表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メイガス×クロス  作者: 夢見鶏
2/3

湖上の神都 Ⅱ


「二度と早まった真似はするんじゃないぞ」


「…お世話になりました」


 鉄道テロの翌朝。


 ハオリは図書館隊の職員に背中をたたかれながら詰所をあとにした。


 図書館隊とはこの国にある組織の名だ。

司書業を中心とする文派と警備業を中心とする武派の二つに分かれ都内の様々な雑務にあたっている。


 現在、ハオリが出てきたのは武派の詰所で、それは都の北側のとある一画にあった。

都を一望できる高台にあるその建物は、石を素材にしており重々しい。詰所であるとともに犯罪者をとらえる拘置所としての役割も兼ねていた。


「牢屋に慣れてきた自分がちょっと怖い」


 このソロモニアの国章でもある、本と翼を模したエンブレムを見ながらそんなひとりごとを言う。

ハオリは擦り傷だらけになった腕を摩りながら中央広場へと歩き出した。


 昨晩、図書館隊にすぐさま取り押さえられたハオリは、半ば引きずられるようにして、この詰所に連れてこられた。全裸のままで。

 公衆の面前で全裸になったことはもちろんだが、どうやらハオリの裸体をその目に収めてしまった女性はこの国のやんごとなき身分のお方だったらしい。

 特に先頭に立っていた眼鏡の男の怒り様はすさまじかった。

極刑でなければ自分が殺すと怒鳴る彼の迫力にはさすがのハオリも肝を冷やしたものだ。


 もっとも、今現在ハオリが既に釈放されていることからも分かるように一応無罪放免ということになっている。

眼鏡の男は、眼鏡をカチ割らんばかりに怒っていたが、その指示を出したのが件の女の子自身であると言う事を知るとしぶしぶ引き下がった。


 ちなみにハオリが現在着用している服も、その子から渡されたらしい。

簡素なシャツとジーンズだったが、ソロモニアの特産品でもあるその衣服の着心地は悪くない。

 ついでに詰所に頼んでも用意してもらった薄手の外套を羽織っているので、明け方の冷気も心地よいくらいだ。


 彼女にどういう意図があったのかは分からないが、鉄道を止めたのを目の前で見ている以上、ハオリに悪気がなかったと思ってくれたのかもしれない。


「どうして俺の力のこと黙ってくれたのはなんでかわからないけど」


 図書館隊の話を盗み聞きしたところによると、昨日の鉄道を止めたのは図書館隊というのが正式発表らしい。ハオリのおかげという訳でもなく、おそらく鉄道を止めようとしたのであろう。あの場に居合わせた女の子でもない。

