転換点 I
いつも応援ありがとうございます。
今回は、熾天使の圧倒的な力と、崩壊していく日常のコントラストを表現することにこだわりました。戦闘シーンの緊迫感や、技の名称など、日本語の表現で「もっとこうしてほしい」という点があれば、ぜひ忌憚のないご意見をお聞かせください。
物語はここから、誰も予想しなかった方向へと加速します。
覚悟して、読み進めてください。
村は、もはや村ではなかった。
それは屠殺場だった。
肺に吸い込む空気は、灰と血、そして喉にへばりつく鉄の匂いで焼けるようだった。最初の悲鳴から一時間が過ぎようとしていたが……もはや時間に意味などなかった。
すべては喧騒。
すべては炎。
すべては、死。
傍らで、アズミの呼吸が荒くなっていた。その構えは依然として鋭く、双刃を構えている……だが、数分前の彼女とは明らかに違っていた。
俺たち二人とも、限界が近づいている。
俺たちの背後で、母さんが場を維持していた。
彼女の手から放たれる淡い白光が広がり、俺たちの身体を支える一本の脆い糸のように包み込んでいる。それがなければ……俺たちはとっくに倒れていただろ。
奥歯を噛み締める。
「無力」。
その言葉が頭の中で繰り返されて止まない。
魔法を制限され……マナも使えず……このような場において、俺は弱小な変数に過ぎない。守られるべき一点。
一つのエラーだ。
だが、止まるわけにはいかなかった。
今この時は。
彼女たちが俺の背後にいる限り。
「アリス!」
アズミの叫びが思考を現実に引き戻した。
本能。
反転。
上空から影が降下してくる。
その姿を完全には捉えられなかったが……空気が切り裂かれるのを感じた。
動く。
遅い。
爪が胸元を数センチのところで掠め、乾いた風切り音を立てて空気を切り裂く。地面への衝突が灰と炭化した木の破片を巻き上げた。
カニス・デモン。
その呼吸は不規則だった。瞳は……もはや瞳ではなかった。
それは飢えそのものだ。
考える時間は与えられない。
身体が反応した。
着地の際の均衡の崩れを突き、足の痛みなど無視して半歩踏み込む。手を開き――。
打撃。
硬質。
喉元への直撃。
圧力を受け、軟骨が砕ける感触。それは力ではない……「精度」だ。
怪物は地に伏し、痙攣しながら窒息したような声を漏らした。
止まらない。
止まってはいけない。
俺の右側で、アズミが動いていた。
いや……舞っていた。
彼女自身が作り出す風に乗せ、双刃が空中に不可視の弧を描く。一挙手一投足が清潔で、正確で……致命的だ。
地面に触める前に首が飛ぶ。
別の個体が真っ二つに裂かれる。
三体目は、近づくことすら叶わない。
しかし、それでも……。
彼女の速度が落ちていた。
俺には見えた。
風の輝きが一定ではなくなっている。斬撃の精度は保たれているが……一撃の間にコンマ数秒の遅れが生じ始めている。
奴らにとっては、それで十分だった。
なぜなら、奴らは絶え間なく押し寄せてくるからだ。
一体倒せば。
二体現れる。
三体。
五体。
あまりにも、多すぎる。
村全体が溢れかえろうとしていた。
そして、その混沌の最中で――。
大地が震えた。
爆発ではない。
それは……もっと深いところから。
遠くの衝撃。
だが、地面を伝い、足元から突き上げるには十分すぎるほど強烈な衝撃だった。
俺はわずかに顔を向けた。
視覚では捉えられない。
だが、分かっていた。
父さん。
シズカ。
奴らは戦い続けていた。
そして、その感触からして……。
勝ってはいない。
「ちっ……」
俺は奥歯を噛み締めた。
もし、あいつらが倒れれば……。
俺たちは一分も持たないだろう。
再びの動き。
新たな影。
今度は正面からではなかった。
左。
低い位置だ。
