おっさん、屋上に現る
「待たせたな……」
そういって私の前に現れたのは、ひとりのおっさんだった。
「時間がかかったけど、ようやく来れた……。あのときの約束を、ついに果たす時だ……」
もう一度言う、目の前に現れたのは見覚えのないおっさんである。
にもかかわらず、彼は運命の相手に会ったかのような薄ら寒い台詞を口にしている。
……それも、私に向けて。
「……あの、誰かと間違えてませんか?」
「待っててくれたんだろう、俺を」
「いや、たしかにここで待ってはいましたが」
それは、このおっさんのことではない。
一筆入魂でしたためたラブレターを下駄箱に入れ、相手を待っていたのだけれど、この分だと違う下駄箱に入れたのかもしれない。
……とはいえそのこととおっさんに関わり合いがあるようにも見えないのは事実だ。
そもそもこの人は誰なのだろうか。高校生には見えないし、下駄箱に上履きを入れている所が想像できない顔だ。
「もしかして照れてるのか?」
そういうおっさんは、とにかく彫りが深い。というかどう見ても外人だ。
もしかして来学期からの英語の先生……なのかもしれない。
「気持ちは分かるが、そろそろしゃべってくれないか? お前のかわいい声を久し振りに聞きたいんだ」
ぞぞぞ、と背筋に寒気が走ったのは三月にしては冷たい風のせいではもちろんない。
「あの、もしかして不審者ですか?」
「ふし……?」
「悪いこと言いませんから、帰った方がいいですよ。この学校、防犯カメラも多いですし」
表向きは平静を装いながら、私は後ろ手で携帯に指をはしらせる。
「それにもうすぐ、先輩が来るんです。先輩は柔道部の主将で、つよくて、あなたなんてあっという間に倒されちゃいますよ」
そして何かあればすぐにでも110番を押せるよう準備しながら、そっと屋上の出口を見つめる。
そうしていると、どうやらおっさんはようやく我に返ったようだ。
「まて、お前は何か大きな誤解をしている」
誤解しているのはたぶんあなたですと言いたかったが、もちろんその言葉は胸にそっととどめでおいた。
だって、相手は不審者なのだ。下手に刺激して怒らせたらまずい。
「まさかお前、俺に気づいてないのか?」
「あなたこそ、誰かと間違えていません?」
「でも、ここでずっと俺のことを待っていただろう?」
「私が待っているのは先輩です」
私の言葉に、おっさんがきょとんとした顔をする。
「さっきからでてくる、その先輩とは誰だ」
「何でそんなこと、あなたに言わなきゃいけないんですか」
「……まさか男か?」
……このおっさんみょうなところで鋭い。
「そうですけどなにか?」
「こいびとか?」
「に、なる予定の人です」
「お前っ、俺というものがありながら!」
「変な誤解はやめてください! あなたみたいなおっさんの知り合いはいません」
「おっさんじゃない! カルロスだ、忘れたのか!?」
「外人の知り合いもいません!」
「思い出せ、幼い頃一緒に冒険しただろう!」
「冒険ってなんですかそれ?」
なにを突飛なことを言っているんだと、私はおっさんを鼻で笑った。
――――いやまて、冒険……?
