↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/1

転生と最初の救出

捜査会議で筋の悪い見立てを指摘すれば、空気を読めと言われた。被害者の訴えに気になる点があっても、上が事件性なしと判断すればそれまでだ。納得できなくても、決まった方針に従うしかなかった。


 それでいて、応援で入っただけの事件が、いつの間にか俺の担当になり、取り調べから書類作成まで押しつけられることも珍しくなかった。何か問題が起きれば、責任を取らされるのは現場の人間だ。


 一番ハズレの貧乏くじを引くのは、決まって俺だった。


 だから、いつからか頭の中にキルスイッチを置くようになった。


 理不尽だと思っても口にはしない。言われた仕事を片づけ、余計なことは考えない。助けを求める声があっても、自分にできることがなければ、そこで考えるのをやめた。


 最初から何も感じなかったわけじゃない。ただ、どうにもならないことを考え続けるのは疲れる。自分が何をしたいのかまで後回しにしているうちに、考える習慣そのものがなくなっていた。


 二十年も続けていれば、そう簡単には変わらない。


 最期の瞬間も、そうだった。


 手柄を焦った後輩が勝手に踏み込み、応援要請の無線が入った。また面倒なことになったと思ったが、行かないという選択肢は頭になかった。俺は現場へ走り、夜の路地で逃げる男を追った。


 角を曲がったところで、そいつが振り返った。


 乾いた音が二つ響き、胸に衝撃が走った。足がもつれ、受け身を取る間もなくアスファルトへ倒れる。


 ……拳銃所持の報告なんて聞いてないぞ。


 頬が妙に冷たかった。


 ……これはダメなやつだ。始末書は、書かなくて済むな。


 そこで意識が途切れた。


 * * *


 頬に湿った土の感触があった。


 冷たい。おまけに、鼻の先で小さな虫が動いている。


 死んだ人間にも虫は寄るだろうが、そいつを鬱陶しいと思うのはどうなんだ。


 目を開けると、見知らぬ木々が頭上に広がっていた。葉の隙間から日が差し込み、どこかで鳥が鳴いている。少なくとも、パトカーのサイレンではない。


 身体を起こし、胸を確かめた。


 痛みがない。


 スーツの上着を開き、シャツまで調べたが、血もなければ銃弾を受けた痕もない。胸を撃たれ、アスファルトに倒れたところまでは覚えている。夢だったにしては、あの衝撃も、頬に触れた路面の冷たさも妙にはっきりしていた。


 周囲は木々に囲まれた小さな空き地だった。道らしいものはなく、少し先で森が途切れ、その向こうに空だけが広がっている。近づいて確かめると、案の定、崖だった。


 どうやら、落ちたら今度こそ死ねそうだ。


「……冗談じゃないぞ」


 腰や膝にも痛みはなく、二十年も使ってきた身体とは思えないほど調子がいい。その代わり、腰には見覚えのない剣と革袋が下がっていた。


 剣を少し引き抜いてみる。鈍い光を帯びた刃が現れ、慌てて鞘へ戻した。模造刀には見えない。拳銃を扱った経験はあるが、だからといって刃物まで専門というわけじゃない。


 革袋の方はもっとおかしかった。


 外から見れば弁当箱が入る程度の大きさなのに、肘まで手を入れても底に届かない。ひっくり返して振ってみたが、何も落ちてこなかった。


「……どういう仕組みだよ」


 異動初日に渡された引き継ぎ資料が白紙だったとき以来の、嫌な予感がした。


 捜査報告書にしたら、最初の一行で突き返される内容だ。


 とにかく、人のいる場所を探すしかない。


 そう考えたときだった。


〈いや……死にたくない〉


 女の声がした。


 思わず振り向いたが、誰もいない。木々の間に人影はなく、足音も聞こえなかった。


「おい、誰かいるのか!」


 返事はない。


 耳元で囁かれたわけでも、遠くから叫ばれたわけでもない。頭の中に、知らない女の言葉だけが直接入り込んできたような感覚だった。


 幻聴かもしれない。


 ただ、切羽詰まった人間の声というのは、仕事柄、何度も耳にしてきた。あの響きには覚えがある。


 空耳だったら、それでいい。


 俺は木々の奥へ向かった。


 最初の一歩で、身体が予想以上に前へ出た。慌てて次の足を踏み出すと、今度はさらに勢いがつく。


「うおっ!」


 木の幹が横を通り過ぎた。


 速い。いや、速いなんてもんじゃない。足元の根を飛び越え、枝をかわし、身体は勝手に木々の隙間を選んで進んでいく。自分の脚で走っているはずなのに、ついていくので精一杯だった。


 現役時代、若い連中に混じって犯人を追いかけたことは何度もある。大抵は途中から息が上がり、最後は無線に頼る羽目になった。


 それがどうだ。呼吸一つ乱れない。


 ……俺の身体、どこでこんな改造を受けた?


