割れぬ空の下で
シャドウ・コマンドの皆様、お待たせしました。第16話をお届けします。
エララの出産、そして新たな命の誕生。しかし、その日は奇妙な静寂と、荒れ狂う嵐が交差する「普通ではない」一日でした。
アリスだけが感じたあの「鼓動」の正体とは……。家族の絆と、どこか不穏な世界の予兆を感じていただければ幸いです。
今回も日本語のニュアンスにこだわり、臨場感を追求しました。皆様の感想をお待ちしております!
母さんの妊娠の知らせから、早くも九ヶ月が過ぎた。
興奮していないと言えば嘘になる。
だが、正直なところ、今日という日は……。
そんなことを考える余裕もなかった。
空は奇妙なほどに灰色だった。
暗いわけではない。
嵐が来そうでもない。
ただ……「消灯」されたかのような。
何かが奪い取られたような、そんな空。
空気は重く感じられた。
密度が高い。
呼吸の一つ一つが、吐き出される前に一秒長く胸に留まるような感覚。
理由はわからなかった……。
だが、俺の身体が、事態は変わりつつあると告げていた。
無意識に、拳を握りしめる。
「アリス」
アズミの声が、俺を思考の淵から引き戻した。
顔だけをわずかに向ける。
彼女はドアの枠に寄りかかり、静かに俺を観察していた。
「窓の外を見て、どうしたの?」彼女が尋ねた。
再び空に視線を戻す。
「……何でもない」俺は答えた。「ただ、妙な日だと思っただけだ」
沈黙が流れる。
アズミは少し歩み寄り、同じように外を眺めた。
最初、彼女は何も言わなかった。ただ、見ていた。
「雨が降りそうね」ようやく、彼女が呟いた。
俺は微かに頷く。
だが、答えはしなかった。
そんな単純なことではない。
あるいは……それだけではないのだ。
視線を外す。
「……母さんは?」
アズミが答えるまでに、一秒の「溜め」があった。
「始まったわ」
彼女のトーンは穏やかだった。
だが、その奥には何かがある。
いつもより、揺るぎない何かが。
「分娩の段階に入るわ」
身体がわずかに出口へと強張るのを感じた。
恐怖ではない。
期待によるものだ。
「父さんのところへ行きなさい」彼女が付け加えた。「あなたを探していたわ」
俺は頷いた。
「わかった」
ドアに向かって一歩踏み出す。
だが、部屋を出る前に……。
もう一度だけ、窓の外を見た。
空は相変わらずだった。
動かず。
重く。
静まり返っている。
そして、なぜか……。
それがどんな嵐よりも、俺を不安にさせた。
背後でドアを閉め、廊下を進む。
屋敷の中は静かだった。
空虚な静寂ではない。
「抑制」された静寂だ。
誰もが、声を潜めて話しているかのような……たとえ、実際には誰も喋っていなくても。
角を曲がったところで、彼を見つけた。
父さんが、正面玄関の近くに立っていた。
腕を組み。
外を見つめたまま。
彼は動かなかった。
俺の足音が床に微かに響いても、微動だにしない。
「来るのが早かったな」振り向かずに、彼が言った。
「アズミに、父さんが探してると聞いたんだ」
「ふむ」
彼はわずかに頷いただけだった。
それ以上、何も付け加えない。
俺は彼の視線を追った。
ドアは半開きになっていた。
そこから外の景色が見える。
空は相変わらず覆われていた。
灰色。
重厚。
風が木の葉を揺らしているが……リズムがない。
不規則。
何かが噛み合っていないような。
「雨が降るぞ」唐突に、父さんが言った。
彼のトーンは、あまりにも「普通」を装っていた。
過ぎるほどに。
俺は彼を見た。
「アズミも、そう言っていたよ」
「なら、言うことを聞いておけ」彼は応じた。「今日は外に出るには、いい日じゃない」
沈黙。
彼の話し方の何かが、しっくりこない。
言っている内容ではない。
その「言い方」だ。
言葉を一つ一つ、吐き出す前に慎重に測っているかのような。
「普通の雨には見えないけど」俺は呟いた。
父さんが、ようやく顔をこちらへ向けた。
「それでも、雨は雨だ」
真っ直ぐ。
突き放すような。
だが、攻撃的ではない。
むしろ……。
「防衛的」な響き。
数秒間、俺は彼の視線を受け止めた。
それから、視線をドアの方へと外した。
風の突風が、ドアをわずかに押しやった。
きしむ音が響く。
「……閉めた方がいい」俺は言った。
