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メイガス×クロス  作者: 夢見鶏
3/3

湖上の神都 Ⅲ

 都のとある場所。

明かりの一切ないその場所は、遠くに聞こえる水音を除けば、静寂に支配されていた。


 そこに二つの靴音が現れ、同時に一つの明かりが生まれた。

松明の火がゆらゆらと揺れ、二つの影を映し出す。


「遅いぞ!約束の時間は過ぎている」


 神経質そうな男の声が響く。


「へっ、相手は待たせるのが商売上手ってもんだ」


 それに対して応えたのはへらへらとして男の声だ。自称商人である男は懐を探ったかと思うと松明を使い自前のキセルに火を入れると、ゆっくりとそれを燻らせる。


「それにあんたには約束がどうのこうのというような立場にはないだろう?手前がわざわざ用意したおもちゃを無駄にしちまってよ」


 煙を見た男は明らかに嫌そうな顔をしたが、当の本人は全く気にせずにうまそうにキセルをふかした。


「そ、それは予定外の邪魔が入ったからだ。それにお前が用意したチンピラどもが使い物にならなかったことにも原因があるのだぞ」


「ま、それも一理あるな。じゃあ、その件に関しては喧嘩両成敗ということでお互い恨みっこなしだな」


 鼻を鳴らして不満げな様子を見せるものの、相手にもこれ以上追及するつもりはないらしい。


「それよりも―」


「ああ、分かってるさ。顧客のニーズに合わせて臨機応変に対応するってのは一流の商人ってもんだからなあ」


 そう言って、背中に背負っている袋から頑丈そうな箱を地面に下す。

男は何も言わずにそれを開き、中身を確認するとその口に笑みを浮かべた。


 そこに入っていたのは漆黒の胸当てだ。武骨な造りで、装飾と言えるのは中央にある赤い宝玉だけだ。その宝玉が、一瞬、脈動するように光を帯びた。


「これが例の?」


「ああ、正真正銘本物だ。苦労したぜえ」


「ははは!それはそうだろう。何せ『召喚戦争の遺物』だ。だが、よくやった。報酬はいつも通りの方法で用意しよう」


「へへっ、まいどあり…。今後ともどうかご贔屓に」


 商人は、嫌らしい笑みを浮かべるとその場を後にした。

あとに残ったのは神経質そうな男一人。


 男は、箱にしまってある胸当てを取り出すとそれを天に掲げてほくそ笑む。狂気じみた目で胸当てをそして、そこにはない何かを見つめる。


「ようやく『ミシャンドラ』が手に入る時がきた!偽りの王家に今こそ鉄槌を下すのだ」


 男の叫びに呼応するように、胸当ての宝玉が再び光を帯びる。

そして、松明の明かりが消え、そこには再び静寂が満ちた。






「んぐんぐ。それでは、あなたは旅の学者で、んぐ。そちらの子はその途中で偶然出会って、んぐ。成り行きで旅していると…?」


「そうだけど、とりあえず、飲み込んでから話そうか。ほら、足りないならまた何か買ってくるから」


 現在、ハオリたちは西区のとある建物の最上階に来ていた。

追手は撒けたが、未だ混乱が収まらずピリピリしている場所へすぐに戻ってしまっては再び追われることになりかねない。そこで、しばらくの間、どこかに身を隠すことにした一行が見つけたのがこの場所だ。

既に使われなくなった集合住宅か何かなのだろう。


 ハオリは室内潜むことを提案したが、アンリエットが「これ以上埃まみれなんて耐えられません」と断固反対の意思を示したため仕方なく屋上にまで上がってきたのだ。

 そして、朝から何も食べていなかったアンリエットが盛大に腹の音を鳴らしたのを合図にハオリが持ち込んだ食料で食事をすることになった次第である。

 今朝、ハオリがもらってきたおにぎりを口いっぱいに頬張ったアンリエットはそれをお茶で流し込むと、ほうと一息つく。その横では、シルフィーが小動物よろしくおにぎりをちまちまと口に運んでは咀嚼している。

