木剣の誓い
第1巻を読んでくださった皆様、ありがとうございます!ここからアリスの本当の戦いが始まります。魔法なき少年の執念を、ぜひ見届けてください。
ヴァンクロフト家の裏庭に流れる空気は、紛れもなく「本物」だった。
単なる不快な感覚ではない……それは、圧力だ。
重く、目に見えない。まるでありふれた空気の流れさえも拒絶しているかのような。
乾いた土の地面が足元で軋む。そこには過去の訓練で刻まれた足跡や旋回の跡が残っていた。だが、今ここで起きていることは……日常の延長線上にはなかった。
ジャレッドが俺の前に立っている。
直立し、安定し、静かだ。
彼は木剣をまるで自分の体の一部であるかのように、力みなく、自然に構えていた。目に見える緊張はない……にもかかわらず、その存在感だけで周囲を圧倒している。
俺も自分の剣を握る。
彼より短く、軽い。
だが、危険さは引けを取らない。
俺の構えは低い。
不注意ではない。
計算だ。
ゆっくりと息を吸う。
リズムを支配する。
戦いのリズムではない……俺自身の。
変化に気づいた。
彼の肺が膨らむ。
吐き出した。
そして——
消えた。
「……くそっ」
速さではない。
内面からの「強化」だ。
常人から見れば、ジャレッドはただその場から消えたように見えただろう……一瞬で空間を飛び越えたかのように。
だが、俺は視覚で反応しなかった。
体で反応した。
空気が変わった。
圧力が移動した。
地面がわずかに震えた。
右だ。
寸前で体をひねる。
衝突は不完全。
俺の剣が角度をつけて彼の剣を捉え、止めるのではなく軌道を逸らした。木材がその威力に悲鳴を上げ、腕を通じて振動が突き抜ける。
近い。
近すぎる。
だが、十分だ。
「……なるほどな」
ジャレッドが半歩ほど下がりながら呟いた。
驚きではない。
評価だ。
息を整える。
そして、踏み込んだ。
俺は魔力を使えない。
消えることもできない。
だが、その必要もない。
前世において、戦闘はエネルギーに基づいたものではなかった……効率に基づいたものだ。
流れを作る「カンフー」。
爆発力を生む「テコンドー」。
型を破る「カポエイラ」。
距離を詰める「ボクシング」。
そして何より……
「パルクール」。
環境は単なる舞台ではない。
それは道具だ。
彼にとって、この庭は開けた空間に過ぎない。
だが、俺にとっては……
それは「地図」だ。
短く、リズム刻んだステップで彼の懐に入る。
構えを変える。
一度。
二度。
三度。
読み取られる前に、自らのパターンを破壊する。
前進。
上段へのフェイント。
下段への切り替え。
旋回。
死角から侵入する。
俺の体は「流派」に従わない。
「論理」に従う。
この世界が、まだ知らない論理に。
ジャレッドは防いだ。
だが、遅い。
俺の剣が彼の脇腹をかすめた。
クリーンヒットではない。
だが、接触した。
静寂。
一瞬の間。
「……面白い」
待ちはしない。
畳みかける。
リズムを上げる。
固定された型のない攻撃。短い連打、高低の揺さぶり、互いに噛み合わない旋回。次の動きを予測する術はない……なぜなら、それらは同じ「システム」にすら属していないからだ。
カポエイラが軸を崩す。
ボクシングが距離を詰める。
テコンドーが空間を切り開く。
カンフーがそれらを繋ぐ。
すべてが一体となり。
すべてが同時に押し寄せる。
ジャレッドが後退した。
一歩。
そして、もう一歩。
実力不足ではない。
読み取るべき「パターン」が存在しないからだ。
「これは剣術ではないな……」
わずか数ミリで打撃を逸らし、彼は呟いた。
再び踏み込む。
今度はより深く。
ミスだ。
足が正確な支持点を見つけられなかった。
微々たる綻び。
だが、それで十分だった。
ジャレッドが反応する。
速さではない。
精密さだ。
彼の剣が俺の剣を捉え、鋭い旋回で受け流した。肩が前に出て俺の懐を壊し、膝がダイレクトな衝撃を予感させる。