それを支持したのもまた件の女の子、かどうかまでは聞けなかったがたぶんそうでないかと思う。


 彼女の手に会った巨大な本には、一目見てわかるほどに巨大な魔力が収められていた。

そんなものを偶然居合わせた女の子が意味もなく持っているとは思えない。だとすれば可能性は一つだろう。


「あれが次期ソロモン様、ということだよな」


 だとすれば、公にできないというのも納得できた。

昨日、話をした母親たちの話を聞く限り、彼女は今までの行動でも自分から名乗っていたりはしていないよう

だったし、隠れて行動しなければならない理由があるのだろう。


「もしそうならたぶん会うこともないよな。目立つし。色々とお礼は言いたかったけど…」


 何よりも本気で涙目にさせてしまったことが非常に申し訳なかった。




 階段を半分ほど降りたところにある小さな広場に立ち寄ると、都の様子がよく見えた。

近くに湖がある影響か、都にはうっすらともやがかかっていたがそれもまた趣深い風景と言えた。


「えーっと、確かここに…」


 外套と一緒に用意してもらった都の地図と見比べながら、ハオリは額に手を当て都を覗き込む。


 ソロモニアは大きな円状に作られており、それを湖から取り入れた水路を使い区分けしている。大小さまざまな水路に区切られているが、大きく分ければ区画は五つだ。


 鉄道と港がある南区、武派の詰所がある北区、文派の詰所と図書館塔のある東区、多くの人々の住居がある西区、そして、中央広場のある中央区。


 ハオリの用があるのは東区の図書館塔だが、その前にやらなければならないことがあった。シルフィ―との合流だ。

鉄道内で別れる時に広場で待ち合わせることは伝えてあるので、広場のどこかにはいるはずだ。

空腹で鳴る腹を摩りながら、ハオリは再び階段を降り始めた。





「今朝、とれたばかりの魚介類だよ!」


「こっちは昨日、届いたばかりの野菜と果物だ。早い者勝ち、早い者勝ち!」


 十分ほど歩いて中央広場に足を踏み入れたハオリは、その賑やかしさに驚いた。そして、己の見通しが甘かったことを悔やんだ。


 まだ早朝だというのに、都の中央にある広場はすでに人の声で溢れている。

野菜や魚介類を売るもの、それを調理したものを売るもの、朝っぱらから酒を売るもの、その他もろもろの数えきれない種類の店が、所せましと並んでいる。


 ハオリが寄ってきた道中でも市場は何度も見たが、ここまでにぎやかな街や村は見たことがない。

広場は賑やかという親子の言葉を完全になめていた。国の首都、というのもあるだろうが『継承祭』が近いというのもあるのかもしれない。


「この中からアイツを見つけるのかよ…」


 昨晩は、ほとんど無人に近かったはずだが、彼が連行されるときは避難令か何かが敷かれていたのだろう。

今の喧騒と比べるとまるで全く別の場所を歩いているような感覚に陥った。

右を見ても人、左を見ても人。もちろん、前も後ろも人だ。


 シルフィーはかなり小柄なのでハオリの胸くらいの身長しかない。

そんな彼女をこの人ごみから見つけ出すのは容易ではないだろう。


「うん。作戦変更だ。とりあえず、飯を食べよう」


 コンパートメントで一緒になった親子の話を思い出したハオリは、人の波に流されながらようやくその屋台を発見する。辺りに漂う香りで腹がキュルルという情けない音を出した。


 悪気がなかったとはいえ、ハオリは形としては紛うことなき犯罪者だ。

今、首と胴体が繋がっているだけでも幸運で、さすがに食事をよこせとまでは言い出せなかったのだ。


 屋台の周辺には僅かながら椅子やら机やらが並べられており、どうやら買ったものを店の周りで食べていく形式らしい。スープを持ったまま再び人波にもまれるような元気はなかったのでちんけな椅子とテーブルも、今の彼にとっては高級な革張りの椅子に見えた。


