触れ得ざる者
私はハウスダストアレルギーを持っていて、少しでも埃があるとくしゃみと鼻水が止まらなくなってしまう。
だから小さい時から部屋の掃除や整理を癖がついており、いつも部屋は綺麗だ。
今ではもう潔癖症の一歩手前かも知れないと自負している。
掃除のほかに私はエコも結構好きだ。
夏も終わりが近いこの時期まで私は自分の部屋のエアコンを一度しか使っていない。冷房がついてるリビングに避難してるだけだけど。
私と違って兄のミーくんがエアコンをガンガンにつけているのを見て、ひそかに優越感に浸っていたりする。
そんな油断のせいか私は読んでいた本を置き、久しぶりにエアコンをつけた。
ピッという軽い音に続きエアコンがココココッと口を開け始める。
置いた本に再び手を伸ばそうとした時、エアコンの口から黒いものが滑り落ちた。
それを見てしまった私はその現実を受け入れたくなかった。
「嘘だと言ってよバーニィ……」
何を隠そう。あのGと名高いあの黒いのが同じくGで始まるガンダムよろしく、行きまーすとばかりに滑り出て来たのだ。
私は待っていた、この夏が終わるのを焦燥とともに、瞼の裏に蘇る黒い影、黒い影。もはや追憶はスプレーの臭いと共に時の彼方か。だがGは突然に蘇る。エアコンの軋みと私の呻き。ガチな走りに乗せて部屋を駆け出る。発生確率二百五十億分の一。
外骨格昆虫G私ファイルズ。
殺虫スプレーは存在するか。
私は勢い良く自分の部屋を出た後、隣のミーくんの部屋に入って彼を掴んで私の部屋に引きずり込だ。
「Gだ!奴が出た!!
ひとまず部屋に閉じ込めるから時間を稼いでくれ!」
そう言ってレゴの入った引き出しに手をかける。
ドアの下に一センチくらいの隙間があるだろ。あれを塞ぐんだ。
昔、廊下でエアガンの的当てをして遊ぶ時にみんなの部屋にBB弾が入らない様にするやつがまだそのままだったはずだ。
…あった!こういう昔の古代兵器が現代で役立つって展開めっちゃカッコイイよな!
えっ?昔と古代同じ文に入れるなって?硬い事言うなよ。 早速、意気揚々とそれを組み立てようとした時に使えない兄、もといミーくんがドヤ顔で口を開き…
「時間を稼ぐのはいいが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」
…とかほざきやがり、『エアコンの下にある』カレンダーを手に取って丸めた。
「お前それ完全に死亡フラ…」
私は死亡フラグじゃんと言いたかったが状況がそうさせなかった。
エアコンの中からカタカタカタと何かが軽く叩かれている様な音がし出したのだ。
私とミーくんは固唾を飲んでエアコンを凝視する。
その時である!!
次の瞬間、音が鳴り止み、まるでガチャポンの様にもう一匹Gが出て来た。
当然、下にいたミーくんに直撃。頭と頭がゴッツンこ☆
黒い固まりをその身で受け止めたミーくんは発狂し出した。
「ギィィィィヤァァァァァァァ!!!!」
「だから言ったのにィ!!設置が終わったぞ!一端引け!」
私とミーくんは転がる様に部屋を出てドアを閉める。
「お父さん!お母さん!来て来て!G!Gが出た!!」
私はそう叫びながら一階に駆け降り、殺虫スプレーと掃除機を持って、再び戦場と化した二階に赴く。
そして発狂した兄に掃除機を持たせ戦力化するためになだめる。
「ミーくんこれが何か分かるか?」
「そ、掃除機だ」
「違う!!これはゴーストバスターズのあれだ!
