徴税
気が付くと昼の十二時を回っていた。
珍しく鬼神様は朝から起きている。居間に座って座卓に巻物を広げ、筆で何かを綴っていた。私は居間で横になっていると、「面を準備しておけ」と鬼神様に言われた。
「今日は何かあるんですか?」
「村の住民が納税をしに来る」
鬼神様はそう言うと筆を置いて巻物に目を通した。
私が面を取りに行こうと立ち上がると、ガラガラと戸が開いた。早速納税者が来たのかな? 急いで自室に向かって面をつけて戻る。
「おお、嘉穂。元気にしてるか?」
鈴鹿さんだった。桐タンスが飛んでいった。肩に止まっていた鷹のような鳥が驚いて土間中を飛び回る。
「よお、鈴鹿。お前、いつからあららぎ村の住民になったんだ?」
「何を言うか。心はいつだってあららぎ村の住民だよ」
「帰れ」
鈴鹿さんはそんなことを言いながら立ち上がり、その場で桐タンスを起こした。相変わらず、怪我一つしていない。心身共に強靭である。
「そんなこと言うな。まるで私が嫌われているかのようではないか」
「嫌われてんだよ」
「傷つくなあ、共に戦場を駆けた仲だというのに」
とは言いつつも、鈴鹿さんは笑みを浮かべている。
「納税に来たんだ。少しは有難く思ってほしいものだ」
「いらん」
「何を言うか。鬼神にやるつもりはない」
鈴鹿さんは私に手招きをする。私は起き上がって鈴鹿さんに歩み寄った。
「鬼神にやっても意味がないからな」
すると鈴鹿さんは袂から小さな麻袋を取り出して渡した。中身をちらりと見てみる。
「おお、干し椎茸ですね! 有難うございます」
私は頭を下げてそれを受け取った。
少し二人で世間話をした後に鈴鹿さんは帰っていった。
それから程なくして、ぞろぞろと妖怪達がやってきた。代わる代わる野菜を献上する。鬼神様は巻物に何かを書き留めながら「変わりはねえか?」などと声をかけていた。気がつくと様々な種類の冬野菜が揃った。どれも美味しそうである。
妖怪達の訪問がひと段落ついて居間でのんびりしていると、ガラガラと戸が開いた。長い白髪と赤い瞳の妖怪、いわてさんである。
「よお、いわて。変わりはねえか?」
「特にはないね」
「それは良かった」
「それにしても、なんだい? 顔だけでも見せに来いってのは?」
「元気にしてるか分からねえから来いってことだろうが」
それを聞いたいわてさんは悪態をついた。
「そんな理由でここに来させられているのかい。しょうもないねえ」
そういうといわてさんは私を見た。鋭い目力に私は驚いて背筋を伸ばして姿勢を正した。
「そう畏まらないでおくれ。別に取って食おうとしてるわけじゃない」
「あ、ああ。はい」
「ああ、そうだ。渡したいモンがあるから、後で私の所に来ておくれ。川に沿って山を登ってくるといい。そしたら分かるはずだ」
「は、はあ……分かりましたあ……」
私が呆気にとられていると、いわてさんは腰を浮かせてそっぽを向いた。「また来いよ」と鬼神様は言ったが、いわてさんは聞こえてない風にそのまま去っていった。
「いわてさんは納税しなくてもいいんですか?」
「あいつはいい」
鬼神様は巻物を広げて何かを書き込んだ。
そして、最後に禰々子さんがやってきた。大根が入った籠を背負っている。
「今年も良い大根が取れたんだな」
渡された大根を手に取って、鬼神様はそう呟くように言った。昨日見た通り、相変わらず、別嬪さんである。ツヤとハリが美しい立派な大根だ。
「うん、そうだね。あららぎ村は土がいいみたいだよ」
「ここの野菜が一番美味い。……それで、何かいるものはねえか?」
「んー、ないなあ」
「本当か?」
「うん」
「農薬は?」
「まだある」
「農具は?」
「まだ使える」
「建物は?」
「まだ住める」