距離を取らざるを得なかった。
強制的に。
呼吸が荒くなる。
筋肉が悲鳴を上げ始めていた。
だが、俺は笑った。
「どうした?」
構えを調整しながら言い放つ。
「読み切れないか?」
ジャレッドはすぐには答えなかった。
俺を観察している。
今度は本気で。
子供としてではない。
「厄介な問題」として。
そして、それこそが……。
俺の望んでいたことだ。
再び前進。
より速く。
より攻撃的に。
今度は「技術」ではない。
「破壊」を求めた。
樽を蹴り飛ばして跳躍し、空中で方向を転換。あり得ない角度から着地し、その勢いを旋回させて一気に振り下ろす。
俺の剣が落ちる。
真っ直ぐに。
予兆なく。
型もなく。
そして初めて……。
ジャレッドは正面から受け止めるしかなかった。
乾いた衝撃音が響く。
鋭く。
重く。
現実的な音。
「……一体、それは何の動きだ?」
わずかに眉をひそめ、半歩下がりながらジャレッドが問う。
「戦士としての人生で、これほどのものは見たことがない」
短く笑みが漏れた。
傲慢ではない……。
だが、抑えきれない笑み。
「驚いたか、親父」
そして、再び攻める。
処理する時間など与えない。
再び彼のリーチへ潜り込み、再構築されかけたリズムを粉砕する。
真っ直ぐな突きをフェイントに、下段の旋回へ切り替え、その慣性で横へ移動。死角から再び姿を現す。
俺の体は、もう思考していない。
ただ「実行」していた。
俺が築き上げてきたすべて……何年も無理を承知で強いてきたすべてが、そこにはあった。淀みなく流れ出していた。
他に選択肢などなかったからだ。
三年前……あの図書室での「事件」以来。
すべてが変わった。
記憶は霞んでなどいない。
鮮明だ。
あまりにも、鮮明すぎる。
痛み。
エネルギー。
視線。
そして……。
宣告。
俺は魔法を使えない。
立てていた計画は……。
すべて。
崩れ去った。
だが、立ち止まるという選択肢は最初からなかった。
だから、俺にできる唯一のことをした。
鍛えた。
来る日も、来る日も。
休みなく。
腕が反応しなくなるまで腕立てを繰り返した。
脚が震え出すまでスクワットを重ねた。
体が内側から壊れる感覚に陥るまで腹筋をした。
軍隊式の訓練だ。
容赦のない。
子供のために作られたものではない、過酷な代物。
構わなかった。
痛みは常にそこにあった。
だが、俺の決意もまた、そこにあった。
もし、この世界が魔法で身を守ることを許さないというのなら……。
ならば、この体で守るまでだ。
この両手で。
発達させ得るすべての繊維を駆使して。
そして、訓練していない時は……。
観察した。
ジャレッドを。
あらゆる動き。
あらゆる調整。
あらゆる失敗……そして、あらゆる成功。
すべてを記憶に刻んだ。
分析した。
分解した。
そして……。
再構築した。
俺のやり方で。
二年の間。
たった一人で。
導き手もなく。
修正してくれる者もいない。
ただ試行錯誤の……繰り返し。
多くの失敗。
そして、ある日……。
彼は俺を見た。
一年前のことだ。
彼にとっては、おそらく偶然だったのだろう。
だが、俺にとっては……。
必然だった。
彼の視線を覚えている。
驚きではない。
「興味」だ。
そして……。
提案。
俺を鍛えるという。
だが、その報せは……。
エララにとっては、到底受け入れがたいものだった。
「だめよ、ジャレッド!」
彼女の声は今も鮮明に思い出せる。毅然として、鋭い。
「あんなことがあった後に、そんなこと!」
「彼に魔法は使わせない」
ジャレッドは冷静に返した。
「ただの身体訓練だ」
「それが問題なのよ!」
彼女は一歩前に出て言い返した。
「アリスは大人じゃないわ! 彼の体は、そんな負荷に耐えられるようにはできていない!」
俺はそこにいた。
聞いていた。
沈黙の中で。
「ならば、耐えられるようにするまでだ」
ジャレッドは言った。
声を荒らげることもなく。
だが、譲る気はなかった。