それを見て、何やらものすごい葛藤を見せたのち、アンリエットはゆっくりと首を振った。


「いえ、さすがにこれ以上いただくわけには行きません。もともとその子に持ってきたものだったのでしょう?それよりも、その説明で私が納得すると思ったら大間違いですよ」


 ハオリとしては餌付けして、何とか自分たちへの追及から逃れるつもりだったのだがどうやらそう簡単にはいきそうにない。


「鉄道を素手で受け止めて、彼女を贄族と知りながら連れて歩いているような人が普通の学者で通るはずがありません」


正論だった。後者だけならば、物好きとか、そういう筋の特殊な趣味を持つ者といったような逃げ方もできるが、前者については弁解の仕様もない。


 ハオリは考えた挙句、捨て身の作戦に出ることにした。


「僕が普通の学者ではないとして、だ。そういう君も普通の女の子ってわけじゃないんだろう?」


「む…。そ、それは―」


 今度はアンリエットが答えに詰まる。ハオリはそれを好奇とばかりに攻撃に出る。


「一瞬しか見てないけど、あの駅に、あんなバカでかい本を持っているような子が普通の女の子な筈がないよね?それに贄族の件を出すなら君もそうだ。周りがパニックになってる中、こいつを連れて逃げるなんてこと普通の人はやらない」


「ど、読書好きなんです!本を読みながら歩いていたら偶然…その…」


 言っている自分でも無理のある嘘と分かったのだろう。アンリエットの声は尻すぼみになっていく。

なんてわかりやすい子だろう、とハオリは自分のことを棚に上げながらそんな感想を抱く。そんな彼女の様子を見ながらハオリは畳みかける。


「もし君が正体を明かすっていうのなら、こちらも明かすけど。まあ、お互い、明かせない事情もあるだろうから痛み分けということに―」


「分かりました!」


「しよう―って、え、分かったって何が?」


アンリエットは立ち上がると風に舞う青い髪をかき上げると、その目にメラメラと炎を燃やす。


「私が正体を明かせばあなたも明かすのでしょう?」



 お互いにこれ以上の詮索をしないという協定を結ぼうと提案しようとしたハオリの目論見は、しかし、アンリエットの予想外の動きによって思わぬ方向へと向かう。


 ハオリに歩み寄る彼女の視線は険しい。ハオリは思わず後ずさりながら手を突き出した。


「ちょっと待って!君、正気かい?こんなどこの馬の骨か分からないような輩にむやみに正体を明かすなんてよした方がいいよ!」


 必死で説得しようとするハオリだったが、そのことが余計にアンリエットをヒートアップさせたらしい。


「いいえ!むしろ、あなたがどこの馬の骨か分からないことの方が余計に危険です。いいですか?私は―」


 その時、突然シルフィーが立ち上がると屋上の欄干に飛びついた。それを見たハオリも彼女に続く。


「一体、どうしたのですか?」


 アンリエットの問いに答えたのは、ハオリでもシルフィーでもなく都の一画からあがる破砕音だった。

もうもうと立ち込める砂煙と、続く破砕音、そして、人の悲鳴。


 シルフィーが頭上にある耳をピクピクと動かしながら見据える先を一緒になって覗き込みながらハオリは大きなため息をついた。


「全くいつになったら図書館塔に行けるのやら…」


 そんなことを言ったかと思うと次の瞬間、ハオリとシルフィーはなんの躊躇いもなく屋上から飛び降りた。


「ち、ちょっと!」


 慌てて欄干に駆け寄って恐る恐る下を見れば、二人は十数メートル上から飛び降りたとは思えないようにスムーズに着地し走り出している。


「全く、いつになったらまともに話ができるのでしょうか…」


 アンリエットはげんなりとした顔をしながらも、階段を降りて二人のあとを追った。







 宵闇通りは本日二度目の大混乱となっていた。

一度目は、贄族の少女が目撃されたとき。そして、二度目の今は先の混乱よりも深刻なパニックとなっていた。


 ハオリとシルフィーが通りに飛び出した時、目の前を巨大な影が横切って行った。

その影を追ってみれば、そこには壁に激突し地面に倒れ伏す男の姿がある。


 男を無感情に見つめるシルフィー。


 それが先程シルフィーに絡んだ男であると、アンリエットなら気づいただろう。

傍らには亀裂が生じた巨大なツーハンドソードが転がっており、どうやら、防御の上から吹き飛ばされたらしい。


 ハオリたちは、男とは逆の方向、つまり男が吹き飛んできた方向に目をやる。


「これが騒ぎの原因か」


 吹き飛ばされた傭兵崩れは身長二メートルを優に超える巨体だったが、『ソレ』はその男よりもさらに頭三つ分ほどは大きい。

 かろうじで人の形こそしているものの、体格、や肌色、鋭い牙などがそれが人外の存在であることを証明している。手には何かの動物の骨で作られた巨大なこん棒が握られており、その血走った眼をギラギラさせながらよだれを垂らす様は見る者に恐怖と、それ以上に生理的な嫌悪感を抱かせる。