「すいません、スープを一杯」


 懐から財布を取り出しつつ店主に声をかけると陽気な店主が快く応じてくれた。

人のいい笑みを浮かべながらメニューの説明をしてくれる。


「兄ちゃん、観光かい?ここに来たらこれ食べなきゃ始まらないぜ?」


「昨日も猛烈におすすめされたんですが、タイミングを逃しちゃって」


「ああ、昨日は大変だったもんな!テロやた露出狂やら」


「え、ええ。そうらしいですね」


 その露出狂は自分などとは口が裂けても言えない。

店主はサービスだと言いながら、お椀に溢れんばかりにスープを注いでくれた。

様々な香辛料の香がハオリのすきっ腹を刺激し、再び大きく悲鳴を上げる。


「いただきます」


 一口、口に入れ、その目を見開く。

そして、熱いのも忘れて一気に飲み干した。大きな魚の切り身と野菜、そして、肉。

それらを煮込み軽く味付けただけという豪快な料理は、おしゃれではないかもしれないが味は抜群だった。

ものの数分で食べきったハオリを見て店主は笑顔を浮かべる。


「いやあ、いい食べっぷりだ!作ってる身としては嬉しいもんさね」


「話には聞いてたんですけど想像以上でした。確かにすごくおいしいです」


 サービス、サービスと口癖のように繰り返す店主は、ハオリの食べっぷりに気をよくしたらしく何とタダで御代わりまでごちそうしてくれた。


ついでに、このスープについての説明もしてくれる。

話によれば、このスープは元々、漁師たちのまかないだったらしい。

 市場に出せない傷物の魚介類、それを前日の売れ残りで安く仕入れた野菜や肉と一緒に煮込むだけの簡単な料理は当時から漁師の間では大人気だった。

 それを試しに広場に出してみるとあっという間に話題になり、今では都を代表するソウルフードになったのだとか。



 満足げに腹を撫でつつ一息ついたハオリは当初の目的を思い出し、店主に尋ねる。


「おじさん、昨日今日でここら辺でフード被った子供を見ませんでした?」


 言うまでもなくシルフィ―のことだ。彼女には最低限のお金は渡してある。

本の虫ではあるが、彼女だって霞を食べているわけではない。


 都中の食べ物が集まるこの市場をうろついていることは十分に考えられるし、例の本にスープのことでも載っていればここら辺にやって来ていてもおかしくはない。


「うーん、フード被った奴なんてたくさんいるからなあ。どれくらいの身長だ?」


「だいたいこれくらいなんですけど」


 そう言って自分の胸辺りに手を当てて見せるがどうやら心当たりはないらしい。

これだけ人が集まるところであれば、当然、表に顔を出せない輩も少なからずいる。

逆に言えばフードを被っていてもそこまで不審がられることはないともいえるので安心と言えば安心ともいえた。


「兄ちゃんは、子持ちって歳じゃねえし、兄弟か何かか?」


「あー、はい。妹なんですけど」


 店主は、不意に真剣な顔をして声を潜めた。


「不安にさせるかもしれないが、伝えておく。最近、都では行方不明者が増えていてな」


 賑やかな都には不釣合いな出来事にハオリは眉を顰める。


「行方不明?ここって治安いいんじゃないんですか?」


 少なくとも、昨日ハオリを捕獲したような気合の入った者たちがいれば都内ではそうそう悪いことはできないきがした。実際、それは間違いでもないらしく、店主は頷いてみせる。


「まあ、確かに悪くはないんだが…。何というかうちには例外もあるし、それにほら最近は物騒なことも多いからな」


 例外というのはよくわからないが、後者に関してはおそらく昨日の『ミシャンドラ』とかいう連中のことだろう。


 しかし、テロリストたちが人をさらっているとしたら、そのあとのアクションがないのは不思議にも思えた。

ハオリがテロリストなら人質を解放する見返りに身代金を要求したりするだろう。人身売買という線もないこともないが、少なくともソロモニア内でそう言う事を行っているような場所はもうない筈だった。


「何度か図書館塔に直訴に行ってるんだが承継祭前ってことでおおっぴらにされてないみたいでな。一応、見回りを強化してくれたりはしてるんだが…」


「なるほど」


 確かに、今は人が集まる稼ぎ時だろう。無論、褒められたことではないが、公にされないというのも納得できないことではない。


「兄ちゃんの妹が攫われたと決まったわけじゃないんだが、被害者は都外から来た者たちばかりみたいでな」


 聞けば宿を連泊するはずの客が帰ってこないということがいくつもの宿屋で確認されているらしい。

代金先払いの宿がほとんどであるため、宿代を踏み倒すためという訳でもなく、皆そろって首をかしげているらしかった。同時に、これが行方不明が公にされない理由の一つだろう。

