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1

どこともわからない場所を少年はさ迷っている。


気が着いた時には濃紺の霧の中にいた。

伸ばした手の先ですら霞むほどに濃い霧。

目の前もろくに見えず、どこに向かって歩いているのか見当もつかない。

足元を見下ろせば、草原がかろうじて見えている程度だ。


草原か山中のどちらか。

少年は後者を切り捨てる。

もしそうならば、今頃木々に体をしこたまぶつけて、あざだらけになっているはずだからだ。


無限に広がる大草原。

きっとここはそんな場所なのだろうと思う。


出口などない迷宮。一生抜け出せないかもしれない。

そんな考えが頭をよぎり、体がぶるりと震える。


そもそも、何故自分はこんなところにいるのか。

少年は思い出そうと記憶を漁るが、無駄だった。


そもそも漁るべき記憶が全くもってないからだ。

ここにいる理由から、自分の名前に至るまでの全てを、である。

あまりにも綺麗に抜け落ちていて、少年は先程まで忘れていることすら忘れていた。

自身の体を見下ろせば、手がかりになりそうな学生服のようなものを着ている。

しかし、そこから連想される記憶はまるでない。


完全な記憶喪失。


記憶も理由もわからないまま、少年は濃霧の草原に立たされていた。

その事実に少年は、先ほどよりも大きく体を震わせる。得体のしれない恐怖を感じて。

そのままうずくまってしまいそうになる少年の心を、助かりたいという生存本能が押さえつける。

お陰で体は思うように動かず、しゃがむのか歩くのかよくわからない動きで、少年はのろのろと歩き続けた。


歩けど歩けど、少年の全身を包む濃紺の霧が晴れる気配は一向に訪れない。

宛もなく途方もない現実に少年は、まるで自分の足が鉛になったような感覚を覚える。

酷く重たい足に辟易し、ついに少年の膝が折れかけ、しゃがんだその時だ。


目の前に不自然な、まるで踏み潰されたように折れ曲がっている草の跡を見つけたのは。

少年はその光景に目を見開く。

その跡は大きさからして、何者かの足跡だろう。

濃霧の中にもう一つ、似たような跡が霞んで見える。おそらくその先も続いているに違いない。

思いがけず脱出の手がかりを掴んだ少年は、しゃがんだまま足跡をたどっていくことにした。

問題は、この足跡と思しきものが前後どちらを向いているのかがわからないことだ。

しかし、少年にとってはこの濃霧の中から抜け出すことが全てであるため、今の進路方向に進むことを即断する。


それから少年は霧の中に伸びている足跡だけを頼りに歩くが、足跡を見つけるのが遅かったのが災いし、ついに体力の限界が見え始める。

膝はがたがたと笑い、歩くのはもとより、体を支えることすら難しい。

膝に力を入れて、身体を持ち上げようとするが、それも叶わず、膝はあっさりと折れた。

地面に投げ出された少年の体はとっくに満身創痍で、もはや打ち付けられた痛みさえ感じない。

もう体力は残っていない。倒れて体の緊張が解けたのと同時に抜けてしまったのだ。

ここが少年の行き止まりだった。


こんなわけのわからないまま死ぬのかと少年はみっともなく泣きそうになる。

しかしながら、涙は一滴も流れない。突然の最期に感情はおいてけぼりらしい。


満身創痍。それゆえ少年は気付かなかった。濃霧から抜けていることに。

そして、少年を見下ろす影がすぐそばにあることも。


「あんた、どうやってここまで来たの?」


少女が問いかけるが、その言葉の意味を理解することもできないほど、少年の命のともしびは燃え尽きかけていた。

少女はしばらく待つが、少年は風切り音のような息をするのみだ。


「なに? あんた死にかけてるの?」


ため息をついて、つまらなそうに少女は言う。


「死ぬのが怖い?」


少年は答えない。答えられない。

薄く開いた瞼の奥から、瞳で必死に訴える。

死にたくない、と。


「ふうん」


面白いものを見つけたかのように目を細める少女。


「死にたくないんだ?」


つま先と脇腹が触れるか触れないかの距離で少女が少年にさらに近づく。

少女はそのまましゃがみこみ少年の顔を覗く。


「別にあんたみたいな弱くて情けない奴、ほっといてもいいんだけど」


少女の細い腕が延びて、その手のひらが少年の腹の上にかざされる。


「ちょうど新しい召し使いが欲しかったし」


しなやかな手のひらから、青い光がこぼれる。

光は少年の身体を伝い、やがて全身を包み込む。

少年の最後の意識が途切れようというとき、少女はつぶやく。


「あんた、私の犬になりなさい」


少年の意識は強制的に遮断された。

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