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地主総会

「そろそろ着くよ。しっかり掴まって」 

 黒龍となった大沼がそう声をかける。俺は振り落とされないように両手に力を込めて大沼の角を握る。それを確認してかは分からないが、大沼は勢いよく垂直に下りていく。着地と同時に突風が巻き起こり木々が揺れる。俺は大沼の背から降りた。

「毎回悪いな、助かる」

「いいよ、行き先一緒だから」

 人間の姿になった大沼は涼しい笑顔で言う。今日はスーツではなく大紋姿であった。まあ、かくいう俺も大紋姿なのだが。

 しかし、こうも毎月毎月背中に乗せてもらうのは流石に申し訳なくなってきた。鉄道を通すことも考えたが、禰々子から反対された。おおよそ予想はしていたため理由は聞かなかったが、恐らく土壌汚染や草木の伐採が嫌なのだろう。

 そろそろ何か足を買わないとな。馬か? 馬糞は肥料にも使えるしな。世話もどうにかなるだろう。問題は乗りこなせるかどうか。

 ……いや、やめだ。荷物が乗らないな。最近は嘉穂がよく掲鏡村に買い出しへ行くからな。となるともう一体妖怪が乗れる必要があるのか。そうなれば鈴鹿のような牛車か。……俺は何を考えているんだ? 嘉穂は生贄だぞ? いずれは俺が食う。ならば、やはり馬か。いや、しかし荷物が乗るのは便利かもしれない。


 あの鰤美味かったな。


 刺身、鰤大根、漬け。あれは美味かった。鰤を大量に渡せばまた作ってくれるんだろうか? あるいは俺にとって未知なる料理を作るかもしれない。……いやいや、何を考えてるんだ、俺は。

「誇槍、どうしたの? さっきから難しい顔をしているけど」

「なんでもない」

「そっか、ならいいや。中に入ろう」

 大沼の言う「中」というのは、今、目の前にある武家屋敷のことを指す。門には『南部地主総会々場』と書かれた看板が置いてある。

 無駄のない洗練された門は人が四人並んで入ることができるくらい広く、扉を開けて来訪者を待ち構えている。その門を中心として四角い切り石の石垣が囲んでいる。

「ああ、そうだな。早く入ってしまおう」

 後ろからうんざりする聞き慣れた声がした。言うまでもなく鈴鹿である。

「おお、鈴鹿。来てたんだ。全然気づかなかったよ」

 鈴鹿は紺地に白の柊があしらわれた訪問着を着ていた。それを金の帯で絞めている。烏帽子は被っておらず、普段結んでいる髪は下ろしており、いつもと違う女性らしい恰好であった。

 こうやって見れば別嬪なのだが、こいつのことはどうも気に食わない、こいつのしたことが容認できないのだ。かと言って別に対立しようとは思わない。こいつは一応戦友なのだ。

 俺達は横に並んで門を潜る。入り口まで続く飛び石に沿って歩いていく。時折コンと鳴らす鹿威ししおどしが冬の静寂に響く。飛び石の左右の庭の草木は緑を失っているが、春になると芽を出して、秋には赤や黄色でこの場を染める。それが実に絶景なのである。

 武家屋敷に入ると、取次で使いの鬼女が出迎えをした。鬼女の案内で大広間に通される。紫色の座布団が五列にずらりと並んでいる。そしてその先頭の真ん中に座布団が一つ。そこには首の長い妖怪が胡坐をかいている。容姿は人間でいうと五十代くらいだろうか。彼の名は見越みこしという。見越さんは三つの目で俺達の姿を見つけると

「おお、誇槍君、鈴鹿御前、それに大沼君。来ておったか。相も変わらず早いのう」

 と言いにかっと笑った。

 見越さんはその南部を総括している大地主である。幽世は中部ちゅうぶ北部ほくぶ南部なんぶ西部せいぶ東部とうぶと五つの地域に分けられている。大地主はその地域の町村を総括する。ちなみにその大地主を総括する護国神ごこくしんと呼ばれる者達がいるが……その話は今はいい。

