新たな家族
ヴァンクロフトの領地、六歳の冬。
平和な日々の中に、静かな変化が訪れようとしていた。
俺は今日も、鏡に映る自分の傷跡を見つめながら、かつての自分と今の自分を重ね合わせる。
これは、新たな家族の誕生と、俺の中に芽生えた確かな「守るべきもの」の物語だ。
俺は六歳になった。
正直に言えば……外の世界のことは、ほとんど何も知らない。
ヴァンクロフトの家とその周囲だけが、俺の全宇宙だった。壁の向こうには森と、長い小道と、静寂しかない。最初は、その静寂を「平和」だと思っていた。
だが、今は違うと知っている。
それは「距離」だ。
街からこれほど離れて暮らしているのには、理由がある。偶然でも、気まぐれでもない。
それは、決意だ。
恐怖から……あるいは、変貌してしまった世界への拒絶から生まれた決意。
人類は今もなお、他種族との紛争を続けている。
いにしえの物語にあるような全面戦争ではない……もっと質の悪いものだ。
それは「憎悪」だ。
静かで、絶え間ない憎悪。それが生活のあらゆる側面に浸透している。
差別。
隔離。
支配。
俺の家族は、その流れには加わっていない。
彼らは別の何かを信じている。
この世界では……狂気とも取られかねない教義。
あらゆる種族が共存すべきだという信念。
違いは「腐敗」ではなく「進化」なのだと。
だから、俺たちはここに住んでいる。
遠く離れた場所に。
その憎悪が届かないように。
自分たちが呑み込まれないように。
それでも……現実は容赦なく入り込んでくる。
最も深刻なのは差別そのものではない。その先に待っているものだ。
街では、エルフやドワーフ、亜人たちが「奴隷」にされていることも珍しくないらしい。
「所有物」として。
重労働に従事させられる者。
家事に使用される者。
そして、それ以外の……。
あまり考えたくはない。
この世界は……。
壊れている。ひどく、壊れている。
そして最悪なのは、それが遠い場所の脅威ではないということだ。
思っていたよりも、ずっと近くにある。
長い間……俺は知らなかった。
だが、アズミは……。
人間ではない。
彼女は今、十六歳。
そして、エルフだ。
彼女はいつも耳を隠していた。
その事実を知った時、多くのことが腑に落ちた。
身のこなし。
自然との繋がり。
そして、今までは理解しきれなかった独特の仕草。
だが、最も驚いたのは、それではない。
彼女の過去だ。
アズミはここに、使用人として仕えているわけではない。
保護されているわけでもない。
彼女はここに……。
自らの意志で、そして「恩」のためにいる。
ある夜、二人きりで話した時に彼女が教えてくれた。
飾り立てることも、不必要なドラマチックさも排して。
多くの人間が、エルフの領土へと足を踏み入れる。
探検家としてでも、外交官としてでもなく。
「狩人」として。
彼女はその犠牲者の一人だった。
両親から引き離され。
故郷から毟り取られ。
「商品」に成り下がった。
すべての希望を失いかけていた時……。
彼女は、俺の両親に出会った。
当時……彼らはまだ冒険者だった。
そして、何らかの理由で……。
彼らは介入を決めた。
彼女を救出したのだ。
だが、彼女を故郷へ帰すことはできなかった。
ヒマル=ガルの王国は、代償なしに出入りできるような場所ではない。
道中は魔物で溢れている。
悪魔もいる。
そして、それ以上に恐ろしいもの……。
他の人間たち。
他の種族たち。
この世界において……。
残酷さは、一つの顔しか持たないわけではないからだ。
……とはいえ。
今日、俺は自分の部屋にいた。
一人で。いつものように。
空気は重く、濃く、日課の訓練による熱気が充満している。床には反復の残響、衝撃、無理やり絞り出した呼吸の音が染み付いている。
腕立て。
スクワット。
空手の突き。
限界まで。
体が反応を止めても……それでも、動くことを強いる。
終えた後、俺は数秒間、膝に手をついて前かがみになり、呼吸を整えた。
ゆっくりと。制御して。
それから体を起こした。
そして、鏡を見た。
鏡に映った私の姿は…もはや普通の子供の姿ではなかった。
痕跡は、そこにあった。
胸を横切り、腕へと続く。
不規則な傷跡。
完全には癒えることのない火傷の跡。
肌に刻み込まれた、記憶の断片だ。
その一つを指でなぞってみる。
粗く、生々しい。
認めざるを得ないな……。
悪くない。
口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「……なかなか、魅力的じゃないか」
「それは……相当、気味が悪いわよ」
声が衝撃となって俺を貫いた。
本能的に飛び上がり、その場で振り返る。
「うわっ、くそっ!」
アズミが壁に寄りかかり、腕を組んで俺を見ていた。面白がっているようでもあり、呆れているようでもある、そんな表情で。
「……いつからそこにいた?」
眉をひそめて問う。
「十分すぎるくらいにはね」
彼女は動じることなく答えた。
目を細める。
「何の答えにもなってないぞ」
「必要な答えはそれだけよ」
溜息が漏れた。
「最高だ……観客までつくとはな」
アズミは小さく笑い、壁から背を離した。
