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第十一章 騒然

 通りすがりの天使の一人が私の方を見て、あぁ気の毒なものを見てしまったなというような表情で足早に去っていった。

 今のが三人目で、三人とも同じ反応だった。だから、きっと私の姿は誰の目にも気の毒そうに映っているに違いない。

 延々の大地を食べるような天使は天界の中でも私くらいのものだ。それも、自分の周りをやけになって手当たり次第に口に詰め込むような者ならなおさら天界で見かけることなどあるまい。


 ……そう、やけになっているんだ。


 理由を語ろうとも相談しようともせずに突然自暴自棄な態度へと戻ったヒカルにも、なんとかして人間を理解しようと妙なやる気を起こしていたかつての私にも。

 飛び出したはいいが行くあてもなかったので、私は天界へと戻って適当な場所に座り込んだ。思い返すたびに腹が立って、脳内の砂浜に次から次へと怒りを表す類義語が殴り書きされていく……そして、ひとしきり書き終えた直後に悲しみの波が押し寄せては、砂浜に書いた文字へと覆いかぶさってまっさらの状態に戻す……その繰り返しだった。

 この二十日程の付き合いで人間の気持ちというものを少しはわかったと思っていた。満足にとまでは言わないが、互いの理解もある程度はできたと思っていた。

 それなのにこの様だ。ギデオンの言葉が頭をよぎる。

 また一握り地面をちぎったが、胃袋はこれ以上の侵入物を全力で拒んでいた。見渡せば私を中心に浅いクレーターができている。よくこれだけ食べたものだと意味のない賛辞を自分自身に投げかけて、手の中の塊を延々の大地へと戻した。


 ……誰か、私の話を聞いてくれないだろうか。


 できればこの心の濁りを払拭してくれるような誰かがいい。

 行くあてもないまま、またふらりと出かけた。


 道中で頭の先まで地面に埋まっている天使を見かけた。たまたま彼女の頭側から歩いてきたからはみ出している髪が見えて気付いたが、これが足側からだったなら前と同じことを繰り返していたかもしれない。延々の大地と似た薄桃色の寝癖が付いた髪や小柄な体が、そこら辺に自然とできた起伏と彼女との境界線を曖昧なものにしているのだから尚更だ。

 私は屈んで彼女の頭頂部に声をかけた。

「久しぶりだね」

「……んん……ん~……あっ、えっと……十八日前に会った……その……」

 そうして二十秒くらい考えて、私のことをなんとか・なんとかと呼んだ。何日前に会ったのかは覚えているのに、名前の方は相変わらず覚えていないらしい。未だに互いに自己紹介をしていないのだからそれも仕方ないため、私は彼女が提案した仮名を甘んじて受けた。

「またお昼寝してたの」

「ん~……うん、そんな感じ~」

「邪魔しちゃったかな」

「珍しく……眠くないから、いいよ。元気そうじゃあ、ないねぇ~……」

 一目見て気付かれるほど残念な顔つきをしているのだろうか。鏡を見てから飛び出すような心の余裕はあのときにはなかったのだから、自分の顔具合は想像で補うしかない。

「ねぇ。あなたは人間と話したことある?」

「何回かは降りたけど……言うだけ言ってすぐ戻ってきたから、あんまり……」

「そっか」

「よく……出張に行く天使を知ってるから、聞いてきたら……?」

 そうして、二度寝天使はいつもの夜露の大樹ではない別の工場に行ってみることを私に勧めた。彼女が紹介した天使はどうやら二百五十歳をまもなくとするベテランらしい。聞けば、じきに四桁に届くことが現実味を帯びるまでに人間界に降りたことがあるという。

 これは期待できるのではないかと、私は小一時間ほどを費やして件の天使に直接会いに行ったものの、彼女に質問を投げかけて返ってくる答えはどれもこれも微妙に的を外れているというか、天使基準の考えの範疇に収まるような、そういうものばかりであった。