 止まり方を間違えれば木に激突する。速度を落とそうとしたところで、前方から枝の折れる音と獣の唸り声が聞こえた。


 茂みを抜けると、若い女が地面に倒れていた。片脚を引きずりながら後ずさっている。その前には、灰色の獣が立ちはだかっていた。


 狼に似ていた。


 ただし、背丈は俺の腰ほどもあり、口から覗く牙は犬のものとは思えない。首から肩にかけての筋肉も異様に発達していた。


 獣が俺に気づき、女から身体の向きを変えた。


 まずいな。こいつが何なのかは知らないが、少なくとも人間を見て逃げる種類じゃないらしい。


「おい、大丈夫か!」


 女は口を動かしたが、声は出なかった。


 獣が前脚を広げる。


 目だけを見るな。重心を見ろ。ナイフを構えた容疑者も、殴りかかってくる酔っ払いも、動く前には身体のどこかが変わる。


 前脚が沈み、左肩がわずかに落ちた。


「おおおおっ!」


 声をぶつけると、獣の耳が伏せられ、踏み切りが一瞬遅れた。


 横へ半歩ずれたつもりが、身体は予想以上に大きく動いた。


 獣が跳んだ。


 牙が目の前を通り過ぎる。


 気づけば右手が腰の剣を掴んでいた。鞘から刃が滑り出し、そのまま右上から斜めに振り下ろす。


 手応えがあった。


 獣の身体が横へ弾かれ、木の根元まで転がった。土が跳ね、枝が折れる。獣は二度と起き上がらなかった。


 俺は剣を構えたまま、しばらく動けなかった。


 真剣を握ったのは初めてだ。それなのに、斬る瞬間まで手は少しも迷わなかった。


 刃先に付着した血を見て、ようやく自分が何をしたのか実感が湧いてきた。


 拳銃を向けたことはある。だが、引き金を引くのと、自分の腕で刃物を振り下ろすのでは勝手が違う。相手の身体を斬った感触が、まだ手に残っていた。


「……誰の仕業か知らんが、仕事には使えるな」


 口にしてみても、たいして気は晴れなかった。


 剣を下ろし、女へ近づいた。


「大丈夫か」


「……はい」


 女は立ち上がろうとして、右膝を押さえた。ひどい擦り傷だ。


「ほかに痛いところは?」


「いえ、あの……」


 女が俺の肩越しに目を向けた。


 背後の茂みから、低い唸り声が二つ聞こえた。


 振り返ると、先ほどの獣によく似た小さな獣が二匹、木々の間から姿を現していた。まだ成長しきっていないのだろう。


 一匹はこちらに牙を剥いたが、もう一匹は倒れた獣へ駆け寄り、鼻先でその身体を押し始めた。


 反応がない。


 少し離れてから、また押す。耳元に鼻を寄せ、何かを確かめるように顔を動かしている。


 ……親だったのか。


 女を襲っていた以上、放っておくわけにはいかなかった。俺が手を出したことに後悔はない。


 だが、あの獣が腹を空かせていたのか、子どもを守ろうとしていたのかは、もう確かめようがなかった。


「……立てるか」


「はい。たぶん……」


「無理に走らなくていい。俺が前に出る。ゆっくり下がってくれ」


 女が身体を起こすのを待ち、剣を構えたまま距離を取った。


 二匹は追ってこなかった。


 一匹はまだ牙を剥いていたが、もう一匹は倒れた親のそばを離れようとしない。鼻先で押し、少し待って、また押している。


 何度押しても、親は動かなかった。


 俺は後退しながら、その光景を見ていた。


 目は逸らさなかった。


 見届けるくらいは、俺の仕事だ。


 * * *


「膝の傷はどうだ」


「大したことありません」


 そう言うわりに、血はまだ滲んでいた。ここがどこなのかも分からない森の中だ。放っておいていい傷とは思えない。


 革袋へ手を入れ、薬か布でもないか探してみたが、何も触れなかった。肘まで入るくせに、肝心なものは入っていないらしい。


「何か手当てできるものはないかと思ったんだが……」


「結構です。自分でできますから」


 女は自分の服の裾を裂き、手際よく傷口を押さえた。手を貸そうとすると、わずかに身体を引いた。


 ……おや。


「助けていただき、ありがとうございました」


 礼は丁寧だった。ただ、こちらと目を合わせようとしない。


「声が聞こえたから来ただけだ」


「声……?」


 女が初めて俺の顔をまともに見た。