噛みつきを避けるため、辛うじて胴体を捻る。熱い呼気が首筋を掠めるのを感じた。
近すぎる。
反撃。
力ではない。
「意図」だ。
支点への短い打撃。
怪物は一瞬だけ均衡を崩した。
たった一瞬。
だが、それで十分だった。
アズミが現れた。
一閃。
首が転がった。
「集中を切らすな」彼女は俺を見ずに呟いた。
「わかってる」
嘘だ。
俺の意識は散漫になっていた。
恐怖のせいじゃない。
もっと質の悪いものだ。
これが……。
良い結末を迎えないという予感。
周囲では火が爆ぜていた。
家々が崩れ落ちる。
悲鳴は……もう、それほど多くはなかった。
それが最悪だった。
生き残っている者が、もう多くないことを意味していた。
風向きが変わった。
ほんの一瞬。
そして、空気の中にある何かが……。
張り詰めた。
明確な合図ではなかった。
音でもない。
それは……本能だ。
あたかも、世界中が息を止めたかのような感覚。
俺は視線を上げた。
そして一瞬……。
「何か」を感じた。
遠く。
重く。
不自然な。
「……」
何も言わなかった。
だが、分かっていた。
父さんが対峙しているあの怪物が何であれ。
それは、奇跡なしには止められない代物だ。
大地が再び震えた。
今度はより強く。
衝撃波が村を駆け抜け、灰と焼けた木の破片を巻き上げた。制御を失った魔法ではない……それは「衝撃」だ。
真っ直ぐな。
暴力的な。
「……」
見る必要はなかった。
感じることができた。
一撃ごとに……一打ごとに……まるであり得ない何かが、世界そのものを押し潰そうとしているかのようだった。
遥か彼方で――。
父さんは、単に「強い何か」と戦っているのではなかった。
存在してはならない何かと、戦っていた。
――。
鋼が空を切り裂いた。
ジャレッドの全身の力を込め、凝縮されたマナを纏った唐竹割りが振り下ろされる。それは様子見の攻撃ではない。
致命的。
真っ直ぐ。
出し惜しみなしの一撃だ。
衝撃。
響いたのは肉を断つ音ではなかった。
金属と金属がぶつかり合う音だ。
熾天使の腕は微動だにしなかった。
一センチたりとも。
だが、そんなことは重要ではなかった。
それが本命の攻撃ではないからだ。
「今だ」ジャレッドが呟いた。
シズカはすでにそこにいた。
駆けてきたのではない。跳んだのでもない。
ただ……出現したのだ。
最初からその地点にいたかのように。
彼女の手が刀の背を叩く。
正確。
無駄なし。
力は加算されたのではない。
「乗算」されたのだ。
衝撃波が刀身を駆け抜け、すべての一撃を一点へと凝縮させる。
そして――。
断った。
抵抗が屈した。
肉。
骨。
エネルギー。
すべてが一筋の線の中で崩壊した。
熾天使の腕が弾き飛ばされ、宙を舞い、湿った音を立てて地面に叩きつけられた。
どす黒い血が周囲に飛び散る。
重く。
濃く。
不自然な。
怪物の身体が一歩、後退した。
さらにもう一歩。
均衡が崩れる。
初めて――。
奴が屈した。
「やった!」シズカが息を吐いた。肩で荒い息をしながら。「……通じます!」
「油断するな」ジャレッドが即座に応じた。
安堵の声ではない。
張り詰めた……緊張の声だ。
感じたからだ。
二人とも、感じていた。
今のだけでは……。
足りないということを。
――。
低い笑い声が空気に混じり始めた。
乾いた。
壊れたような。
「……面白い……」
熾天使はゆっくりと頭を上げた。
瞳が輝いている。
怒りではない。
もっと質の悪いもの。
「愉悦」だ。
「数世紀ぶりだ……」奴が呟く。「……こんな感覚は」
切断された肩をわずかに動かし、悠然とその切り口を観察する。
「痛み……」
唇が歪んだ。
「……ほとんど忘れていたよ」
空気が変わった。
暴力的ではない。
微細な変化。
だが、それで十分だった。