「ご無沙汰してます。お変わりなくお過ごしのようで大変嬉しく思います」

 鈴鹿は深々と頭を下げる。それに続いて俺と大沼も一礼する。

「そんなに畏まらんでもいい、座れ座れ」

 失礼しますと鈴鹿は見越さんから一番近い座布団に腰を下ろした。俺達は鈴鹿の横に座る。程なくしてぽつぽつと地主がやってくる。

「お隣失礼します、鬼神さん」

 聞き覚えのある声が横から聞こえた。隣に座ったのは若い牡獣おけものの妖怪である。全員が和服に身を包む中、紺のジャケット、灰色のズボン、白のカッターシャツと場違いな恰好をしている。痩身で背丈はいわてよりも少し高い。栗毛色の毛を生やし、姿は狐のようであるが耳口は尖っていない。

七五しちご。君はどういうつもりでそこに座っているんだ?」

 獣の妖怪――稲荷町地主の七五を見るや否、大沼がひどく冷酷な声で言い放った。露骨に嫌悪の表情を浮かべ、冷ややかな目つきをしている。

「ああ、これはこれは、龍神さん。あなたに何故そのようなことを言われなければならないのか皆目分かりませんが、別によろしいではありませんか。あなたの隣に座るわけではありませんし。それに私はあなたと違って忙しいので総会の後に見越さんとお話がございまして。ですので近くに座った次第です。お分かりですか?」

 眼鏡の位置を整え、挑発的な言い方で返事をした。仰々しい身振り手振りと独特な抑揚が実に鼻につく。それを聞いた大沼は目尻をピクピクと震わせる。

 七五は俺達を目の敵にしているのか、不快にさせるような話し方をする。余計なことを口にして全く悪びれる様子がない。そのせいで大沼から非常に嫌われている。大沼はこんな穏やかな顔をしているが、感情が顔に出やすく思いのほか気が短い。特に自分の村や嫁のこととなると激昂げきこうする。

 大沼に限らず、歴の長い地主は七五を良く思わない者が多い。その反面、若い地主には一定の人気がある。それはおおよそ七五が旧稲荷村を商業地とし、活気のある新しい町に作り変えたからであろう。若い地主はそういう奇跡の変貌に憧れを持ち、尊敬しているのだ。

 では七五のことを嫌う地主は単なるひがみなのかというとそういうわけでない。「活気のある新しい町作り」と言えば聞こえは良いが、その実態は伝統や風習といった文化も纏めて切り捨てるということでもあった。そのため旧稲荷村にあった文化はそのほとんどが消滅した。それだけなら良いが、自らが古いと感じたものはとにかく見下す悪癖もある。ほかにも自分を慕っている地主に対し、立場を悪用して侵略的外交をすることもあった。ある地主には茶園を潰して野菜工場を作ることを提案し、悩んでいるところを口達者に説得して交渉を成立させた。結果、茶園で働いていた妖怪達は職を失った。工場で働こうにも何かと理由をつけて安い賃金でしか働かせてもらえなかった。工場では稲荷町の住民が移住してきて働くようになった。こうしてできた野菜は全て稲荷町に運ばれ、大量生産大量消費のために使われるようになった。そのため、稲荷町の変貌には何かしらの悪行が絡んでいるのではないかと思われているのだ。

「龍神、そろそろ総会が始まるようだ。口をつぐみたまえ」

 鈴鹿はそう言って大沼をなだめた。大沼は鈴鹿を一瞥すると正面に向き直った。

 程なくして総会が始まる。見越さんを議長として会議が進められる。諸般の報告から始まり、町村による議案の提出及び提案の理由説明、そして本会議が行われた。会議中、大沼、鈴鹿は意見を出していた。俺はというと、正直こういうものの良し悪しなど分からない。なので、とりあえず結果だけ聞いておくことにする。