いいか?これがあればお前の戦闘能力は飛躍的に上がる!怖じけづくな、立ち向かえと自分に言い聞かせろ!!」
「お、おう。わかった…」
「よし、私はスプレーを持って突っ込む、援護しろ!」
「了解!」
我々が突入の覚悟を決めた時、親二人がやって来た。
「なんだよ。夜遅くに」
お父さんは開口一番にのんびりしたことを言い出した。奴が出たというのになんて緊張感のない人だ。
「俺は面倒が嫌いなんだ」
母親はもっとダメだった。
「まあいい。突入します!」
そして私はドアをそっと開けて中へ入る。突入という感じは全くなかったがGが怖過ぎるので勘弁願いたい。 元いた場所にGの姿は見えない。やはり既に配置を換えを終えた後か。
思うにGと付く奴はたいてい強い気がする。ガンダムなりゴルゴ13なりゴジラなり、そういえばゲジ○ジもGか、納得。
少しばかり、ほんの少しばかりびくつきながらめぼしい潜伏場所にスプレーを放つ。
しかし、耳を澄ましても何も変化がない。むしろ他の場所の物音が耳に入り、そこへスプレーを撒くがやはり何の変化もない。
しかし、耳を澄ませば澄ますほどいろんな所から物音がして、気付けは私は混乱し、変な声を出してスプレーを至る所へばらまいていた。
「わわわわっわ、わぁぁぁぁぁ!」 私が錯乱状態に陥ったのを見てドア付近で掃除機を抱えたミーくんが落ち着かせようと声をかけてくる。
「お、落ち着け『私』!そういう時は身を隠せってバニングさんが言ってた!」
「身を隠せそうな場所にGが居るんだろうが!この、ボケぇぇ!」
その後、家具をめちゃくちゃに動かしスプレーをめちゃくちゃにばらまいて、いちいち奇声を上げている内に時刻は夜十二時になっていた。
そこでお父さんがスプレーにむせながら、おずおずといった具合に手を上げた。
「ゴホッゴホッ!そんなに騒ぐと近所に迷惑が…」
そこまで言った時、家のインターフォンがぴんぽーんと鳴った。
しっかりと閉めきり、下の隙間をレゴで塞ぎ、核だか生物兵器だかの危な〜いマークをこれでもかと貼付けた私の部屋のドア前に家族四人が深刻な顔つきで集まっていた。
お父さんの懸念通りご近所さんからクレームが入り、我々は冷静になったのだ。
「えー、皆さん明日は平日です。しかも我々全員が明日朝早いという事が判明しました。
そこで本日はGの抹殺を断念しようと思います。
えー、それにより私の寝所が使えなくなったのですが……誰か譲って貰えませんかねぇ?」
家族全員に乾いた空気が流れた。
ミーくんがゆっくりと、だが少し焦った様に口を開く。
「お、俺達は家族だろ?これまでもこれからもずっと一緒なんだ。頼ったり、助けたり、庇ったりして上手くやっていこうじゃないか。な、なぁ?」
「そ、そうだ。みんなで平和的な解決を目指そう」
父親も賛成の意思を示した。
「…」
母はただこちらを睨むだけだ。
「フフフッ…ハハハハ……」
私は堪え切れずつい笑い声を上げてしまった。
「言うなれば運命共同体。互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う。一人が四人のために、四人が一人のために。だからこそ戦場で生きられる。俺達は兄弟、俺達は家族?
嘘を言うな!!
誰が仕組んだ地獄やら。兄弟家族が笑わせる。
お前も!お前も!お前も!!俺のために死ね!!(寝所変われ)」
私がそう叫び散らすと全員が身構えた。
「俺は面倒が嫌いだと言っただろう。寝所は渡さん!!」
母は一番ヤル気がありそうだ。
結局、我々は拳で語り合い、私はミーくんのベッドを勝ち取り、ミーくんは下のソファーで寝る運びとなった。
この世は力を持たない者は生きていけない。ああ、なんて悲しい事だろう。
私はその日、部屋の奪還を胸に誓い、眠りについた。
…ここは何処だ?
エアコン?
…ここは俺の部屋か。何かとても恐ろしい事があった気がする。思い出せない。…エアコンが開いた…うわ!ゴキだ!ゴキが滝の様に!う、うわ!
「く、来る!ゴキが!!」 私は荒い息をしてベッドから跳ね起きた。そしてすぐに夢を見ていたと察した。
「…夢か。クソ!なんて悪夢だ!」
私が起きたのはミーくんの部屋だ。これを見れば昨日の出来事は夢でない事が分かる。今でも私の部屋は厳重に封鎖され、Gが住まい、殺虫スプレーの臭いが充満しているのだろう。
悪夢はまだ続いているのだ。
我々はいつもと変わらず家を出たが一つだけいつもと違った。我々の背中は敗残の兵士のそれだったのだ。
数日の間、我々は甘んじてその敗北を受け入れ、休日が来るのを待った。
私達は皆平日は忙しかったのだ。
いく夜うなされたか知れない悪夢。目の前僅かな一跨ぎ。それができない泥沼の中で私は喘ぐ。身に絡み付く過去を振り解こうとして。
そしてついに休日が訪れ、我々はあの部屋の前で再び集結している。
私は部屋の前に仁王立ちになり、集まった兵士達に呼びかける。
「過去にこの部屋で戦争があった。Gの発生により、かつて私が築き上げてきた繁栄は失われ、またその駆除の過程でさらなる汚染をばらまいた。あらゆる有害な物質によって大気は…」
「あ、お父さんゴキ○リホイホイ買って来るね」
「なー『私』ぃ早く始めようぜ〜。お母さんなんてもうどっか行っちゃったよ」
私の演説は皆の心に響かなかったらしい…。
「まあいい。今日が私の部屋のインディペンデンスデイだ!
