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不味い飯

作者: 薄暮

「不味いなぁ。」

俺はハンバーグを箸で突きながら言う。

作った当の本人も、「不味いねぇ」などと言う。

いかにも無理やり食べてますと言わんばかりに、眉間に皺を思い切り寄せ、口をへの字にしながらハンバーグを咀嚼している。


これは今日に限った事ではない。

毎食がこうなのだ。これは、我が家における、日常的なことである。

要するに、妻が作る夕食はいつも不味い、という日常だ。

だが、今日のはいつもより格別に不味い。

不味い、と一言では片付けられない程に、不味い。


まず、表面は真っ黒だ。

焦げ目、なんて生易しいものではない。

炭になる一歩手前の如く黒い。それも万遍なく。

見た目でまともなのは、形ぐらいなものである。


外側が焦げているのに加えて、中身もかなりのインパクトを提供してくれる。

表面は炭の如き黒さだというのに、中は半生だ。外側の焦げと相まって、食感は最悪である。

おまけに調味料が効いている、なんてものじゃない。辛い、でも収まらない。

痛いのだ。塩か胡椒かわからないそれが、痛みを錯覚させるほどの量を入れられているのである。


俺は、料理をあまりしないからよく分からないが、ハンバーグとは難しいものなのだろうか。

俺のハンバーグの調理イメージは、ひき肉に塩胡椒を適当にし、刻んだ玉ねぎやパン粉や卵なんかと一緒にこねて、形を整えて焼く。

それ程難しいものでもなさそうだけどなぁ。


ハンバーグに限らず、味噌汁と飯はごく普通に旨いにも関わらず、メインとなるモノだけが、途轍もなく不味くなる。

本人曰く、レシピ通りには作っているらしい。

しかし、毎日がこの調子である。恐らくレシピのせいではないだろう。


否、俺は妻が作る料理が不味い理由は知っている。


結婚して2年。

俺たち夫婦は共働きだ。

今時珍しいものでもない。

会社は違うが、仕事を終える時間は大体同じである。

毎日自宅最寄りの駅で待ち合わせ、スーパーで買い物をして帰る。

スーパーで買い物をしている時は、今晩の夕食は何にしようか、等と楽しく会話を交わしながら買い物をする。


まぁ、どれ程夕食を楽しみにしようが、結局は不味くなってしまうのだが。


暫く子供を作る予定もないので、家は独り暮らしよりはマシ、という程度の広さだ。

個々の部屋がある訳でもなく、居間と玄関の間にある廊下に、キッチンが設えてある。

玄関を入り、右手が居間に続く廊下兼キッチンである。

玄関の正面には洗面所があり、左手にはトイレがある。


居間とトイレは真反対にあり、その間にキッチンがある。

なので、俺は用を足す際なんかは、妻が料理をする後ろを通る事になる。

だから、彼女が料理をする様を横目に見ることが出来る。

と、言うよりは、視界に入ってしまう。


米を炊く時と、味噌汁を作っている際の妻は上機嫌である。

時には、鼻歌交じりにそれらを作っている。


だが、メインディッシュになると話は別だ。


今日の俺は、居間でテレビを見ながらのんびりとビールを飲んでいたせいか、無性に用を足したくなった。

俺は妻の後ろを、いつもの様に通り過ぎる。

妻も慣れているので、予め俺が通れるだけのスペースを空けておいてくれる。

俺が何気なくトイレに向かう時、俺は妻の手元をちらと見た。


丁度妻はハンバーグの下拵えに調味料やら何やらを入れていた。

だが、ただ下拵えをしている、というだけではない。

料理に集中しながらも、迚も小さな声で、何かをぶつぶつと呟いている。

「あの野郎、また私の体触ろうとしやがった。あしらうと、いけずな奴だとか、無愛想だとか勝手なことを周りに言いふらしやがって…」

妻の右手に握られた胡椒が途轍もない勢いで振りかけられ、止まらない。

胡椒の入った容器ごとい入れんばかりの勢いだ。


それでも、俺は何も言わず、トイレに入った。


すっきりとした俺は、洗面所で手を洗い、居間に戻ろうとしてまた妻の後ろを通った。

先程と同じように、手元を少し見る。

フライパンの上には、形だけは綺麗に整えられたハンバーグが乗っかっている。

「成績悪いから仕方ないんだろうけど、最近部長も機嫌が悪すぎ。ホント最悪。

しかも誰彼構わず当たるって質悪すぎなんだよ。

自分の虫の居所が悪からって、私や周りに当り散らすんじゃねぇよ。」

コンロを見たところ、最大火力である。


あぁこりゃ駄目だなぁ。


そう思い、俺はいつもの様に、居間に戻る。

そして、何事も無かったかのように残ったビールを飲みながら、テレビをぼんやりと眺めていた。

暫くすると、警報器がなるんじゃないかと心配になるくらいに、焦げた臭いと煙が、キッチンから流れてきた。


ここまでのは久しぶりだなぁ。


そう思いながら、換気のために窓を開ける。

冷たい風が、アルコールで少し火照った体に染みる。

鼻から入る臭いは相変わらず最悪だが…

妻がキッチンに立った時点で予想は出来ていた。


これが俺たち夫婦の日常である。

慣れとは恐ろしいものである。

これを『日常』と呼べるくらいになってしまうのだから、ある意味で、人間大したものである。


暫くして、妻は気恥ずかしげに、キッチンから盆に食事を乗っけて居間に入ってきた。

飯と、味噌汁と、サラダと、炭を並べる。

「またやっちゃった」と妻は恥ずかしい様な疚しい様な調子ではにかみ、そうに言った。

本人も、分かってはいるが止められない。という奴だ。

「君の料理が不味のは、今に始まった事じゃないだろ。

それに、君の料理で腹を壊したことは、今のところ無いなから大丈夫だよ。」

あなたが丈夫で良かった、と妻は笑った。

正直、いつ腹を壊してもおかしくないものを毎日食べている。

その内、料理番を交代せねばならないかもしれない。将来のためにも。


まぁ今のところ、被害を被っているのは俺だけである。

否、『被害』という言葉は、少し違う気がする。


確かに妻の料理は不味い。時には、今日のように壊滅的なものも出来上がる。

ただ、同じ勤め人として、彼女の悩みや苦しみはよくわかる。

俺は酒が好きだ。

酒を使って、同僚や友人、時には妻に言葉を用いて、愚痴やらなんやらを言う。

妻はそれを、いつも静かに、ちゃんと聴いてくれる。

それでいて、意見だとか愚痴を言い返したりは、しない。

ただ、聴いてくれる。


だから、これでいいんだ。

今はこんな不器用なやり方でしか吐き出せない妻に、その内教えてあげよう。

肚の中に溜まったものの吐き出し方を。


その代わり、俺は料理を教えてもらうからさ。


そう思うと、何故だかこのハンバーグも不味くないように思えてきた。

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