「ああ、今閉める」
だが、父さんは動かなかった。
すぐには。
彼の目は外に向けられたまま。
観察し、評価している。
あたかも何かを待っているか……あるいは、すでに知っていた何かを確認しているかのように。
「母さんの方は、もう始まったぞ」数秒後、彼は付け加えた。
俺は頷いた。
「アズミに聞いたよ」
「そうか」
今度は、彼は壁から身を離した。
力強くドアを閉める。
閉まる音が、いつもより重く響き渡った。
「近くにいろ」彼は続けた。「無用な音を立てるな」
「……そんなに深刻なのか?」
「お産だからな」
それ以上の説明はなかった。
だが、その眼差しは……言葉とは裏腹だった。
彼は廊下の奥へと歩き出し、俺の横を通り過ぎた。
一瞬、足を止める。
「それと、アリス」
「……何?」
短い沈黙。
彼が躊躇っているかのようだった。
「……何が起きてもだ」
静寂が、ピンと張り詰める。
「……外には出るな」
俺は眉をひそめた。
「たとえ……何があっても?」
「外には出るな」
今度はより断定的だった。疑念の余地を与えない。
俺は、彼が遠ざかっていくのを見送った。
足取りは落ち着いている。
だが、その背中は……強張っていた。あまりにも。
廊下に再び、静寂が満ちる。先ほどよりも、重苦しい。
閉ざされたドアを見る。それから、窓の方へ。
差し込む光は……より微かに。より、濁っていた。
まるで空が……ゆっくりと閉じられていくかのように。
俺はわずかに奥歯を噛み締めた。
「……ただの雨じゃない」
口には出さなかった。だが、出す必要もなかった。
廊下は静まり返ってなどいなかった。最初から。
部屋の中から、声が漏れ聞こえてくる。
指示。途切れ途切れの呼吸。尽くされる尽力。
「呼吸して……もう一度……そうよ、エララ様」
シズカの声は揺るぎなかった。統制され、一定の調子を保っている。
母さんが、呻き声で応じる。さらにもう一度。より、強く。
無意識に拳を握りしめる。
その音は……「現実」だった。生々しい。
そこには優雅さなど、欠片もなかった。
それは痛み。それは、凄まじい努力。
それは、路を切り拓こうとする「生命」そのものだった。
数歩、歩み寄り……そして足を止めた。
父さんは、すでにそこにいた。
部屋のドアの前に、立ち尽くしている。
微動だにせず、腕を組み、待っている。
何も言わず、彼の隣に並んだ。
一瞬……俺たちは、ただ聞き入っていた。
「もう少しよ……止めないで……」
再びの、悲鳴に近い呻き。より高く、より激しく。
俺の呼吸は、意図せずそのリズムに同期していた。
吸って。吐いて。待つ。
父さんは動かなかった。
だが、その立ち姿から、張り詰めた緊張が伝わってきた。
「……あと、どのくらい?」俺は囁いた。
「必要なだけだ」振り向かずに、彼は答えた。
真っ直ぐ。いつものように。
だが、その声は……いつもより低かった。
外の風が、窓を微かに叩いた。
だが、この内側では……すべてが、その「瞬間」に凝縮されていた。
「今よ!」
シズカの叫びは明快だった。真っ直ぐに。
そして――。
感じた。
「鼓動」だ。
俺は即座に眉をひそめた。
それは……部屋の中から広がっていく波動のようなものだった。
重圧ではない。重さでもない。
それは……。
「静寂」だった。
奇妙な、静寂。深い。
耳に届く、あの凄まじい尽力とは完全に対照的なもの。
瞬きをする。意味がわからなかった。
顔だけをわずかに向ける。
「……今の、感じたか?」俺は尋ねた。
父さんが、微かに眉を寄せた。
「……何のことだ?」
俺は彼を凝視した。
「何か……鼓動のようなものが」
沈黙。
「……いや」彼は答えた。躊躇いもなく。
俺の眉間の皺が深くなる。
視線をドアに戻した。
母さんが叫んだ。最後の一搾り。
そして、あの鼓動が……増幅した。
一瞬の間――。
すべてが静止したかのように思えた。
俺の肉体。空気。音。
そして――。
「産声」が響いた。
澄んだ、力強い、生命に満ちた声。
それを耳にしたのと同時に……あの鼓動が激しく膨れ上がった。
俺の身体を通り抜ける、穏やかな波のように。
かつてないほど鮮明に。より純粋に。より……平穏に。
肩の力が抜ける。呼吸が軽くなる。