 そのベテラン天使からは彼女の直属の上級天使を紹介されて。

 その上級天使からは別の上級天使を紹介されて。

 そうしてなんの進展も発見もないまま天界をめぐって、最終的に私は吹き抜けの渦まで戻ってきた。

 他の天使とずれたところのある私が頼れるのは、同じく時々ずれたような発言で周囲を驚かせるマザーだけだ……これは尊敬の意になっていると思いたい。

 暫しの徘徊の後、マザーを訪ねると私が来るのをわかっていたのか、彼女は前と同じようなクッションを用意して待っていた。今度は指が絡まっていない。その様子に安堵した。

「おかえりなさい。エミエル・ストロベリーフィールド」

「……ただいま、戻りました。マザー」

「随分と疲れた顔をしていますね」

「マザーにも、そう見えますか」

「まぁ座って。いろいろお話を聞かせてください」

「はい……――」


「――……そうしたらなんて言ったと思います?」

「すっきりしたいから出て行け、ですか」

「そうですよ! もう耳を疑っちゃって……信じられないですよね!?」

「少しばかりデリカシーに欠けてるかもしれませんね」

「ですよね! でも誰に話しても『人間なんてそんなもんでしょ』とか『余計なもの見なくてよかったじゃない』とか! ……そういうことじゃあ、ないのに」

「どうしてそういう態度をとられたのか、意見を求めたかったんですよね」

「そうです! なのに、どうせ他人事ですからみたいな感じで……」

「他の天使の皆さんはわかってくれなかったと」

「カミサマはわかってくれますよね!?」

 青空に向かってがあっと叫ぶと、そうだねーとどこからか聞こえた気がした。

 ひとたび愚痴を漏らすと、堰を切ったかのようにとめどなく文句があふれてどうにもならなくなった。自分でも何を言っているのかわからないようなことを、二度も三度も繰り返しているような気がする。だけど、マザーは私のばら撒く言葉をひとつずつ丁寧に拾い上げては相槌を打ったり感想を述べたりして、私の気持ちを推し量ろうと寄り添ってくれた。

 やっぱり、マザーは私のことをわかってくれる。

 私の言いたいことを理解してくれる。

「……あなたが出張に行った日に講義で話したこと、覚えていますか?」

「えっ、と……たしか、純粋天使と複合天使の話ですか?」

「えぇ。そうです」

 唐突にそんなことを切り出されて、思い出すまでに少し手間取った。

 天使はカミサマのきまぐれによってときどき無から生まれる。無のみが集まって姿形を成し天界に生きる。そういう存在は純粋天使と呼ばれる。

 しかし、昔は純粋天使ではなく、別の手段で生まれた複合天使と呼ばれる存在が天界の主流だったらしい。

「複合天使は『行き場を失った寿命』を核として、それに無を定着させて成立します。その核のもとの持ち主……つまり人間の性質を、複合天使は受け継ぎます」

「えっと、つまり……?」

「人間が持つ気持ちや感情といった純粋天使にはわかりかねる何かを、複合天使は経験を通して学ぶことができます」

 いまいち話が見えてこなかった。

 何故、今、その話を切り出したのか。

「私はね、複合天使なんですよ」

「マザーが、ですか……?」

「隠していたつもりはないんですけどね」

 複合天使についての話はある程度知っていたが、マザーがそうだというのは初耳だった。

 同時に、そう言われて納得するところも多分にあった。

 複合天使はその核……つまり人間が持っていた「行き場を失った寿命」をもとに作られる。それはあたかも用意された芯材に粘土を付け加えて天使の形にするようなものだ。そのようにして生まれた複合天使は核である「行き場を失った寿命」の持ち主、つまり人間の情緒や感情を潜在的に取り込んで自分のものにしているらしい。

 マザーが人間のような突飛なことを言い出すときがあるのも、人間のような考え方で天使に寄り添うのも、それが要因なのだろう。

「だけど、複合天使はもう生まれなくなったんじゃ」

「その通りです」

 時代の流れで人間の内面を欲が占めるようになり、そのような人間が持っていた「行き場を失った寿命」をもとに作られた複合天使は天界の秩序を乱す一因になった。だから、カミサマは人間の汚い部分が混ざった芯材から余計な色移りがしないように、粘土細工をゼロから作る方針へと舵を切った。

 それが今の天界が純粋天使ばかりになった理由だと、マザーの講義でそう聞いた。

「カミサマが私を生み出したのは三百年近く前のことです。それより前は少なくとも数十年程度の間が空いています」

「だから、マザーが現状で最後の複合天使なんですね」

「その通りです」

「私が持ってきた話をわかってくれるのも、私の、」

「えぇ」

「……私の、気持ちを……」

「最後、でした」

「……」

「もう、わかりましたかね」

 呼吸が少し早くなったのがわかる。

 鼓動の回転数がじわりと上がり始めた気配を感じる。


 ……そんな、まさか、私が、そうだなんて。


 だけど思い返すほどに、そうとしか考えられない節が際立った。

 あのときりゅーちゃんに嫉妬したのは、天使の素質が足りないからだと思っていた。

 ヒカルの寿命が減ると心がざわつくのは、天使の素質が足りないからだと思っていた。

 人の恋心に胸の奥を揺すられたのは、天使の素質が足りないからだと思っていた。


 ……まさか、人間の素質があったから、だなんて。


「カミサマに許可をいただいた、とある上級天使があなたを転生させたのです。人間界の

『行き場を失った寿命』をもとにして」

「私が……複合天使……?」

「複合天使のあなたなら経験を積めば人間の気持ちが理解できる日がいつかきっと訪れます。もう先の長くない私の代わりに、限りなく疎遠になった天使と人間を再び結びつける役割を担ってほしいと……あなたに出会った時からそう願っていました」

 それが、私を出張へと導いた理由らしい。


「お取込み中……失礼するよ~……」

 マザーの話を反芻していた背中に声がかけられた。

 振り返ると例の二度寝天使が眠気半分のほうけた顔でこちらへ歩いて向かっていた。彼女の右手にはさっきもかぶっていた毛布が無造作に掴まれていて、それがずるずると延々の大地の上を引きずられて乾いた小さな悲鳴をあげている。

