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龍神様 二

 そりゃあ最初は嬉しかったですよ、わくわくしましたよ。だって、龍の背中なんてそうそう乗れないじゃないですか? 「ぼーうやー、良い子だねんねしなー」っていうような感じのゆっくりで優雅なものを想像していたんですよ。上空から景色を見て「わー、家が小っちゃく見えるぅ!」っていうのをやってみたかったんですよ!

 私と鈴鹿さんが屋敷を出ると一匹の黒龍がいた。体は老成したオスのイシダイのような銀と黒が混ざった綺麗なウロコで覆われており、威厳のある少々怖い顔をしている。それに大きい。全長ニ十メートル以上はありそうである。一体誰だろうと思っていたが、「やあ、随分早かったね」と笑顔で話しかけられて、先程の龍神様だと分かった。あまりの変わりように言葉を失くす。

「君は龍神の背に乗っていくと良い。中々気持ちの良いものだぞ」

「え、いいんですか! 龍神様!?」

「うん、いいよ」

 私は意気揚々と龍神様の背中に乗る。乗るとは言っても着物なので寝そべるような恰好になるけれど。「角をしっかり持ってね」と言われたのでがっちりと両手で掴む。

「じゃあ、僕の屋敷に集合で」

「ああ、分かった。急いで光輪を走らせよう」

「ゆっくりでいいよ。安全第一でね。嘉穂さん、じゃあ行くよ」

「はい!」

 今からふわっと空に舞ってゆったりと――

と思っていたが、龍神様は勢いよく空に飛び立った。びゅゆゆーん! と風を切ってぶわわわーん! と髪が舞い、「うあああああーう!」と私は叫んだ。姿勢が完全にスーパーマンのそれである。

ある程度の高さまで飛び上がると速度が落ち、体制も落下寸前のボルタリング選手から見事な腹ばいに戻った。角を持ったまま体を起こして、恐る恐る下を見つめる。しかし、その瞬間に急降下。折角の景色も見ることができず、びゅゆゆーんとなってぶわわわーんとなり、うあああああーうとなった。「着いたよ」と爽やかな声で言われたので、へろへろと龍神様の背中から降りて顔を上げる。何だろう、乗ってただけなのに、どっと疲れた。

 目の前には門扉が佇んでいた。槍のような黒く光る鉄柵が時折バタバタと音を立てながら震え、入るのを躊躇させる。奥に庭園と屋敷が何となく見えた。いつの間にか人間の姿に戻っていた龍神様は「どうぞ」と戸を開ける。キイイ……と鈍い音が響いた。庭と屋敷の姿が露呈する。

 庭は真ん中の道を隔てて、垣根や花壇、池、アーチ等が幾何学模様に配置されている。見事なほど左右対称に作り込まれ、季節のせいで緑が少なかったが、春になると圧巻な景色となるのが想像に難くない。特に特徴的なものは二本の末枯れた桜の木。幹が太く、四方八方に枝を伸ばしている。そして、広い。ここから屋敷だけでも五十メートルはありそうである。

 庭だけでなく屋敷も左右対称である。三階建てで白の外装に藍色の屋根、所々に出窓がついている。落ち着いたデザインではあるが、見る者を圧倒させる佇まいだ。

「すごいお庭ですね。毎日手入れされているんですか?」

真ん中の道を二人で歩きながら龍神様に訊いた。

「この時期は三日に一回くらいかなあ。ちょっとサボり気味になるんだよね」

 龍神様は笑いながらそう言ったが、続けて「でも、春からは嫁と毎日手入れするよ」と付け加えた。

「三日に一回でも大変でしょうに」

「そうだねえ。でも広い庭はどうしても必要でね」

「必要とは?」

「ほら、僕は龍だから。普段はこの恰好でも大丈夫だけど、流石に寝るときもこの恰好っていうのは無理なんだ。人の形を保つの結構大変なんだよ?」

 じゃあ、無理に人間の姿になる必要もなくないですか? と訊こうとしたが、龍の姿だと何かと不便なことが多そうだなと思ったので止めた。

 洋館の中で鈴鹿さんを待つことになり、私達は室内に入った。その内装がとにかく凄い。一番に目に入るのは中央にある大きな階段。右に弧を描きながら、二階へと続いている。それを正面のステンドガラスが様々な色彩で照らす。壁には自然を描いた絵画が飾られ、奥には扉がある。プレートには「貴賓室きひんしつ」と書かれてある。

 龍神様に勧められて、家に上がり込む。普段より丁寧に靴を並べてスリッパに履き替え、真っ暗で小さな洞穴を進むように周りをきょろきょろしながら、恐る恐る龍神様の後に続く。すると、階段から慌ただしい足音が聞こえてきた。その方を見ると一人の女性が階段を駆け下りていた。

