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鈴鹿さん 三

 鈴鹿さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、ああ、と納得したような声を上げた。

「あれか? 私のことを心配してくれているのか? その必要はないぞ。鬼神に怒鳴られるかもしれないが、大したことではない」

「いえ、鈴鹿さんの心配はしていないんですけど」

「そう言われると少々傷つくな……。帰りたくないのならそれでも良い。しかし、幽世に戻ったとしても食われるだけだぞ? 嘉穂はそれでも良いのか?」

「はい。すぐ食べられるわけではないですし。それに、好きな料理を好きなだけできるんですから、私はとても嬉しいです」

 私は鈴鹿さんに笑顔を向けた。一方の鈴鹿さんは困惑の表情を浮かべて頭を抱えた。

「そこまで言うなら……分かった。幽世に戻ろう。すまなかった、身勝手なことをした」

鈴鹿さんはそう言って頭を下げた。「いえ、そんな。私の方こそすみません」と私も頭を下げた。

 それから、私達は来た道を戻り、浅川駅の改札を抜け、鈴鹿さんの車に乗り込んだ。ガタガタと車体を揺らしながら、牛車が走り出す。鈴鹿さんの家に向かうらしい。

 鈴鹿さんと話せば話すほど、彼女の事がよく分からなくなる。第四天魔王の娘で元々日本を魔の国にするためにやって来たのに、魑魅魍魎を退治して回ったり、人間と結婚していたり……鬼神様が「同族殺し」と言う理由が分かった。癖のある人は大方、数奇な人生を歩んでいるという偏見が私にはあるけれど、鈴鹿さんはその例に漏れなかった。

 不思議な人物ではあるけれど、頼りがいのある性格だなと感じた。姿勢よく座り、余裕のある話し方はどことなく安心感がある。

 鈴鹿さんと話していると、突然牛車の揺れが激しくなった。車体が後ろに傾く。私がバランスを崩して倒れそうになるのを、鈴鹿さんが腕を掴んで防ぐ。

「有難うございます」

「造作もない。それよりすまないな、私の家は山の中にあってな。悪路なのだ」

 暫く進んでいくと、平坦な道に出たようで、傾斜も元通りになり、揺れも収まっていた。やがて牛車は停車した。

「そこで少し待っていてくれ。くれぐれも外に出ないようにな。ああ、それと窓から顔を出すのも駄目だ」

 鈴鹿さんはそう言うと、牛車から降りた。

 冬にも関わらず、外からはハーブのような香りが漂い、美しい虫の鳴き声が聞こえてくる。心地の良い風とともに甘い香りが漂う。鈴鹿さんは窓から顔を出してはいけないと言ったけれど、覗くくらいなら……。

 私は簾を上げて外の様子を伺った。窓からは屋敷と庭が見える。その屋敷と庭が豪華なのである。時代劇ドラマに出てきそうな大きな佇まいで、庭の瓢箪型の池には澄んだ水が溜まっており、渚に名前の分からない色彩豊かな花々が咲き乱れている。そよ風に揺られる度に良い匂いがする。甘い香りはこの匂いだったのか。冬眠しているはずの獣たちが池の水を飲んだり、日向ぼっこをしている。まるで極楽浄土だ。

「こら、嘉穂」

景色に見とれていると、背後から鈴鹿さんの声がした。思わず悲鳴を上げて壁に背中をつける。心臓が止まるかと思った。どうして鈴鹿さんは音もなく後ろに来るのだろう? いつか本当に心臓が止まりそうである。鈴鹿さんは姿勢よく正座をしており、風呂敷に包まれた何かが膝の上に乗っている。

「駄目だと言っただろう」

「駄目だと言われたらやってみたくなるのが人間のさがです。つまり仕方のないことです」

「開き直るな」

「すみません」

 鈴鹿さんは怒ってはいなかった。ただ呆れていた。「まあ、それは良いとして」と風呂敷を解いた。風呂敷の中身は着物やその他衣類が数着、それとおかめのお面だった。おかめは穏やかな笑みを浮かべているが、額から般若のような角が生えている。福の神なのか鬼なのかよく分からない。節分の時につけたら周囲が困惑しそうである。

