残された選択肢
「少し考えさせてくれ…」
「もちろんですわ。今日は私も失礼させていただきます」
「もう、遅い。送ろう。まだ、幻魔がうろついているかもしれない」
「いいえ。結構です。推測ではありますが、幻魔は国境と隣接する裏通りに出現したのでしょう。表から帰りますから被害はありませんわよ。何より、後始末もあるのでは?私に構う必要はありません。それに闇に隠れるのも得意ですので…」
小さく会釈し語った、ステラは静かに部屋を後にした。
残されたアルベルトはおもむろに天を仰ぐ。
「ステラ・フワイトタニアか…。中々、肝の座った女性だ」
「気安すぎるぞ」
アルベルトは気の知れた友に冷たい視線を送る。
「よく言う。お前こそ、待ちに待った女性が会いに来たって言うのに話す事と言えば、政治ばかりとはな…」
「はあ?」
「気づいていないとでも思ったか?」
全く、なぜ、こうも察しがいいんだ。この友は…。
「うるさいぞ!」
思わず反論すれば、ローガンの含みのある瞳とぶつかる。
「なあ、アルベルト。さっきの話だが、もう心は決まってるんだろ」
友の問いにアルベルトは口を小さく上げた。
その瞬間には展開された魔法により室内は元通りの美しい装いに戻っていたのであった。
ステラが屋敷に戻る頃には高く月が昇っていた。
お父様たちはまだ起きているだろうか?
足音を立てずに薄暗い廊下を進むと、執務室の明りが漏れている事に気づく。
「ところでレオポルト王子はどうするつもりです?父上」
かすかに父と兄の話声が漏れてくる。
「あの方には気の毒だが、本物の殿下の存在が明かされた今、無用の存在。静かに消えてもらうのが得策だろう」
それはつまり、死んでもらうというの?
思わず動揺して、足音を立ててしまう。二人の視線が入口に立つステラに向けられた。
「夜遅くに深淵の令嬢がお帰りとは非行娘にでもなったのか?」
「こんな時にそのような軽口を叩くだなんて、お兄様は相変わらず愉快ですわね」
「それもそうだな。自分の身を守るぐらいの芸当が出来なければ、フワイトタニアでは生き残れない」
つい今しがた物騒な話をしていたというのにこの兄が何を考えているのか妹ながら理解できない事が多々ある。
「で、本物の王子は見つけられたのか?」
「はい。お父様。魔法塔の主には話をしましたが、引き受けてくださるかどうかは分かりません」
「即引き受けてくれるとは私とて思ってはいない。よくやった。ステラ」
「ありがとうございます」
ステラは表情を変えないレナードルに頭を下げた。
「ですが、お父様も人が悪いですわ」
「何がだ?」
「私に本物の王子を探せと命じておきながら、その実、魔法塔の主が本来の王子であると分かっておられたのでしょう?」
魔法塔の主に話したと言った段階で誰が王子だったのかと問いたださなかったのが何よりの証拠だ。
「この国が置かれている状況をその目で確認できただろう?」
「魔法使い達の危機と幻魔の狂暴化。それを見せるために魔法塔へと出向かせたという事でしょうか?」
「分かっているならいい。これでお前の覚悟も定まったのではないか?」
「定まるとは?」
「レオポルトとして育てられた男を見限る覚悟だ」
「なんですって?」
「あの男の愚行は父上も俺も把握しているよ」
「殿下もお年頃ですし…女性に魅せられるのは致し方ないのでは?」
「まだ庇い立てするとは優しさを通り過ぎて愚かしいとは思わないか?」
刃のように鋭く尖ったお父様の言葉が体を通り抜け、反射的に背筋が伸びる。
ずっとこうだった。幼い頃からフワイトタニアの精神たる冷酷さを叩きこもうとするこの当主はいつも冷たく、恐怖でステラを支配する。感情を押し殺す術を身に着けた今でも恐ろしい。
「レオポルト王子の問題はメイアー嬢にのめり込んだだけでは済まされないんだよ」
兄は諭すようにステラに語る。優美な笑みの下で棘のある言葉を語る男だ。
「学院を作り変えた金は国を維持するために使われる物だった。王太子とはいえ、それを勝手に動かしていい理由にはならない」
「では、なぜ今まで止めなかったのです?陛下もお父様もお兄様だって…」
「すべてはタイミングの問題だ」
「レオポルト王子を殺すというのも時間が解決すると聞こえます」
「なんだ。立ち聞きしていたのか?」
唇を噛む事でステラは同意した。
「当然だろう。あの男を王室の一員として置いておくわけにいかない。ならば、病死として消えてもらうのが妥当」
「しかし、つじつまが合わないのではありませんか?魔法塔の主…アルベルト様をどう呼び戻すおつもりで?」
「そのあたりはなんとでもなる。魔法塔の主が王家の血を引いていたと言う事実は人々を歓喜させるのにもちょうどいいし、両者の関係を修復するのにも適してる。運命という物を信じる気はさらさらないが、何か大きな力の元に動かされているとさえ思える」
すべての事柄が国の安定につながっていると信頼しているように父の瞳が怪しく光った。
「この話は以上だ。わかったらもう休みなさい」
もはや、父は娘の言葉に耳を傾ける気などないらしい。早々に執務室を後にした。
ステラも、兄たるヴェルナードもその後に続こうとした。
しかし、棚にもたれかかるように設置されたゴミ箱にしわだらけの封筒が放り投げられている事に気づいた。封の紋章は王家の証である鷲があしらわれている。
「これは招待状ですか?」
「哀れな道化が夜会を開くそうだ。全くどんな頭の構造をしているんだろうね。さんざん、品位を下げるような言動を繰り返し、ステラを苦しめてきたっていうのに呼び出すなんて…」
「そうだとしても、レオポルト王子はまだ王太子ですわ。そんな方からの誘いをゴミ屑のように捨ててしまうなんて…」
「構わないじゃないか。それも我が妹に奇行を繰り返した男。幸いなのはニセモノの奴が絵に書いたような馬鹿者だったことだ。本物以上に名君となる素質があれば、消すのも忍びなく思っただろうからな」
「優秀でなければ、生きてはいけないのですか?」
常に頭の中で繰り返される記憶がある。フワイトタニアの当主からつけられた家庭教師の蔑む瞳。
『なぜ、このような簡単な事もできないのですか?フワイトタニアの令嬢とは思えない!』
ずっと言われ続けた言葉。なんでもそつなくこなす兄とは違い、幼い頃のステラは物覚えが良かった方ではない。
『本当にフワイトタニアなのかしら?』
『無効の力も弱いのでしょう?』
親族からもたらされる陰口にも耐え、与えられる試練に耐える日々。
その中でレオポルトとの日常は安らぎを覚えたのも事実だ。
もう、優しく笑いかけてくれる事はない殿下との遠い過去。
「お前が怒る必要はない」
お父様やお兄様が今のレオポルトを語る時、昔の自分と重なるのはどうしてなのだろう?
悲しくて切ない。なんと表現していいのか分からない。
「お兄様が決めないでください」
「まさか、行く気か?良い思いなど絶対しないぞ?」
「消されるあの方以上に私が何を感じるというのです?」
出向くに決まっている。お父様に逆らう事になったとしても、レオポルトと呼ばれた彼と過ごした幼少期の思い出まで汚されるのは本意ではない。例え、彼から恨まれると分かっていても…。
「お兄様。頼みがあります」
「何だい?」
すべての決着は夜会で…。