 この都に住んでいない以上、すでに都を出たと言われればそれまでだからだ。


 シルフィーが人さらいなどに遅れを取るとは到底思えないが、この都はただ賑やかなだけではないらしい。

彼女の特殊な事情を考えると、変な騒ぎになる前に一刻も早く合流を考える必要があるだろう。


「いろいろ、ありがとうございます。とりあえず、もう少し探してみます」


「どうってことはねえよ。早く探してやるといい。っと、そうだちょっと待ってな」


 店主は店の奥に引っ込むと小さな紙袋を持ってきてハオリに手渡した。

まだ暖かい紙袋を覗き見ると、そこには屋台でも売られているおにぎりが二つ詰められていた。


「妹さんが腹空かせてると可愛そうだからそれ持って行ってやんな」


「え、さすがに悪いですよ!」


 慌てて突き返そうとするハオリに向かって店主はヒラヒラと手を振った。


「悪いと思うんなら妹連れてもう一度ここに来てスープ食べて行ってくれよ。二杯頼んでくれればそれで十分元が取れる」


そこまで言われたら断ることもできない。


「分かりました。必ず連れてきます」


その言葉を聞いて、店主は来た時と同じ人のいい笑みを浮かべた。







「西区の『宵闇通り』か―」


 屋台を後にして雑踏に紛れながら、ハオリは地図を開いた。

屋台の店主によるとそこがこの都の『例外』であり、もし危ないことに巻き込まれているならそこにいるかもしれないとのことだった。


 この中央広場にいるならそれでいいが、見つからない場合そちらにも足を伸ばす必要がありそうだ。

その場合、今日中に図書館塔に行くのは無理かもしれない。溜息をつきながら、位置を確認し終えた地図を懐にしまいなおす。


人波に流されながらシルフィーがいないか探しているとととある一軒の露店が目に入った。


「あれは―」


 一瞬、相棒の姿を思い浮かべたハオリは、何とか人波をかき分けて謝ったり、にらまれたりしながらとある露店の前に辿り着くと、店員に声をかける。


「すいません、これ欲しいんですけど…」


広場の喧騒はいつの間にか、さらに賑やかになっており、ハオリの声と姿はやがてその中にかき消されていった。









「聞いたか?昨日の列車テロ。やっぱり例のテロ組織らしいぞ」


「今回は図書館隊が食い止めたらしいが、『継承祭』なんかやってる場合じゃないんじゃないかな」


「そんな話よりもなんか全裸の男が都中を駆けまわったらしいじゃねえか」



 都の西区にそのとある通りはあった。


 建物と建物の間にできた路地裏が事の始まりだったらしい。


 違法な薬売りであったり、娼婦であったりが裏通りひっそりと始めた商売がいつの間にか徐々に巨大となり今や独立区画となっている。都でありながら、都の秩序が及ばないこの場所は、都外でもそこそこ知られているらしく、それどころか、外からやってくる者たちの中にはこちらこそが本命という者たちもいるほどだ。


 通りを歩く人々や、店を構える者たちのほとんどがフードを被っており、辺りにはくぐもった声があるいは怒鳴り声や泣き声で溢れていた。

 並んでいるものも明らかにまともなものでなく、不気味な色をした液体や何の動物の物かわからない肉の塊といったものが所せましと並べられている。


『宵闇通り』


 そう称されるこの通りは、言ってしまえば非合法な店が並ぶ商店街だ。

おおっぴらに認められているわけではないが人の集まる場所にはこのような場所は必ずできる。

ならば、いっそのこと一か所に集めて有事の際に対処しやすくしておこうというの都の方針だった。



「うう、まさかここに足を踏み入れることになるとは…」


 宵闇通りを慣れない足取りで通りを進む一人の少女。アンリエットだ。

キョロキョロとあたりを見渡して身震いする姿はどう見てもこの場所には不釣合いだった。


「なんだ、嬢ちゃん迷子か何かか?」


「おじさんたちの相手してくれよ、げへへ」


 酒に酔っぱらった男たちから出されるちょっかいを無視しながらひたすらに前へ進む。

昨日よりも幾分地味で厚手のローブすっぽりと纏う彼女の心中は穏やかではなかった。


 この通りは都の中でありながら、都とは別の秩序によって機能している場所だ。

いきなりどんな理不尽な横暴を受けようが、それを咎める者はいない。信じられるのは正義ではなく、金と力のみだ。


 日の光が差さないせいだろうか。通りはじめじめと湿っぽくてかび臭い。

綺麗好きであるアンリエットとしては、喜んで足を運びたいという場所ではない。

 彼女個人の事情はもちろんのこと、図書館塔としても次期ソロモンである彼女がこんなところを歩いていることを知られれば外聞はよろしくない。

 アンリエットは養子であり、クラリスの実子ではない。故に、図書館塔でも微妙な立ち位置にいる彼女は政敵も少なくなく、常にねちっぽい嫌味にさらされているのだ。こんな姿を彼らに見られればどんな誹謗中傷を受けるか分かったものではない。


 しかし、今日の彼女にはどうしてもこの通りに入らねばならない理由があったのだ。





 話は十分ほど前にさかのぼる。



「ロゼッタったら、あんなに怒ることはないと思うんですけど!」


 アンリエットは人ごみに紛れながら憤慨した様子でつぶやく。


 列車テロの件で、無断で城を抜け出し、更には自らがその最前線に立っていたことが城の人間にばれたのだ。ついでに厳重保管されていたはずの『レメゲトン』を持ち出していたこともばっちり知られていた。