 ハオリは以前本で見かけたその存在について思い出す。


「あれがオークか」




 通りに突然現れたオークによって、辺りはすでに阿鼻叫喚に包まれていた。

先程の傭兵崩れのようにこん棒の餌食となった者も一人や二人ではなく、オークの周辺にある屋台は既にその原型をとどめていなかった。


「な、なんで都内にオークがいるのですか!?一体どこから」


 いつの間にかハオリたちに追いついたらしいアンリエットが驚きの声を上げる。


「僕はここに来て二日目だからよくわからないけど、こういうのはたまに起きたりするの?」


「そんな訳がありません。この都には初代様が張られた結界があるのです。結界付近までやってきたという話はいくつかありますが、都の中に現れたなどという話は聞いたこともありません」


「ふーん、結界か…」


 通りに現れたオークは全部で四体。

そのどれもが各々に周囲に破壊を振りまいており、通りのあちこちですさまじい音が響く。


 アンリエットは、その様子をしばらくじっと見ていたが、やがて拳を握りしめるとオークに向かって駆けだした。

しかし、それ後ろから掴まれ動きが止まる。


「ちょっと待った!君が何かすると色々まずいんじゃないの?」


「そんなことを言ってる場合ですか!」


 目の前には何人もの人が地面に転がっている。まだ、息がある者もいるが既に手遅れの者も少なくない。

彼女の後ろには未だ逃げ惑う多くの人々の姿があった。そして、その先にはこの都でもっとも人口密度が高い中央広場もあるのだ。さらに今は継承祭前でいつにもまして人が多い。


 もし、魔物たちを通してしまえばどうなるか。下手すれば昨日の列車テロどころの話ではなくなる。


「都の人たちに危険が迫ったとき、矢面に立つのはこの土地を治める者の義務です」


 そう叫びながらなおもハオリに抵抗を続けるアンリエット。彼女は腕力ならばそれなりの自信があったのだが、それでも後ろから羽交い絞めにされればさすがに身動きが取れない。


 そのの後頭部に鈍い痛みが走った。


「痛いっ!あなた、いきなり何を―」


「少し落ち着け、って言ってるんだよ」


 どうやら後頭部にチョップを入れられたらしい。以外にも痛い打撃に思わず目から涙がこぼれそうになる。


「今は昨日持ってたあのでかい本を持ってないじゃないか!あれがないと君、術が使えないんじゃないの?」


「え?あ、そういえば…」


 そこまで言われ、ようやく気づく。

昨日の大脱走の罰として魔本は没収されてしまっており、今のアンリエットは丸腰だ。

 ハオリの言う通り、今のアンリエットでは精々オークのおとりになるぐらいにしか使い道はないだろう。

頭に上った血が下りてくるのを感じながら、アンリエットは俯く。


「…離してください」


「いや、だから―」


「もう無暗突っ込んだりしません。それよりも、先程から色々と触りすぎです!この変態!」


 頬を赤く染めながらそういうアンリエットに指摘され、ハオリも自らが女性を後ろから羽交い絞めにしていることを理解した。


「いや、その、これはなんというか、所謂緊急事態が故の仕方ないことで―」


 ようやく解放されたアンリエットは、耳まで真っ赤に染めながらハオリをにらみつけた。


「追及は後にしましょう。それよりも早くみなさんを非難させないと。それに魔物がここに現れたということは都内の他の場所にも出現している可能性がありますね」


 オークたちに背を向ける彼女を見て、ハオリはヒューッと口笛を吹く。

彼女の顔はおそらく今まぎれもなく、人々を治める者の顔だ。

今の今まで、オークに突っ込もうとしていた人物とは思えないが、切り替えがうまいのは有能な統治者の証拠だ。


 ハオリは彼女と背を向けるようにして立つと、オークをにらみつける。

彼女がなすべきことをしている今自分もなすべきことをしなければ。

傍らに控えている銀髪の少女に視線を移し、そして、告げる。


「じゃあ、そっちは任せるよ。ここは僕とシルフィーで片をつける」


「へ?あ、あなたいったい何を―」


 驚いて振り向こうとしたアンリエットの頭がハオリの手で押さえて止められる。


「僕はハオリ。ヤギリ・ハオリだ。君の想像通り、『魔王』だよ。それじゃあ、ここを任せる理由にならないかい?」


 余りにも突然すぎるカミングアウトににアンリエットは一瞬固まったが、やがてハオリの手をゆっくりと振り払うと前へと踏み出した。数歩ほど進んだところで立ち止まった彼女はこちらを振り返らずに言う。


