龍神様 四
その後、光輪で繁華街に移動した。下車して、周りの景色を見て唖然とした。
確かに黒姫さんから「村というより町のよう」とは言われていたけれど、ここまでとは思わなかった。石やレンガを使った西洋風の建物が所狭しと立ち並び、ガス灯が等間隔で配置されている。川には石造りの橋が掛かっており、荷物を乗せた小舟が往来している。路面電車が道の真ん中を走り、その行く先には赤レンガで作られた立派な佇まいの蒸気機関車の駅が建っている。正直なところ、「町のよう」とは言っても「村」と付いているから、そこまでないだろうと考えていたが、なんのことはなかった。黒姫さんの言う通り、町である。
光輪に覚さんからもらったリンゴを置き、鈴鹿さんの童女に見張りを任せ、大正ロマン溢れる街並みをゆったり探索した。
ふと他所に目をやると、龍神様が子連れの若い女性の姿をした妖怪と話をしながら、歩いているのを見つけた。その妖怪は水色に紺の波の文様の入った小袖に、黒でカジキが描かれた白の腰巻を巻いている。長い青緑色の髪を搔き上げる度に、手元がキラキラと輝く。ブレスレットか何か付けているのかと思ったら生えている鱗が反射していた。
手帳に何かを忙しく書き込んでいる様子から察するに、そういう感じのあれではなく、仕事中なのは一目瞭然なのだけれど……と黒姫さんを一瞥すると、眉間に皺を寄せて龍神様を見つめていた。今にも自爆しそうである。「そういう感じのあれではないですよ」と言ってみると、「分かってるわよ」とぶっきらぼうに返事をされた。
龍神様がこちらに気付き、笑顔で手を振ってこちらにやって来た。
「やあ、嘉穂さん。楽しんでる?」
「はい、先程リンゴ農園に行ってきまして」
「覚のところのかい? あそこの林檎は美味しいからね」
「龍神、隣の方はどちら様で?」
黒姫さんがあれから一切表情を変えずにそう訊いた。
「ああ、新しく掲鏡村に住むことになった青花さん」
「初めまして、青花と申します」
青花さんは丁寧に頭を下げた。私達も自己紹介すると、青花さんは大変驚いた。まあ、地主と地主の妻と地主の料理人だから、驚くのも無理はないのかな?
「それで、どこからの移住なの?」
「稲荷町からです」
「へえ、稲荷町からねえ。ここは稲荷町程栄えてはいないけど、とても良い村よ」
「はい。これからお世話になります」
青花さんは再び頭を深々と下げると、龍神様とどこかへ行ってしまった。黒姫さんはそれを恨めしそうに眺めていた。
龍神様達の姿が見えなくなった頃に、私達は歩き出した。着いた先はレンガ造りの平屋。立て看板に『彩り市場』と書かれている。
「ここは彩り市場って言って、色んなものが売ってあるの。入ってみる?」
私は迷わず「入りたいです」と返事をした。
彩り市場は多くの妖怪で賑わっていた。多種多様な商品が陳列されている。まるで道の駅のようだ。野菜や果物は木製の台に、肉や魚といった生ものは氷の敷かれた金属製の台に並べられていた。他にも、小麦粉などの粉もの、乳製品、加工肉なんかが瓶や甕に詰められて販売されてる。会計は正面奥にあるカウンターで行うようで、店員と思われる子どもの姿の妖怪が算盤でパチパチ計算している。出入口付近にカウンターを移動させた方がいいんじゃないかなあと個人的には思った。
私は入り口付近の台に乗せてあった白菜を手に取った。袋には『あららぎ村産』と明記されている。続いて館内の中央辺りの白菜を見てみる。名前の聞いたことのない村の白菜だった。値段が全然違う。あららぎ村の白菜は二倍近くの値段がする。うおわあ、たっけえ。
「値段が全然違うであろう」
「はい、それはもう驚くほど」
「前も言ったが、あららぎ村の野菜は一級品だからな」
私はそっと白菜を台に置いた。無一文だし、てか納税の時にもらえそうだし、いいか。
その後、暫く食材を見て回った。ブロッコリーやゴボウといった旬の食材から玉ねぎ、ピーマンなどの季節外の野菜もあった。これだけ物が揃っていれば、大抵の料理はできる。後は家電か……。
「黒姫さん、料理で使う、温めたりとか、ご飯炊いたりとか、冷やして食材を保存したりとかする電子器具のようなものは売ってないですか?」
「……もしかして、家電のこと言ってる?」
「はい、そうです」
「そう言う風に言わなくても通じるわ。そうね、家電を扱っている店はうちにはないかな。稲荷町ならあると思うけど、かなり奮発しないと買えないわよ。幽世じゃ家電は貴重品だから」
「そうなんですか……」
「まあ、私の家には冷蔵庫があるけど」
「え、いいですね、ください」
「あげるわけないでしょ」
うん、期待はしてなかった。
※ ※
日はすっかり傾き、空を少しずつ茜色に染める。
ある程度掲鏡村を散策した私達は一旦黒姫さんの屋敷に戻ることにした。
「冷蔵庫はあげられないけど、食材をおすそ分けするくらいはできるから」
黒姫さんにそう言われ、浮ついた心持ちで帰路についた。
龍神様はまだ帰って来ていなかった。黒姫さんが言うにはいつも龍神様が料理をしているそうで、おすそ分けする物は彼に決めてもらった方が良いとのことだった。要するに龍神様が帰るまで待とうということになった。
庭園の隅にある二人掛けのベンチに黒姫さんと腰を下ろし、鈴鹿さんは私の横に立ったまま龍神様の帰りを待った。私としては室内でぬくぬくしながら待っていたいけれど。というか、幽世に来て思ったけれど、皆薄着過ぎない? めっちゃ寒いんですけど? 妖怪は耐寒性高めなの?
龍神様のことを待っているためか、雑談が龍神様の話題になった。
「龍神はすごく誠実なのよ。人間の私を娶るために何度も父上に頭を下げに来てね、絶対に力尽くで奪おうとはしなかった。まあ、嘉穂ちゃんから言わせてみれば普通だろ? って思うかもだけど。龍なのに妙に真面目でね。なんだか可愛くてね」
龍神のことを話している黒姫さんはとても楽しそうで無邪気な少女のようだった。
「私はね、人の身を捨ててでも龍神と一緒にいたいと思ったのよ」
庭園に強い風が吹いた。思わず目を瞑り、風が収まるのを待った。目を開けると、十メートルほど先に龍神様が立っていた。黒姫さんはさっと立ち上がり、龍神様の元に駆け寄った。笑顔で話をするその姿は夫婦というより付き合いたてのカップルのようで、どことない初々しさを感じる。
私と鈴鹿さんは顔を突き合わせてクスッと笑った。そして、龍の夫婦に視線を戻した。