しかしその直後、私の脳裏にある記憶がよみがえる。
とたんに胸くそが悪くなったのは、その記憶が、決して思い出したくない汚点中の汚点だったからだ。
「ともに旅をして、世界を救ったじゃないか」
おいばかやめろ……。
「勇者の剣を引き抜き、黒き竜を倒し、救世主となった過去をもうわすれてしまったのか?」
えぐるな、私の心の傷をえぐるな……。
「頼む思い出してくれ! お前は勇者リンネだろう!」
「誰から聞いたか知らないけど、掘り起こさないでよ私の黒歴史!」
思わず叫んで、私はその場にうずくまる。
高校に入り、ようやくまっとうな女子高生になり、あこがれの先輩に告白するというリア充まっしぐらなイベント前だというのに、おっさんのせいで気分は最悪だった。
なぜなら彼が語った出来事は、10歳の私が周りに吹聴しまくった妄想であり、黒歴史だからである。
「黒歴史と言うことは、覚えているんだな」
なぜか嬉しそうなおっさんに腹立たしさを覚えながら、私は脳裏をよぎる汚点の数々を思い出す。
10歳の頃、私はある晩夢を見た。
その夢は近頃はやりのラノベ的な異世界トリップもので、私は夢の中で勇者となり、美しい王子たちにちやほやされたり、悪い竜を倒したりと、それはもうすさまじい冒険を繰り広げたのだ。
その夢は今でも鮮明に思い出せるほどリアルで、頭の中で反芻するだけなら素敵なものである。
……が、夢というのはいずれ目が覚める。
けれど10歳の私はそれを受け入れることができなかったのだ。
その結果、ありとあらゆる所で自分が勇者だと話してしまい、ひどい目にあったのである。
夢はすばらしかったけど、その後に続く現実は厳しかった。
自分を勇者だと思い込み、それをありとあらゆるところで吹聴する私に、世間は冷たかった。
親には病院に連れて行かれ、友達にはいじめられ、近所の人からは気味悪がられるそんな毎日が待っていたのである。
夢を夢だと受け入れるまでに2年ほどの歳月が必要だったせいで、小学校中の子供が私を勇者(笑)と呼び、それは中学まで続いた。
なにせうっかり同じ区の中学校へと進学してしてしまったため、生徒のメンツがさほど代わり映えしなかったのだ。
同学年だけでなく先輩も後輩も勇者(笑)の話は耳にしているので、3年になるまでずっと、からかわれ虐められ続けた日々はまさに黒歴史である。
「だから、わざわざ同じ中学の子がいないこの高校まで来たのに……!」
「思い出せ、お前は勇者だ!」
どうやらこのおっさん、トコトン人をからかうつもりらしい。
「俺はからかってなどいない、ただリンネに昔のことを思い出して欲しくて……」
「いい加減にしてください。私になんの恨みがあるんですか?」
「恨みなどあるわけがない、俺は……」
「ないなら、この話はもうやめてください。私にとっては、忘れたいことなんです」
「忘れたいって、俺のこともか?」
「そもそも、あなたのことなんて知らないし」
「嘘だ。俺はお前の恋人だろう」
いうなり、おっさんは私の腕をつかむと無駄にきれいな瞳でじっと見つめてくる。
「たしかに昔より少し年はとったが、ちゃんと覚えているはずだ」
そのまま顔まで近づけてくるおっさんだけれど、もちろん私の記憶にはない……はずだった。
「ん、いやまてよ?」
一瞬……。
ほんの一瞬だが、同じように私を見つめる瞳が頭をよぎる。
「いやいやいや、でもあれは夢のことだよね」
「夢でかたづけるな!」
「それにほら、あれだよ、あの人はもっと美形で若くて……」
「ちなみにだが、俺たちの世界ではお前が消えてもう20年がすぎている」
「20……。あれ、足し算したらあのひともこれくらいのおっさん…あれ……?」
「思い出せ、俺はお前の……お前だけの王子だ!」
まったくもって王子らしさのかけらもない顔で、おっさんはいう。
けれど私の頭は、もうおっさんを変質者とは認識してくれない。
それに黒歴史として封じていたはずの過去も、まるで実際に起きたことのように頭をよぎる。
あれは夢で、絶対に夢で、現実と同一視したら小学校の二の前になってしまうのに。
「頼む、思い出してくれ」
そう言ってしょんぼりするおっさんは何だか少し寂しげで……。
だからつい、私は彼の名を呼んでしまった。
「カルお兄ちゃん?」
「思い出してくれたか!!!」
おっさんは大喜びし、私のことを抱きしめる。
昔より逞しくて、筋肉度がアップした腕に包まれていると、私は思わず泣いてしまう。
「私、今度こそマジで頭おかしくなっちゃったんだ」
「何でそうなる!」
おっさんこと、夢の中の王子カルロスは叫んだが、絶望にくれる私の耳にはただの雑音にしか聞こえなかった。
※11月18日 誤字脱字修正しました! ご指摘ありがとうございます!