「これは妖気を纏った面だ。つけている間は人間の匂いを消し、体に妖気が帯びるようになる。要するに妖怪の目をあざむけられるということだ」

鈴鹿さんは奇妙な面を手渡す。「有難うございます」とそのお面を受け取った。思いの外軽い。

「人間だとバレたら結構まずいんですかね?」

「鬼神みたいに人食の者もいるからな」

「それはまずいですね。鬼神様以外に食べられては生贄失格です」

「そんなに意識が高い生贄、初めて見たよ」

 私はお面をつけた。

「ああ、あとこれも渡しておこう」

 鈴鹿さんは袂から木の箱を取り出した。国語辞典と同じくらいの大きさである。

「これはなんですか?」

「開けて確認してくれ」

 私はその箱を開けてみると、つげ櫛、剃刀、数種類の髪飾り、それと何かの液体……クリーム? が入った瓶が数個。何か書いてあるけど達筆すぎて読めない。

「有難うございます。でも、これらの瓶は一体?……」

「ああ、ヘチマ水だ。後は現世で買った乳液と日焼け止めだ」

「おお、有難うございます」

「他の化粧品は黒姫くろひめの方が詳しいだろうから彼女に尋ねると良い。よし、あららぎ村――鬼神の村だな。戻ろう。あららぎ村をじっくり散策しようではないか」

 牛車があららぎ村へ走り出す。今度は車体が前に傾く。

 化粧か……興味がないわけではないけれど、やったことないなあ……。させてもらえなかったし。似合うかなあ……というか、お面を付けるから化粧しても意味ないんじゃ……。

「どうした? 気に入らなかったか?」

「あ、いえ。そんなことは全くないです! ほんとに嬉しいです。ええと、ところで、人を食べる妖怪は沢山いるんですか?」

 妙な雰囲気になりかけたので、咄嗟とっさに思いついた話題を振る。

「そうだな、昔は多かったが、今は随分と少なくなったんじゃないか? だが、だからと言ってその面は外してはいけないからな。人間の性とやらで外したくなっても駄目だ」

「分かりました」

 やっぱりダメなのか……。このお面は視界が悪く、ゴムの締め付けが少々きつい。長時間付けておくのはしんどいのである。

「それで、少し気になったんですけど、今は少ない、とはどういうことですか?」

「五十年ほど前から、現世の文化を取り入れようって動きがあってだな。特に盛んなのが食文化だ。それで、今まで人食だった者達が、人間よりもこちらの方が美味いと気がつき、人食を辞める者が増えた、というわけさ」

 五十年前から現世の文化を取り入れることにしたのか。かなり遅いような気がする。汽車で行き来ができるのに……いや、その汽車も最近できたものなのか? 確かに汽車がないと往来はしんどいなあ。

「ならず者街道という人肉の酒場が集まっている場所があるのだが、そこでよく行進をしているのだよ。「人食文化は今すぐ失くすべきだ」と叫びながらな。気持ちは分かるが、そう簡単に失くせる物ではないだろう。だが、君の場合はそういうわけにもいかないか」

「いえ、私は別に人食文化には反対ではないです。賛成もしませんが」

 すると、鈴鹿さんは不思議そうな顔をした。

「何故そう思うのかね?」

「確かに人間の私からすれば、人食は決して良いものではないですけど。しかし、食文化にはその地域の文化や歴史、知恵あるいは、料理人の工夫や創造力、さらに食べる人の信条や好みが内包されています。食文化を否定することはそれら全てを否定することになるんです。それは何人たりとも許されることではないんです。なので、鯨を食べるのやめさせることはできませんし、毒蜘蛛を食べることも決して野蛮ではありませんし、美味しいからといって牛肉を無理矢理食べさせることもできません。そして、人食文化について、外野の私達がとやかく言うこともできないんです」

 鈴鹿さんは「成程な」と呟いた後にこう言った。

「嘉穂は面白い人だな」

「それはどういう意味ですか?」

「なあに、思慮深いと言ったのさ」

 鈴鹿さんはそう言うと数回頷いた。私はただ首を横に傾けていた。

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