 その女性は黒いクロッシェを被り、レトロな黒のワンピースを着たショートヘアが良く似合う美女だ。小顔でシャープな輪郭にぱっちりとした大きな瞳で鼻筋が高い。女の私ですら心がドキッと揺らいだ。

「龍神、おかえりな……」

 女優のような美人は笑顔でこちらに向かって来たが、私の姿を視認すると、動きを止めた。そして、その笑顔は鬼のような形相に変わり龍神様にズカズカ歩み寄った。

「おい、龍神。この女は何だ? おい、言ってみろ。おい言え、言え、言ええ!」

 龍神様のネクタイを締め上げながら、怒号を飛ばす。

「あ、あの、誤解です。そういう感じのあれではないんです」

「黙れえええい! このアマがあ! おめえのせいだろうが? おお!?」

 ギロリと私を睨みつけながら、今にも噛みつかんとする勢いで言った。心なしか、ネクタイを締め上げるその両手にどんどん力が入っているような気がする。

「そうだ、止めんか。嘉穂の言う通り、黒姫が思うような仲ではない」

 いつの間にか背後に立っていた鈴鹿さんが宥めるように言った。鈴鹿さんのすぐ傍にはあの二人の童女もいる。黒髪美女はそれを聞いてようやくネクタイから手を離した。

「そうだったの、龍神? ごめんなさい、私早まってしまって……」

「大丈夫だよ」

 龍神様はつやのある黒い短髪を撫でるとこちらを向いた。

「紹介するね。彼女は黒姫。嫁だよ」

 それから、私と鈴鹿さんは貴賓室に通された。

室内は二十畳くらいの広さである。丸いテーブルが中央にあり、それを三人掛けのソファと二脚のシングルソファが囲んでいる。濃い緑の布地に色彩豊かな花が刺繍されてあった。座るのが恐ろしい。床には赤い絨毯じゅうたんが敷かれてある。踏むのが恐ろしい。部屋の所々に豪華な調度品が飾られている。近づくのが恐ろしい。新感覚の肝試しだ。

 龍神に促されるままに私はそおっと三人掛けのソファに座る。次に私の両隣に童女が座る。鈴鹿さんはその後ろに仁王立ち。席を譲ろうとしたけれど、「私は平気だよ、座っておいてくれ」と言ってその場から動かなかった。「椅子持ってこようか?」と龍神様も尋ねたが「構わんよ」と返事をした。

 黒姫さんと龍神様が人数分のグラスを持って来て水を注いで、二人ともソファに腰を下ろした。

「改めて自己紹介するわ。大沼池の龍神の妻、黒姫よ」

「誇槍の森の鬼神様の料理人になりました、繫名 嘉穂です」

「嘉穂ちゃんっていうのね」

 黒姫さんはそっと立ち上がると、目の前にやって来て「よろしく」とぎゅっと私を抱きしめた。あ、まずい。めっちゃいい香りする。何だか胸が苦しくなる……と浮かれていたが、黒姫さんが耳元でこう囁いた。

「龍神に色目使ったら殺すぞ」

 黒姫さんの抱く力が強くなる。あ、まずい。めっちゃ呼吸がつらい。何だか胸が苦しくなる。暫くして黒姫さんは体を離して席に着いた。

「君の事は鈴鹿から聞いてるよ。元は誇槍の生贄だったんでしょ? あ、お面は取って大丈夫だよ」

「厳密には生贄だった、ではなく、今も生贄であることには変わりないです。色々あって料理人もしていますが」

 私はそう言いながら、面を外した。

「え、待って。て言うことはいつか食べられるってことなの?」

「はい、そういう感じです」

「ああ、嘉穂はいずれ食われる。それで、その時まで黒姫には仲良くしてほしいのだよ」

「それはいいけど、なんで『私には』なの?」

「何故って、君は元は人間だっただろう? 人間のことは一番よく理解してやれるだろうと思ってな」

「何百年前の話をしているのよ。そんなことより、さっさと現世に戻ればいいじゃない? 今なら出て行けるでしょう。ね、龍神。人間の命は助けたいでしょ?」

「んー、まあ……そうだけどねえ……」

 龍神様は困ったように笑った。恐らく、人間への情と鬼神様への信頼とで板挟みになっているのだろう。私は「大丈夫です」と言った。すると鈴鹿さんが「私は現世まで連れて行ったのだが、戻りたいと言い出したのだよ」と続けた。

 黒姫さんは訝しげな表情をしたが、「まあ、いいわ。もう人間ではないけれど、仲良くしようね、嘉穂ちゃん」と笑顔でそう言った。私を敵視しているのか、友視しているのか全く分からない。とりあえず返事はしておいた。

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