 変態が詰所へと連行されているその時、アンリエットも住居でもある図書館塔へと連れ戻されていた。

彼女が部屋へ戻ってみると、そこには相棒のグラシャラボラスなどとはくらべものにもならない恐ろしい形相を下人物が待ち構えていた。

 それが教育係であり、図書館塔のメイド長も務めているロゼッタだ。


 淑女としての自覚が足りないというお決まりのパターンから始まった説教は約3時間。


 最後の方は、もはや全然関係のないことに対する説教となっていたが、そのおかげで今日は体中がこわばってしょうがなかった。


「だいたい過保護すぎるのよね。私だってもうソロモンを継承するっていうのに」


 彼女が自分を思って怒っているであろうことはことは理解している。

実際、姫という立場にある自分が現場に赴くことも褒められたことではないというのも分かってはいる。


「でも、狙われているのは私なのに、その私が矢面に立たなくてどうするのですか」


 それが王家の、いや、都の皆に迷惑をかけている自分にとってできる唯一の罪滅ぼしではないか。

もっとも、散々好き勝ってやってくれている連中に自らの手で引導を渡したいという私怨も少なからずあるのだが。


「でも、本当に昨日は都が何ともなくてよかったです」


 いつもと変わらない喧騒を見て不機嫌だった顔が少しだけほころぶ。

それと同時に、もし昨日汽車が止められていなかったらどんな事態に陥っていたかを想像すると背筋が寒くなる。


「…」


 思い出されるのは目の前で汽車が止められた光景だ。そして、いきなり目の前で全裸になった男の…


「ち、違う違う!そこは重要じゃないです!」


 重要じゃない、重要じゃないと頭をぶんぶんと振りながら消し去りたい記憶を頭の片隅に追いやる。

重要なのは、自分でも母親でもない人間が、あんなことをしたという事実だ。


 明らかに人の範疇を超えた異能の力。


 それをふるえるのは自分たちのような人間だけのはずだった。

王家の仕事の一環として、国内に存在する術者の管理というものがあるため、アンリエットも国内にいる者たちが使う能力についてはだいたい把握しているはずだ。そのアンリエットすら見たことのない能力。


 だとすれば他国の能力者ということになるが、秘密主義の三国が何の目的もなく、能力者を国外に出すとは少し考えにくい。


「一体なんの目的でこの国へ…?」


 そればかりは本人に聞いてみなければ分からないだろうが、少なくとも何か良からぬことを企んでいるようには見えなかった。

 彼女はその直感を信じ、彼の力については図書館隊にも話していない。余計な混乱を招く可能性があったのもあるが、仮にスパイ疑惑がかけられた場合、彼が極刑に処される可能性があったからだ。


「昨日のネテロの様子だとやりかねない勢いでしたもんね」


 ネテロは図書館隊の隊長を務めている男だ。

代々王家に使える家柄で、図書館塔内での信頼も厚い。


 しかし、アンリエットから見ると何というか狂信的というか、行き過ぎた忠誠心を持った彼はあまり得意ではない。昨日の件でも、男の恩赦に最後まで反対していたのはネテロだったそうだ。


 何とか一度会って話を聞きたかったが、被害者が加害者に会いに行くのは不審に思われるだろうし、何よりネテロがどういう行動に出るかが分からなかった。だから、会うには町で『偶然』を装って会うしかない。


 既に手回しをしているため彼は今朝にも釈放されることとなっている。


 そして、そんな彼と『偶然』会うために、彼女は昨日の今日でまた城を抜け出してきていたのだ。

そろそろ、アンリエットの脱走がばれているころだろうが、一度出てしまえばこっちのものだ。

 何せアンリエットの正体はいまだ伏せられているため、向こうは大っぴらにはアンリエットを探すことができないのに対し、図書館隊が動けばこちらからは嫌でも彼らが目に付く。

 あとは、図書館隊の目をかわしながら詰所のある北区に続く階段下で待ち伏せる、というのが彼女の作戦だった。


「さすがにあれだけ絞られた直後に抜け出すとは思わないでしょうね」


 ロゼッタの驚く顔を想像し機嫌がよくなったアンリエットは、自分が朝食を取らずに図書館塔を出てきていたことを思い出した。

 中央広場には早朝というのに既に数えきれない屋台が広げられており、各々から食欲を刺激するいい匂いが漂ってきている。


「な、なにを食べましょうか」


人の波に乗りながら屋台を見て回る彼女の頭の中で、様々な考えが浮かんでは消える。


「果物の詰め合わせなんて優雅でいいですね…。いや、けどせっかくロゼッタの目をかいくぐってきた訳だし、朝からガッツリしたものを食べるというのもなんかこう背徳的な感じがして―ん?」