「……あのな、一応言っておくが、物を大切に使うってのと貧乏性ってのは意味が違うからな」
「はぁぁあああ!? ウチが吝嗇家って言いたいの!?」
禰々子さんは眉間に皺を寄せて居間に上がりこんできた。その気迫はまるで熊のようだ。今にも鬼神様を切り裂かんとする勢いである。
「そういうわけじゃねえよ。無理して使ってんじゃねえかって心配したんだよ」
鬼神様は身を引きながら、そう答えた。
「私達は本当に無理はしてないよ? それより、鬼神の方こそ無理してるでしょ?」
「俺は別に……最低限あれば十分だ」
「あなたは地主でしょ? 少しはいい生活くらいしなよ」
「別に俺は、いい生活をしたいとか、そんなことは考えていない」
それを聞いた禰々子さんは腕を組んで不敵に笑う。
「へ~、ほ~。成程、成程。鬼神は五色鬼や嘉穂ちゃん達にいい生活をさせたくないんだあ~。納得した」
「そうは言ってねえだろ」
「でも、そういうことでしょ」
「それは……そうかも、しれないが」
「かもしれないんじゃなくて、そうなんだよ」
禰々子さんは座卓を挟んで鬼神様の目の前に座ると、右手で頬杖をついて左手の人差し指でこんこんと座卓を叩いた。
「あのね、私達あららぎの村人は鬼神には感謝してる。だから良い暮らしをしてほしいと本気で思ってる。村のために尽力するのは素晴らしいけど、それは自分の生活を切り詰めてまですることじゃないんだよ」
「切り詰めてるつもりはないんだが……分かった、気をつけよう」
「っていう話を納税の度にしてると思うんだけどなあ~」
禰々子さんはそう言って腕を組んだ。
禰々子さんが帰った後、私はいわてさんの家へ足を運んだ。
いわてさんに言われた通り上流に向かって歩いていく。川沿いは一層冷え切っていた。川のせせらぎも春や夏に聞くと心地良いけれど、冬場はただ鳥肌を立たせるだけである。私は身を小さくして目的地を目指す。山に入ると一層足場が悪くなった。石には苔が繁茂して、木の幹にはシダの茎が巻きついている。地面は整備された道とは異なり、ぬかるんでいた。ただでさえ寒さで歩速が遅いというのに、さらに遅くなってしまう。それに加えて大木が腕を伸ばして手を広げているため、日が全く入らず視界が悪い。おかしいな、いわてさん、この間リアカーを引いてたよな……。この道ってどう考えてもリアカー引いて行けないよな。絶対ここ以外に道あるよね? 舗装された道が。
そんなことを思いながら登っていくと、開けた場所に行きついた。大入道がよっこらせと抱えるような大きさの岩が積まれた洞穴(岩屋という方が正しいだろうか?)が日光に照らされて、どことなく神聖な趣があった。辺りに家らしき物はない。ここが岩手さんの自宅……なんだろうか?
ごめんくださーい、と岩屋に向かって叫んでみると、中から物音がした。暫く様子を伺っていると、闇の中からレーザーポインターのような赤い光が二つ見えた。言うまでもなく、いわてさんの双眼である。暗所から姿を現したいわてさんは眩しそうに目を細めて片手を額に当てている。私はとりあえず一礼した。
「態々すまないね。立ち話もなんだ。中に入りな」
いわてさんはそういうと漆黒に溶け込んだ。私はその後を追う。湿っぽい土の匂いが漂う。ごつごつとした岩肌を伝ってゆっくり歩いていると「夜目が利かないのかい」と言われた。三、四分程進んでいくと、ゆらゆらと燃える火が見えた。それと同時に次第に暖かくなってきた。
奥には八畳程の空間があった。中央に囲炉裏が設けられ、部屋を仄かに照らす。想像と違い、きちんと居間があり、必需品も揃っている。鬼神様の屋敷くらい快適だ。
ふと奥を見てみると、現世で見慣れたものが備え付けられていた。
流し台……食器棚……に、コンロ!?
