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転換点 II

読者の皆様、ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。

これにて、本作の第2部(第2巻分)が完結となります!

最後はかなり緊迫した展開になりましたが、アリスたちの物語はここからさらに加速していきます。あの一筋縄ではいかないセラフィム、そして謎の名「ライラ」……。彼らの運命がどう交差していくのか、第3部も全力で執筆してまいります。

もし「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】評価やブックマークで応援していただけると、執筆の大きな励みになります!

それでは、第3部(新章)でお会いしましょう!

息を吸った——

いや。

吸おうとした。

空気が、今までとは違っていた。

重い。

吸い込むたびに、密度が増し、滞る……まるで肺と世界との間に、何かが入り込んだかのように。

筋肉が強張る。

そして——

止まった。

痛みではない。

疲労でもない。

もっと、最悪な何かだ。

体が……

動くことを拒んでいる。

「…………」

(これは……何だ……?)

声には出せなかった。

出せるはずがなかった。

顎が動かない。

指先もだ。

だが、完全な麻痺ではない。

これは……「意思」だ。

「本能」だ。

全身の細胞が、同じ叫びを上げている。

動くな。

もし動けば……

死ぬ。

——

隣で、あずみが凍りついている。

掲げた刃は……止まったまま。

呼吸は乱れ、

荒い。

彼女でさえ……

一歩も進めない。

背後では、母様の放つエメラルド色の輝きが震えていた。

消えてはいない。

だが、不安定だ。

あの「ナニカ」が、すべてを侵食している。

——

そして、理解した。

これは単なる圧力ではない。

ありふれた魔術でもない。

これは……

「支配」だ。

「……殺気」

母様の声が聞こえた。張り詰め、抑え込まれた声。

振り向くことはできなかった。

堕天族だてんぞくの……技か……」

(……だてんぞく……?)

俺は心の中で呟いた。

意味がわからない。

何もかもが、狂っている。

——

足音が響いた。

ゆっくりと。

重々しく。

地面を叩く音。

見る必要なんてなかった。

奴だ。

一歩、また一歩……

近づいてくる。

より重く。

より……絶対的に。

——

セラフィム(熾天使)が歩いてくる。

急ぐこともなく。

力むこともなく。

まるで、この空間にあるものすべてが……

すでに自分の所有物であるかのように。

遍在へんざいするかのように。

「感じますか……?」

その声が空気を切り裂く。穏やかで、どこか好奇心に満ちた声。

奴が足を止めた。

「この、虚無を」

静寂が、さらに深まる。

「……捕食される前の獲物が抱く、あの感覚ですよ」

——

腕を動かそうとした。

動かない。

一歩、踏み出そうとした。

動かない。

体が応じない。

できないのではない。

何かが……

優先されているのだ。

「生存」だ。

抗うことでも、戦うことでもない。

ただ……

刺激しないこと。

——

瞳が、かすかに震えた。

それだけは、できた。

辛うじて。

視界を確保する、それだけで精一杯だった。

遠くに——

父さんがいた。

膝をついている。

その体は震え、

筋肉が、あらん限りの力で抗っている。

見ればわかる。

肌で感じる。

動こうとしている。

この沈黙を、打ち破ろうとしている。

俺たちのために。

——

(……動け……)

声にはなっていない。

だが、わかった。

父さんは、挑んでいる。

そのすべてを懸けて。

——

セラフィムが、父さんの前で足を止めた。

わずかに身を屈める。

手を、伸ばした。

指先が、父さんの頬に触れる。

ゆっくりと。

慎重に。

まるで、すでに手に入れた戦利品を品定めするように。

「まずは……貴方の『意志』を」

奴が囁いた。

静寂。

「そして……」

その瞳が、妖しく光る。

「貴方の『家族』を」

——

体が強張った。

動きではない。

反応だ。

本能的な拒絶。

——

「……匂いますよ」

奴は続けた。

口角が、吊り上がる。

「その、『欠落』が」

空気がさらに重くなる。

「実に、素晴らしい」

——

(やめろ)