「私は、アンリエット。アンリエット・ヴェルニカ・フォン・クロウリー。あなたの想像通り、現ソロモンの義娘にして次代『ソロモン』です。あなたは全く信用できない変態ですけれど、その力をほんの少しだけ頼りにしてあげます。ですから―」


 そして、美しい青髪を優雅な仕草で払って見せる。


「こちらのことは万事お任せを」


その余りに自信あふれる声に、ハオリもう一度口笛を吹く。


「ああ、そうするよ。頼んだよ、え~っと―」


「アンリ。親しい人は皆私のことをそう呼びます」


「わかった、アンリ。僕はハオリでいい。こいつはシルフィーだ」


「ハオリさんにシルフィーちゃんですね。オークは見てくれこそあれですが、群れで連携を取る程度の知性を持ち合わせています。くれぐれもお気をつけて」


「ああ!そちらも気を付けて」




 アンリエットの走り去る音を背後に聞きながら、ハオリは傍らに控えているシルフィーに視線を向ける。


「オークとの戦闘経験はあるか?」


シルフィーはふるふると首を振ると、その紅い瞳にオークたちを映し出しながら言う。


「本で読んだことはあります。分厚い脂肪と硬い皮。あと、火に弱いとか」


「なるほど。そうなると丸腰だとさすがに面倒くさそうだ」


 ハオリはキョロキョロとあたりを見渡すと、目当てのものを発見する。


「シルフィー、命令だ」


歩き出しながら言う。


「倒す必要ない。奴らを可能な限り足止めしろ。何が何でも広場へ行かせるな」


 贄族とはいえ、未だ少女であるシルフィーに対してオーク数体の相手をさせるなど、普通に考えれば荒唐無稽としか言いようがない。しかし、シルフィーは何の疑問も出さずにただただコクンと頷くと


「承知しました」


 そう言ってローブの下から二本の短刀を取り出すとオークに向かって走り出した。



 それを確認したハオリは足早に先程見つけた目当ての場所へと向かう。

そこにあるのは一軒の武器屋だった。


 アンリエットの働きもあり、既に周囲には人っ子一人いない。しかし、その店には小太りの男が一人未だその場から離れずにいた。


「くそ!くそ!これも、あれも、それも持っていかねえと!」


 どうやら店と人生を共にする、というような職人魂熱い店主、というわけではないらしい。単に商品が惜しくて可能な限りの武器を持ち出そうとしているようだ。

 すでにその背には自分の体ほどもある大きな風呂敷が背負われており、その中には隙間なく武具が包まれている。それだけでも歩くことすらままならなくなっているというのに、更に武具を持ち出そうとする男を見て、ハオリは呆れるのも通り越して、尊敬に近い感情を抱く。


「さて、と」


 別にこの男の一人大移動を手伝いに来たわけではない。一人でぶつぶつ言っている男を尻目に、ハオリは店内を物色する。

 すでに大半は男の背に収められているのだろう。店内に残っている武具はどれも大量生産の安物のように見えた。先程の傭兵崩れが持っていたような大剣や、オーソドックスな両刃の剣、かと思えば料理に使うような包丁などが並べられている。ハオリはそれを注意深くを見比べ、そして、いくつかを実際に手に取り軽く振ってみる。