「キッチンがあるんですか!! すごい!」
明かりを点けるいわてさんに興奮気味で言った。
「あんたんとこにもあるだろう」
「いや、そうですけど……」
岩屋に現代的なキッチンがあるとは思わないじゃないですか。
いわてさんは棚を漁って、黒い袋に詰めていく。薄暗くてよく見えないから中身は後で確認しよう。ある程度袋に詰めたところで私に手渡した。以外に軽い。
「有難うございます。でも、こんなに貰っていいんですか?」
「構いやしないよ」
「でも、それだけ立派なキッチンがあれば、お料理も楽しく出来そ――」
「あーうるさいねえ! 私はもうやらないって前に言ったろ! ほら、分かったら行った行った」
いわてさんは真っ赤な眼をかっと見開き、怒号を飛ばす。びっくりして「すみません」と頭を下げた。
「こっちも大声を出して悪かったよ」
いわてさんはそっぽを向いてそう言った。私は受け取った袋をサンタクロースのように担いだ。
その後、舗装された広い山道を歩いて下山した。三十分くらいかかった。周囲は朱く染まりつつあった。
休憩がてら中身を確認しようと、黒の大袋を地面に下ろす。軽いとはいえどもずっと腕を同じ状態に保つのはしんどい。腕を曲げ伸ばしして調子を整える。そして背伸び。「うんんん」と変な声が出た。
「あれ? 嘉穂ちゃんじゃん? 何してるの?」
後ろから禰々子さんの声がする。私は体を伸ばしきったまま、ゆっくり振り返った。変な声を聞かれたのかと思うと恥ずかしくなったが、禰々子さんは大して気にしてない様子だった。
「嘉穂ちゃん? 聞こえてる?」
禰々子さんは心配そうに私の顔を覗き込む。羞恥心から我に返った私は姿勢を楽にして「はい」と言った。
「いわてさんから色々貰って来たんです」
笑顔で返事をする私とは対照に、禰々子さんは怪訝な表情を浮かべる。え、私の笑顔、そんなに嫌だった!?
「もしかして、調理器具?」
「え、ああ、はい。そうですけど」
禰々子さんは黒の袋を一瞥した。
「いわてさんはさあ~、……あまり悪いことを言いたくはないんだけどさ、あの人、調理器具を買っては捨て、買っては捨てをずっと繰り返しててさ。一応ゴミ捨て場にはきちんと捨ててるけど。ほんと、何をしてるのやら」
禰々子さんは呆れ顔だった。「良い様に使われないようにしてね」と付け足した。
「ところで、禰々子さんは何しにこちらへ?」
「虫供養碑に手を合わせて来たんだよ」
「ムシクヨウヒ? ですか?」
私は首を傾げた。
「うん、虫供養碑。良かったら見に行く?」
「は、はい」
よし、行こう、と禰々子さんは黒い袋を担ぎ上げて山を登って行った。何か、すみません……。五分ほど登って行き、脇道に入った。草を掻き分けて行くと、二メートルくらいの大岩が鎮座していた。そこには『虫供養之碑』とでかでかと彫られている。傍らには白い花瓶が置かれていた。花は挿されていなかった。
「これは名前の通り、虫を供養するための石碑だよ。どうしても農業をするとさ、害虫を始めとした虫を沢山殺さないといけないでしょ? そんな散っていった命を供養するために手を合わせるの。秋ごろに虫供養をやるんだけど、私は収穫の度にここに訪れてるんだ」
禰々子さんは供養碑の前で膝をついて両手を合わせた。私も禰々子さんに倣って手を合わせた。ふと、禰々子さんの横顔を見てみると、彼女は慈愛に満ちた目をしていた。