俺の思考が……空になった。
あたかも一瞬だけ……他に何も重要ではないかのように。
「……」
瞬きをする。困惑していた。
なぜなら、それはこの世界の何物とも似ていなかったからだ。
それは……名づけようのない何か。
そして突如として――。
それは途絶えた。
余韻もなく、消え入ることもなく。
ただ……消失したのだ。
「……そんな、バカな……」
「どうした?」父さんが横目で俺を見て尋ねた。
俺は軽く首を振った。
「……何でもない」
嘘だ。
父さんが数秒間、沈黙を守った、その時だった。
――轟音。
雷鳴が屋敷の真上に落ちた。
暴力的に、至近距離で。
壁が震える。その音が胸を突き抜けた。
本能的に一歩、後退する。
風が建物に激しく叩きつけられた。窓が悲鳴を上げる。
そして――。
雨が降り出した。
唐突に、重く、猛烈に。
あたかも空がずっと堪えていたものが……ついに決壊したかのように。
隙間から風が入り込み始めた。鋭い音。絶え間なく。不穏な響き。
窓の方を見る。
空はもはや静止していなかった。
動いていた。荒々しく、混沌として。
一瞬にして何かが変わってしまったかのように。
再びドアへと視線を戻す。
鼓動が速まっていた。恐怖からではない。
確信があった。
「……偶然じゃない」
声には出さなかった。だが、わかっていた。
あの「鼓動」……。あの静寂……。そして、この嵐……。
これらが無関係であるはずがない。
そして、もし俺以外に誰も感じていないのだとしたら……。
ならば……。
ドアが静かに開いた。思考が遮られる。
アズミが先に姿を現した。
「女の子よ」いつもより低い声で、彼女は言った。「……入っていいわ」
父さんに迷いはなかった。即座に中へ入る。
俺もそれに続いた。
だが、しきい(門)を跨いだ瞬間に……また感じた。
微かだ。先ほどよりもずっと弱い。
だが、そこにある。あの「鼓動」が。
俺の視線は釘付けになった。
シズカがベッドの脇に立ち、慎重にその子を抱いていた。
産着に包まれた、小さな命。
母さんは横たわり、明らかに消耗していたが……微笑んでいた。穏やかな、深い微笑み。
「アリス……」彼女が呟いた。
俺はゆっくりと近づいた。
だが、意識は……赤ん坊から離れなかった。
「……母さん」
彼女の紫の瞳が、俺を捉えた。
「おいで……この子を見てあげて」
俺はわずかに頷き、もう一歩踏み出した。
すると、あの鼓動が……少しだけ鮮明になった。
侵食するのではなく。圧迫するのでもない。ただ……「在る」のだ。
存在を示すために強いる必要のない、圧倒的な存在感として。
父さんが俺の隣で足を止めた。沈黙の中で。ただ、見守っている。
「大したことなさそうね」後ろからアズミが口を挟んだ。「もっと騒がしいかと思ったわ」
母さんが軽く笑い声を漏らした。
「あと数日もすればね……」
「遠慮しておくわ」アズミが応じた。「アリス一人で十分よ」
「おい」
「何よ? 本当のことじゃない」
父さんが短く笑った。
「こいつ(アリス)の性格まで受け継がなけりゃいいがな……」
「それは確かに、厄介ね」アズミが付け加えた。
「……全部聞こえてるぞ」
「そのつもりで言ってるのよ」
俺は言い返さなかった。俺の意識は、そこにはなかったからだ。
全神経が、その子に……あの感覚に囚われていた。
シズカが一歩、俺の方へ踏み出した。
「……抱いてみる?」
身体がわずかに強張る。
「……俺が?」
「お兄様でしょう?」
父さんを見た。それから母さんを。
誰も反対しなかった。
唾を飲み込む。
「……わかった」
腕を差し出す。慎重に。
シズカがその子を、俺の腕の中に預けた。
軽い。あまりにも。重さなどないかのようだ。
ぎこちなく抱き方を調整する……それが悟られないように。
そして――。
あの「鼓動」。より鮮明に。より間近に。
俺の目が、わずかに見開かれた。
「……」
そこに、あった。
気のせいではない。外部からのものでもない。
この子の中から、湧き上がっている。
俺はその子を見た。近くで。至近距離で。
その子の目が、かすかに開いた。
フクシア(赤紫色)。柔らかな、色合い。自然な、輝き。
だが……。
問題は「色」ではなかった。
その「色」の奥にあるもの。
あの、鼓動。
