やっぱり、今回は特別に見せただけで、あの技を一般解禁したわけじゃないのだ。ということは、これからも、もしユキが侮られたら、私がヤキモキする生活は続きそうである。
「チッ。ケチな野郎だぜ」
戦士が自分の手の内を隠すのは当たり前なので、ドーガもその一言で、追及を諦めたようだった。
「ドーガ、帰るか。奢り、忘れるなよ」
「おお。おめえら、大活躍だったからな。浴びるほど飲んでいいぜ。野郎共、帰るぞ! 酒場で打ち上げだ!」
とドーガの号令。
全員の歓声が沸き上がり、ダンジョン内にこだましたのだった。
お読みいただき、ありがとうございました^^