 総会が終わるころには空が白み始めていた。鳥の泣き声がどこからか聞こえ、次第に暖かくなっていく。俺と大沼と鈴鹿は縁側に腰を下ろし、日が差す空を眺めていた。

「明るくなってきたな」

 俺は特に意味もなくそう呟いた。鈴鹿はそうだなと興味もなさげに言った。そして無言の時間が続いた。

 俺達は完全に疲れ切っていた。特に鈴鹿は夜行性の妖怪ではない。本人はまんざらでもないかのような顔をしているが、時折目尻を抑えながら、眩しそうに顔を上げた。

「牛車の迎えはまだ来ないのか?」

「直に来るだろう」

「じゃあ僕たちは鈴鹿の迎えが来てから帰ろうか」

「私になど気を遣うことはないぞ」

「いや、気なんか遣ってないよ」

 大沼は笑顔でそう言った。

「随分とお疲れのようですね。やはり老体には堪えますか」

 向こうから七五がやってきた。嫌味混じりの言い方が鼻につく。

「やあ、君は随分と元気そうで羨ましいよ。ところで見越さんとの話は終わったのか?」

 先程までの大沼の笑顔が一変し、嫌悪に満ちた顔が露わになった。七五は構わずに近づいてくる。七五がすぐそばまで来ると大沼はゆっくりと立ち上がった。

「ええ、今しがた。最も、良い結果には至りませんでしたが」

 七五は肩をすくめて渋い顔をした。

「交渉事か?」

「そうです。私の賃上げの交渉をしておりました」

「え?」

 大沼は一層怪訝けげんな表情を浮かべる。しかし七五は何食わぬ顔で話を続ける。

「私は怠惰なあなた達と違い、町の開発を通して幽世全体の発展に貢献しておりますから。それ相応の対価を頂戴ちょうだいするのは当然のことかと思ったのですが……」

「思い上がりも甚だしいね。他所よそ喧嘩けんかこびを売るのが社会貢献だというのか」

「思い上がりは自信の裏付けですよ。それに喧嘩は勝手に買われているだけですし、媚は協力関係を築くのに必要ではありませんか?」

「物は言いようだね」

「そのように屁理屈ばかりこねているから何時いつまで経っても村止まりではないのでしょうか?」

「あぁ?」

 大沼は硬い威圧感のある声を上げた。目を吊り上げて七五を睨みつけている。七五はというと薄ら笑いを浮かべている。

 気がつくと辺りが暗くなっていた。空を見上げると一面に黒い雲が重く垂れ込んでいる。大沼の仕業である。大沼は怒ると天候を一変させてしまう。嵐を呼び家をいとも簡単に押し流す。そうなれば手がつけられなくなる。それだけは避けなければならない。

「七五、君は私達よりずっと賢い。ゆえに私達には君の話すことは少しばかり難しい。こんな頭の固い老人の相手などせず、君を慕う者達のもとへ行ったらどうだね?」

 危険を察した鈴鹿は七五の前に歩み寄る。しかし七五は「龍神さんは私とお話を続けたいようですよ」と聞く耳を持たない。

「おい、大沼。その辺にしとけ。若気の至りだ。許してやれ」

 俺は二人の間に入り大沼を宥めた。外はしとしとと雨が降っている。しかし、大沼は俺を押しのけ話を続ける。

「そういう言動が喧嘩を売るっていうんだ。そんなことしていたら誰にも助けてもらえなくなるぞ? 君には人情というものがないのか?」

「妖怪が人情を語るとは滑稽こっけいですね。あの元人間の影響でしょうか? 龍神さんも可哀想ですね」

「元人間って、嫁のことを言ってんのか?」

 大沼はゆっくり七五に近づく。雨脚が強まる。風も吹き始め、俺の足をびっしょり濡らす。

「大沼、やめろ」

 俺はもう一度間に入る。語気を強めて言ったせいか大沼は思い留まったようで歩みを止めた。雨脚が弱まり、風も止んでいった。しかし、七五は容赦なく言葉を放つ。

「はっきり申し上げなければいけませんかね? そうですよ。あなたの嫁、黒姫さんですよ。ただの人間だったクセに地主の嫁になったからと偉くなったと勘違いしてままやっているではありませんか。悪影響しかないでしょう」