と、ようやくハオリに気づいたらしい店主が叫び声をあげる。


「てめえ!火事場泥棒か!うちの店のもんは屑鉄一つだってくれてやらねえぞ」


 激昂する店主の苦笑して「まあまあ」とおさめつつも、ハオリは数本の剣と短刀を選び取りホルダーを使って固定する。背中に両刃剣を二本、腰に短刀を一本ずつだ。


そして、店主に軽く頭を下げる。


「ちょっとお借りします!あとさっさと逃げることをお勧めしますよ。命あっての物種だ」


「あ、おい待ちやがれ!」


返事も聞かず店を飛び出したハオリは一人でオークに立ち向かっていたシルフィ―のもとへと駆け出した。






 シルフィ―は数体のオークたちと激しい戦闘を繰り広げていた。


 荒々しい鼻息とともに振り下ろされる大ぶりのこん棒を、シルフィ―は風に揺れる木の葉のような動きで躱す。そして、地面にしゃがんだかと思うと、全身のばねを利用し、ナイフを用いた強烈なカウンターを繰り出した。


 人間なら心臓にあたるであろう部分に的確に突き出されたナイフは、しかし、オークの硬い皮と分厚い脂肪とに防がれ小さな斬り傷を負わせたに過ぎなかった。

 舌打ちしながら距離を取り、再び相手の懐に飛び出し急所を狙う。

人間相手なら間違いなく勝負を決しているであろう模範的なヒット&アウェー。


 しかし、相性が悪かった。あるいはもっと上等な武器を持っていればどうにかなるかもしれない。今の彼女が持っているのは護身用の短刀だけで、それもすでに今までの戦闘で刃がボロボロになり使い物にならなくなっている。

いまだに攻撃こそ当たっていないものの、一対多の攻防はあっという間にシルフィ―の体力を奪い取った。


 しかし、肩で息をする彼女の顔に浮かんでいたのは絶望ではない。

彼女をよく観察している人間であるなら気づいたかもしれない。

それが彼女の笑みであるということに。


 感情の起伏の乏しい彼女は、しかし、確実に命を削り合うその攻防を間違いなく楽しんでいた。


 どうやって殺そう。どこを刺せば死ぬかな?いや、簡単に殺すわけにはいかない。どうすれば痛がるだろう。できるだけ惨く、痛く、長い間悲鳴を上げさせるにはどうすればいいだろう。彼女の頭の中はそんなどす黒い感情に埋め尽くされていた。