「私、声なんて出せませんでしたけど」


「……そうか。空耳だったらしい」


 口に出していないなら、あれは何だったんだ。声のした方角に走ったら、本当に助けを求める女がいた。偶然で片づけるには出来すぎている。


 もっとも、頭の中から声が聞こえたなどと説明しても、相手を困らせるだけだろう。


「では、失礼します」


 女は立ち上がり、足を引きずりながら歩き出した。


 早いな。


 命を助けたのだから礼を尽くせとは思わないが、ずいぶんあっさりした別れ方だった。もっとも、目の前で獣を斬り殺した知らない男だ。警戒されても文句は言えない。


 ただ、こちらも困っている。


「待て。俺は真野という」


 女が足を止めたが、振り返っただけで近づいてはこなかった。


「実は俺も道が分からず困ってる。人里まで案内してもらえないか」


「……どちらから来られたんですか?」


「それが、俺にもよく分からん」


「分からない?」


「ああ。気がついたら、この森にいた」


 女の表情が硬くなった。


 しまった。事情を正直に話したつもりだが、これでは不審者の自己紹介だ。


「……道をお教えするだけなら」


「助かる。名前を聞いてもいいか」


「ヨーコと申します」


「ヨーコか」


 日本人の名前じゃないか。見たところ外国人のようだが、今の状況で名前一つに驚いても仕方がない。


「村までは近いのか」


「行き先は村ではありません。両親に会いに行く途中でした」


「そうか。なら、途中まででいい」


 ヨーコは小さくうなずき、先に歩き出した。


 俺が横に並ぶと、彼女は少し速度を落とし、後ろへ下がった。道を尋ねれば答えてくれるが、それ以上は話しかけてこない。


 右膝をかばっているせいで足取りは遅いが、本人は休もうとしない。獣の出る森で立ち止まる方が危ないのかもしれなかった。


 やがて見覚えのある空き地に出た。


 俺が目を覚ました場所だ。その先は崖になっている。こんな場所に家があるとは思えないが、ヨーコは迷わず崖の方へ向かい、手前に並んだ二つの石積みの前で足を止めた。


 額に指先を当て、目を閉じる。


 ……そういうことか。


 墓だったのだ。


 俺も少し離れた場所で手を合わせた。


 仕事で葬儀に参列したことは何度もあるが、遺族に何を言えばいいのか分からず、とりあえず手を合わせて帰ってきたことも一度や二度じゃない。


 今回も何を祈ればいいのか分からなかった。


「……その祈り方は」


 目を開けると、ヨーコが俺の手を見ていた。


「どうかしたか」


「父も、そうしていました」


「親父さんも?」


「はい。ニホンから来た人は、そのように祈るのだと」


 ヨーコという名前に、合掌の仕草。


 なるほど。話がつながった。


「親父さんは、日本人だったのか」


「はい。ニホンから来たと聞いています」


「そうか。実は俺も日本から来たんだ」


「……そうですか」


 今度こそ何か反応があると思ったが、ヨーコはそれだけ答えて墓石へ向き直った。


「親父さんのこと、詳しく聞かせてもらえないか。俺はここがどこなのかも分からんし、同じように日本から来た人間がいたなら、何か手掛かりがあるかもしれない」


 ヨーコはすぐには答えなかった。


 二つの墓石に目を向け、それから俺の腰に下がった剣を見た。


「……父は、ニホンから来た方を何人も助けていました」


「俺だけじゃないのか」


「はい」


「そうか。それなら、ぜひ話を聞きたい」


 ヨーコは少し考え込んでいたが、やがて小さくうなずいた。


「今日、お会いしたのも女神さまの定めなのかもしれませんね。私の家へどうぞ」


「いいのか?」


「父なら、きっとそうしたと思いますから」


 それでも、宿を貸してくれるというのだからありがたい。財布も携帯もない身では、強がっている場合じゃなかった。


 ヨーコの後について森を抜けると、村が見えてきた。


 ただし、人の暮らしている村には見えなかった。


 屋根の落ちた石造りの家が並び、窓から雑草が伸びている。道だったらしい場所にも草が生え、井戸の周りは蔓に覆われていた。戸締まりをして留守にしている家と、もう誰も帰ってこない家では、荒れ方が違う。