穏やかで、深い。
何も乱さないかのように見えて……それでいて、すべてに触れているような感覚。
無意識のうちに、俺の呼吸はより遅く、より安定していった。
「……少なくとも、髪の色はちゃんと受け継いだみたいね」アズミが呟いた。
「ああ、そうだな」父さんが応じる。
その後の会話は耳に入らなかった。
なぜなら、その瞬間に……理解したからだ。
外で感じたあの気配は……消え去ったわけではなかった。
ただ……凝縮されたのだ。この場所に。
「……お前だったのか」俺は小声で呟いた。
「何か言ったか?」父さんに聞かれ、俺は首を振った。
「……何でもない」
だが、視線は逸らさなかった。
産着の間から、小さな一房の髪がのぞいている。
母さんと同じ、あの色だ。
深く考える必要はなかった。
「……よお」
他に何を言えばいいのかわからなかった。
だが、言葉など必要なかった。
一瞬だけ……他のすべてが、どうでもよくなったからだ。
嵐も。騒音も。この世界さえも。
すべてが背景へと退いていく。
その時だった――。
ドアが勢いよく開き、黒い影が床を横切った。
「……おい、よせ」
エリガクだ。
奴はベッドへと一直線に飛び乗った。
「こら!」
空気など読むはずもなく、シーツのそばでわがもの顔に丸くなる。
観察しているのだ。自分も検分に加わりたいと言わんばかりに。
「変なことすんじゃねえぞ……」
俺は腕の中の重みを守るように、少し力を込めた。
エリガクは俺を完全に無視し、ゆっくりと瞬きをした。
それから赤ん坊を見つめ……短く、鳴いた。
沈黙。一秒。二秒。
すると――。
赤ん坊が小さな声を漏らした。
微かな、まるで応えるかのような声。
俺の目がわずかに細められる。
「……最高だな」俺は溜息をついた。「……もう初接触を済ませやがった」
アズミが笑い声を上げた。
「あら、あっさり居場所を奪われたみたいね」
「助太刀はいらないぞ」
父さんも呆れたように首を振る。
「あの猫はどうしようもないな」
「……どうにかする方法はある」
視線を赤ん坊に固定したまま答えた。「遠ざけておくことだ」
エリガクが尻尾を振った。理解した上で、無視することに決めたようだ。
俺は溜息をつき、再び妹を見た。
あの鼓動は、まだそこにある。
弱く、絶え間なく。俺だけに向けられた、特別なリズム。
「……俺が、守ってやる」
声は低かった。だが、揺るぎない決意。
一呼吸置き、横目で猫を睨む。
「……特に」
さらに目を細める。
「……この『悪魔の猫』からはな」
半秒の静寂。そして――。
柔らかな、本物の笑い声が部屋に満ちた。
外では、嵐がまだ吹き荒れている。
激しく、絶え間なく。
だが、この内側の空気は……違っていた。
より温かく。より穏やかに。より……「正しい」場所。
俺は少し視線を落とした。彼女の方へ。
今度は、迷いはなかった。
あの鼓動。あの静寂。名づけようのない、あの奇妙な感覚……。
それは外部のものでも、世界のものでもなかった。
それは、彼女自身。
そしてなぜか……俺だけがそれを感じることができた。
慎重に、だが決然と。抱く手に力を込める。
「……失敗はしない」
誰に言うでもなく。自分自身へ。そして、彼女へ。
初めて……それは「約束」のようには聞こえなかった。
それは揺るぎない「事実」として、そこに刻まれたのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ついに誕生したアリスの妹。しかし、そのフクシア色の瞳と、アリスだけが感じ取った異質な「静寂」。そして、あのタイミングで決壊した嵐……。これらが何を意味するのか、皆様も嫌な予感がしているのではないでしょうか。
ここから先の4話、物語は一気に「真の緊張」へと突入します。
もはや、ただの家族の日常ではありません。この静寂が嵐の前の静けさだったことを、次回の作戦で証明しましょう。
シャドウ・コマンドの皆様、この新たな命の誕生と、外で荒れ狂う嵐の不吉な関係についてどう思いますか?
物語の「深淵」が気になった方は、ぜひ【☆☆☆☆☆】の評価とブックマークで、この家族の未来を援護してください!
次回の作戦開始まで、状況を注視せよ。……逃げ場はないぞ。