「―――」


 不意にシルフィ―の前に影が立ちはだかった。

もはや反射とも言える無駄のない動作で向けられた俊足のナイフは、しかし、金属音と共に止められる。


 影の向こうで、オークが数メートル先に吹き飛ばされていくのが見えた。

木製の屋台に突っ込んだオークの上から屋根の部品が降り注ぎ、うめき声が上がる。

アンリエットの言葉通り、仲間意識があるのか他のオークたちが瓦礫をどかして救助に回った。


「問題ないか?」


 オークを蹴り飛ばし逆手に構えた剣でシルフィ―の短刀を受け止めていたのはハオリだ。

慌ててナイフを彼から離すと、彼女にしては珍しく顔を青くしながら頭を下げる。


「ま―」


「お兄様、だ」


「お、お兄様。すみません、でし、た」


「怪我は?」


「ない、です」


「よくやった。一匹も通してない。ちゃんと命令を守ってくれたな」


「…」


 シルフィ―は黙り込む。おそらく彼は気づいているはずだ。

彼女は命令のことなどすっかり忘れ、戦闘に、いや殺戮に没頭していた、ということを。


 そして、あろうことか、まかり間違ってもあってはならない愚行を、自らの主に刃を向けてしまった。

なのに、そのことに対して彼は全く責めようとしない。

 いっそ、怒鳴りつけ、殴りつけてくれればいいのに、それを指摘されないことが、彼女にとっては何よりも堪えた。



「隙を見て息がありそうな者を運び出せ。オークの方は僕がやる」


 ハオリの言葉に従い、おとなしく下がったシルフィ―は、ぎゅっと唇を引き結んだ。

そんな彼女の頭にポフッという心地よい感触のものが置かれる。

それは、綺麗な羽飾りのついた緑色の帽子だった。


「せっかく、こんな賑やかなところに来たっていうのにフードのままってのも不自由だろう?道中で買ってきたんだ。あとで色付き眼鏡も買ってやるから今はそれで我慢しとけ」


「…あ、あの―」


 何か言おうとしたが次の言葉が出てこない。

ハオリは、彼女の頭をポンポンと軽く叩くとオークに向かって駆け出して行った。

 その場に残されたのはシルフィーただ一人だ。

オークの怒り狂った声を遠くに聞きながら、シルフィーは俯く


「私は、やっぱり不良品です…」


 そう言って頭上に置かれた帽子をぎゅっと握りしめた。







 ようやく救い出されたらしいオークは、ハオリが向かってくるのを見るとすさまじい咆哮をあげて、走り出す。

どす黒く濁った目にはありありとした敵意と怒りが見て取れた。


「剣は久々だけど…」


 その手触りを確かめるように、剣の柄に力を込めると体勢を低くする。

そして、オークの全身を観察するように目を細めた。足を、腰を、腕を、頭を射抜くような視線で観察する。

先程のシルフィーとの戦闘でいくつか軽傷を負っているようだが、そのどれもが致命傷には至っていない。血こそ流れているもののダメージはほとんどないと考えるべきだろう。


 オークは、辺りにあるものを手当たり次第に破壊しながら、その口から粘り気のあるよだれを垂らし突進してくる。

二つの影は見る間に近づき、そして、交錯する。


 ハオリは、すれ違いざまオークの脇腹に渾身の斬撃を放った。人間であれば急所であるはずの部位への容赦ない斬撃は

 

「っちぃ!やっぱり硬いな」


 しかし、シルフィ―の攻撃と同様、彼の攻撃はオークに大した傷すらつけることはできなかった。

近づいてくる仲間のオークたちを視界に入れつつ、足の付け根、膝の裏などできるだけ柔らかそうな部分を狙って鋭い連撃を繰り出す。しかし、相手に大したダメージを与えることもできず剣の方が先に折れてしまった。


 遠くで聞こえる店主の叫び声らしきものを聞きながら、ハオリは背中から二本目の剣を引っ張り出す。

オークは、目の前の相手が自分を倒すことができないことが分かるとその醜い顔にいやらしい笑みを浮かべる。

対するハオリも額に流れる汗をぬぐいながらそれに同じく笑みで答えてみせた。







 誘導を終えたアンリエットが宵闇通りに戻って来たのはそれから十数分ほどが経ってからだった。

すでに図書館隊には連絡を入れ、宵闇通りから広場への道は完全に封鎖されている。さらには精鋭を率いた部隊もすでに派遣されており間もなく通りにやってくる手はずとなっている。


 幸いというべきか、宵闇通り以外で魔物が現れたという話は出ていなかった。


「ならばあのオークたちを片付ければ、片が付きます!」


 無理を言って持ってこさせた『レメゲトン』を抱えて走りながら部隊に先んじて通りに戻ってきた彼女は、息を切らして辺りを見回す。


 最初に目に入ったのはシルフィ―だ。


「シルフィーちゃん、大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄ってみると、どうやら擦り傷や切り傷こそあるものの大きなけがは負っていない。

彼女の傍らには何人かが横たえられており、そのどれもが意識を失っている者や血を流して呻いている者がいたが、どの人物にも応急手当が施されておりすぐに命が危ないというような者はいないようだった。


 どうやら彼らを運んだのはシルフィーらしい。そのお礼を言おうとして、しかし、彼女の顔を見て思い直す。

シルフィーはその唇をかみ破らんばかりに引き結んだまま、ただただ前を見つめていた。

その視線の先にあるものを見て、そして、アンリエットはその目を疑った。



 そこでは激しい戦闘が行われていた。

ハオリを取り囲む三体のオークたちが代わる代わるに凶悪なこん棒を振り下ろす。

彼はそれを紙一重でかわすと、斬撃や蹴りを交えてその包囲網を突破する。

しかし、オークたちの連携はかなりのもので突破する端から再び取り囲み袋叩きにしようとしていた。


 すでにハオリは血まみれであり時折苦痛に顔を歪ませているところから察するにどこかの骨が折れているのかもしれない。明らかに劣勢である彼に加勢しようとしたアンリエットはそこであることに気づいた。