 そんな風に悩んでいる彼女の視界の端にあるものが映り我に返る。

それは小柄なアンリエットよりもさらに小柄な人物で、自分と同じく頭からすっぽりとフードを被った子供だった。体のラインから判断するにおそらく女の子だろう。


 都の人口は、少なくとも大陸の西側では最も多い。

だから、色んな人間がいるし、子供とは言え素性を隠して旅をするものも珍しくはない。

かくいうアンリエットも、城下町に出るときはフードを被っているのだ。


 だから、それだけであればアンリエットもさほど気にはしなかっただろう。

しかし、その子の向かっているであろう方角が気になった。


「西区…あちらには確か『宵闇通り』もありましたね」


 西区は住宅区でもあるので、彼女が宵闇通りに向かっているとは一概に判断できない。

しかし、住宅街に住んでいる者がわざわざ全身を隠すようなフードを着るだろうか。

いつものくせで最悪を想定してみる。この場合の最悪は、彼女の向かう先が宵闇通りで、何か良くない出来事に巻き込まれてしまうというあたりだろう。


 比較的治安の安定している都の中で唯一の無法地帯ともいえる場所だ。

いくら素性を隠しているとしても小さな子供が足を運ぶような場所ではない。

かといって他人の事情に首を突っ込むほどアンリエットは考え無しでもない。


 しかし、いったん気になりはじめたものを無理やり忘れることができるほど器用でもなかった。


 図書館隊に注意を促すように連絡を入れようとするが、そうすれば間違いなく彼女を見失ってしまうだろう。


「彼女が何をするか、それだけは確認しましょうか」


 普通に住宅街に向かうなら特に問題は無し。すぐにまたここへ戻ってくる。かなり早めに出てきたので、急げばまだ昨日の男と会うチャンスはあるはずだった。


「とりあえず、朝食は後回しですね…。ああ、お腹空いたなあ」


 空腹を訴えるお腹を摩りながら、アンリエットは謎の少女の跡を追うことにした。




 そして、現在に至る。

結局、彼女の予想は悪い方にあたり、謎の少女は宵闇通りに入ってしまっていた。

何とか少女を見失わずにいるものの、一向に彼女が何を目的にしているかは謎のままだ。


「探し物…でしょうか?」


 たまに辺りを探るように見回すような仕草をして見せる少女を見てそう呟く。

しかし、こんな場所であんな小さな子が探すものなんていったい何があるだろうか。

 つい今しがた通り過ぎた店には、確か都側で許可した者以外は使用や販売ができないはずの劇物や、口にするのもはばかられるような卑猥なものが売られていた。


「話には聞いていましたが、思っていた以上にすごい場所ですね…」


 普段から図書館塔の者たちから呆れられるようなフットワークの軽さで都のあちこちを飛び回っている彼女でも、この場所には訪れたことがなかった。自分にはまだ早いと思っていたのかもしれないが、おそらく都の黒い部分を見る踏ん切りが着いていなかったせいではないかと思う。


 都が黙認している以上、ここで行われている違法行為はこの場所に限っては合法行為だ。そういう割り切りが自分にはまだできない。


(歳を取ればできるようになるのでしょうか?)


 天才と称されるクラリスが、なぜこんなにも早く王位を継承するのかということについてアンリエット自身はいまだ説明を受けていない。

 クラリスはまだ三十代後半で力も知力も全く衰えているようには思えない。

そんな彼女が継承のためにアンリエットをソロモニアに連れてきたのが三年前だ。


 海沿いの街で普通の一市民として暮らしていたアンリエットの家に、クラリスがいきなり現れた時は随分驚いたものだ。それから色々あって、アンリエットはソロモニアを訪れ、日々様々なことを教えられている。

当初は図書館塔の誰もが見向きがしなかった彼女だが、今では彼女の味方をしてくれるものたちも増えてきた。それは成長と言えるのかもしれないが、クラリスを思うとやはり自分はあらゆる面でソロモンとしては足りないと思ってしまう。


あの男に会おうとしていることも、今、少女を追っていることもそんな感情からの現実逃避なのかもしれない。


「あん?てめえ、何してくれてんだ!」


 いきなり響いた怒鳴り声にアンリエットは我に返った。


 どうやら少女がすれ違いざまに誰かとぶつかってしまったらしかった。


 運の悪いことに、ぶつかった相手はどう見ても紳士には見えない。

背中には、二メートルはあろうかという巨大なツーハンドソードが括り付けられており、その身は武骨な鎧に包まれている。身に着けているものとその雰囲気から察するにおそらく傭兵崩れか何かなのだろう。

 大の大人であっても竦んでしまうようないかつい顔をした男に怒鳴られた少女は、特に反応するでもなくじっとしたままだ。


 周囲の人間たちは、そんな二人を囲むように集まり出すが、それを止めようとする人間は誰一人としていない。どころか少女の行く末に下卑た笑いを浮かべる者たちの姿さえあった。