 ここは後者だった。


「この村には、あんた一人か」


「はい」


「ほかの住人は?」


「数年前に村を出ました。父も母も亡くなりました」


「なぜ残った」


「ここが家だからです。父も母も、ここにいますから」


 ヨーコはそれだけ答えて、村の奥へ歩き出した。


 質問が気に障ったのか、単に話したくないのか。どちらにしても、これ以上訊いたところで答えは変わらないだろう。


 俺は黙って後に続いた。


 まともに住めそうなのは、村の一番奥にある一軒だけだった。屋根は補修され、入口の周囲だけ草が刈られている。


「こちらです」


 ヨーコは扉を開け、俺が入るのを待った。


 家の中は古びていたが、掃除は行き届いていた。窓際には補修した跡のある椅子が並び、食器棚には三人分の器が残っている。


 三人分。


 誰も使わなくなった器まで、丁寧に洗われていた。


「そちらにお掛けください」


 勧められた椅子に腰を下ろすと、ヨーコは向かいには座らず、台所の方へ行ってしまった。


 ……徹底してるな。


 日が暮れる頃、ヨーコが戸棚から麦と豆、それに小さな干し肉を取り出した。


「夕食です。どうぞ、お食べください」


 差し出された皿には干し肉の半分と豆が盛られていたが、ヨーコ自身の皿には豆が少ししかない。


「あんたの分はどうした」


「私は、お昼にたくさん食べましたから」


 下手な嘘だった。取り調べなら、新米刑事でも見破れる。そもそも俺が見ている前で戸棚を開けたのがまずい。残っているのは、せいぜい一握りの麦だけだった。


「俺の分はいらん。あんたが食え」


「お気遣いなく。お客さまにお出ししたものですから」


「客といっても、いきなり押しかけたようなものだろう」


「父も、ニホンから来た方には食事をお出ししていました」


「だからって、あんたの分まで出す必要はない」


「……お召し上がりにならないんですか?」


 穏やかな口調だったが、少しだけ強くなった。


 どうにも噛み合わない。


 食事を出してくれるのに、こちらが気遣うと困った顔をする。親父さんの教えだけで、ここまでしてくれるものだろうか。


「いや、そういうわけじゃないが……」


 ヨーコは皿を引っ込めようとしなかった。


 困ったな。ここで遠慮を押し通しても、余計に気まずくなるだけだ。


 あの革袋に、何か入っていればいいんだが。


 腰の革袋を開き、食べられるものでもないかと手を入れてみた。


 指先に、温かいものが触れた。


 ……おいおい。


 掴んで引っ張り出すと、大きな葉に包まれた平たい塊が現れた。葉を開けば湯気が立ち上り、白い生地の中に豆と刻んだ野菜が包まれている。


「なんだ、これ。肉まん……じゃないな」


「リュカ包み……」


 ヨーコの声が変わった。


「知ってるのか」


「母がよく作っていました。父も好きだった料理です。特別な日に作ってくれて……」


 彼女は包みを見つめたまま、言葉を切った。


 俺には見慣れない料理だが、ヨーコにとっては違うらしい。


 革袋をもう一度探ってみたが、今度は何もない。


「一個だけか」


「さっき、思っていたんです。父と同じ国から来た方なら、母のリュカ包みを食べてほしいなって」


 俺は手の中の包みと、革袋を見比べた。俺が欲しかったのは何でもいいから食べ物。ヨーコが望んだのは、俺に母親の料理を食べさせること。


 それで、これが出てきたのか。


 仕組みはさっぱり分からないが、偶然にしては出来すぎている。


「真野さんがお食べください」


「半分で十分だ。あんたも食え」


「でも、それは真野さんのために……」


「宿代込みだ。遠慮するな」


 包みを半分に割り、大きい方をヨーコの皿へ置いた。彼女はすぐには手をつけず、しばらく眺めていた。


「冷めるぞ」


「……はい」


 両手で持ち上げ、小さく口をつける。


 そのまま動かなくなった。


「……どうした」


「おいしいです」


 頬を涙が伝った。


「母の、味です」