「あれ、オークって四体いませんでしたか?」


 一匹は既に広場に向かっているのかと考え、それを自分で否定する。

広場までの道は一本しかない。アンリエットがここに向かう途中であの巨体のオークとすれ違って気づかないことはありえない。

 混乱するアンリエットの横でシルフィ―がスッとある一点を指さして見せる。

それはハオリが攻防を繰り広げている場所から少しだけ離れた場所だ。

 そこに転がっていたのはオークの首だ。


「まさか、本当にオークを倒したのですか?武器もなしに?」


 彼女のその問いかけは、間もなくハオリの行動を持って解答を得ることとなる。



 何度目ともなる突破の末、オークたちの連携に一瞬の隙が生まれた。

如何に人間とは比べ物にならないスタミナを持っているとはいえ疲れがないわけではないのだ。

振りおらされたこん棒を持ち上げるタイミングに遅れが生じる。

その生まれた隙を埋めるため、他のオークがカバーにまわろうとするが、その隙をハオリが見逃すはずがない。


 ハオリはクルリと前転しながら体を丸めると、そのまま地面でしゃがみ込む体勢を取った。

そして、シルフィ―がやったのと同じように全身のばねを利用して斬撃に力を乗せる。


 いや、それだけではない。まるで地面に後押しされるかのように加速したハオリは神速の一撃を持ってオークの首に飛びかかった。


「でも、あれでは浅いですね」


 今、首筋につけられた手のひら大の切り傷からは血こそ流れているものの、分厚い肉の鎧に守られたオークに対して彼の一撃は決定打になりえない。


 しかし、ハオリはそれを見て、笑って見せた。


 それを疑問に思うのと同時に、アンリエットはオークたちが不審な動きを見せていることに気づく。

今、ハオリから斬られたオークをの前に立ちはだかる二体のオークは、まるで後ろのオークを守るようにハオリに飛びかかる。


 ハオリはそれを待っていたかのように跳躍すると二体のオークを飛び越えた。


 オークたちが一瞬、ハオリの姿を見失っているその間に、先程と同じようにオークたちの首筋に斬撃を放つ。その反動でハオリの手元にある二本目の剣が砕け散るが、彼はそのまま後方のオークとの距離を詰める。


 傷を負っているオークはその目に恐怖を浮かべながらがむしゃらにこん棒を振り回しハオリを迎撃しようとする。しかし、そのこん棒がハオリに振り下ろされる直前、ハオリが突然加速した。


 そして、空をかいたこん棒を避けハオリはオークの首に組み付くと、なんとその傷口に自分の左手を突っ込んだ。


「―――!!!!」


 耳をつんざくような悲鳴を上げ暴れ回るオークは何とかハオリを振り落とそうとするが、それでもハオリは離れない。


 そして、次の瞬間。


 オークの首から赤い間欠泉が上がった。

ぐしゃりと言う音と共に首が地面に落ちると、血の雨がハオリを濡らす。


 魔物の中でもオーク種の肉体は硬く、さらには厚い脂肪にも覆われており剣では傷づけにくい。

セオリーとして銃火器や召喚術で対処するのが一般的だ。

図書館隊の精鋭であれば肉弾戦で対抗できる者もいるだろうが、ここまで鮮やかに魔物を討伐できる人間は限られるだろう。もっとも。そのような人間であったとしても魔物に一対多で挑むような無謀なことはしないだろうが。


 肩で息をするハオリだったが、その後ろにはすでに新たな影が迫っていた。アンリエットが声をかけるよりも前に横から怒声が上がる


「兄ちゃん後ろだ!」


 いつからいたのだろうか。背中にやたら大きい荷物を背負った男が叫ぶ。

既に二匹も仲間をやられたことで興奮しているらしいオークは、もはやなりふり構わずその凶器を振り回す。

渾身の一撃を放った直後、その隙を狙われたハオリにはなすすべもなく、辺りにはすさまじい砂埃と破砕音が響き渡った。



 徐々に晴れる視界の中、そこに立っていたのはハオリだった。

全身真っ赤に染められたハオリの姿にアンリエットの横にいる男は歓声を上げる。


 その傍らには先程の攻撃を放ったオークが転がされていた。そして、その後まもなく最後の一体も崩れ落ちる。そのどれもが首を落とされており辺りには一瞬にして血の海が広がった。

アンリエットはその深紅の海に立つ少年を見て息を飲む。


「本当に一人で倒してしまうなんて…。シルフィーちゃん、あなたの主は―」


 シルフィ―は言葉を最後までは聞かずにとてとてとハオリのもとに駆け出した。


「あ、ちょっと待ってください!」


 アンリエットは周囲をちらりと確認して、迷いながらも、慌ててシルフィ―のあとを追った。





「まお、じゃなくて、お兄様、ご無事ですか?」


「ああ、問題ない。お前もよくやってくれた」


 疲労困憊といったように地面にしゃがみ込んだ彼にに肩を貸そうとするシルフィーの頭を撫でようとして、しかし、自分の手が血だらけであることを思い出したハオリは慌てて手を引っ込める。


