序文 二
妙な生贄が来た。鬼の食い方に文句を言い、名を名乗った。これだけでも異常だが、さらに魚を料理したいと言い出した。今までこんなこと言われたのは初めてだから、俺は戸惑ってしまった。結果、考えるのが面倒になり、好きにさせることにした。
生贄は嬉々として魚を台所へ運んだ。棚にあるまな板と包丁を取ろうと背伸びをする。が全く手が届かない。そして、俺を一瞥する。とれってか!?
こいつ、中々強気だな。こんな態度を取るのは高貴な修験僧くらいだ。益々この女が何者か分からなくなってくる。そもそも、ここへ来た時からそうだ。普段は泣いたり喚いたりするものなんだが、やけに落ち着いている。
俺は仕様がなく、包丁とまな板を取ってやった。この包丁とまな板は人間を解体するためにあった。しかし、態々切るよりも引き千切って食った方が早いので結局、一度も使われることなく、棚にしまっておいた。
生贄は笑顔でそれらを受け取ると流し台に魚を置いた。それと清潔な手拭いとたわしを所望されたため、部屋から真新しいたわしと洗濯したての手拭いを手渡した。すると、何重にも重ねられた着物を数枚脱いで長い髪を後ろで束ねて動きやすい恰好になった。
奴の手際の良さは素人の俺たちが見てもはっきりと分かる。時間を取らせませんと言っただけのことはある。魚をたわしでさっと洗い、両手で抱えてまな板に置く。手拭いで水気を取り、包丁で鱗を取って、鰓に沿って包丁を入れる。そして、背骨を断ち頭を落とす。蔑むようにその様子を見ていた取り巻きは、次第に表情を変え、目を丸くした。中には身を乗り出して生贄の手元を見ようとする者も現れた。
そんなことも気にも留めず、作業を進めていく。腹を割いて、五臓六腑を取り出した。中に包丁を入れ、それを流し台へ持って行く。そして、俺を一瞥。
「なんだ? 言いたいことでもあるのか?」
「お腹の中を洗いたいので、割いた部分を上にして持ってていただけませんか?」
……あ、手伝えってか?
不満はあったものの、言われた通りにする。小娘は水を流しながら、腹の血を洗い流していく。
「もう大丈夫ですよ。まな板に戻してください」
こいつ、何様なんだ?
とは思ったが、素直に従った。続きが気になったからだ。
「有難うございます」
生贄は再び手拭いで水気を取って包丁を握る。
その包丁さばきは鮮やかだった。腹をさっと尾まで皮一枚分の切り込みを入れると、それに沿って撫でるように数回包丁を入れていく。今度は尾から背中を同じように切る。カタカタと包丁の先が骨に当たる音が聞こえてくる。裏も同じようにして骨から身を剥がす。二つに分けると、棒状の切り身になった。そして、皮の面を下にして、包丁を尾の方から斜めに入れてべったりとまな板に引っ付ける。そして、皮を奥に前に引っ張って身から皮を剥がした。腹の部分は薄く、背の部分は少々厚く切っていく。すっと一回、包丁を入れるだけで綺麗に切れ、寸分違わない厚さの切り身が次々とできていく。それを眺めていた鬼達は夢中になってすっかり見入っている。
「できました」
生贄は大皿にそれを盛り終わるとそう言った。皿には切り身が花のように丁寧に盛られていた。中央は薄く切った薄紅色、外側は赤い身である。
「醤油とかあります?」
「ああ、どっかにあるとは思うが」
「え、あるんですね。なら醤油で食べてくださいね」
小娘は大皿を座卓に運んだ。俺は棚の奥にあった醤油の入った壺を持って行く。
空の盃に醤油を垂らし、素手で魚を摘まみ上げ醤油につける。すると、雨に打たれるから傘のように魚の脂が醤油を弾く。薄く切っただけの魚は柔らかく舌触りがいい。それだけではなく脂が乗ってこってりとした味わいに仄かな甘みがある。厚い身も食べ応えがあり、さっぱりとした味わいで、これはこれで旨い。今までの魚とまるで別物、切る以外何もしていないただの魚のはずなのに。
「う、美味い。今までの魚よりも断然……」
飲み仲間も盃を空にして醤油を注ぎ、魚を取り合った。座卓の周りから「うめえ、うめえ」と木霊のように聞こえてくる。魚はあっという間になくなった。すると、奴らは満面の笑みを浮かべながら魚を手にして、生贄に詰め寄っていく。
「え、えと。刺身にしてほしいんですか?」
全員が縦に首を振った。
「勿論! いいですよ」
生贄は笑顔で答える。
「おい、繁名 嘉穂といったか」
「はい!」
嘉穂はこちらを向き背筋を正す。
「お前、面白いな。俺の包丁人になれよ」
「いいんですか!?」
「俺に色んな料理教えろよ」
「勿論です」
と俺に笑顔を向ける。
「お前をどうやって食うか、考えさせてくれよ」
「……え……と、要するに、私の食べ方を見つけるために料理をしろということですか?」
「そうだ」
「断ったら?」
「食う」
「ならやります。いや、そうでなくてもやりますけどね」
生贄はどこか嬉しそうな顔をしていた。つくづく不可思議な奴である。