寝癖君
電車の窓から見える雲が、入道雲から鱗雲に変わってきた九月中旬。
私、松本凛華と幼稚園の頃からの大親友、武田雪乃は学生と社会人で混み合う、通勤通学ラッシュの電車に揺られていた。
今日もある人を探している。
きっとこの車両に乗っている女子はほぼ全員、彼か彼の友達君のことを探して目で追っている。
他の子は知らないけれど、私は自分のことを彼に認識してもらおうなんて思ってない。
ただ彼と同じ車両に乗り、今日の彼を眺めていたいだけ。
イケメンだけではいい表せない彼を……。
「あ! 凛華見て。いた!」
雪乃が指差す方を見ると、私たちが探していた彼がいた。
入り口近くのスタンションポールに右腕を絡ませ、有名中高一貫校の制服を着、両手でチャートを持って読んでいたのが、彼。
電車に揺られながら、彼は毎日参考書を読んでいる。
今日も勉強熱心な彼。
イケメンで勉強熱心なんてポイント高すぎる。
でもそんなことが入ってこないぐらい、今日の彼もすごかった。
「今日、いつもよりすごくない?」
目を凝らさなくてもわかる。
何がすごいって?
それは……。
「今日もすごい寝癖だよね」
「どんな寝方したら、あんなすごい寝癖になるんだろうね」
彼の隣にいる友達君は、寝癖一つなく綺麗にセットされている。
なのに彼は『寝癖の凄さランキング』があるとすれば、今日も新記録を叩き出すほどの寝癖。
でも彼は決して不潔とかじゃない。
制服のシャツにはアイロンがしてあって、ズボンにはアイロンでプレスされたセンタークリースも入っている。
肌もスベスベで思春期特有のニキビもなければ、髪質は猫っ毛でフワフワ柔らかそう。
髪型は前髪は眉が隠れるほど長いけれど、後髪の裾は綺麗に切り揃えられてるから、あえての長さみたい。
なのにどうしてか寝癖がすごい。本当にすごい。
ちょっと襟足や頭のてっぺんが少しはねてるとか、そう言う次元じゃない。本当に『爆発』してる。
髪の毛が右へ左へ縦横無尽に飛び跳ねてる。
だから私と雪乃は彼のことに、密かにあだ名をつけている。それは……。
「寝癖君ってさ、あれ直そうと努力とかしてるのかな?」
他の学生や社会人で時折視界から隠れてしまう彼の姿を、雪乃が目で追う。
「あれは……してないと思う。だってあんな寝癖がついてたら、私ならシャワーするもん」
雪乃とヒソヒソ話をしていると、急に寝癖君がチャートから視線を上げた。
目があわないように急いで雪乃と二人して、視線を落とす。
「とにかく今日も寝癖君に会えたから、いいことあるかもね」
小声で話、またチラリと視線を上げると、寝癖君の視線はまたチャートを見ていた。
雪乃は寝癖君に興味はない。
でも私は寝癖君を見かけただけで幸運だけど、寝癖君に会えた日はさらにいいことがある。
例えば学校までの道の信号が全部青だったり、よく行くアイスクリームのお店で、ダブルを頼んだのに店員さんが間違ってトリプルにしちゃって、そのままおまけにしてもらったり。
とにかく彼は私たちに幸運をもたらす、幸運の寝癖の持ち主とも言っていた。