「お、驚きました。いくら、魔王とはいえ本当にオーク四体を倒してしまうなんて…」


 思いのほか、素早い動きのシルフィ―に追いついたアンリエットは肩で息をしながら二人に声をかける。

この場にアンリエットがいることに驚きながらも、ハオリは頭を掻いて苦笑する。


「いやあ、もう少しスマートにやれれば良かったんだけどね。それより君がここにいるってことは―」


「はい、魔物が現れたのはここだけです。あと、図書館隊の手配も終えていますのでまもなく到着するかと」


 それを合図にしたかのようにアンリエットの背後から複数の足音が聞こえてきた。


「姫様!ご無事ですか!」


「げ、あいつは」


 その先頭に立つ男を見てハオリは顔をしかめる。

ハオリを最後まで極刑にしようと主張していたあの男だ。


「ネテロ、ご苦労様です。まずは、そこにいるけが人を運んで下さい。大至急です。それから周辺にまだ息のある方がいるかもしれません。捜索を並行して行ってください」


「は!しかし、さすが次期ソロモン様ですね。たかがオークとはいえ四体を相手傷一つ負っておられないとは―」


 そこまで言ってようやくネテロはアンリエットの傍らにいるハオリに気づいた。


「き、貴様は!」


 剣を抜き放ち、ハオリに突き立てようとするネテロは、彼を守るように飛び出したシルフィーを見て驚愕の表情を浮かべる。


「紅い眼に銀髪…。まさか贄族か!?」


 シルフィーはシルフィーで今にもネテロに飛びかからんとする勢いだ。敵意を隠そうともせずにむき出しにする。一触即発の両者の間に慌てて割り込んだのはアンリエットだった。


「ネテロ、待ってください!彼らはこの都を救った英雄です。無礼な行いは私の名にかけて許しません。シルフィーちゃんも抑えて。大丈夫、ハオリさんに危害を加えることはありません」


「ぐ…!しかし―」


 ネテロは、なおもハオリをにらみつけていたがアンリエットの咎めるような視線を受けると渋々と剣をおさめる。

シルフィーの方と言えば意外にもあっさりとアンリエットの言葉に従った。


 ネテロは黙り込んだままアンリエットに一礼すると、ハオリを射殺さんばかりに睨みつけ隊へと戻っていく。


「とりあえず、礼を言っとくよ。なんか知らないけど随分嫌われたみたいだ」


 ホッと胸をなで下ろすハオリを見てアンリエットは苦笑する。


「何というか、彼は融通が利かない人なんです。それはそうと―」


 アンリエットはズイッとしゃがみ込んだままのハオリとの距離を詰めると、ハオリに満面の笑みを向けた。


「色々と説明してくれるんですよね。『魔王』のハオリさん!」


「う…」


 さすがにこれ以上はぐらかすわけにもいかないだろう。何より、アンリエットは笑顔なのに眼は一切笑っていない。ここで逃げようものなら命すら危うい気がする。

 答えあぐねているハオリを上から眺めていたアンリエットは意外なことを言い出した。


「でも、まあ、あなたにも治療が必要でしょうし、場所を移すことにしましょう。シルフィーちゃんも疲れているでしょうし」


 そう言ってシルフィーの頭を優しく撫でる。

彼女は、抵抗せずにされるがままになっている。どうやら助けられた恩もあってか、アンリエットに懐いているようだ。


「それってまさか牢屋の中だったりしないよね?」


「まさか!あなただけならともかくシルフィーちゃんをそんなところに連れていくはずがないじゃないですか!」


「ああ、さいですか…」


 シルフィーがいなければ自分がどうなっていたか想像して、ハオリは少しだけ悲しくなる。


「行くのはあそこですよ、あそこ」


 そう言って指さされたのは、都内で一番高い建物であり、ハオリたちの目的の場所でもあり、そして、アンリエットの住む建物でもあるところだった。


「行きたかったのでしょう?図書館塔。案内しますよ。私が直々に、ね」


 アンリエットはそう言ってウインクしてみせる。

言外に『絶対に逃がさない』と言われているような気がして乾いた笑みを浮かべる。


「これは早まったかもしれないなあ。色々と」


 青の広がる空を見上げながら、ハオリは大きなため息をついた。


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