「……君はもう何も話すな」

 鈴鹿は静かに、だがはっきりと通る声で言った。直後、暗闇を一刀する落雷と共に地を砕くような轟音が響いた。雨は滝のように降り注ぎ、突風が吹き荒れ、俺の肩を濡らす。

「大沼、落ち着け。ここらを水底に沈める気か!」

 俺は一層声を張って大沼を正気にさせようと試みる。しかし、大沼は歯止めが効かなくなっていた。龍のような稲妻が咆哮ほうこうを上げながら空を駆け抜け、豪雨が容赦なく地面を叩く。数歩先は最早何も見えない。止むどころか激しさを増している。さらにどかんと閃光が一発、鉛の空を明るく照らす。

 その一瞬、空に人影が見えた。見間違いかと思ったが、曇天にもくっきり浮かび、凄まじい勢いで近づいてくる。そして大沼に激突した。大沼は障子を何枚も突き破りながら飛んで行った。どこまで行ったかここからは見えない。

 人影の正体は黒姫だった。普段のモダンな装いとは異なり、薄紅色の浴衣を白い帯で片結びをして留めていた。履物はサンダルだった。全身ずぶ濡れである。

 雨脚が次第に緩やかになっていく。思うに、大沼は気を失っているのだろう。

 黒姫は七五の姿を確認すると鋭い目つきで睨みつけた。

「またお前か。どうせろくでもないことを言ったんでしょ」

「何故いつも私のせいにするのでしょうか? これも人間の慣習なのでしょうか?」

 七五はとぼけた表情で言った。それを見た黒姫は侮蔑を含んだ笑みで言葉を続けた。

「あなた達が口論してるの見てたからね? それと悪いけど、私、妖怪の方が圧倒的に歴が長いけど? もう妖怪の慣習に染められてしまってるわ。人嫌いは結構なことだけど、気に食わないこと何でもかんでも人のせいにするのは知見が狭すぎるんじゃないかしら?」

「口論ではなく事実を申し上げたまでですよ。あと人間嫌いではありません。人間の慣習が嫌いなだけです」

「そう、なら人嫌いは撤回しましょうか。人に嫉妬してばかりの七五さん、事実とは何かしら? 何をお話したのか教えてくださる?」

 黒姫は上品に、しかし悪意と嫌味の籠もった口調で言った。七五は黙り込んだまま何も話さなかった。察するに、先程まで龍神に向けていた言葉が全く黒姫に刺さらないことを七五は重々理解しているのだろう。そのため返す言葉もない。そして黒姫はさらに七五を追い詰める。

「遠慮しなくていいのよ。私の大切な良人おっとに何を言ったの? ほら、言いなさいよ。……おい、言えよ」

「……あなたとは話が合いませんね」

「都合が悪くなったのね、ご機嫌よう」

 七五はつまらなさそうな顔で見下ろす。黒姫はというと笑顔で慎ましく手を振っている。

 程なくして慌ただしい足音が近づいてくる。見越さんだった。見越さんはこの惨状を見て唖然とした。

「なんじゃこれは!?」

 辺りをきょろきょろ見回す見越さんに黒姫は一礼する。

「お見苦しい姿で失礼します。この度は我が良人、大沼池の龍神が見越様並びに各地主様にご迷惑をおかけしていると聞き、駆けつけた次第でございます。良人に代わりお詫び申し上げます」

「いや、君が頭を下げることはない。顔を上げてくれ」

 見越さんは申し訳なさそうに黒姫に声をかけると、七五を睨みつけた。

「君はいい加減にしてくれ。早く帰れ」

「はいはい。帰りますよ。失礼いたします」

 黒姫に自尊心を傷つけられた七五は半ば投げやりに返事をして去っていった。七五を見送った後、こちらに向き直った。いつの間にか黒姫は気絶した龍神を姫抱きしていた。

「それでは見越様、私はそろそろ失礼します。障子の件につきましては後日龍神に責任を取らせますので、ご容赦ください」

 黒姫は頭を下げると青空に高く飛び上がった。ある程度の高さまで飛ぶと龍に姿を変えて掲鏡村へと向かった。

「なあ鬼神よ。私の光輪に乗って帰るか」

 足がなくなり、途方に暮れていた俺に鈴鹿は声をかけた。

「ああ、頼む」

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