「あら。どうかしましたか」

 マザーは足元をほぐしてもうひとつクッションを作り、二度寝天使へと席を用意した。その上に座りながら二度寝天使が私に話題を振った。

「そこの天使の、対象者の様子が……ん~、なんていうか、変だったから」

「ヒカルの?」

「そうそう~……直感、ってやつ~……」

 相変わらず気の抜けるような口調だが、それはそうとして疑問がひとつ浮かんだ。

「どうしてあなたがヒカルの様子を?」

「別に、私だけじゃないよ~…… ただの出張じゃなくて、人間界に長期滞在する研修っていうのは……なかなか珍しいからねぇ~……」

 彼女が指さす方角に目を凝らした。緩やかな起伏を二つ超えたそう遠くないところで、延々の大地にあけたそれなりの大きさの穴を囲むように五、六人の天使が寝そべっている。私の視線を感じ取ったのか、彼女たちはあわあわと手近な毛布や地面を頭からかぶって下手な狸寝入りを決め込んだ。そんなものをかぶったところで透視が一手間増えるだけでなんの意味もないことはわかっているだろうに。

 どうやらこの二度寝天使を含めた何人かが私の出張の様子を暇つぶしにしていて、今ではちょっとしたイベントとしてこの辺りでは認知されているらしい。今日までの私の一挙手一投足には、昼寝に一日を費やすよりも幾らかは見所があったとのことだ。


 ……ということはこの出張中の一切合切は彼女たちに筒抜けだったということか。


 マザーを含めた上級天使の何人かに定期的に観察されていることは承知の上ではあった。

 だが、まさか普通の天使にも、それも四六時中見られていたなんて。

 毎晩ヒカルの腕を抱きかかえて寝ていることも。

 食べさせてもらいたいのを誤魔化すために料理の味見をやたら催促したことも。

 気まぐれに、本当に気まぐれに身を任せて、一度だけ一緒にお風呂に入ったことも。

 いや、あの雨の中を飛んだ日の夜もそうだから正確には二回だけれども。

 あぁぁ……


「……ひゅ~ぅ」

 二度寝天使にそんなちゃちゃを入れられてぷるぷると肩が震えるあたり、やはり私は天使と人間の混ざりものなんだろう。天界からのぞかれる人間がどんな気持ちになるのか、よくわかった。

「それでっ……ヒカルがどうしたの」

「うぅ~ん……直接、見た方がいい……かな」

 人間界の連続ドラマのような扱いを受けている現状は聞かなかったことにしても、ヒカルの様子がおかしいという部分には関心を向けざるを得なかった。のぞき穴を掘ろうかと思ったが、ちょうどすぐそばに誂え向きのものがある。私は吹き抜けの渦の淵に座り込んでヒカルの様子を確かめることにした。右隣にはマザーが座って、左隣に座った二度寝天使がヒカルの居場所に指をさして教えてくれた。


「……ほら、あそこにいるのが……そうでしょ?」

 ヒカルは商店街から随分と離れた人気のないところに建つ廃墟に足を踏み入れるところだった。

 取り壊す途中で放棄されたのか、その周囲には瓦礫や廃材が無造作に散らばっている。屋内を透かすと、コンクリートでできた壁からは折れ曲がった鉄筋が飛び出していたり、階段の金属の手すりは茶色に染まって中ほどで崩れていたり、割れた窓や電灯の欠片が床に乱雑に散らかっていたりしている。

 カラスの二、三羽でもいれば典型的な不良のたまり場にでもなっただろうが、完全なる静寂が支配するその空間は誰からも見捨てられた場所と呼ぶに相応しい姿をしており、そういったものも含めた世俗から完全に切り離されて孤立していた。

 そんなところに一体なんの用事があるのか。たしかに様子が変だといえる。

 ヒカルが階段に足をかけて一階、二階と、ひび割れが目立つフロアを上がっていく。

 下ろされた足の勢いに押され、薄く積もった塵が靴底と同じ形の足跡を形作る。

 その足跡は寄り道することも枝分かれすることもなく、次の階段を上っていく。


 ……この廃墟は屋上付きの六階建てだ。

 ……それだけあれば、()()()だろう。


 全身の筋肉が締め上げられたかのような息苦しさが襲った。

 いいや、そんなはずはない。

 ありえない。


「……私は担当じゃないから、見えないけど……今がそのとき、だったっけ?」

 見間違いの可能性を潰すためにもう一度寿命を注視した。

 何度確かめても、今じゃない。

 マザーの顔に理由を聞いても、何がなんだかわからないのは彼女も同じらしい。その身体に反射して見えた私は、皆が告げたように、たしかに酷い顔をしていた。

 ヒカルは三階から四階へ上がる階段の踊り場まできている。足元に散らばるガラス片を気にかけもせず、それを踏み割って四階へたどり着く。

 淵にかけた手に力が入り、その部分を握った指の形に圧縮して窪ませた。


 違う、それは起こりえない。

 寿命に従わずに死ぬことはできない。

 死期を知らないかぎり絶対に……

 脳内でストロボが焚かれた。

 私は、話題を変えるために、あのときなんて言った。


 ……明日は遊びに行こうと、()()は……

 ……だから、()()は……


 二人の声を無視して吹き抜けの渦に飛び込んだ。

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