「安心しなさい。あなたの『トレーニング後のナルシシズム』を拝みに来たわけじゃないから」
「残念だな。ちょうど入場料を取ろうと思ってたところだ」
「服を着るためにお金を払われることはあっても、その逆はないわね」
「手厳しいな」
彼女は俺の前で立ち止まり、再び腕を組んだ。だが今度は、表情がわずかに変化した。
より、真剣なものに。
「お母様が呼んでいるわ」
俺の笑みが少し消えた。
「……何かあったのか?」
アズミは一瞬、言葉を濁した。
「……大切な知らせがある、と」
彼女の目をじっと見つめる。行間を読み取ろうとして。
「大切って、どんな風にだ?」
「知らないわ。でも、シズカも一緒にいるし……お父様ももう戻っているわ」
それは……普通ではない。
わずかに眉根を寄せる。
「なら、小さな話じゃなさそうだな」
「ええ」
空気が一変した。唐突に。
「行くわよ」
アズミが扉の方へと背を向けた。
俺はもう一秒だけ、鏡の前に留まった。
映し出された自分を見る。
傷跡。体。自分の歩み。
そして、なぜか……。
何かが決定的に変わろうとしている予感がした。
「ああ……すぐ行く」
軽い布を手に取り、最低限の場所を隠すように羽織った。
それから扉へと歩き出す。
アズミは外で待っていた。
彼女は何も言わず、俺も何も言わなかった。
だが、廊下を進む間……。
感じ取ることができた。
この静寂は、何かが起きる前触れだ。
広間に着くと、全員がそこにいた。
待っていたのだ。
父はテーブルの傍らで腕を組み、立っている。
シズカは横で、いつものように背筋を伸ばしているが、その表情には微かな好奇心が混じっていた。
アズミは壁際に寄り、静かに佇んでいる。
そして、中央には。
母がいた。
「母上……待たせたかな?」
エララが即座に俺の方を向いた。
そして、微笑んだ。
いつもの微笑みではない。
より……温かく。より、輝かしい。
「アリス、私のかわいい子……。さあ、座ってちょうだい」
穏やかな声で彼女は言った。
瞬きをする。普通ではない。
だが、俺は従った。彼女から目を逸らさずに席に着く。
「……何があったんだ? 母上、すごく嬉しそうだけど」
エララはすぐには答えなかった。
彼女の両手が前で組み合わされる。
深く、息を吸い込んだ。
抱えきれない何かを、これ以上抑えてはおけないといった様子で。
広間の静寂が濃くなる。期待に満ちて。
「いい……みんな」
ついに、彼女が家族一人ひとりの顔を見渡しながら言葉を紡いだ。
シズカでさえ、わずかに身を固くした。
「ヴァンクロフト家に……もうすぐ、新しい家族が増えるわ」
……。
時が、一瞬止まったような気がした。
「……え?」
声が重なった。
「……え?」
俺は、首を巡らせた。
父さんは俺と同じくらい困惑していた。
「……どういう意味だ、エララ?」
ジャレッドが眉をひそめて問う。
理解できていないようだった。あるいは……。
認めるのが怖かったのかもしれない。
エララは彼を見つめた。
そして……。
さらに深く、微笑んだ。
「赤ちゃんができたのよ。妊娠したの」
静寂。
絶対的な、静寂。
一瞬、誰も何も言わなかった。
空気さえも動きを止めたかのようだった。
ジャレッドの目がわずかに見開かれる。
頭の中で、あまりにも大きく、あまりにも速い何かを処理しようとしているかのように。
「……妊娠?」
彼は、ほとんど囁くように繰り返した。
エララは頷いた。
ゆっくりと。
それを認め。
現実のものとするために。
「ええ」
それで十分だった。
ジャレッドが一歩前へ踏み出した。
さらにもう一歩。
そして、何も言わずに彼女を抱きしめた。
強く。
それが幻ではないと確かめるかのように。
そこには感情があった。
彼が滅多に見せることのない、剥き出しの感情が。
シズカは驚き、口元に手を当てた。
「エララ様……それは……」
言葉は最後まで続かなかった。
だが、その笑顔がすべてを物語っていた。
アズミはといえば、二、三度瞬きをして、明らかに動揺していたが……すぐに彼女も微笑んだ。
小さく、だが心からの笑みを。
俺は……。
沈黙したまま、その光景を見つめていた。
思考を巡らせる。
新しい家族。
もう一人の子供。
もう一人の……。
ヴァンクロフト。
一瞬、視線を落とした。
考え、分析する。
そして、長い間忘れていた感覚に陥った……。
論理では解決できない状況。
なぜなら、これは……。
脅威ではない。
問題でもない。
それは……。
それ以上の「何か」だ。
再び顔を上げる。
家族を観察する。
そして無意識のうちに……。
前世において、「兄弟」という言葉は同じ意味を持たなかった。
あそこでは、兄弟は「生まれる」ものではなかった。
「鍛え上げられる」ものだった。
泥の中で。
硝煙の中で。
鋼の中で。
叫ばれる命令、沈黙の視線……そして、誰一人として戻ってこないかもしれないという確信の中で。
それは決して純粋なものではなかった。
決して……このようなものではなかった。
だから。
こんな瞬間を経験するなんて、想像もしなかった。
それなのに……。
悪くない気分だった。
一瞬、目を閉じる。
想像してみる。
妹だろうか……。
それとも、弟か?
