筑前煮 二
今夜の食卓はとても香りが良い。
潮に野菜に味噌に醤油。様々な香りが複雑に絡み、胃に刺激を与える。その多様な香りの中でも特に椎茸の主張は強く、磯の心地よい香りがしたかと思えば椎茸、甘い野菜の香りがしたかと思えば椎茸、味噌の香りがしたかと思えば椎茸。しかし、これが決して不快というわけではない。確かに椎茸の匂いとしか名状しようのない独特な香りなのだが、これが妙に美味そうなのである。
食卓に並んだ筑前煮は煮汁を目一杯吸い込んだのだろう、美しい光沢を放っている。
「ああ、すみません。これを忘れていまして」
女はそう言いながら、甕を一つ持ってきた。
「なんだ、それは」
「これはあれですよ。ブリ大根を作る際に出た大根の葉や皮の漬物です」
お皿を持ってきますね、と言って小皿を八枚持ってきた。それらに漬物を取り分けて、配っていく。
「大根の皮と葉っぱから作ったの? 凄~い!」
禰々子は瞳を爛々とさせて歓声を上げる。
「有難うございます。では、全て揃いましたし、頂きますか」
全員が席に着いて「頂きます」と合掌。
まずは、筑前煮から。皿を手に持ち鼻を近づけると、野菜と椎茸の香りが濃くなり食欲をそそらせる。様々な具材があるが、その中でも人参を頂く。
「おお、これは……美味い」
人参の美味しさはきちんと残ったまま、甘い醬油と野菜の味がしっかり移っている。椎茸の戻し汁とも良く合い、複雑で繊細な味わいだ。他の食材も同様に味が良く染みており、各々食感が異なり面白い。
「わお、本当だ~、野菜の旨みが良く生かされてて風味豊かな筑前煮ね。美味しい」
「嬉しいです、有難うございます」
禰々子は嬉々とした声で褒め称えると生贄は照れ臭そうに頭を下げた。
「こりこり」
「ほくほく」
「ぷるぷる」
「ぷりぷり」
「くにゃくにゃ」
五色鬼達も歯ごたえが気に入った様子で、それぞれ食べたものの食感を口に出していた。こりこりは牛蒡、ほくほくは里芋、ぶるぶるとぷりぷりは蒟蒻だと思われる。くにゃくにゃは……何だろうか。俺の知らないうちに妙な食材が入れられたのかもしれない。
次は味噌汁を啜る。これも美味い。コクのある味噌の旨みが潮の香りと共に口に広がり、しっかり舌に残る。しかし、引く時にすっと引く。その様はまさに寄せては返す浜の波。目を閉じたら海が見えそうである。
そして最後は大根の皮と葉の漬物。皮の部分と葉の部分を同時に頂く。ああ、美味い、全て美味い。こりこり、シャキシャキとした気持ちの良い歯ごたえ、嚙めば嚙むほど酢の酸味と砂糖の甘みが滲み出てすっきりとした味わいとなっている。それでいて大根の甘味もきちんと堪能できる。
「嘉穂ちゃん、漬物凄く美味しい! 大根の皮って結構辛味があるのに全然感じないね」
「お酢のおかげですね。酸味で辛味を包み隠しているんですよ。あと、季節によっても辛味成分の量は異なっていまして、冬の大根は辛味が少ないです」
「おう、博識い~」
「料理をするにはやっぱり食材の事は知っておきたいので。私が思うに、食材の事を知れば料理が格段に上手くなります。そう、思いますので」
「そっか、嘉穂ちゃんは頑張り屋さんなんだね」
「そ……そうなんですかねえ……」
「うん、そうだよ。あ、そうだ」
禰々子は箸を置いてぱんと両手を打った。
「良かったらウチらの畑に遊びに来る? ウチより詳しい妖怪もいるし、きついことはさせないから」
「ええ! 良いんですか? きついこともやりますので手伝わせてほしいです」
「おお? 言ったな? そんなこと言っちゃったら遠慮なく仕事回しちゃうよ?」
「はい、任せてください」
娘は拳を胸に当て、得意げな顔をする。
「おい、生贄。勝手に決めるな」
「は? いいじゃんか。それにこの子は嘉穂ちゃん。ちゃんと名前で呼んであげて」
「いや、そいつは生贄なんだが」
「そ~れ~で~も! 今後名前で呼ぶまで嘉穂ちゃんにはウチの料理人になってもらいます」
そう言うと禰々子は人間の女に向き直り「今日からウチの料理人になってよ」と頭を撫でた。
「………………嘉穂」
名前を呼ぶと嘉穂はこちらを向いた。
「ごめんなさい、禰々子さん。それはできない相談です」
嘉穂は笑顔でそう言った。




