幕はあがる
決意を固めてからの行動は早かった。時間は滝のように流れていく。
そして、着飾った紳士淑女が様々な思惑をもって、王太子宮に集まる頃。
揺られる馬車の中で花柄の美しいドレスに裾を通したステラは夜の街を見下ろしていた。
「そうしているとお母様に本当によく似ているな」
向かいに腰掛けるヴェルナードの視線が突き刺さる。
普段だとその限りではないと言いたいのかしら?
時々、お兄様は私が嫌いなんじゃないかとさえ思える。
「ご謙遜を…。似ているのはお兄様の方でしょう?」
フワイトタニアにおいて唯一の良心といってもよかったお母様。
どうしてあの冷酷なお父様と結婚したのか未だに疑問である。
親族の連中はその美しさで当主を誘惑したと揶揄した下級貴族の娘だとののしる。
それでも二人は恋愛結婚だったとも語られる。しかし、ステラは政略結婚だったのではないかと疑っていた。貴族ならよくある話だ。でも、もはや、それも過去の話。どうでもいい。
だって、お母様はもうこの世にいない人なんだもの。
その笑顔も優しく抱きしめてもらった感触もぼやけている。
あの頃はまだ、私も喜怒哀楽をはっきりと表現する少女だったと思う。
けれど、時を重ねて容姿も性格もお父様に似てきた気がする。冷酷無比を絵に書いたような可愛げのない女。だけど、今夜だけはそれでもかまわない。
「あの方に連絡は取ってくださったのですね?」
「お前に言われた通りに手紙を送った。だが、返事はまだだ」
「そうですか。急ですものね。仕方ありませんわ」
「奴の協力を取り付けられなかったらどうするつもりだ?」
「してくださいますわよ。お兄様のご友人でしょう?」
「ふっ!褒められていると思っておこう」
「お父様は?」
「今夜は戻らない」
「あら、珍しい」
「そうか?お前の晴れ舞台を邪魔したくないだけだろう」
「あのお父様が?絶対邪魔すると思っていたのだけれど…」
「案外、娘思いなんだよ。あの人は…」
「それこそ、信じられませんわ」
でも、目につくようにゴミ箱に捨てられた招待状。お父様にお膳立てされているような気もする。
すべてはフワイトタニア当主の思惑通りに動いている。そんな感覚がするのも事実だ。
でも、考えるのは良そう。
時間がないのは本当だ。アルベルト様とレオポルト様の事が外部に漏れれば、それこそ、大変な事態になる。こちらで、情報操作できる間に仕留めなければ…。
懸念材料はと言えば、今日も殿下にベッタリと張り付いているであるメイアー嬢。
彼女が何もしでかさない事だけが願いだ。
「ついたぞ」
王太子宮の一角が一段と輝いて見えた。
馬車の扉が開かれ、目麗しい明るい髪の青年がステラに手を差し出してくる。
「カイス・シルヴェスト卿。こんばんは」
「ステラ様。お久しぶりです」
「出迎えに来てくださったという事は私のお願いを聞いてくださると解釈してよろしいのでしょうか?」
「学友の妹君の頼みです。我々、王宮騎士に属する者は今宵、その任のため動くと約束しましょう」
カイスは一瞬、ヴェルナードに視線を移した。
学院で兄と同級生だったこの男は若くして上級騎士の称号を得る天才の一人。
ステラも随分可愛がってもらった。
「何より、あのレオポルト殿下にお灸をすえられる機会なんて滅多にないですから」
「おい。声が大きいぞ」
いつもどこかの神経を削ぎすましたようなお兄様が軽口を叩く数少ない人物から漏れるレオポルトの評価は地に落ちている。それはつまり、他の騎士たちも同様だろう。その発言一つが、王宮内の王太子への不満が広がっている事の証拠である。でなければ、極秘事項とでもいうべき、王子の血筋の怪しさを綴った手紙に乗っかってきたりはしない。今の時点では王子の取り換えは外部に漏れていないのだ。真偽も定かではないステラの申し出をあっさり受け入れたのは信頼する友の妹だからという理由だけではないはずだろう。下手をすれば、首が飛ぶかもしれない。
それでも協力すると申し出てくれたのだ。心配は絶対に出来ない。
「では参りましょう」