突撃ぃぃぃ!!」
かくして我々の戦いが幕を上げた。
久しぶりに見た私の部屋はあらゆる物が散乱し、殺虫スプレーの臭いがまだ少し残っていた。
「Gも産卵してたりしてwww」
「ミーくん、ブラックジョークが過ぎるぞ…」
私は素早くツッコミを入れる。
「しかし物が多過ぎる。動かすにしても触りたくないからマジックハンド使うね」
そう言って私は装備を殺虫スプレーからマジックハンドに変えた。
それから私とミーくんは小一時間びくつきながら物を動かし、くだらない話しをちんたら話していた。「だから、イングラムのリボルバーカノンの口径は…って、わ!」
私が突然声を上げ、ミーくんが驚いて掃除機を構える。
「出たか!?」
「おい、ミーくん見ろよこれ。アイアンハイドだって!」
そう言ってマジックハンドに付いているシールをつつくいて呑気なことを言う私にミーくんのきっついツッコミが炸裂する。
「アイアンハ『ン』ドだよ!!」
「え、マジ?うわ、本当だ…」
リアルにへこむ私を兄は相手にしてくれないようだ。
私は一度ため息をついき、再び顔を上げる。
あれ?何か視界の隅で動いたような…。
んん?何か黒くてカサコソしてて、細いのがピョーンピョーン…って。
「うわっ!出た出た!今度こそ出た!」
「うっわ!マジだ!やっべ!」
「早くやれ、すぐやれ、今やれ!バスターズしろ!!」
「ちょっ、まっ、心の準備が…」
その時である!!
奴が飛んだ。
「「ギイイイイィィィィィィヤアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」」
我々は狭い部屋の中を二人して駆け回り、奇声を上げて逃げ惑った。
小一時間かけてチマチマと整理していた私の部屋は瞬く間に荒れ戻った。もはやそんな事を考えられる状況ではなかったのだ。
Gはひとしきり飛ぶと、ふぅ飛んだ飛んだとばかりにカーテンの上にとまった。
「やれぇぇぇ!ミーくぅぅん!」
私の声にミーくんは掃除機のパワーを最大にし、力強くそれを握り締める。
「ナル光線キャノンンンンンンン!!!!」
私のカッコイイ自慢の兄の掛け声と共にGはスポンッ、カラッコロッと掃除機に吸われた。
すかさず私達は部屋を飛び出し、ピシャリと閉めた後、スプレーを手に取り、掃除機の吸い込み口に目一杯スプレーを流し込む。
やった。
「やったぞ!ついにやったー!」
「ついに一匹やったぁ!」
我々は勝利を喜びはしゃいでいたが、だんだんそのテンションは下がっていった。
そう。まだ一匹いるのだ。マジもう無理…。
そこへ新兵器が登場した。
「ただいま〜。買って来たよ〜」
タイミング良すぎ。ヒーローは遅れて来るって本当だったんだ!
我々はお父様を崇め、ゴキ○リホイホイを設置した。
我々はその後、下へ下りてくつろいだ。
ホイホイさんを設置して5分も経たない内に私にピキィーンと電波が走った。
私はふと立ち上がり、部屋へ向かう。みんなもついて来てくれた。
部屋のドアを開けると右奥のホイホイさんに目が行く。
『遅かったじゃないか…』
「こ、これは、脳に直接語りかけているとでも言うのか!?」
『目的はすでに果たしたよ。彼女がな…』
「ま、まさか、メスがいるとでも言うのか!」
『すべては私のシナリオ通り、残るは憎まれ役の幕引きだ。
私が生きた証を、ゴキとして生きた証を最後に残させてく…』
「うるせぇ。くたばれ」
私は問答無用でホイホイさんの中にスプレーをかけ、Gを抹殺した。
つうかホイホイさんが実在したらこんな苦労しなくて済むのに。
私はついに勝利を手にした。
私は生き延びたのだ。
しかし、生き延びたとしてその先がパラダイスのはずがない。
この先も奴との戦いが終わることはないのだ。
「って言うか何でエアコンからGが出て来たの?」
「エアコンのパイプからじゃね?」
「でも使ってたらフロンガスで満たされて生物は入れないと思うんだけど…」「私、もう十日以上エアコン使ってません…」
「「え!?」」
「エコなんてクソくらえじゃああああああああああい!!!!」