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恋とは請う事。

 

 ――君は元気?

 久しぶりに聞く声に見透かされた気がしたからだろうか。携帯を握る男の答えは一拍遅れる。

「元気に決まってンだろ」

 高い陽もようやく地の向こうに消えようかという頃、北に向かう窓にうっすら映る男の引きつる頬には赤いもみじ。威勢の良い声と違い、覇気が無い。

 ふうん、と電話の向こうで呆れとも取れる苦笑がこぼれ、男を見透かす。男の頬に血の色が上った。

「っ! なに笑ってンだよ!」

 ――君からの電話はいつだって困った時だから。大方、また鮎美ちゃんを泣かせでもしたんだろう。

 ぐ、と男は言葉に詰まった。電話越しにひっそりと溜息が落ちる。

 ――今度は何? 今日は予定が無いから本屋でも寄って帰ろうかと思ってたんだ。ああ、喉が乾いたから飲み物を買う。少し待っててくれ。

 ガチャン、という金属音、ぴっ、という電子音にゴトンと何かが落ちる音。

「飲み物まで即断即決かよイインチョ」

 ――甘いものは好きではないし、僕は水捌けがいいから珈琲を飲むと脱水症状になるしね。健康を考えてお茶を買う様にしてるんだ。後、委員長は止めろ。

 声も口調も温厚だが、キレると恐ろしい男なのか、最後に付け加えられた低い言葉が温い室温をやや下げた。

 悪かったよ、小西、と男は素直に詫びる。

 ――それで? 今度は何をしたの。

「今日天気良くてアユミ、布団干しててさ。『お日さまの匂いがするぅ』って布団抱きしめてて」

 男は背後でくしゃくしゃになった青いチェックの布団を振り返る。南向きのベランダの欄干に干していたのだろう。出しっぱなしで片付いていない。

 ひなたぼっこする猫の様に目を細めて布団に頬ずりする様がかわいかった、というノロケを小西は手慣れた様子で去なし、それで、と先を促す。

「ついからかいたくなって」

 魔がさしたと男は言い難そうに先を続けるのを渋る。

 親に悪戯を白状させられる子供の様だ。怒られたくないから言うのを渋る。だが、そうして苦い想いをさせて叱らねば、子供は懲りぬのだから親は追及の手を緩めない。

 小西は親ではなく元クラス委員長の様なのだが。

 それで、と重ねて問われ、男は観念したようにうなだれる。

「それってダニが死んだ時の匂いだよな、って」

 沈黙が落ちた。

 電話の向こうも無音である。

 時折、アパートの脇を通過する車やバイクの音がするくらいだ。

「だって、ホントの事じゃん。俺、悪くねぇよ」

 言い訳じみた呟きで俺は沈黙に抗弁する。

 ――桶川(おけがわ)は本当に変わらないね。カエルを捕まえて鮎美ちゃんの服の背に入れて泣かせたり、毛虫を木の棒に突き刺して鮎美ちゃんを追い掛け回して泣かせたり、

「ちょ、止めろよイインチョ! 昔の話だろ!!」

 桶川は堪らず小西の言葉を遮って叫ぶ。真っ赤だ。昔の悪さというのは居た堪れないものである。しかし小西は容赦がない。

 ――今もやってる事が変わらないよ。桶川は成長しないね。女の子は虫が嫌いだって知ってるだろ。

「親切心じゃん。ダニの死骸でいっぱいの布団抱きしめてるんだぜお前、って教えてやったんじゃん」

 桶川はすねる様に自己弁護する。

 ――もう少し言い方があっただろう。それに、君は鮎美ちゃんをからかったんだから親切心ではないね。悪かったなと思ったから、背中を押して欲しくて僕に電話して来たんだろう? 謝るべきだと思ってるんだろう?

 小西の言葉に唇をへの字に結んだ桶川は、しかし、うん、と頷いた。壁にもたれてずるずる腰を落とす。叱られた子供の様に神妙に。

 全く、と小西は溜息を落とす。

 ――僕はもうクラス委員長じゃない。小学校でも中学校でも、高校でも君を叱っていたけどね、僕は君の親でも兄でも無いんだよ?

「友達だろ?」

 図々しいくらいふてぶてしい桶川に、電話越しにまた溜息が落ちた。

 ――そうだよ。友達だ。小学校からなんだかんだと続いてる腐れ縁の。

 疲れた様な、だが柔らかな声が肯定する。仕方がないなと言外に示して。

 ――それで? 僕はいつになったら結婚式に呼ばれるのかな。友人代表のスピーチくらい引き受けるつもりであれこれ考えてるんだけど。

「……は?」

 ――鮎美ちゃんも君に随分とイジメられてだけど、高校から付き合い始めて随分長いじゃないか。1ヶ月おきにケンカしてるけど。もうそろそろいい加減まとまりなよ。

 ぱくぱくと金魚の様に口を開閉する桶川は金魚の様に赤くなった。

 ――仲直りついでにプロポーズでもしておいで。

 

 

 小西の言葉に背中を押され、桶川は迷子の様なかおをして夜の街をさまよった。

 アパートの近所の小さな公園に彼は足を運ぶ。

 夜になってなお蒸し暑い空気がそよふく風に混ざる。揺れる木々の下、ベンチにちんまり座る細い背中を電灯がスポットライトの様に照らす。

 アユミはよくこうやって公園で遊ぶ子供を見ていた。

 兄弟が多く、保育士になるくらい子供が好きな女だ。気が弱くて泣き虫に見えるが、小学生の頃桶川に泣かされていた小さな女の子はもういない。涙腺がすぐ緩むのは変わらないが、涙を溜めた目でキッと睨み付け、ひっぱたいてくるくらい、気が強くなった。

 ――桶川。簡単な事だよ。いつも一緒に居て苦痛じゃないなら、それが答えだ。想像してみてごらん。

 出来の悪い生徒を諭す様に小西は助言をくれた。教壇以外でも教鞭を執らされて迷惑だろうが、桶川は非常に助かる。

 布団を干したり、洗濯をしたり、食事を作ったり。休みの日にくるくる忙しそうに立ち働く彼女が、もし、ずっと自分の部屋に居てくれたら。大好きな子供に囲まれていたら。

 考えたら、胸が温かくなった。なんだ。もっと早く気づけば良かった。

 まずは謝って、それから。何て言おうか。たくさん話さなきゃいけないことがある。どれから話したらいいかな。

 桶川はしょんぼりしおれた背中に近付いた。

 若気のいたりでからかい過ぎて怒らせてしまうけど、いつも許してくれる恋人に、愛を請うために。


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