エララは拳を握りしめた。
「わかってないわ……」
彼女の声は低くなったが、毅然とした響きは失われていなかった。
「アリスは他の子とは違うのよ、ジャレッド。あの子はいつも、分を越えた先へ行こうとしている」
「知っている」
「なら、これ以上あの子を追い込む必要がないこともわかっているはずよ」
彼女は腕を組み、言葉を重ねた。
「あの子は自分一人でも、十分に自分を追い込みすぎているわ」
ジャレッドは数秒間、沈黙を守った。
「……だからこそだ」
ようやく、彼は答えた。
「あの子がそれをする時、傍にいてやりたい」
エララはすぐには言い返さなかった。
視線が俺へと向く。
疑念ではなく……心配の色を湛えて。
だが、それ以上反対することもなかった。
木剣の乾いた音が、俺を現実へと引き戻した。
俺の剣が再びジャレッドの剣と衝突する。
衝撃が腕を駆け抜けた。
続行だ。
止まることなく。
あの日以来、俺は毎日父と訓練を重ね……一人になれば、そのすべての動きを反復する。試し、修正し、調整し、磨き上げる。
限界まで。
それが単なる「技術」ではなく、「本能」へと変わるまで。
なぜなら、どうあろうと……。
この世界が俺を止めることはないからだ。
この俺を。
再び前進し、いつものようにリズムを崩す。だが、今回は——。
何かが違った。
ジャレッドは退かなかった。
今までと同じようには防がない。
彼は、待っていた。
読みが遅れた。
致命的に。
俺の足が、誤った角度で地面を捉えた。
その刹那——。
彼が動いた。
彼の剣が最小限の予備動作で俺の剣を弾き飛ばし、俺自身が作り出してしまった隙を的確に突いた。
彼はそれを逃さなかった。
衝撃が脇腹を打つ。
乾いた、抑制された……だが、確かな一撃。
肺から一気に空気が漏れ出した。
体が遅れて反応し、一歩後退しながらわずかに折れ曲がる。
痛む。
認めたくないほどに。
歯を食いしばり、脚を叱咤して踏みとどまらせる。
ジャレッドが剣を下ろした。
追撃はしてこない。
「……実に奇妙な動きの技術だな、息子よ」
彼は注意深く俺を観察しながら、ついに口を開いた。
「だが、それを完成させるには、まだ鍛錬が足りん」
俺はどうにか体を起こした。
荒い呼吸を整えながら。
「それが完成した時……」
彼は続けた。
「貴様は身体強化に頼らずとも、内部魔力を持つ魔導師と同等に渡り合えるようになるだろう」
静寂。
彼はわずかに息を吐き出した。
「正直に言えば……それは、恐ろしくもある」
その言葉には、奇妙な混じり気があった。
誇り。
そして、それ以上の何か。
名付けがたい感情。
「魔法なしでこれほどの高みに到達できる者がいるとは、生涯思いもしなかった」
俺は小さく笑った。
「俺はただの誰かじゃないぜ、親父」
姿勢を正し、言い返す。
「あんたの息子だ……ヴァンクロフトの名を継ぐ者だ」
柄を握り直す。
「いつか、あんたたちを守らなきゃならないからな」
ジャレッドはすぐには答えなかった。
沈黙したまま。
その言葉の真意を推し量るかのように、俺を見つめていた。
「その若さで口にするには、重すぎる言葉だな……」
ようやく、彼は言った。
厳格ではないが、決して軽くもない声。
「自分が何を言っているのか、理解していることを願うぞ」
俺は答えなかった。
ただ、不敵に笑った。
その時——。
「二人とも!」
母の声が入り口から緊張を破った。
俺たちはわずかに振り向く。
エララがドアの枠に寄りかかり、彼女らしい凛とした、それでいて温かい眼差しを向けていた。
「シズカがパンを焼いたわよ。食べに来なさい」
ジャレッドを見た。
彼は息を抜いた。
「今日はここまでにしよう」
反論はしなかった。
だが、すぐには警戒を解かなかった。
体はまだ緊張を覚えている。
あたかも、戦闘がまだ完全には終わっていないかのように。
そして、心のどこかで……。
俺は知っていた。
それが終わってなどいないことを。




