世界のあわいのマヨヒガ亭
あれはわたくしがまだ幼かった時分のことです。
隠居した祖父母の住まう、領地のカントリーハウスへと遊びに行ったわたくしは、そこで世にも奇妙な出来事に遭遇いたしました。
ローズヒル公爵家の領地は肥沃な穀倉地帯を有し、昔から変わらず王国有数の大貴族でしたので、田舎の城館といえども、それなりの規模を誇ります。わたくしは到着そうそう、……今思えば何が原因だったのかも定かではございませんが、癇癪を起こし、侍女を振り切って広い庭に飛び出したのです。
恥ずかしながら、当時のわたくしはと言えば、それは手の付けられない我が儘娘でしたから、道中にわたくしの機嫌を損ねたものも、大した理由ではなかったのでしょう。ただあの時は、田舎につれてこられたことも、祖父母におしとやかにご挨拶をしなくてはならないことも気に食わなかったのです。
満開の薔薇の垣根を横目に、人目のない方へと進んでいきますと、はたして庭の一部であったのか、それともすでに敷地を出てしまっていたのか。青々とした葉を高く伸ばした、背の高い木々ばかりが広がっていました。足下も、石畳はいつのまにかなくなって、むき出しの地面になっています。道なりに進んでいるつもりでいましたが、進めば進むほど、獣道のように細く狭くなっていき、ずいぶんと心細くなったものでした。
引き返そうかとも思いましたが、戻ったところで、祖父母からの小言が待っていることでしょう。それはいかにも面白くなく、わたくしは意地になって道なりに歩き続けてしまったのです。
やがて前方に、黒い瓦葺きの屋根が見えました。赤瓦の屋根ならば見たことはありましたけれども、黒というのは初めてで、それだけでも驚いていたのですけれど、建物の全貌を目にしたときは思わず立ち尽くしてしまったものです。
森の中に突如現れた建物が、どれほど異様であったことか――あれから長い年月を過ごしましたけれども、未だに同じような建物を目にしたことはございません。二階建ての、瓦葺きの建物は、ほとんどが木材でできていて、窓にはなんと、紙が貼られていたのですから!
わたくしがその建物へ辿りついたときには、既に空は茜色に染まってしまっていました。大きく開かれた、木枠に紙を貼り付けた引き戸や窓から覗く室内は、煌びやかな装飾など一切なく、実に簡素な様子でした。やはり木製の、随分と低い卓が、草を編んだカーペットの上に置かれております。
あたりに人気はなく、幼い私はどうしたものかと途方に暮れました。ホウ、ホウ、と鳥の鳴き声が重なり響き、薄暗くなった森はいかにも不気味で、とても森の中に引き返す気にはなれません。かといって、見たこともないような建物に近づくのも躊躇われたのです。
「どなたかおりませんの?」
誰か大人がいたならば、城館まで送らせよう。そう思いたって、わたくしはなけなしの勇気を振り絞り声をあげました。
ええ、そうです。送っていただこう、ではなく、当然のように命令して、送らせようと思っていたのです。
わたくしが森を抜けて出た場所は、その奇妙な屋敷の裏手であったようでした。
建物に沿って歩いて行けば、厨房らしき場所へと辿り着きまして、戸口にも鍵はかかっておらず、扉を少し引けば開いたのです。ええ、そうなのです。その屋敷の扉は横に引いて開けるものばかりだったのですよ。
厨房らしき場所、と申しましたのは、そこもまた、見たこともない形状をしていたからです。
それでも、食べ物を煮ているようすの鍋や、調理台の上に並べられた盆などから、料理をするところなのだと理解はできました。そうして同時に、とても空腹であることに気付いてしまったのです。
お腹が空いて腹が鳴るだなんて、レディとしてあるまじき醜態です。
けれどもさんざん歩いた後で、もう空も暗くなっております。屋敷には誰も居る様子がありません。けれど食べ物はそこにあるのです。調理台の上には、配膳の準備を整えたばかりといった様子の料理が並んでいます。木製のトレイの上に並べられた料理は、とても刺激的な匂いをしていて、見た目も白い穀物らしきものに泥のようなシチューをかけたような……そんな見たこともないものでした。変わった料理だと思いながらも、わたくしはあまりに食欲をそそる香りに耐えかねて、盆に添えられていたスプーンを握ってしまいました。
