白き目覚め
泥濘のような記憶の底から、意識が浮かび上がってくる。
生ぬるい空気と、湿った苔の匂い。
全身に絡みつく草の感触が、生を――いや、“存在”を知らせてくる。
気がつくと、自分は白い蛇だった。
地を這う感覚。
舌を出せば、世界のにおいが流れ込んでくる。
それは不快ではなかった。むしろ、奇妙なほど“懐かしい”。
(……俺は……誰だ?)
“俺”という自意識が、確かにあった。
それは蛇のものではない。
どこか別の――もっと遠く、もっと知的な、記憶の残滓。
「東京……?」
声にはならない。喉はない。
だが確かに脳裏にその言葉が浮かんだ。
都市の名。ビルの群れ。誰かと笑っていた時間。
だが、それらは雲のように形を変え、次第に消えていく。
(ここは……縄文か? いや、何千年も前の……)
文明の匂いはない。鉄の匂いも、火薬の刺激も、何もない。
あるのは、大地と水と、風に揺れる草木だけ。
自分は、この世界にとって異物だ。
だが、なぜか生き延びなければならないという本能だけは、鋭く残っていた。
――草むらの向こうで、何かが動いた。
本能が、体を引き締める。
そこには、牙を剥いた山犬のような獣がいた。
白蛇の体に、かすかに冷たい戦慄が走る。
だがそのとき、何かが囁いた。
> 「恐れるな。蛇であろうとも、知性は生き延びる術を知っている。」
蛇は一閃した。
獣の喉笛に噛みつき、毒のような力を注ぎ込んだ。
山犬は呻き声もなく倒れ、やがて息を引き取った。
白蛇はそのまま、森の奥へと静かに姿を消した。
残されたのは、静寂と、血の匂いだけ。
そして、ひとつの伝説が――この日、静かに始まった。