誰よりも気高く微笑んだステラは静かにレオポルトにその真実を告げ、王宮から去って貰うつもりだ。静かに別室へと誘導して、誰の目に触れずに、彼を逃がす。お父様達が殺しに来ると言えば、肝の小さいレオポルトは従ってくれると自分に言い聞かせた。その事実を信じないなら、カイス様に彼を捕らえる一幕を演じて貰おうと思案を巡らせた。
それでレオポルト王子は自分の立場を理解すると…。それぐらいの判断力はあると信じたかった。
彼が王宮を去った後に王宮のスキャンダルの噂を流せばいい。レオポルト王子が自らその身を引いたという美談と共に…。レオポルトの美談が浸透すれば、王もお父様もそう簡単に彼に手が出せなくなると淡い期待を抱いていた。
その確信すらあやふやなものだというのに…。
「ステラ・フワイトタニア。王太子たるこの俺、レオポルト・クラウスラ・アウストラルの名においてお前との婚約を破棄する」
そんな中で起こった、身に覚えのない婚約破棄宣言。
すべての計画を反故にしかねない事態。だが、これはステラにとってはむしろ好機でもあった。
レオポルト王子の命を助けるために立てた穴だらけの思惑を確実に変えるための…。
途中でまさか、アルベルト様まで乱入してくるとは思わなかったけれど、後には引けない。
「護衛兵!王家守護筆頭フワイトタニア家の名において殿下の名を騙った不届き者を捕らえなさい!」
高らかに宣言したステラの叫び声と共にカイスとその仲間である騎士に抑え込まれるレオポルト王子。殿下を別室に呼んでから茶番を始めるという予定ではあったが、ステラのアドリブにカイス達が柔軟に対応してくれたのは幸いな事だ。
「なっなんだ!何をする!俺は王太子だぞ!」
「哀れなレオポルト様。自分が何者かもご存じなかったとは…」
「どういう事よ!」
「メイアー嬢。落ち着いてください。今から説明いたしますから。すべては20年前。王妃様が一人のお子をお生みになられた時から始まります。レオポルト様と名付けられた彼は王子として何不自由なく育つはずでした。しかし、あろうことか王妃付き侍女に芽生えた小さな邪心によってその運命は翻弄されます。なんと侍女は数日前に生まれたばかりの自身の妹の赤ん坊と王子を入れ替える事を思いついたのです。それはなんとも大それた思い付きでございます。されど、出産と同時に命を終えた妹を失った悲しみが普段の彼女なら絶対にしないであろう行動を起こさせ、二人は入れ代わったのです」
真実と少しのフィクションを交えて説明した。
「まさか、それって…」
当の本人よりもやはり、メイアー嬢は頭の回転が速いのか、ものすごい形相でレオポルトを見降ろした。
「ええ。そうですわ。そこにいらっしゃるレオポルト様は亡き王妃様の侍女の妹の子。王家とは何のゆかりもない方ですの。歳を理由に宮廷を去ったその主犯たる侍女が私に打ち明けました。”あの時はどうかしていた“と…。”宮廷に身を捧げた自分では妹の子を育てる事はできない。相手の男はといえば、やる事はやってとんずらしたクズ。他の親族もいない以上、この子は孤児院に行くしかない。どうにかしてこの子を手元に残しておくことはできないか。妹の忘れ形見を…“そんな悩みが頭を巡らせた矢先、王妃様の出産が始まったのだとおっしゃっていました。なんとお労しい…」
あの女を擁護する気にはなれないが、レオポルトの親族をそこまで愚弄するのは彼の前では酷すぎる。この行動自体こそ称賛に価いないけれど…。
扇で目元を隠して、その悲劇に涙する素振りを見せてもレオポルトの殺気は変わらない。
「そんな話信じないぞ!」
「そうよ。第一、なんでただの令嬢たるアンタがそんな王室のスキャンダルを…」
「知っているのかですって?」
さっきまでの棘はあれど、淡々と顔色を変えなかったステラの表情が鋭くなる。
まるで、別人かのような冷たいオーラに威勢がよかったメイアー嬢は思わず後ずさった。
こんな形で貴女と対決したくはなかったけれど、仕方がないわね。
この私に喧嘩を吹っ掛けた件を忘れてはいない。メイアー嬢。この幕のヒロインになってもらうわ。