——

もう一度、動こうとした。

力を込める。

全身の、すべてを。

だが、何も起きない。

——

セラフィムが手を掲げた。

その掌に闇のエネルギーが凝縮され始め、周囲の真紅の光を飲み込んでいく。

濃密。

硬質。

致命的。

それは、ただの攻撃ではなかった。

終焉だ。

——

父さんが、目を閉じた。

諦めたのではない。

「覚悟」したのだ。

——

隣の静香は、動かなかった。

だが、一筋の涙が頬を伝い落ちる。

ゆっくりと。

静かに。

——

そして、それを感じた。

——

奴からではない。

「支配」からでもない。

それは、別の場所からやってきた。

——

鼓動パルス

——

微かだが、

明確な。

——

呼吸が止まった。

技のせいではない。

(なに……が……)

「……父さん……」

声が出たのかはわからない。

だが、絞り出した。

「感じ……る……?」

——

沈黙。

返事はない。

できるはずもなかった。

——

鼓動が、大きくなる。

——

圧力ではない。

攻撃的なエネルギーでもない。

それは……

「静寂」だった。

——

そのすべての中で……

死の中で……

支配の中で……

恐怖の中で……

——

それだけが、唯一、不自然だった。

——

セラフィムの動きが止まった。

掲げた手が、宙で静止する。

初めて……

奴が、躊躇った。

「……何だ、これは?」

声色が変わった。

僅かだが、確かに。

——

鼓動が……

広がっていく。

——

そして——

光が生まれた。

光は「現れた」のではない。「生まれた」のだ。

閃光ではない。

魔術でもない。

それは……爆発だった。

最初は静かに。

だが、絶対的に。

里の中心から、白き清冽せいれつな光が世界へと突き抜け、「支配」の深紅を、最初から存在しなかったかのように呑み込んでいく。

赤が、砕けた。

まるで、硝子のように。

「何だと……っ!?」

セラフィムの声が歪む。

初めて……

その声に、余裕以外の何かが混じった。

——

光が、押し寄せる。

冷徹で。

純粋で。

抗いがたい。

「色欲の帝国インペリオ・ルジュリオソ」が崩壊し、目に見えぬ破片となって、地面に触れる前に霧散していく。

圧力が、消えた。

唐突に。

——

空気が戻ってきた。

肺に、一気に酸素が流れ込む。

咳き込みながら膝をつき、体が「動き方」を思い出そうともがく。

だが、そんなことを考えている余裕はなかった。

なぜなら……

あの鼓動が、まだそこに、あったから。

——

より強く。

より鮮明に。

——

俺は、そのみなもとを仰ぎ見た。

うちだ。

——

基礎の奥深くに、巨大なルーンが輝いていた。

ずっと、そこにあった。

だが、俺たちは気づかなかった。

今、この瞬間までは。

——

「……これは、まさか……」

父さんの声が聞こえた。低く。

言いようのない驚きを孕んで。

——

セラフィムが一歩、後退した。

顔を覆う。

「この光……!」

声が、裏返る。

「この地にあるはずのない、光だ……!」

——

奴の手に集まっていたエネルギーが霧散した。

引き剥がされ、

砕かれた。

——

世界が、白に染まる。

——

移り変わりも、

猶予ゆうよもなかった。

——

ただ、光。

——

そして——

静寂。

——

瞬きを、した。

一度。

——

再び目を開けた時……

空気は一変していた。

冷たく。

湿り気を帯びた。

自然の、匂い。

困惑しながら、まわりを見渡す。

火の粉は、もうない。

叫び声も。

血の臭いも。

ただ……

森だった。

周囲には巨木がそびえ立ち、そのこずえが空の大部分を覆い隠している。木漏れ日が葉の間から差し込み、柔らかな、どこか現実離れした緑の色を落としていた。

地面は湿った草に覆われている。

風は……穏やかだ。

穏やかすぎた。

荒れていた呼吸が、少しずつ整っていく。まるでこの場所そのものが、体に「落ち着け」と命じているかのようだ。

「……アリス」

即座に振り向く。

母様だ。

数歩先に、エイラを胸に抱いて立っていた。

疲弊してはいるが。

だが……無事だ。

「母様……」

近づきながら、呟く。

エイラは起きていた。

物音ひとつ立てず。