周囲の粒子が……震えた。
その時――。
切り口から「何か」が動いた。
肉ではない。
正確には、肉などではない。
黒い繊維が伸び始め、生きている根のように絡み合う。真紅のエネルギーがそれらを覆い、構造を、形を……機能を再構築していく。
数秒のうちに――。
腕が戻った。
完全に。
完璧に。
傷跡一つなく。
まるで最初から斬られてなどいなかったかのように。
――。
その後に続いた沈黙は重かった。
濃密。
ジャレッドは動かなかった。
だが、剣を握る手はさらに強まった。
それ以上に。
「……なるほど」熾天使が呟いた。「……それが君たちの全力というわけか」
奴は視線を上げた。
真っ直ぐに、二人を見据えて。
「……次は、私の番だ」
――。
消失。
速度ではない。
視覚的な移動でもない。
ただ、そこに居なくなった。
シズカが反応した。
反転――。
遅い。
衝撃は硬質だった。
暴力的。
防ごうとした瞬間に、一撃が彼女の腕を捉えた。
空気に、骨が砕ける音が混じる。
両の家畜(前腕)が屈した。
彼女の身体は後方へと弾き飛ばされ、激突した石壁に亀裂が走った。
「シズカッ!」ジャレッドが咆哮した。
失策。
一秒。
たった一秒。
それで十分だった。
「集中を切らすなと言っただろう」
声が真横に現れた。
近すぎる。
一撃は即座に届いた。
得物(武器)への直撃。
鋼が震え――。
そして、砕けた。
剣は破片となって四方八方へと飛び散った。
ジャレッドは衝撃に押され、痺れた両手を抱えて後退する。
武器なし。
間合いなし。
時間なし。
――。
熾天使はすでに背後にいた。
止めを刺す構え。
だが、何かが間に割り込んだ。
シズカだ。
あの状態では動けるはずがない。
それなのに――。
彼女は地を蹴った。
砕かれた腕を再び掲げる。
盾。
衝撃。
一撃が彼女を貫いた。
威力は減衰することなく。
二人の身体は吹き飛ばされ、瓦礫と血の中を転がった。
――。
静寂。
ほんの一瞬。
――。
熾天使が身を正した。
肩の埃を払う。
まるで、これまでのことが何一つ重要ではなかったかのように。
「称賛に値するよ」奴が呟いた。「本当にね」
戦場を見渡し、評価を下す。
「……だが、無意味だ」
奴はゆっくりと両手を合わせた。
その指は、この世のものとは思えない形に絡み合っていく。
空気が……重くなった。
先ほどまでとは比較にならない。
それ以上に。
「……終わりにしよう」
奴の声から遊びが消えた。
それは「決定」だった。
「魔技……」
空間が振動する。
「……七影より」
間。
短く。
絶対的な。
「……血の渇き:淫らなる帝国」
――。
その瞬間――。
世界が変わった。
爆発ではない。
衝撃もない。
音すらなかった。
それは……「即座」だった。
世界が、単に動きを止めた。
戦場の中心から真紅の円蓋が広がり、あらゆる抵抗を無視してすべてを貫通する。
何も壊さない……だが、すべてを塗り潰した。
あたかも、現実そのものが「置き換えられた」かのように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました……。
ジャレッドの剣は砕かれ、シズカは身を挺して彼を守り、倒れました。
そして発動した魔技『淫らなる帝国』。紅いドームに包まれた村で、アリスは何を目にするのか。
絶望のカウントダウンは、あと1回。
この絶望的な展開に、あなたの胸が震えたなら……ぜひ評価【☆☆☆☆☆】とブックマークで、ヴァンクロフト家の最期(あるいは始まり)を見届けてください。
皆様のレビューや応援コメントが、アリスの運命を変える力になります。
次回の更新……地獄の結末を、決して聞き逃すな。
作戦、一時中断。再開を待て。




