夫の寝言
「……ね」
――ん……え……また? またなの……?
深夜、とある夫婦の寝室。カーテンの隙間から漏れる外灯の光が、淡くシーツを照らしている。
そのベッドの上で、妻はふいに目を覚ました。小さく息を吐き、再び目を閉じる。だが、眠りに落ちる前に耳が勝手に音を拾ってしまう。
「もうじきだ……」
妻は再びため息をついた。まただ。隣で眠る夫の寝言に起こされるのは、今夜で三度目になる。
――もう……ほんと勘弁してよね……。
妻は寝返りを打ち、夫に背を向けた。目をぎゅっと閉じる。
「もうすぐだ……」
――もうすぐ?
妻はごろんと向きを変え、夫の顔を見つめた。静かな寝顔。苦しそうな様子もなく、汗もかいていない。悪夢を見ているわけではなさそうだ。
そういえば、初めて寝言を聞いたときも同じようなことを言っていた気がする。いったいなんのことだろう。
――まさか……昇進のこと?
その緊張や不安が寝言として漏れているのかもしれない。妻はそう思い、わずかに口元を緩めた。
「もうすぐ……もうすぐ死ぬ」
「えっ、死ぬ!?」
思わず声が漏れ、妻は慌てて両手で自分の口を押さえた。寝室は一瞬しんと静まり返ったが、すぐに穏やかな寝息が戻ってきた。
――死ぬ? 死ぬってどういう意味……? まさか……自殺を考えてるの?
妻は夫に身を寄せ、そっと肩に触れた。
そんなに思い詰めてたの? 私、何も気づかなかった……。聞いてあげなきゃ……でも、なんて声をかければいいんだろう……。
「早く死ね……」
――死ね!?
「さっさと死ね……」
――誰に言ってるの……? まさか……私?
「死ぬんだ……もうすぐ……」
――もうすぐ死ぬって……まさか、毒? そういえば、最近体調が……。そんな、ありえない……でも、もしそうなら、どうして? 保険金……?
「早く次に行きたいんだ……」
――次……次ってなに……? まさか、浮気してるの……?
「もうすぐだ……もうすぐ死ぬぞ……我慢だ……死ね、死ね死ね死ね死ね死ね……」
妻は息を呑み、そっと布団をめくった。足を床につけて、慎重に立ち上がる。呼吸を整え、音を立てないように寝室を抜け出した。廊下を抜けてキッチンへ向かい、そして――。
『ああ、やっと仕事ができた……。まったく、待つばかりで退屈で仕方がない。ほら、お前も早く死ね。死ね、死ね……』
別の家のベッドの脇で、死神は小さく笑って呟き続けた。