ひとくちめは、辛さに驚いたのですけれど、その辛さと煮込まれた野菜の優しい甘みが混ざり合い、食べるごとに味わいを増すのですから、スプーンを口に運ぶ手が止まりません。気付けばわたくしは、一皿綺麗に平らげてしまっていたのです。
不思議なシチューを食べるのに夢中になっていたわたくしは、「えっ!?」という少年の声にびっくり。顔を上げれば、台所と続く部屋を仕切る引き戸の前に、見たこともない格好をした少年たちの姿があったのです。
年の頃は、十五歳から十八歳の間といったところでしょうか。
「何だこの子!? え、どっから来たんだ!?」
「迷子か? ……え、すごい格好だな?」
「どわー、めっちゃかわええやん! お人形さんみたいやなぁ」
「ってこのガキ、勝手にカレー食ってんじゃん。どこのガキだよ?」
「あー、こらお前ら、落ち着け、びっくりしてるだろ」
手前の方にいた四人が代わる代わる何か言い、最後に後ろにいた少し年長らしい少年が四人を落ち着かせて、何か手振りも交えて指示を出していました。どうやら、料理の配膳をするように、と伝えたようで、四人はちらちらとわたくしの方を気にしながらも、調理台に並べられていた他のトレイを運んでいきます。
その間に、私に話しかけてきたのは、四人に指示を出した年長の少年でした。
「えーっと、カレー、美味しかった?」
少年はわたくしに目線を合わせて、にっこりと笑って聞きました。見知らぬ相手にこのように親しげに声をかけられるなど、初めてのことです。驚きのあまり固まっているわたくしの口元を、湿った布で少年が拭ってきて、そこでわたくしは自分の無作法を自覚し恥ずかしくなってしまいました。
少年の手を払いのけ、よじ登っていた椅子から飛び降りてきっと睨み付けましたが、我が家の使用人達と違って、萎縮してはくれません。
「ああ、ごめん、ぶしつけだったな。うーん、あ、日本語わかる? 英語の方がいいか……?」
「何をぶつぶつ言ってるのよっ」
ニホンゴだとか、エイゴだとか、よく解らない言葉を投げかけられて、私は思わず声を荒げてしまいました。歩き通しで疲れていて、もともと良くなかった機嫌もすっかり下がっていましたから。
「何なのよっ! ここどこよ!? もう帰るっ! ロゼットホールに連れてって!!」
「ロゼットホール? ええー、どこだソレ?」
「まさか、知らないの!? おじいさまとおばあさまのカントリーハウスよっ! ローズヒルの領民のくせになんで知らないの」
この時私は、この屋敷は異国から移住してきた者たちの住まいなのだろうと考えておりました。当然ですわね、私は領地のカントリーハウスから、歩いてそこまで辿り着いたのですから。子どもの足で、数時間も歩いていないのです。そう遠くまで行けるわけもなく、カントリーハウスのすぐ近くなので、帰るのも簡単だ。そう思っておりました。
しかし、少年は困った顔で言うのです。
「ローズヒルって君の家なのかな? ごめんよ、ここはローズヒルじゃないんだ。この近くにそんな……ええと領地? なんてものはない。君はどうやってここまで来たの?」
「そんなわけないわ! わたくし、歩いてきたものっ!」
わたくしが祖父母の住まうカントリーハウスの庭から、裏の森を抜けてここまできたのだと伝えましたら、少年は少し考えてから、「わかった、一緒に行こう」と手を差し出しました。それでわたくしは、少年に抱き上げて貰って、来た道を逆に辿ったのです。
既にあたりは暗くなっていましたが、少年は棒の先が光る明かりを持っていました。カンテラよりもずっと明るく光るので、もしかすると魔道具であったのかもしれません。
「ここを通ってきたの? 道なんてないけど……」
「ウソ……だって、わたくし、たしかにここから……」