「ああ、もう!」


 恐怖で何もできなくなっているであろう少女に向かってアンリエットは走り出した。

謝罪しながら、人ごみをかき分け人の輪の中を突き進んでいく。

 ようやく彼女が最前列に顔を出したとき、彼女が声をかけるよりも先にに男は少女に乱暴に手を伸ばそうとしていた。


 しかし、男の手は空を掻いた。

少女がスッと後ろに下がって腕を避けたのだ。


 避けられると思っていなかったのだろう。

男は不思議そうな顔をしたが、すぐに嗜虐的な笑みを浮かべた。


「人に謝るときは相手に顔を見せるのが礼儀だろうがあ!親に教わらなかったのか?とにかくその面見せやがれ!」


 傭兵崩れというアンリエットの見立ては外れていなかったらしい。

男の動きは明らかにこういう荒事に慣れていた。拳を握るとそれを地面にに向かって振り下ろした。

地面が震えるような衝撃があたりに響き、石づくりの床に小さな亀裂が生じた。


 立ち上がり、嫌らしく笑う男は今度はその拳を少女に向ける。


(まずい!)


 さっきは運よく避けたらしいがまともに受けてしまえば、少女の小さな体など簡単に砕けてしまうだろう。


「やめなさ…」

 慌てて飛び出すが、どうやっても間に合いそうにない。


 思わず目を逸らすアンリエットの耳に、布が裂ける音が届いた。

どうやら少女は直撃を避けたらしい。アンリエットはホッとため息をつくが、辺りが急に静まり返っていることに気づいた。


 彼女たちを取り囲む誰もが目の前のものへと驚愕と、そして、畏怖の目を向けていた。

その視線に吊られた彼女は、少女を見てその理由に気づく。


「ひ、ひぃいいいい」


 彼女に殴りかかった男は、先程までの威勢など完全に失い腰を抜かして後ずさった。


 地面すら砕く男の拳を、少女は避けた。

しかし、そのことが、そこに居る者たちを驚かせたわけではない。

仮に拳が少女を打ち抜き、流血沙汰になったとしても彼らはここまでの反応はしない。


 拳が引っかかって破れたのだろう。

少女のフードからは、隠されていた顔が露わになっていた。

肩までで切りそろえられたショートカットと不自然なまでに整った美しい顔立ち。

少女は、まるで精緻な造りをした人形のような美しさを持っていた。


 いや、正確には文字通り人形なのだ。


そして、普通の人間とは明確に違うものが、頭上にある獣のような耳が、ぴょこりと揺れる。


「…」


 少女は無言で目の前の男と群衆を見つめると、俯いてしまった。


 銀髪と紅の瞳。そして、獣のような耳。

重苦しい沈黙の中で、群衆の誰かが呟いた。


「に、人形兵器―」


 その言葉を皮切りに、宵闇通りはパニックに包まれた。


 狭い通路を押し合いながら、人々は我先にと逃げようとする。


「贄族がどうしてこんなところにいるんだよ!」


「は、早く図書館隊を呼べ!都が無くなるぞ」


 そんな人々を見ながらアンリエットは、少女から目を離さずに呟いた。


「贄族―」



 贄族は、召喚戦争の折に作られた人工生命体、ホムンクルスだ。

錬金術を得意とし始まりの魔王の一人、北の魔王であるパラケルススの手によって作られた彼女たちの主な『使用法』は生贄だった。


 しかし、彼らにはもう一つ別の使い方があった。


 それは使い捨ての兵器としての使用法だ。


 贄族は、召喚術を扱うための魔力を伝達する物質である魔素を多量に含むように造られた生物だ。

そして、魔素は非常に壊れ易い物質であり、また変質しやすい物質である。

 自然界で稀に起こる突然変異もこの物質が関連しているという話があるように、魔素はその肉体すら変異させることがある。


 魔素を多量に含めば含むほど、その性質は顕著になる。


 つまり、贄族は非常に変異しやすい肉体を持っている。


 この性質に目を付けた者たちは、彼らをわざと変異させ暴走させるという悍ましいことを考え付いた。

いくらでも作り出せる上に、確実な被害を引き起こせるこの『兵器』は大陸各地で甚大な被害を及ぼした。

召喚戦争の折、召喚術そのものを除いて最も多くの人間を殺したものが何かと問われれば、贄族の名があげられるくらいだ。


 最も、最終的に贄族を使用していた派閥の者たちは、贄族の反逆にあうこととなりあっけない終わりを迎えるのだが。