そのフクシア(紅紫色)の瞳で、不安げな様子もなく周囲を眺めている。

あの鼓動が……

弱いが、

確かに、そこにある。

「ここは……どこ?」

背後から、あずみの声がした。

彼女もそこにいた。草むらの中に立ち、警戒を緩めず、森の隅々まで分析している。

油断はない。

いつだって、彼女はそうだ。

「わからない」

俺は答えた。

それが真実だった。

だが、胸の奥で何かが……

ここを「敵地」だとは感じていなかった。

わずかに眉を寄せる。

「……でも、偶然じゃないはずだ」

木々の間を、風が吹き抜けた。

柔らかく。

囁きのように。

そして——

草むらの小さな動きが、俺の目を引いた。

視線を落とす。

「……」

黒い何かが、草の間をすり抜けてくる。

小さく。

しなやかに。

そして、姿を現した。

エリガクだ。

まるで何もなかったかのように、平然と歩いている。つい数秒前まで、死の淵に立っていたことなど嘘のように。

そいつは、俺たちの前で止まった。

母様を見上げ。

それから、エイラを見る。

ゆっくりと、瞬きをした。

「……そうか」

鼻から息を吐き、俺は苦笑を漏らした。

「お前も、一緒か」

黒猫は短く鳴き声を上げると、

その場に座り込んだ。

まるでこの場所もまた……

自分の縄張り(テリトリー)であるかのように。

再び静寂が訪れる。

だが、それはもう、張り詰めたものではなかった。

何かを、秘めているような……

穏やかな静寂だった。

それでも……。

一瞬、周囲を分析する。

何度も、何度も、森の中へと視線を走らせた。

捜した。

だが、見当たらない。

何も。

俺は眉を寄せた。

「父さんは……?」

「静香は……?」

声は、予想以上に低く掠れていた。

返事はない。

母様を見ると、彼女は静かに首を振った。

その瞬間……。

理解した。

全員がここにいるわけではないのだと。

——

なぜなら、ここから遠く離れた場所で。

遥か、遠くで。

——

物語は……。

ようやく、動き出したばかりなのだから。

……

(視点変更 —— 全知視点)

静寂は、完全なものではなかった。

少なくとも、全ての者にとって。

——

村の残骸の中、今もなお、わずかに残った建物を火が焼き尽くしているその場所に……。

一つの人影が留まっていた。

——

セラフィムが、顔を覆っていた手をゆっくりと下ろす。

その瞳は……。

苛立っていた。

物理的な負傷ゆえではない。

もっと、異質なもの。

「干渉」に対する、苛立ち。

奴は知覚を広げた。

見えない網を四方八方へと張り巡らせるように。

捜索し、

追跡する。

——

何も、ない。

——

マナの痕跡も。

気配も。

命の鼓動さえも。

——

そこにあるのは、完全な虚無だった。

——

そして……。

奴は、微笑んだ。

「……そこに、隠れていたのですか」

声は低く、

抑制されていた。

だが、その奥底にはさらに深い「何か」が宿っている。

「……ライラ」

その名は、偶然ではない。

確信を伴った、認識。

セラフィムは、一瞬だけ目を閉じた。

追憶するように。

「……あくまで、邪魔をすると言うのですね」

周囲を、灰を孕んだ風が吹き抜ける。

奴は目を開けた。

彼方を見据えて。

森の先へ。

全ての、先へ。

「興味深い……」

笑みが、深くなる。

ゆっくりと。

捕食者の、笑み。

「実に、興味深い」

周囲に、魔物たちが集結し始める。

物音ひとつ立てず。

従順に。

「動きますよ」

声を張り上げるまでもなく、そのめいは下された。

——

そして、影のように……。

奴らは村の残骸の中へと消えていった。

——

火は燃え続けている。

——

だが、それを見届ける者は、もう誰もいない。

——

煙が立ち込める中……。

最後の一言が、宙に漂った。

「どこへ隠れようとも……」

間。

「……今度こそ、見つけ出しますよ」

残りの言葉は、風がさらっていった。

——

そして風と共に、

一つの「確信」が残る。

——

これは……。

終わったのではない。

——

ようやく……。

始まったばかりなのだ。

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