 俺も自分の分をかじった。豆と野菜の甘みが口に広がり、後から香ばしい穀物の風味が残る。初めて食べる味だが、妙にほっとする。


 ヨーコはもう一口食べ、今度はゆっくり噛んでいた。


 急いで食べ終えるのが惜しいのかもしれない。


 夕食はリュカ包みと、少しの豆を煮たものになった。


「親父さんも、これを食べてたのか」


「はい。母が作ると、いつも二つ食べていました」


「よほど好きだったんだな」


「そうですね」


 ヨーコは手元の包みを見て、少し笑った。


「親父さんのことを聞かせてくれ」


「父も最初は森で野宿していたそうです。母が見つけて、この村へ連れてきたんです」


「なるほど。俺と似たようなものか」


「そうですね。父はそのまま母と暮らすことを選んだそうです。でも、後からニホンの方が来るたびに、必ず家へ連れてきていました」


「俺みたいな奴を?」


「はい。この世界のことを何も知らない方ばかりでしたから。父は言葉や暮らし方を教えて、王都までの道を案内していたそうです」


「ずいぶん面倒見のいい親父さんだったんだな」


「はい」


 ヨーコは迷わず答えた。


「それで俺を家に呼んだのか」


「父がいたら、きっと同じことをしたと思います」


 なるほど。日本から来た人間は、俺だけじゃないわけだ。


 この世界へ来た理由も帰る方法も分からないが、先に来た人間がいたのなら、何か手掛かりが残っているかもしれない。


「真野さんは、何をなさるおつもりですか?」


「……さあな」


 二十年間、次に何をするかで困ったことはほとんどない。事件は勝手に回ってきたし、終わったと思えば別の仕事が押しつけられた。


 それが今は、やれと言ってくる人間が一人もいない。


 喜ぶべきなのだろうが、いざそうなると何をすればいいのか分からない。


「まあ、拾った命だ。こっちで何ができるか、試してみるさ」


「そうですか」


「まずは王都だな。道は分かるか?」


「森を抜けて街道へ出たら、南へ進んでください。三日ほど歩けば、大きな関所に着きます」


「三日か。そこから王都までは?」


「関所を越えてからも、まだかかります」


 思っていたより遠そうだ。金もなければ食料もない。剣と妙な革袋だけで旅行を始めるとは、我ながら無計画にもほどがある。


「助かる。明日の朝に出るよ」


 ヨーコは俺のスーツを見て、少し考え込んだ。


「あの、そのお召し物では、道中で目立ってしまうと思います。父の服と革鎧がありますので、よろしければお使いください。旅用の水袋と毛布も残っています」


「この格好じゃ、そんなに目立つのか?」


「はい。たぶん、いろいろと詮索されると思います」


 そいつは面倒だ。ただでさえ現在地の説明がつかないのに、服装のことまで聞かれても困る。


「ありがたく借りるよ」


「父のものですから、お返しいただかなくても大丈夫ですよ。ニホンから来た方にはいつもそうしていましたから」


「そうか。じゃあ、せめて汚さないようにする」


「革鎧ですから、汚れても大丈夫ですよ」


「……そういうものなのか」


 ヨーコがくすくすと笑った。


 初めて見る、年相応の笑い方だった。


 艶のある黒髪に、整った目鼻立ち。こうして笑うと、ずいぶん綺麗な顔をしている。


 ……いや、待て。二回りは若いだろう。下手なことを考えれば、今度は俺が取り調べられる側だ。


 俺は何食わぬ顔で、借りることになった革鎧へ目を戻した。


 その夜は、板張りの床に借りた寝具を敷いて眠った。


 事件の呼び出しも、無線の雑音もない。明日出勤する必要さえないのだから、気楽なものだ。


 もっとも、明日の仕事を心配する必要がなくなった代わりに、明日の飯と寝床の当てがない。


 結局、どこへ行っても楽はできないらしい。


 * * *


 翌朝、譲ってもらった服と革鎧に着替えた。想像していたより軽く、肩や腕も動かしやすい。父親の体格が俺に近かったのか、寸法もそれほどおかしくなかった。


 ヨーコは台所で、残っていた麦と干し肉を小さな袋へ詰めていた。