 戦後、各国はこの贄族の危険性を深刻に考え、召喚と共に贄族の製造を禁止している。

よって、贄族は既に絶滅していると言われているが、時折、大陸の各地で目撃されるとともに大きな被害を及ぼしているという噂がまことしやかにささやかれていた。


 このことから、人々にとって彼らは一種の災害であり、恐怖の象徴とされている。通りの者たちがパニックに陥るのも当然のことだろう。


 しかし、パニックに陥る宵闇通りの中、一刻も早く贄族の少女から距離を取ろうとする者たちと全く別の行動をとる者が一人だけいた。


 その人物は、少女の元に駆け寄ると、そっとその手を握る。


「…」


 以外にも、少女はその手を避けようとせず、ただただその紅い瞳で手を握った人物をじっと見つめる。


「大丈夫です。こちらへ!」


 その人物、アンリエットは、贄族の少女の手を引っ張ると群衆の脇を抜け、路地裏へと飛び込んだ。






「贄族が逃げたぞ!」


「図書館隊はまだかよ」


「いや、あいつ図書館塔に突っ込む気かもしれねえ」



「ああもう!邪魔です!」


 アンリエットはフードを脱ぎ去ると、青い髪を揺らしながら路地裏を全力で駆けた。

右手に確かに感じる暖かさを確認するように強く握りしめると、握り返すようにその手に力が込められる。


 そのことに少しだけ微笑みつつ、入り組んだ路地裏をがむしゃらに走り抜けていく。

やみくもに走りながらも、その後ろから、複数の足音が近づいてきているのに気づく。

 どうやら、自分たちを追ってきている人間がいるらしい。


「意外ですね。この場合、その度胸を褒めるところなのか微妙ですけれど」


 正義感か、はたまた別の目的かは分からないがわざわざ贄族を追ってくるとは思っていなかった。

同じように延々と続く道を走るアンリエットは、息を切らしながらおとなしく着いてきている少女に目を向ける。

その紅の瞳にはやはり、感情らしい感情は見受けられないが、どうやら体力の心配をする必要はなさそうだ。

 追手を振り切るために更にスピードを上げようとしたその矢先、


「ちょっと、こっちへ!」


 男の声がしたかと思うと、横から不意に伸びた手がアンリエットの腕をつかんだかと思うと強引に引き寄せた。

当然、彼女と手を握っている少女も一緒になり路地の隙間に引っ張りこまれる。


「―ん!」


 悲鳴を上げようとした口をふさがれ、ほとんど抵抗することもできずに壁へと押し付けられる。

何とか少女だけでも守ろうと、彼女にをかばうように覆いかぶさる。


(せめてこの子だけでも―)


 どうにかしてこの男に反抗しようと考えていたアンリエットはその拘束がいつの間にか緩んでいることに気づいた。


「どうにか撒けたかな」


 どこかで聞いたような穏やかな声の主は、既に隙間から抜け出ておりこちらに向かって出てくるようにサインを送ってきた。どうやら自分たちを助けてくれたらしい。


「やっと見つけました」


いつの間にかアンリエットと壁の間から抜け出てきていた少女は男に近づくと、その服の端をキュッと掴む。


「ちょっと、あなたいきなり何を―」


 得体のしれない男に警戒することなく近づく少女を注意しようとして、その男の顔を見たアンリエットは固まってしまう。


「見つけた、っていうのはこっちの台詞だ。一体どこにいるかと思えばなんだってこんな所に」


「ここにいると思いました。だって、ここはこの町で一番悪い場所だって聞いたからま―」


「お兄さまな」


「―お兄さまが居るかな、と」


「いや、悪いってそういう意味じゃないから。だいたい他所様に迷惑かけてんじゃねえよ。あ、本当にすみません!うちの連れがご迷惑を―」


 男は、アンリエットの姿を見て口をぽかんと開ける。

おそらく、今、自分と彼は同じような顔をしているだろう。


 そして、程なくその顔がゆっくりと青ざめていった。

その分かりやすい動揺の仕方を見てアンリエットは確信する。やはり見間違いではない!


「あ、あなた昨日の変態じゃないですか!」


「いや、まて違う!いや、違わないけど違う!とりあえず、僕は変態じゃない!」


 路地裏で突然言い争いを始めたアンリエットとハオリを見て、贄族の少女、シルフィーは不思議そうに首を傾げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