「何をそんなに考え込んでるの?」
アズミが少し俺の方へ身を乗り出して、尋ねてきた。
俺は目を開けた。
「……ライバルができるな、と思ってたところだ」
アズミが眉をひそめる。
「ライバル?」
「ああ」俺は肩をすくめた。「一番のお気に入りの座を死守しなきゃならないからな」
「お気に入りだったことなんて、一度もありませんよ」
シズカが事もなげに割り込んできた。
俺は彼女を振り返る。
「おい」
「事実を言ったまでです」
アズミが吹き出した。
「あっさりと王座から引きずり下ろされたわね」
「なんて忠誠心の厚い家族だ……」
「心配しないで」アズミがニヤリと笑って付け加える。「新しく来る子は、もっと愛想がいいかもしれないわよ」
「そいつはハードルが低すぎるな」
「アリス」
母さんの声に、俺は向き直った。
エララは真剣な眼差しで、微笑みの奥に深い何かを秘めて俺を見つめていた。
「……嬉しい?」
直球の質問だった。
数秒間、その視線を受け止める。
そして今回は……思考を挟まなかった。
「ああ、嬉しいよ」
飾り気のない、戦略もない、ただの真実。
エララは、自分の中の何かがすとんと腑に落ちたかのように、小さく息を吐いた。
「……あなたは、きっといいお兄ちゃんになるわ」
「まずは訓練で肋骨を折らない術を覚えることだな」
ジャレッドが腕を組みながら口を挟む。
「あれは一度きりだ」
「今週の話だろう」
「些細なことだ」
ジャレッドは呆れたように首を振ったが、その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
「アリス」彼は再び真剣な表情に戻る。「これは遊びではないぞ」
俺は彼を見つめ返した。
「わかっている」
「下の子は『超える』べき相手じゃない……」俺は確かな口調で言った。「守るべき相手だ」
ジャレッドは黙って俺を見つめた。
射抜くような視線。
俺の言葉の裏にある「何か」を解読しようとするかのように。
数秒の沈黙の後、ようやく彼が口を開いた。
「時折、お前は……子供らしからぬことを言うな」
彼は腕を組み、低く呟いた。
俺は答えなかった。
だが、視線を逸らすこともなかった。
今の俺に、迷いはない。
その後に流れた沈黙は、決して不快なものではなかった。
揺るぎない、強固な沈黙。
言葉を介さずとも、俺たちの間で何かが決定したかのような。
「さて、アリス……今日からは分け合うことを覚えなきゃね」
アズミがその場の空気を変えるように言った。
「何を分けるんだ?」目を細めて聞き返す。
「すべてよ」シズカが冷静に答える。「場所も、関心も……食事も」
俺は即座に眉をひそめた。
「食事を?」
首を横に振る。
「毎朝俺の朝飯をかすめていく、あの毛玉一匹で十分手一杯だってのに……」
アズミが大笑いした。
「なら、もう経験済みってことね」
「一緒にするな。あいつのやってることは計画的犯行だ」
「お前を鍛えているのかもしれんぞ」ジャレッドが茶化すように言う。
「なら、あいつは最高にいい仕事をしてるな」
広間が笑いに包まれた。
エララもまだ平らなお腹に手を当て、楽しそうに笑っている。
だが、そのお腹には今……大きな意味が宿っていた。
俺は静かにその光景を眺めていた。
俺の家族。
俺の現実。
そして……あの思考が戻ってきた。
「エリザベス」。
胸が痛んだ。いつものように。
だが今回は……打ちのめされることはなかった。
ゆっくりと息を吐き出す。
もし彼女の元へ戻れないのだとしたら……。
なら……。
ここには、もう家族がいる。
息をし、笑い、俺を待っていてくれる家族が。
俺はそっと拳を握りしめた。
怒りではなく、決意とともに。
もっと強くならなければならない。
誇りのためでも、執着のためでもない。
彼らのためだ。
彼らを守るために。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
私は海外からこの物語を投稿していますが、日本の読者の皆様に楽しんでいただけるよう、一文字一文字に魂を込めて執筆しています。
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】からポイント評価や、ブックマーク登録をお願いいたします。
皆様の一つ一つの応援が、私の執筆の最大の動力源です。
これからも『ラ・ファリャ・デル・ヘネシス』をよろしくお願いいたします!