「真野さんの旅の食料です。持っていってください」


「全部じゃないか。置いておけ」


「私は大丈夫です。山に入れば、木の実や山菜がありますから」


 右膝の傷はまだ腫れていた。まともに森を歩ける状態とは思えない。


「昨日、飯と寝床を借りた。それで十分だ」


「でも……」


「王都までの道も教えてもらったし、服まで譲ってもらった。これ以上は受け取れん」


 ヨーコはしばらく袋を抱えていたが、やがて戸棚へ戻した。


「今日はどうする」


「両親に会いに行きます」


「そうか」


 昨日も墓参りをしていた。両親を大切に思っているのだろう。


「真野さんに出会えて、父の話ができて……本当によかったです。ありがとうございました」


「こっちも助かった」


 礼を言って家を出た。


 村の通りには、昨日と同じように人の姿がなかった。崩れかけた家の間を抜け、森へ続く道へ向かう。


 十数歩で、足が止まった。


 ……待てよ。


 両親に会いに行く。昨日も墓参りをしていた。毎日の習慣かもしれないが、残っていた食料まで全部渡そうとしたのはどうだ。


 怪我をした脚で山へ入れば食べ物が採れるというのも、無理がある。


 どれも証拠にはならない。捜査会議でこんなことを言えば、考えすぎだと一蹴されるだろう。


 昔の俺なら、ここで頭のキルスイッチを押していた。


 自分の担当じゃない。証拠もない。余計なことをするな。


「……くそっ」


 俺は振り返り、全力で引き返した。


 地面を蹴ると、昨日と同じように身体が前へ飛んだ。森の木々が左右へ流れ、さっき歩いてきた道を一息に駆け抜けていく。


 声は聞こえなかった。


 聞こえなくても、戻る理由なら十分だった。


 森を抜けると、墓石の横にヨーコが立っていた。


 つま先は崖の縁にあった。


 俺は数歩手前で止まった。ここで飛びつけば、二人とも落ちかねない。相手が驚いて一歩退いたら、それだけで終わりだ。


「ヨーコ」


 彼女が振り返った。


「真野さん……なぜ、ここに?」


 声は落ち着いていた。俺が戻ってきたことを喜んでいるようにも、困っているようにも聞こえない。


「道案内が要る」


「……道案内、ですか?」


「ああ。お前の親父さんが王都へ送り出した連中の足取りを追いたい。この土地を知らない俺一人じゃ、どこから調べればいいかも分からん」


 ヨーコは足元へ目を落とした。


「……私には、もう何もありません。父も母もいなくなって、村には誰もいません。食べるものだって、もう……」


「だったら、ちょうどいい。俺も今夜の飯の当てがない」


 ヨーコが顔を上げた。冗談だと思ったのかもしれないが、残念ながら事実だ。


「でも、私がいても……お役に立てるかどうか」


「少なくとも、俺よりこの土地を知っているだろう。まずは王都まで案内してくれ」


 俺は手を差し出した。


「それに、服も飯ももらった。まだ恩を返し足りない」


 ヨーコは差し出した手を見つめていた。


 崖の向こうから風が吹き上がり、彼女の髪が揺れる。


 昨日会ったばかりの人間が、両親を失ってからの数年間を理解できるはずもない。何を考えているのかも分からない。


 それでも、一緒に来てくれと言うことはできる。


 ヨーコはゆっくりと足元へ目を落とした。


 そして崖の縁から一歩、こちらへ踏み出した。


 俺はその手を取り、崖から離れた場所まで一緒に歩いた。


 ヨーコはそこで膝から崩れ落ちた。背中が小さく震え始める。


「真野さん。父と母は、ニホンから来た女神の使者様に殺されました」


 俺が日本から来たと告げたときの、あの素っ気ない返事を思い出した。


 訊きたいことは山ほどあった。だが、崖から離れたばかりの相手に事情聴取を始めるほど、俺も野暮じゃない。


 何も言わず、そばにしゃがんだ。


 ……また、割の合わないヤマを引き受けてしまったらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。