屋敷の裏手、わたくしが森を抜けて出てきたあたりに連れて行ってもらいましたが、そこには鬱蒼とした灌木があるばかりで、獣道のひとつもありません。自分が通ってきた道がなくなっていたのです。
灌木をかき分けて、少年は少し先まで進んでくれましたけれど、数分ほど歩いた先にはそびえ立つような岩壁があるばかりで、道などどこにもありません。わたくしは訳がわからず泣いてしまい、気付けばその日は、泣き疲れて眠ってしまっていたのでした。
大変だったのは、翌日からです。
わたくしの世話をしてくれたのは、少年達と同じ年頃の少女でした。優しく丁寧に接してくれるところは、屋敷の使用人たちと通じるところはありましたが、少女も――少年達も、屋敷の使用人たちのようにわたくしのわがままを何でも聞いてくれるわけではありませんでした。それどころか、「働かざる者食うべからず」などといって、わたくしに家事を手伝わせたのです。
ええ、もちろん、最初は抗議しましたとも。
私はローズヒル公爵家の長女です。公爵家の娘が、メイドのように家事働きなどするわけにはいきません。けれどもそんな理屈は彼らには通じないのです。
彼らはローズヒル公爵領の者ではなく、我が国、メルテランドの者でもないのだと。であれば、公爵家の威光などあってないようなものだ、と。
わたくしは財布など持ち歩いたこともありませんから、銅貨の一枚も持ち合わせがありませんでした。食事や宿の代金を求められても、支払える対価がないのです。それどころか、着替えや必要な日用品を用意してくれたのも彼らでしたから、わたくしにできるのは働いて返すことだけです。
家事だけではなく、畑仕事まで手伝わされ、最初のうちはますますふてくされていました。少年達か少女、いずれかひとりが常にわたくしのそばにいて、仕事のやりかたを教えてくれましたが、お世辞にもうまくできていたとは言えないでしょう。
それでもちゃんと「お手伝い」をしていれば、温かい食事と寝床と、清潔な着替えを用意してもらえましたので、だんだんと彼らとの生活にも慣れていきました。まだ幼かったが故に、順応性が高かったのかもしれませんね。
我が儘や癇癪が通じない相手に、最初は苛立ちしかありませんでしたけれど、少年達はわたくしがちゃんとお手伝いをすると褒めてくれましたし、そうすると悪い気はいたしません。
少年達は、早朝から畑仕事や家事をして、それが終わると屋敷の周りを走り込んだり、母屋とは別の建物で剣の稽古をしたりしていました。合宿をしているのだと言っておりましたね。
彼らの剣の稽古は、我が国の騎士たちの稽古とは随分違うものでした。まず格好からして異様でしたもの。鉄の鎧などは無く、布と木で作られた防具、というものをつけて、シナイという細い木の様なものを組み合わせた棒で打ち合っていたのです。
木剣もありましたけれど、もっぱら使うのはのシナイです。
そういった稽古をするのは少年達ばかりで、少女は彼らの代わりに雑務を担当しているようでした。もうひとりカントクと呼ばれていた男性がおりましたけれども、その方はとても厳つい顔立ちをしておりまして、幼いわたくしは怖くて近づくことができませんでした。
そうして四日か、五日ほどが経ったでしょうか。彼らとの生活に慣れてきたころ、最初にわたくしに話しかけた年長の少年が「帰り道が見つかった」と言いまして、わたくしを祖父母の城館まで送ってくれると言うのです。
わたくしはそれはもう喜びました。家に帰れる! お父様とお母様に会える! と。
そんなわたくしに、少女が、その屋敷に来たときに着ていたドレスを――泥だらけだったのに、綺麗に洗濯されたドレスを着せてくれて、髪もかわいらしく結ってくれました。そうして少年達はお土産だと言って、わたくしが背負えるくらいの背負い袋に、たくさんのお菓子や果物などを詰めてくれたました。どれもわたくしがその屋敷で気に入った食べ物ばかりです。
太陽が大きく傾き、空が茜に染まり始めた頃、わたくしは年長の少年に手を引かれ、屋敷の裏手へ向かしました。すると、どうしたことでしょう。数日前には灌木や岩壁で塞がれていたはずの場所に、細い道があったのです!
「ここ! ここよ! ここを歩いてきたの」
興奮して道を指さすわたくしに、少年はにこにこと笑っていました。あらわれたり消えたりする道だなんて、不思議で仕方ありません。どうしてこの前はなかったのかしら、と疑問を口にすれば、少年もよく解らないと言いました。
「理屈はよく解らないけど、あのあたりは次元の狭間? あわい? ってところらしくてさ。繋がりやすいタイミングがあるみたいなんだよ。いや、本当に俺もよく解ってないんだけどさ」
ちょっと困ったような、疲れたような口調だったのですが、本当に少年にも解っていなかったのでしょう。わたくしも、未だに解りません。幼かったわたくしにとって、家路への道が今目の前にあることの方が重要でしたから、何故、どうして、という疑問には、さほど頓着していなかったのです。
他の少年たちに見送られ、年長の少年と共に森の奥のお屋敷を出て数十分ほどたった頃でしょうか。森から抜けたところで、祖父母の住まうカントリーハウスの姿が見えました。
「俺はここまでだ。元気でな、お嬢さん」
「ええ、ありがとう! 世話になったわ。あとでお父様たちとお礼にうかがいますわね」
この時わたくしは、当然またあの屋敷に行けるものだと思っておりましたので、お礼もそこそこにカントリーハウスへと駆け出しました。親元を離れたことのなかった幼い時分ですから、父母と四日も離ればなれだったことはとても寂しく思っていたのです。
少年はそんなわたくしを、笑顔で見送ってくれました。
そうしてカントリーハウスに帰り着いてからは、それは大騒ぎになったものです。暗くなってもわたくしの姿が見えないと、使用人達も総出で探していたとかで――ええ、そう。そうなのです。
なんとも驚くべきことに、カントリーハウスでは、半日も時間がたっていなかったのです。
わたくしは四、五日ほど森の奥の屋敷で過ごしたので、両親にも祖父母にもそう申しまして、屋敷にいた少年達に食事と寝床の礼をしなければならないと訴えました。大人達は大層いぶかしんでおりましたけれども、わたくしが背負って帰った背負い袋は、この国では見たこともない素材で出来て、見たこともない形状をしておりましたし、貰ったお菓子も国にはないものばかりです。
わたくしが誰かの世話になったことは間違いないと、父は森の奥にひとをやったのですが、わたくしが辿ってきた道は途中でそびえ立つ岩壁に阻まれて行き止まりになってしまっておりました。
そう、あのお屋敷には、それ以来、一度もたどり着けなくなってしまったのです。
もちろん、わたくしも何度も森に足を運びまして、あの屋敷を探し回りました。あれが最後になると解っておりましたら、もっとしっかり、お礼を言いましたのに。あの時のことは、後悔ばかりです。
時がたてばたつほど、あの数日の出来事は夢幻ではないかと思えて仕方ないのですけれども、彼らが持たせてくれた背負い袋と、貰った菓子の空き箱が、夢ではないと教えてくれます。
だから――わたくしがこれらを大切にしているのは、そういうわけなのですよ。
わたくしの可愛い孫達。
もしも貴方たちが、あの森の奥であの屋敷を見つけたなら……。もしもあの少年達のゆかりの者がそこにいたのなら。わたくしが彼らに、彼らと過ごした日々に、心から感謝していたと。どうか伝えてくださいましね。
***
さて、前述の文章は、モラン・デ・ローズヒルが記した「皇后マリアンヌの生涯」より抜粋したものである。
帝国歴298年に出版された本書は、著者であるモラン・デ・ローズヒルが、祖母である皇后マリアンヌの生涯の記録をまとめたものであり、抜粋部分は著者が幼少の頃、祖母から寝物語に語られたことを記したものとのこと。
皇后マリアンヌが考案したとされ、爆発的に世に広まった背負い袋「リュック」は、本書においては異国のものとされているが、恐らく異世界のものであろう。先日異世界から召喚された勇者が、国宝として保管されていた「マリアンヌのリュック」を見て、国に同じものが売られていたと証言を残している。
その為、ローズヒルの森は、異世界へ繋がる地である可能性が高い。
なお、勇者は本書の抜粋部を読了後、このような言葉を残している。
――まるで、マヨイガみたいだね。
と。
マヨイガとは、山や森などで迷った時、ぽつんとあらわれる幻の家のことを言うそうだ。訪れるものを歓待してくれて、訪問者はその家から物を持ち出すことができるが、誰もがその恩恵にあずかれるわけではなく、また、欲張ってたくさん持ち帰ろうとすると、富をえられず損をするのだという。
ならば、皇后マリアンヌはマヨイガで歓待され、お土産として持たされた物品を元に、民が便利に使えるリュックの作り方を考案し、広く世に広めることで富と名声を得たということになろう。
もっとも……マリアンヌにとってもっとも有り難かった宝は、そのような富ではなかったのだろうことは、本書を読めばあきらかである。
かなうことなら、いつか私も訪ねてみたいものだが、もしかすると、幼子しか行けない場所であるのかもしれない。
そうであれば、実に残念なことである。
――――フィオナ・マクベル著「異世界との遭遇」より
連載中の作品もございますので、そちらもごらんいただけましたら幸いです。
「婚約破棄から国外追放された令嬢ですが、前世がマタギの爺さんだったので追放先では楽しく暮らします!」
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